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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
外伝1 蓮華蒼玉の章 ~パパラチアサファイア~
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13.そして嵐は過ぎ去り

「ウェリタス! バカなことはやめなさい‼」


 逃げようとしたロートゥスの態度は、かえって少年の狩猟本能を刺激してしまった。押さえつけてくる少女のような細い腕は、けれどやはり男性のもので。その力強さにロートゥスは恐怖と、そして喜びを感じていた。


 ――怖い……のに、なぜ? なぜ、私の心は歓喜に震えているの?


「ロートゥスだって、本当は僕が嫌いなくせに! 見ないでよ! 僕を、見ないで‼」


 それは、とてもひねくれた愛の告白。そして、ロートゥスの心をえぐる、残酷な宣告。


 ――好き、じゃない。わたくしはまだ、好きじゃない‼ 好きじゃない、はずなのに……


 それなのに。ギラギラと欲望を灯すウェリタスの空色の瞳が、正反対の言葉が、ロートゥスの心を昂らせる。

 しかし、ロートゥスとてここまで意地を張っておいて、今更そう簡単に流されるわけにはいかない。ロートゥスの理性は、まだ本能を押しとどめている。


「ウェリタス、やめなさい! あ――」


 とはいえ、男女の力の差は(くつがえ)しがたく。ウェリタスの手は、無情にもロートゥスの胸元へと――――


「ロートゥ――ぐぇっ!」


 仰向けのロートゥスの胸に落ちてきたのは、ウェリタスの頭と空っぽの巻貝だった。ロートゥスはそれらを慌ててどかすと、素早くウェリタスの下から抜け出す。


「なーにヤッてんだか。半身とだからってさぁ、そこじゃ丸見えだよ」

「わたくしは止めていたんです‼」


 道の上からふたりを見下ろしていたのは、先ほど行ってしまったはずのカリュプスだった。


「いやはや、若いってのはすごいね」

「ですから!」

「いててて……」


 頭を押さえながらウェリタスが起き上がった。そんな彼からロートゥスはさっと距離を取る。


「あ、僕……」


 傷ついた顔で言葉を詰まらせたウェリタス。しかし今のロートゥスは、どんな顔で彼と向き合えばよいかわからなかった。ロートゥスの心は現在、絶賛大時化(おおしけ)中。もはや目を合わせるどころか、顔を上げることさえできない。


「ウェリタス~、事に及ぶならちゃんと見えないとこで及びなよ。ここ、全方位から丸見えだよ」

「あ、いや……うん」


 聞こえてくる男ふたりの会話に、ロートゥスはいたたまれなくてさらに身を小さくしていた。


「そういうカリュプスはさ、なんで戻ってきたの?」

「ああ、忘れ物があったの思い出したんだよ」


 そう言うとカリュプスはロートゥスの方へと歩いてきて、その手にウェリタスに投げつけた巻貝を置いた。


「これは?」

「さあ? 俺はロートゥスに渡してくれって頼まれてただけだし。あー、そうそう。ウェリタスと喋るときは、その巻貝を耳に当てろって言ってたよ」

「どなたからでしょうか?」

「ウェリタスのひいばあちゃんの知り合いだって。なんか女物の服着て女言葉使う、めちゃくちゃ筋肉質で化粧の濃い男……名前、なんだったっけ? ま、いっか。俺、男の名前すぐ忘れちゃうんだよね」


 ウェリタスには心当たりがあったようで、「あ!」と小さく声を上げていた。けれどロートゥスには思い当たる人物が浮かばず、ただただ戸惑うしかできなかった。

 カリュプスはというと、「今度こそお別れ。もう会うことないと思うけど」と笑い、あっさりと去ってしまった。

 そして残されたふたりに降りるのは、またもや気まずい沈黙。


「……ロートゥス」


 今度の沈黙を破ったのはウェリタスだった。彼はロートゥスの持つ巻貝を指さし、次いで自分の耳を指さした。


「あ、はい。こうですか?」


 ロートゥスはウェリタスの身振り(ジェスチャー)に従い、巻貝を耳に当てた。聞こえてくるのは、さあさあという波のような音。


「ロートゥス。聞かないで(聞いて)


 ウェリタスが口にしたのは「聞かないで」。けれど、巻貝を通してロートゥスに聞こえてきたウェリタスのもう一つの声は、「聞いて」。


「僕は人間(人魚)()人間(人魚)なんだ。魔法使いに頼んで、足を治して(二本の足を)もらった」


 巻貝から聞こえてくるウェリタスの言葉と、実際に彼の口から出てくる言葉。それは反転したり、捏造されていたりした。全部が全部反転したり言い換えられたりしているわけではなく、ところどころ、大事なところだけがねじれている。


「ウェリタス、やはり……この巻貝から聞こえてくるのが」


 ロートゥスの確認にウェリタスは涙ぐみながらうなずいた。


「これは、魔法使いに払った代償。足と引きかえに、僕は嘘をつけなくなった(真実を言えなくなった)


