6.翡翠の願い
翌日、パーウォーは使い魔のミドリを連れてコッペリアのもとへと赴いた。
「こんにちは、コッペリア。約束通り、ミドリ連れてきたわよ」
「お初にお目にかかります、コッペリア様。海の魔法使いの使い魔、ミドリと申します」
パーウォーの後ろから出てきたミドリは、まんまる毛玉な体からちょこんと出ている手を体の前できちんと合わせ丁寧なお辞儀をした。
「わぁ、かわいい! そしてご丁寧なあいさつ、ありがとう。あなたがあのミドリちゃんなのね。あ、いきなり馴れ馴れしくミドリちゃんなんて呼んじゃったけど……」
「いえいえ、むしろ嬉しいですぅ」
「よかったぁ。私はコッペリア。自動人形だけど、仲良くしてもらえたら嬉しいな」
「こちらこそよろしくです」
和やかに交流する女子ふたりをパーウォーは微笑ましく眺めながら、ほんの少しだけ昔のことを思い出していた。
海の底の王宮、その奥。基本的には男子禁制の女の園。パーウォーが育った場所。大切な人が育った場所。
「ミドリちゃんも貴石が核なの?」
「はい。私の核は虹色柘榴石です」
「私は翡翠。貴石の核、私たちおそろいだね」
コッペリアは自分の右目の貴石の瞳を指さすと、嬉しそうに言った。
「コッペリア様。そのとろりとした美しい翠色、もしや琅玕ですか?」
「すごいね、ミドリちゃん。そうだよ、私の核は琅玕翡翠。生まれてこられなかった石人の赤ちゃんの瞳。まだ何も知らない無垢な魂だったから、呪いの瞳にはならなかったんだって」
コッペリアはうつむくと、悲しそうに「そして」と続けた。
「外のオリンピアの瞳は黒翡翠。この琅玕翡翠の子のね、お母さんの瞳だったんだって。オリンピアの核になった石人のお母さんは……ここで人間に囚われて、非業の死を遂げた」
「オリンピア様があのように荒ぶられているのは、その呪いの瞳が原因なのでしょうか?」
ミドリの問いにコッペリアは首を横に振った。
「オリンピアがこの屋敷に……ううん、私に近づく者、私をここから持ち出そうとする者を無差別に攻撃するのは、主があの子の疑似魂にそういう命令を書き込んだから。呪いの瞳もまったく関係ないわけではないけど、直接の原因ではないんだ」
「呪いの瞳は自我を持つ者に移植した場合、まず最初に宿主の精神を攻撃するものね。心が壊れた宿主は呪いの瞳の憎しみに塗りつぶされ、その衝動のままに周囲を攻撃して最期は石になって砕け散る。……あら? でもなら、なんでオリンピアは石になってないのかしら?」
パーウォーの補足にコッペリアはうなずくと、悲し気に目を伏せたあと疑問の方へ口を開いた。
「オリンピアの疑似魂はまっさらだったの。私みたいに知識や自我を書き込まれなかった。あの子には壊される心がなかったの。そして体の半分は人形で出来ているから、石が生み出す大量の魔素はそちらで消費される。だからあの子は機能停止のその日まで、生身の部分も石になることはない」
「あの白い方の変態、ほんと悪趣味だわ」
パーウォーの悪態にかすかな笑い声をもらすと、コッペリアは「ありがとう」とつぶやいた。
「ねえ、コッペリア。アナタの願い、教えてもらうことは……」
「ごめんね。でも私の願いは、パーウォーには叶えられないから」
やんわりと、しかし断固とした拒絶。コッペリアは強い願いを持っているにもかかわらず、それをパーウォーには決して明かそうとしない。そんなコッペリアの頑なな態度でパーウォーはその願いの内容をなんとなく察してしまい、彼女の優しさに寂しそうに微笑んだ。
「命にかかわるような願いは受けない。アナタがワタシに願いを教えてくれないのは、この主義のせいね」
問いかけにコッペリアが返したのは無言。それをパーウォーは肯定と受け取った。
「コッペリア。アナタの願いは……死ぬこと、なの?」
今まで横に振られていたコッペリアの首が、今度は静かに縦に振られた。
「あと三年。それが私たちに科せられた時間。でも私は、できることなら一日でも早く壊れたい」
コッペリアはパーウォーをまっすぐ見つめると、はっきりと言い切った。
「あと三年。私は虚無に、オリンピアは憎悪に苛まれ続ける」
コッペリアの告白に、パーウォーはとっさにかける言葉が出てこなかった。ただただ彼女たちに与えたられた残酷な仕打ちに、心を痛めることしかできなかった。
「ほんとはね、今すぐにでも機能停止したい。でもね、疑似魂に書き込まれた命令で、私は自分で自分を壊すことができないんだ」
