2.秋津洲、再び
パーウォーが秋津洲から逃げ帰ってきてから三年――
「ああ、もう! 絹がぜんっぜん手に入らない‼」
平面図や完成予想図、型紙に仕様書などなど、様々な書類が所狭しと積み上げられている机に埋もれ頭を抱えているのはパーウォー。
「微粒子病のせいで蚕が壊滅的な状態ですからね~。ファーブラやティエラだけじゃなくて、大華でも猛威を振るってるとか。おかげで生糸不足で価格は高騰、なにより数が少なすぎて手に入らないって、本当に困っちゃいますね」
お茶を持ってきたのは、額に虹色柘榴石を頂いた狸。二年前、縁あってパーウォーの使い魔になった乙女な化け狸。
彼女は突っ伏すパーウォーのそばへお茶を置くと、きらきらした円らな瞳でパーウォーを見上げた。
「ほんっと、やんなっちゃうわよね。お茶ありがとね、ミドリ」
「いえいえ! パーウォーさま、もしどうしても絹が必要でしたら、私の故郷の秋津洲はいかがでしょうか? 島国なのと品種改良した新しい蚕のおかげで、秋津洲は今のところ微粒子病の流行を免れているようです」
「……秋津洲」
ミドリの進言に、パーウォーの眉間にしわが寄った。
「え……あ、ごめんなさい。パーウォーさまはもしかして秋津洲のこと……お嫌い、だったんでしょうか?」
しょんぼりとうなだれてしまったミドリに、パーウォーは慌てて「違う違う、そんなことない!」と言い切った。
「秋津洲は好きよ。面白いし、着物はかわいいし、食べ物も独特だけど慣れればおいしいし」
「でも……」
「ごめんなさい、ほんと違うのよ。さっきのはね、ちょっとヤなこと思い出しちゃっただけなの。秋津洲が好きなのは本当だから、そんな顔しないで。ね? ミドリの笑顔はワタシの癒しなんだから」
「パーウォーさま~!」
笑顔を取り戻した使い魔は感極まったのか、たっぷりのふわふわな珊瑚色の布に包まれた主人のごつく逞しいふくらはぎにひしっと抱き着いた。そして、なんとか役に立とうと故郷の特産品の売り込みを始めた。
「秋津洲の生糸の中でも、毛野国の羽衣蚕は王への献上品にもなっている最高級の生糸なんです。いくつかの里でしか作っていないので生産量も流通量もすっごく少ないんですけど、きっとパーウォーさまもお気に召しますよ!」
秋津洲、毛野国――そここそ、かつてパーウォーが得体の知れない存在から逃げ帰ってきた場所だった。
けれど、せっかく一生懸命に教えてくれているかわいい使い魔の笑顔を曇らせたくなくて、パーウォーは笑顔がひきつらないように必死に取り繕っていた。
「懐かしいなぁ、秋津洲。今の季節だと、山は紅葉しててきれいだろうなぁ」
語っているうちに故郷が懐かしくなってしまったのか、ミドリは少しだけ寂し気な笑みを浮かべた。
「りょーかい。いいわ、絹は秋津洲から仕入れましょ。ミドリ、もちろんアンタも荷物持ちとして来るのよ?」
こうしてお人好しの世話焼き魔法使いは、三年ぶりに秋津洲へと行くことになった。
※ ※ ※ ※
「嘘……」
紅梅色の扉を開けた主従を出迎えたのは、蚕糸業が盛んな活気ある里ではなく、人っ子一人見当たらない廃墟になった里だった。
「待って待って! ワタシが三年前に来たときは、すごく賑やかで活気ある里だったはずなんだけど」
「パーウォーさま、秋津洲にいらしたことあったんですね」
「ええ。アナタと出会ってからは行ってなかったけど、何回か行ったことあるわよ。言ったじゃない、好きだって」
あれから三年。それくらい時間が経っていれば、あの得体の知れないヤツはもう姿を消しているのではないかと秋津洲にやってきたパーウォーだったが……まさかヤツどころか、里自体が消えているとは予想していなかった。
「三年前のヤツも魔法使いもいないみたいだけど……」
