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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
外伝2 赤色金剛石の章 ~レッドダイヤモンド~
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 7.灯る炎

 ※ ※ ※ ※



「がはっ――」


 腹部に強い衝撃を覚え、ムサイエフはベッドから跳ねるように飛び起きた。慌てて服をまくり上げて確認するも体に異常はなく、ムサイエフはわけがわからず首をかしげる。


「夢? いや、でも」


 体自体に異常はない。けれど気持ちの悪い違和感がムサイエフの中から消えてくれない。


「……来紅(ライホン)


 ふとムサイエフの脳裏をよぎったのは来紅の姿。

 期限なしの旅を提案したとき一瞬だけ、ふきだす前のほんの一瞬だけ見せた泣き出しそうだった笑顔。


「来紅!」

「ふへ⁉」


 ムサイエフの大声で飛び起きたトゥリパは部屋を出ていく彼の後ろ姿を見て慌ててその頭に飛び乗った。


「ちょっと、どうしたの? こんな夜中に急に大声出して飛び出して」

「わからないけど……嫌な予感がするんだ」


 来紅がいるはずの隣の部屋の扉を叩きながら彼女を呼ぶムサイエフ。その音量は周囲への配慮など微塵もないもので。


「ちょっと、お客さん! こんな夜中に困ります。他のお客様のご迷惑になりますので」

「こっちはそれどころじゃないんだ! この部屋に連れが泊まっているんだが返事がないんだ」


 必死に訴えるムサイエフに返ってきたのは宿の主人の怪訝な顔。


「その部屋のお客様なら、急な用事ができたからと二時間ほど前に清算を済ませて出ていかれましたよ」


 ムサイエフは舌打ちをすると部屋から荷物を持ち出し、「釣りはいらない」と宿の主人に銀貨を数枚押し付けると走り出した。


「ムサイエフ、当てはあるの?」

「ない! ないけど、なんとなくこっちのような気がする」

「待て待て待てーい! ちょっと落ち着いて‼ あたしが他の精霊に聞いてみるから、とりあえず一度止まって」


 トゥリパに止められ、ムサイエフは渋々立ち止まった。たしかにこのまま勘だけで突っ走ったとしても、その勘が間違っていた場合、より遠回りになってしまうことは理解できたから。

 けれど理解できたからといってすぐに落ち着けるはずもなく、トゥリパを待つ少しの間も焦燥はムサイエフを容赦なく苛む。


「あっち! あっちの方から街道に出ていったって」

「ありがとう、トゥリパ。きみがいてくれてよかった。うん、どうやら私の勘は大外れだったようだね」


 ムサイエフは(きびす)を返すと、今度こそ来紅を目指して全力で走り出した。



 ※ ※ ※ ※



 せっかくこっそりと抜け出して必死で歩いてきたというのに、来紅は今、その道を逆戻りさせられていた。


「あとはどうやってあの石妖精を捕まえるかだな」

「石だけでいいだろ。面倒だし殺しちまおうぜ」

「ちらっとしか見えなかったが赤い石だったよな。紅玉(ルビー)柘榴石(ガーネット)尖晶石(スピネル)か……できりゃ高く売れる紅玉がいいんだがな」


 男たちはそれぞれ好き勝手なことを言っていた。ムサイエフを人ではなく物としてしか扱わない彼らの物言いに、来紅はムカムカと腹を立てる。


 ――勝手なコトばかり! サイはオマエラみたいな下衆にソンナ風に言われていい人ではナイ‼


 けれど今の来紅は縛られ猿ぐつわをかまされ、なおかつ麻袋の中に放り込まれた状態。口汚く言い返したくともできなく、それも彼女のイライラを加速させていた。


 ――もう少し……あと少し。


 だからといって、来紅もただ腹を立てているだけではなかった。彼女は縄抜けを試みていて、もう少しで結果を出せるというところまできていた。


「しかし、どうやって()る? 石妖精っていやぁ魔術師が多いだろ。しかも外に出てくるようなヤツなら多少の腕の覚えはあるはず。そんな妖精の魔術師に正面から挑むなんざバカ以外のなんでもねぇ」

「だな。それに新しく護衛雇ってるかもしれねぇし、まずは様子を――」


 男たちの会話が唐突に途切れた。同時に空気が張り詰める。


「やあ、昼間ぶりだね。妖精の魔術師に正面から立ち向かうことになったバカども」


 その声に来紅は麻袋の中で固まってしまった。今一番聞きたくて聞きたくない声。会いたかったけれど会いたくなかった声。


「精霊たちから聞いたよ。きみたち、私のみならず彼女も売り飛ばそうとしているんだって?」


 男たちがムサイエフを取り囲むように散った気配が来紅にも伝わってきた。ムサイエフの方は一歩も動いていない。


「今ならまだ間に合うよ。素直に彼女を返してくれるなら。でも……抵抗するというのなら、全部燃やす」


 ムサイエフがいるであろう方向に魔素が集まっていく。その気配に来紅は本格的に焦り始めた。このままではムサイエフが魔術を発動させてしまう。下手をしたら町を巻き込んでしまうのも心配だが、なによりまず来紅の身の方が危うい。


