5.約束
一方的にパーウォーに絡んでおいて、そのパーウォーそっちのけで盛り上がり始めたネウロパストゥムとエテルニタス。
そんなふたりのかたわらでパーウォーとミドリは話に参加することも出来ず、かといって帰ることもできず……疲れきった顔で変態たちの会話をひたすら聞き流していた。
「わかった。いいよ、きみなら」
「貴方のような名工の工房を見せていただけるなんて……ああ、誠にありがとう存じます!」
変態ふたりは固い握手を交わすと、そこでようやくパーウォーの存在を思い出した。
「あれ? ヒヨッコちゃん、いたんだ」
「いたくていたわけじゃないわよ‼」
「海の魔法使いさんはいらっしゃらないのですか?」
「行くわけないでしょ‼」
パーウォーの剣幕に不思議そうに首をかしげたネウロパストゥムとエテルニタス。そんな二人の反応にパーウォーを強い疲労感が襲う。
「あ、額装さん。オリンピアは解放してってね」
「かしこまりました」
「待って待って、ワタシたちが帰ってからにして。襲われるのはもう懲り懲り」
変態たちの興味が別の方向を向いているうちにさっさと帰りたいパーウォーは、扉を出すと手早くカエルラへと繋げた。
「ヒヨッコちゃん、まったね~」
「では。いつの日にかまた、お目にかかれますことを楽しみにいたしております」
背中に投げかけられた言葉にパーウォーは「二度と会いたくないに決まってんでしょ!」と心の中で叫ぶと、全速力で扉をくぐった。
「つ……疲れた」
戻ってきた愛しの我が家の応接室。行儀が悪いのは承知で、パーウォーはその場で床に膝をついて崩れ落ちた。
「ごめんなさいぃぃぃパーウォーさまぁぁぁ」
「ちょっ、どうしたのよミドリ」
「わた、私が、秋津洲をお勧めしたばかりにぃぃぃ」
「あー、違う違う、違うから! ほら、はなと涙ふいて」
隣でへたり込んでしゃくりあげる使い魔のぐちゃぐちゃの顔をハンカチで拭いながら、パーウォーはこれからどうしたものかと頭を悩ませていた。
――関わったら最後、ろくなことにならないのは確定。
けれど、知ってしまった。
真っ暗な部屋でずっとひとり、足を奪われ動くこともできず、ただじっと壊れながら朽ち果てるその時を待ち続けている少女がいることを。
陽の光の下でずっとひとり、心を縛られ動くこともできず、ただずっと壊しながら朽ち果てるその時へと進む少女がいることを。
――全部なかったことにして、このままいつもの毎日に戻るのが賢いのはわかってる。わかってるんだけど……
残念ながら、お人好しで感受性豊かなお節介魔法使いにその道は選べなかった。
「知らないでいてあとで悔やむなんて、もうしたくない」
こぼれ落ちた言葉と同時にパーウォーの脳裏をよぎったのは、幸せになるはずだった愛しい人の面影。大切な人たちを守るため、泡になって消えてしまった追想の人魚姫。
「アナタが……アナタたちが望んでくれるのなら、ワタシは」
泣き疲れて膝で眠ってしまった使い魔の頭をなでながら、パーウォーはひっそりと心を決めた。
※ ※ ※ ※
「こんにちは。お邪魔するわね」
紅梅色の扉を出ると部屋に魔術で作った灯りを灯し、パーウォーは持参した椅子をコッペリアの向かいに置くと腰を下ろした。
「本当に……また、来たんだ」
「そりゃ来るわよ。ちゃんと『またね』って言ったじゃない」
「言った。言ったけど、本当に来ると思ってなかった」
人形のため表情は変わらないというのに、パーウォーにはコッペリアがとても驚いていることがありありと伝わっていた。それは揺らめく灯りの加減か、彼女の豊かな感情に彩られた声が見せた幻か、はたまたパーウォーの都合の良い妄想か。
「でも、なんで?」
「なんでって、何か理由が必要?」
特に理由はないというパーウォーに、コッペリアはわけがわからず固まってしまった。
「納得いかない? なら、そうねぇ……ワタシが魔法使いだから。って理由なら、どう?」
「魔法使いだから?」
「そ、魔法使いだから。ワタシ実は、何も知らなそうなアナタから願いを引き出そうとして来た悪い魔法使いなの」
そう胸を張るパーウォーに一瞬きょとんとしたものの、コッペリアはすぐにころころと笑いだした。
「本当に悪い魔法使いだったらそんな正直に白状しないよ、優しい魔法使いさん」
「あら、嬉しい。じゃあ、この優しくて頼りになる魔法使いさんに、ちょっとアナタの願いを話してみない?」
途端、コッペリアの雰囲気が陰る。
「ごめんね、ありがとう。その気持ちだけで十分」
パーウォーは魔法使いとしての嗅覚で、コッペリアが何か強い願いを抱いているのはわかっていた。ただ、言葉にしてもらえないと契約を結ぶことはできない。本人が願ってくれなければ、魔法使いが望んでいてもそれを実現することはできない。
「こちらこそ踏み込み過ぎたわ、ごめんなさい。じゃ、何か別の話でもしましょ。せっかくこうして出会えたんだから、これも何かのご縁ってやつでしょ」
「パーウォーたちの国でもご縁って使うんだ。仏教、そっちでも流行ってるの?」
「ん~、ワタシが拠点を置いてるファーブラでは流行ってないわね。ファーブラは十二柱の神を崇める多神教が多数派で、残りは救世主教とかかしら。あとはたしか、極夜国の石人たちが双子女神を信仰してたはず」
パーウォーのたわいない話に、コッペリアは瞳を大いに輝かせていた。疑似魂のコッペリアは生まれたときからある程度の知識や常識は詰め込まれていたものの、実際にはこの暗く狭い部屋の中しか知らなかったから。そんなコッペリアにとって、パーウォーの語る何気ない日常は楽しくてまぶしくて仕方のないものだった。
「パーウォーも十二柱の神様を信じてるの?」
「いいえ。私はマルガリートゥム出身だから、また別の神様よ。といっても、そんな真面目に信じてるわけじゃないけど」
「あれ? マルガリートゥムって人魚の国じゃなかったっけ」
「そうよ。ワタシ、人魚だもの。だから海の魔法使い」
パーウォーの肯定に、嘘の吐けないコッペリアは思わず「夢が壊れた」とこぼしてしまった。
「なによぅ、人魚だって色々いるの! 生き物なんだから個体差あって当たり前でしょ。おじいちゃん人魚やおばちゃん人魚だってたくさんいるんだから」
「うん、ごめん。そうだよね、色々いて当たり前だよね。ねえ、パーウォー。海の国のお話、もっと聞かせて」
そうしてコッペリアにねだられるがまま、パーウォーは色々な話をした。海の底の国のこと、抜けているけれど一生懸命な自分の使い魔のこと、昔助けた石人と人魚のこと、命にかかわるような願いは受けない主義のこと……
「今日はたくさんお話ししてくれて、ありがとう。すっごく楽しかった」
「楽しんでもらえたなら何よりだわ。じゃあ、次はミドリも連れてくるわね」
「うん、楽しみ」
紅梅色の扉を出したパーウォーが振り返ると、コッペリアがちいさく手を振った。
「またね、パーウォー」
「またね、コッペリア」
そして紅梅色の扉が閉まり、部屋には暗闇が戻ってきた。
「また……」
コッペリアは次を約束する何気ない挨拶をかみしめると、こぼれるはずのない涙をこらえるように天を仰いだ。