――人造人間の気配がする。あともうひとつは……生ける死体? 機械人形? ちょっとわかんないわね。
里の中心、かつてパーウォーが逃げ帰ったあの屋敷の中からそのふたつの気配はしていた。ひとつは人造人間で、こちらは結界の外で動いていた。もうひとつの気配は動きはないが、結界の中にいるためパーウォーにも気配がうまく読み取れなかった。
「パーウォーさま……あ、あああ、あれ」
「あれ?」
パーウォーの背中にしがみついたミドリが震えながら指さした先にいたのは――
「いつの間に⁉」
「ひぃぃぃぃぃぃ‼」
濡羽色の髪に銀の瞳、左目に黒い石の瞳を持った美しい人造人間の少女。彼女はひび割れた漆喰の瓦塀の上から首だけを出し、無表情でふたりをじっと見下ろしていた。
「パパパ、パーウォーさまぁ! この人、めちゃくちゃ怖いですぅ」
「み、見た目で判断しちゃダメよ、ミドリ。もしかしたら、ただの恥ずかしがり屋さんかもしれないじゃない。……えーと、こんにちは?」
少女は答えない。代わりに聞こえてきたのは、キリキリとかギィギィという自動巻き上げゼンマイのような音。そしてカシャンと硬い音をたて瓦の上に現れたのは、無機質な球体関節人形の腕だった。
「普通の人造人間……ってワケじゃなさそうね」
キリキリ、ギィギィ、カシャン。音がするたびに顕わになっていく少女の体。
「人造人間を作り出すだけでもどうかっていうのに……。これ考えたヤツ、趣味悪すぎて絶対仲良くできない」
瓦塀の上に現れたのは、黒いボロボロの着物をまとった少女。その体に繋がれているのは、二本の人形の腕と四本の人形の足。
彼女は虚ろな銀の瞳と禍々しい黒の貴石の瞳で、パーウォーをじっと見下ろしていた。
「パーウォーさまぁ、あの人の石の方の目……あれって」
「ええ。呪いの瞳ね」
呪いの瞳――それは、非業の死を遂げた石人の守護石の成れの果て。
略奪者や高性能な魔道具を生み出す強力な呪具であり、同時に人の心と体を蝕む禍つ呪物。
「パ~ウォ~さま~!」
「そうね。ここにはワタシの欲しい物はもうないみたいだし、お暇しましょうか」
パーウォーは瓦塀の上のつぎはぎ少女から目をそらさず、そのままの体勢で静かに後退ろうとした。
が、次の瞬間――つぎはぎ少女は弾丸のようにパーウォーへと飛びかかった。
「うひゃぁぁぁぁぁ‼」
「ちょっ⁉」
とっさに後ろへ跳んで避けたパーウォー。その背中ではミドリがしがみついたまま白目をむいて気を失っていた。
「待って待って! ワタシたち、本当にもう帰るから。ね?」
引きつった笑顔で敵意がないことを懸命に主張するパーウォーに、つぎはぎ少女は何も映さない虚ろな瞳を向ける。
「だから」
ごとり、と。つぎはぎ少女の両の肘から先が地面へ落ちた。真っ白で華奢な腕のかわりに現れたのは、鈍く輝く鈍色の刃。
「嘘、でしょ」
直後、つぎはぎ少女が跳んだ。
彼女はパーウォーの急所を的確に狙い、その刃を土砂降りのように降らせる。それをパーウォーはとっさの防御の魔術と己の肉体の性能でなんとか躱していた。
――このままじゃ、いずれ躱しきれなくなる。なら……
パーウォーは大きく息を吸い込むと、声に魔力を乗せてつぎはぎ少女へと放った。
「がっ……あ……」
魔力の乗った不快音でつぎはぎ少女の動きが止まった。少女は平衡感覚を失い、その場に崩れ落ちる。
鬼哭啾々――歌に魔力を乗せ聞いた者を行動不能にする、人魚の特性を生かしたパーウォーの固有魔法。
「ごめんなさいね! あ、でも、しばらくすれば動けるようになるから」
それだけ言うと、パーウォーは全速力でその場から逃げ出した。そのまま里のはずれまで一気に駆け抜け、そこでようやく一度息をつく。
「追ってはこない……みたいね」
「こ、殺されちゃうかと思いましたぁぁぁぁぁ」
ひとまずの平穏に、ひとりと一匹はほっと安堵の息をついた。