『ライホン、助けに来たよ』


 トゥリパの囁きと同時に来紅にかまされていた猿ぐつわがゆるんだ。


『縄の方は……もうほとんど解けてるね。袋の縄は切っておいたから。あ、そばに一人いるけど来紅ならやれるよね? さくっとやっちゃって。で、ムサイエフが暴れだす前に逃げるよ』


 トゥリパの矢継ぎ早な指示にうなずきだけで了承を返し、来紅は麻袋の中から飛び出た。そしてそばにいた男を一撃で昏倒させるとムサイエフの方へと顔を向ける。

 月明かりの下、冷たく輝く燃える貴石が来紅を貫いた。その冷たい炎の瞳は来紅を認めた瞬間ふわりと優しい灯火を宿し、温もりを持つ柔らかな光へと変わって……


 ――ああ、もうダメかもしれない。


 貫かれた来紅の胸に灯ったのは、冷たくて熱い貴石の炎。禁じられていた熱。



 ※ ※ ※ ※



 麻袋から飛び出すと同時に華麗な足さばきで男を昏倒させた来紅。月明かりの下、苗木のように瑞々しく輝く黒い瞳がムサイエフを貫いた。瞬間、ムサイエフの中に溢れだしたのは、これまで生きてきて感じたことのないような多幸感。そして炭酸水を飲んで酔ってしまったときのような、夢見心地の酩酊(めいてい)感。


 ――ああ、もう駄目かもしれない。


 貫かれたムサイエフの胸に灯ったのは、熱くて昏い本能の炎。禁じようとしていた熱。

 

「ごめんね。もう止められないかもしれない」


 それは来紅への想いか、これから始まる火炎の宴か。ムサイエフは高らかに笑うと、あふれる想いのままに炎を躍らせた。

 恋に浮かされた炎はあたり一面を飲み込み、焼き尽くす。先に惨劇の予告を受けていた来紅はトゥリパと共にいち早く逃げ出していたので難を逃れたが、炎がおさまったとき、ムサイエフと対峙していた石人狩りの人間たちは姿も形も見えなくなっていた。


「来紅、無事でよかった」


 焼け野原の真ん中で穏やかな笑みを浮かべるムサイエフ。


「ねえ、なぜ黙ってひとりで行こうとしたの? 一緒に世界を見て回ろうって言ってたのに」

「ゴメンなさい。でも――」


 来紅が言葉を紡ごうとしたその瞬間、ムサイエフは彼女を背にかばうと炎を放った。直後、短い断末魔と共に蛋白質の燃える嫌な臭いがあたりに広がる。


「サイ、何が⁉」


 慌てて飛び出した来紅の目に映ったのは少し先で煙をあげる黒い塊と、短剣(ダガー)が突き立ったムサイエフの左大腿部だった。

 

「すまない、下手を打った。ナイフを狙ったつもりだったんだが……うっかり本体の方を燃やしてしまったらしい」

「サイ、しっかりしろ! すぐに手当てを――」

「無駄だよ、嬢ちゃん」


 そこには、来紅を殴ったあの石人狩りの男が立っていた。男はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべふたりを見下ろす。


「その短剣には蛇の王(バジリスク)の毒が塗ってあってなぁ。ちなみにだが、解毒薬はあの燃えた男が持ってた」

「なん、だと……」

「あーあ。さっさと(グーロ)の秘薬与えねぇとその石妖精、死ぬぞ。嬢ちゃんは持ってんのか? 俺らはアジトに戻りゃある。つーわけでよ。ソイツ、俺らに渡してくんねぇか? な、悪い話じゃねぇだろ」

「悪いけど断らせてもらうよ。それに私は毒如きじゃ死ねないんだよ。というわけだ……さっさと失せろ、下衆が!」


 ムサイエフが腹立ちまぎれに放った炎をかわした男はニヤニヤ笑いを崩さぬまま、「手遅れになる前に決めた方がいいぞ」と余計な忠告を残して引き揚げていった。

 

「サイ、とりあえず町に戻ろう。ここからならすぐだ」

「そう、だね。ひとまず、パーウォーのところ……へ……」


 毒のせいですでに足取りのおぼつかないムサイエフ。いくら死なないとはいえ苦しみは同じ。むしろ死ねないせいでムサイエフの苦しみには終わりが来ない。石をも砕く蛇の王(バジリスク)毒さえ、ムサイエフの守護石は拒絶する。

 来紅は男たちが投げ出していった自分の荷物の中から何枚かの霊符を取り出すと、それを自らの腕や足に貼っていく。そして荷物を背負うと、地面に座り込んでいたムサイエフを両腕だけで軽々と抱き上げた。


「なんとも……言い難い気分、だね」

「霊符で身体強化シタ。安心シロ、すぐにパーウォー殿のトコロへ連れていく」


 夜明けの荒野を、大の男を抱えた少女が人間ではありえない速度で駆け抜ける。それはまるで乙女の姿をした天つ風。そして日が昇る前、天つ風は海の魔法使いのもとへと転がり込んだ。

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