4.石人の本能、仙人の苦悩
「賢者の石って、おとぎ話に出てくるあの賢者の石? そんなもの、本当に存在するのか?」
「わからない。けれど、ソレを探し出すのが我の使命」
「無理難題にもほどがある。その使命、下手をすると一生大華に帰れないじゃないか」
「ソウ……かも。でも、命じられたから」
ムサイエフは小さくため息をもらすと、うつむき頭を抱えた。
――この子、こんな素直で隠し事できなくて、なおかつ知り合ったばかりの私程度にここまで事情を話してしまうなんて……危なっかしいなんてものじゃない。
最初こそ野生動物のように警戒していたというのに、ムサイエフが精霊の見える人間だと勘違いしてからは素直も素直すぎて。ここへ来るまでに払ったのが手痛い勉強代だけというのは、もはや奇跡なのではないかとムサイエフは思った。
改めて来紅を見れば、その見た目はまだ幼さが残る少女。
「ねえ、来紅。きみ、年はいくつ?」
「ナンダ突然。十六だが、ソレが何だ?」
「十六⁉ え、本当に? だって、十六って私たち石人の百みたいなものだろ。それにしては……」
ムサイエフの驚きに、来紅は少しだけむっと口をとがらせる。
「十六だ。ただ天仙になったときに成長は止まったから、コノ体は昇天した十三のときのままだが」
「ああ、なるほど……って、天仙って不老なの⁉ え、もしかして不死だったりも?」
「天仙でいる間は不老だ。ただし不死ではナイ。寿命は主と共にしているので、主によるナ」
「ちなみにだが来紅の主は……不死、なのか?」
「さあ、ドウであろう? だが、アノ方ならあり得るな」
来紅の答えに、ムサイエフは目の前が真っ暗になった。死ぬために探していた半身。もしそれが来紅だったとしたら……
「いや、まだそうだと決まったわけじゃない! 正直、今のところまったくわからん‼」
突如わけのわからない叫びをあげたムサイエフに来紅は眉をひそめる。
「よし、決めた! 来紅、私もきみの賢者の石探しとやらに付き合おう」
先ほどは無理難題だと言いきったものに一転、今度は付き合うと宣言したムサイエフ。その手のひら返しに、来紅の眉間のしわが深まった。
「なぜ?」
「もう少しきみと一緒に行動して、確認しなければならないからだ」
「何を?」
相手に理解させようとしているとは思えないムサイエフの返答に、来紅は少し頭が痛くなってきていた。先ほどまでの紳士的だったムサイエフの印象が、来紅の中で徐々に崩れてきている。
「きみが、私の半身かどうかを」
「…………はぁ⁉」
そして、突然の半身という言葉。
どうやらムサイエフは、来紅が自分の半身かもしれないと思っているらしい。これまでのやり取りでそのことに思い至り、来紅は顔面蒼白になった。
「無理ダ! 我は天仙、色恋は禁じラレている‼」
「それこそ無理だ! こちらは本能。もし来紅が半身だった場合、全力で口説かせてもらう‼」
「ダカラ無理だと言っている! それに賢者の石を見つけ次第、我は大華に、それも天界に帰るのだぞ‼」
「安心してくれ。もし来紅が半身だった場合、どこへでも喜んでついていく」
「オマエ、我の話理解する気ナイだろう⁉」
すっかり化けの皮を脱ぎ捨ててしまったムサイエフに、今度は来紅が頭を抱えることとなった。
「サイ、你は天界がどういう場所か知っていて言ってイルのか? 天界に入れるのは天仙と神獣、そして神仙たちダケだ」
「え⁉ では皆、家族はどうしているんだ?」
「言ったであろう、我ら天仙は恋愛禁止。すべては主のもの。家族はいないし、作らない」
「ならば、こちらも言ったぞ。私たち石人の半身は本能。その度合いは人によるが、そうそう抑えられるものではない。大抵は半身がいれば全力で求めるし、そのためには自らの在り方だって変える」
ばんっ、と。来紅が目の前のローテーブルに両手を叩きつけた。
「そんなの、コチラは望んでナイ‼ 我たちには半身などという概念は存在しナイし、你たちの言い分を一方的に押し付けるナ!」
来紅から本気の怒りをぶつけられ、どこか浮かれてしまっていたムサイエフはようやく我に返った。
石人に至福をもたらす半身という存在は、互いが石人であれば一部の例外を除き大きな問題は起きない。一度結ばれれば想いは互いが死ぬ瞬間まで揺らぐことはなく、石人同士ならば常識や価値観にそこまで大きな違いはないから。けれど、相手が石人以外の種族だった場合……それは、ときに大きな不幸を招くこともある。