「色々ひどすぎますぅ!」
すっかり涙目になってしまったミドリが鼻声で怒りの声を上げる。そんなミドリにコッペリアは「ありがとう、私のために怒ってくれて」と嬉しそうに言った。
「だからね、私の本当の願いはパーウォーには叶えられないの。私もね、誰かを苦しめてまで叶えたいとは思ってないし。あと三年、そうすれば私もオリンピアも解放されるから」
「アナタを殺す以外の方法は、絶対にないの?」
パーウォーの問いにコッペリアは「現状ない」と言い切った。
「もしあるとするなら、主を上回る力を持つ魔法使いくらいじゃないかな。たとえば運命を改変する伝説の魔法使い、トリス・メギストスとか」
「運命改変⁉ そんな魔法聞いたことない! しかもトリスって、おとぎ話の存在じゃない」
「トリス・メギストスですか。懐かしい名前ですねぇ」
唐突に会話に乱入してきた声にパーウォーとミドリが振り返ると、そこには赤い方の変態が立っていた。
「げっ! アンタ、いつの間に」
「おやおや、ご挨拶ですねぇ。まあ、いいでしょう。さて、お嬢さん。お話は聞かせていただきました」
「勝手に聞いてんじゃないわよ。帰れ、変態」
パーウォーの野次などまったく気にも留めず、エテルニタスはコッペリアへと向き直る。
「お嬢さんの願い、私なら叶えることができますよ」
エテルニタスの言葉に、パーウォーとミドリが瞬時に凍りつく。
「ダメダメダメ、ぜっーーーーたい、ダメ! コッペリア、変質者の言葉に惑わされちゃダメよ‼」
「ですです! この人はダメです‼」
「おやおや、ひどい言われようですね」
必死に止めるパーウォーとミドリの後ろで、しかしコッペリアは考え込んでしまっていた。
「たしかに貴方なら、私の願いを叶えるのに最適かも」
コッペリアの返答に、パーウォーの顔から一気に血の気が引く。
「貴方なら私を壊すことに罪悪感も悲しみも感じなさそうだし。むしろ嬉々として壊してくれそう」
「コッペリア!」
コッペリアの評価にエテルニタスは「お任せください」と、にこにこ胡散臭い笑顔を返す。そんな彼にコッペリアは「でも」と言葉を続けた。
「私がその願いを叶えちゃうと、苦しむ人ができちゃったから。だから、今はやめとく」
「おや、残念。では、気が変わりましたら、いつでもお呼びください」
エテルニタスはコッペリアに黄金緑柱石を渡すと、あっさり額縁の中へと消えてしまった。
「コッペリア。捨てちゃいなさいな、そんなもん」
「パーウォーってば、あの人に厳しいね」
「アイツはダメ。関わるとろくなことにことになんないって本能が訴えてくんのよ」
「本能って。パーウォー、あの人も主も苦手だよね」
ころころと笑うコッペリアに、パーウォーは少しだけ安心した。壊してほしい、その願いはいまだ彼女の中から消えてはいないが、少し薄らいでいたから。
「そうだ。私ね、別のお願い思いついたの」
「あら、それはワタシが叶えられるお願い?」
コッペリアは強くうなずくと、「うん。パーウォーにしか叶えられないお願い」と豪語した。
「私が機能停止するまであと三年、ここに人間たちを近づけさせないで欲しい。これ以上オリンピアに血を浴びせさせたくないし、私は残りの日々を心穏やかに過ごしたい」
コッペリアの新たな願いを、パーウォーは二つ返事で引き受ける。
「了解。そういう願いなら大歓迎よ。そうねぇ、代償は――」
「私が機能停止したら、この琅玕翡翠の瞳を持ってって」
予想外の代償に思わず言葉を詰まらせてしまったパーウォーに、コッペリアは不思議そうに首をかしげた。
「もしかして足りない?」
「まさか! むしろお釣り出さなきゃいけないくらいだわ」
「そうなの? だって、三年もかかるんだよ。ほんとに大丈夫?」
「呪われてない守護石なんて三十年でもお釣りくるから! じゃ、コッペリアの気が変わらないうちに契約しちゃいましょうか」
パーウォーの手の中に珊瑚色の鱗がどこからともなく現れる。
「海の魔法使いパーウォーの名にかけ、死後、コッペリアの翡翠の瞳と引き換えに、三年間コッペリアとオリンピアに平穏を約束することを誓う。泡沫の世界に祝福を」
宣誓の言葉が終わると同時に、パーウォーは珊瑚色の鱗に口づけた。すると鱗はあっという間に泡となり、空気の中へと溶けてしまった。
「契約成立よ。これから三年間よろしくね、コッペリア」
パーウォーはコッペリアの手のひらに孔雀石を乗せると、いたずらっぽくウインクした。