たとえば、人間。人間には半身の概念はない。その心は揺らぎやすく、儚い。石人のように生涯揺るがぬ想いを相手に捧げる者もいるが、どんなに強い想いでも、絶対とは言いきれない。だから、もしも気持ちが薄れてしまったそのときは……
たとえば、無機物。心のない物に自らを捧げる石人の姿は、他の種族から見ればまさに狂気の沙汰。狂っているとしか思えないだろう。しかも生殖もできぬ相手にどうしてそんなことになるのかは、本人たちでさえわからない。けれど石人は死ぬまで、その物言わぬ心持たぬ物に想いを捧げ続ける。
「……すまない。つい浮かれて、本来の目的も来紅の気持ちも無視してしまった」
「いや、コチラも怒鳴ってしまい、すまない。你たちとて、如何様にもできないことなのだろうに」
相手の事情はわかっていても、お互い自分のことも譲れない。その苦しさに、答えの出なさに、二人の口は貝のように固く閉ざされてしまった。優しい午後の日差しが差し込む部屋の中に重苦しい沈黙が落ちる。
「ねえ、聞いてもいいかな?」
沈黙を破ったのはムサイエフ。来紅はそれに無言でうなずきを返す。
「たとえばだけれど……もし、私のこの守護石が賢者の石だったとしたら、来紅はいったいどうするつもりだったの?」
気まずい沈黙を破るためムサイエフがない頭でなんとか探し出した話題だったのだが、いかんせん選んだ題材が悪すぎた。
「ソレ、は……」
ムサイエフの守護石が賢者の石なのではないかと言ったのは確かに来紅だったが、彼女は今、その言葉がどんなにひどいものだったのかに思い至ってしまったから。もしムサイエフの守護石が賢者の石だった場合、来紅はそれを主のもとに持ち帰らねばならない。けれどその行為は、欲のために石人たちを狩る無法者たちとなんら変わらないもので。
一方、そこまで深く考えていなかったムサイエフは、うつむいてしまった来紅の姿に焦りを加速させる。
「え、待って。なんで泣きそうに⁉ 私、何かまずいこと言ってしまった?」
「まずいことを言ったのは我だ。我は、サイにトテモひどいことを言ってしまった。主の命とはいえ、你の目を奪おうなど……」
「え、守護石だけ持っていくつもりだったの⁉ それは確かにひどい」
ムサイエフの肯定に来紅は小さな体をますます小さくする。
「ああ、すまない。違うよ、責めているとかではないんだ。ただ、もし私の守護石が賢者の石だったら、もしかして来紅は一緒にいてくれるのかなって思ったから聞いてみたんだ。もし不死の貴女が私の半身ならば、ずっと一緒にいられるからそれはそれでいいかなと思って。でもまさか、守護石だけ持っていこうとしてるとは思っていなかったから。少し驚いてしまって」
「本当にゴメンナサイ」
「いいよ、もう気にしないで。ただ、もし守護石が賢者の石だったとしても、奪い取るのはおすすめしない。大往生した石人のものや本人の意志で譲られたものならともかく、奪われた場合はもれなく呪いの瞳となって所有者を呪うんだ。それに守護石を失った石人は死んでしまうから、石人の前では口にしない方がいい」
死んでしまうから――ムサイエフの言葉に、来紅の顔色は先ほどよりさらに悪くなっていた。
「ソウ、だったのか。本当に我は、サイに対してなんというひどいことを」
「でも、来紅はもう絶対に言わないだろう?」
「モチロンだ!」
ムサイエフを見つめ力強く言い切った来紅。そんな彼女のまっすぐな姿に、ムサイエフの心は再びふわふわと浮き立ち始める。
「それに、私も来紅に半身のことを押し付けようとしてしまった。もし来紅が私の半身だったとしたら……抑えきれるかはまったく自信がないけれど、でも! もしそうなった場合は、最善を尽くすよう努力はする」
「……ああ、ナルホド。先ほどパーウォー殿が言っていたのは、コレを見越してのコトだったのか」
重苦しかった空気が緩み、二人の顔に明るさが戻ってきた。
「ただいまー!」
「あら、すっかり打ち解けたみたいね。来紅ちゃん、焼き菓子とお茶はいかが?」
そこへ見計らったかのようにパーウォーたちが戻ってきた。彼は来紅の前にお茶と切り分けた焼き菓子を置くと、ムサイエフの隣に腰を落ち着けた。
「それで、わかった?」
パーウォーが成果を問うと、ムサイエフは胸を張って首を横に振った。
「というわけで、私はしばらく来紅と行動を共にすることにした。彼女の仕事を手伝いながら見極めようと思う」
「あら、そうなの? なーんだ、てっきり新たな恋人誕生の瞬間が拝めると思って戻ってきたのに~。で、来紅ちゃんのお仕事って何?」
「賢者の石を持ち帰ることだそうだ」
ムサイエフの返答に、パーウォーの笑みが凍り付いた。