 ウェリタスのちぐはぐな言動、ロートゥスはそれらにようやく納得がいった。


 ――ずっと。ウェリタスはずっと訴えていたのに。わたくしのために人魚であることを捨て、こんなに苦しい代償を支払って、そこまでして会いに来てくれていたのに。


「ごめんなさい……わたくし、自分のことばかりで。ウェリタスのこと、全然見ていなかった」


 ウェリタスは嬉しそうに笑うと、首を横に振った。


『じゃあさ、これから見てよ。これから僕を知って。僕も、もっとロートゥスのこと知りたい』


 巻貝から聞こえてくるウェリタスの声。それは、彼の表情ときちんと合致していた。


『僕は、ロートゥスが好き。大好き。恋をするなら、ロートゥスがいい』

「でも、わたくしは……」


 ロートゥスは、自分の石人の本能が怖かった。ウェリタスを受け入れてしまったら、もう後戻りできなくなる。自分の意志で育てたオルロフへの恋は、なかったことになってしまうかもしれない。本能に浸食されてウェリタスを選んだら、無条件に愛してしまうかもしれない。


「わたくしは、石人の本能が怖い。それに、石人じゃないウェリタスは……いつか、気持ちが変わるかも――」

『ふざけんな‼』


 顔を真っ赤にして、ウェリタスが純粋な怒りをぶつけてきた。


『僕の気持ちを、ロートゥスが勝手に決めんな! 僕の気持ちを、勝手に嘘にすんな‼』


 涙を浮かべ、ウェリタスは今までため込んでいたすべてを吐き出す。


『ロートゥスの臆病者! でも僕は……そんなロートゥスも、好きなんだよ』


 ぽろぽろと大粒の雨を降らせる少年の姿は、ロートゥスの乾いた心を潤わせていく。


『怖がりで、頭でっかちで、自分の勇気がないのを僕のせいにして! でも優しくて、我慢強くて、歌がうまくて、たまに抜けてて……そんな悪いとこもいいとこも、全部好きになっちゃったんだから仕方ないだろ‼』


 素直で正直な言葉が、まっすぐな想いが、ロートゥスの心に沁み込んでいく。


「わた、わたくし、は……本能だから、ウェリタスを好きになるかもしれないのよ?」

『いいよ。一目惚れみたいなもんじゃん。きっかけは本能でも、そこから僕を見てくれれば。僕、がんばるから。ロートゥスに好きになってもらえるように、がんばるから!』


 雨上がりのきらきらとしたウェリタスの笑顔が、ロートゥスの頑なだった心を明るく照らす。


 ――わたくしは、知っていたのに。本能がきっかけでも、本当の恋をしている人たちを。みんな、自分の意志で恋をしていた。本能で惹かれた半身だとしても、喧嘩をしたり、仲直りをしたり、そうやって関係を築いていた。


 半身のために出ていかざるを得なかった母親のことで精神的外傷(トラウマ)を負い、半身を嫌悪していたロートゥス。ゆえに、半身以外を選ぶことにとらわれ過ぎ、本質を見失っていた。

 オルロフへの想いは確かに恋であったし、本物だった。けれどウェリタスへの想いも、ロートゥス次第で本物になるかもしれない。


 ――結局、わたくしは逃げていただけだった。傷ついたことにしがみついて、石人の本能をいいわけにして、新しい一歩を踏み出すことから。


「わたくし、年上なのに子供みたいで頼りないし、あなたと一緒に食事を食べることもできないし、終わった恋に未練がましくしがみついていたり、本当は木登りとか好きで全然おしとやかなんかじゃないし……」

『知ってるよ、全部隣で見てたもん。ロートゥスってば、修道院の中で全部やってたじゃん。それにさ、僕もまだガキで頼りないし、だったらふたりで大人になろうよ』

「本当に、本当に後悔しないですか? わたくし、きっととてもしつこいですよ?」

『いいってば。それにね、人魚も番は一生にひとりだけ。すっごくしつこくて執念深くて、情の深い生き物なんだ。だから、聞かせて。……ロートゥス、僕と恋をしてください』

「…………はい。最後の恋をするなら、ウェリタスがいい。いえ、ウェリタスでないと、だめです」


 ぱきり、と。乾いた音と共に、ロートゥスが耳に当てていた巻貝が真っ二つに割れた。そして、ロートゥスの手からこぼれ落ちた巻貝は砂浜に着く前に泡となり、煙のように消えてしまった。


「ロートゥス!」


 全身でこれでもかと喜びを表すウェリタスが、ロートゥスを思い切り抱きしめた。


「うん! たくさんお喋りして、歌って、いろんなとこに行って……僕、ロートゥスとやりたいこと、いっぱいあるんだ!」


 ウェリタスの言葉に、ロートゥスの顔からざあっと血の気が引いた。


「ウェリ、タス? それは、どういう……?」


 ロートゥスの急変に、ウェリタスはわけがわからなくて首をかしげた。けれどすぐにはっと何かに気づくと、「違う、これは全部本当のことだから!」と叫んだ。


「聞いて、ロートゥス! あのね、僕の払った代償なんだけど、ロートゥスに想いが通じたときは元に戻るって条件付きだったんだ!」


 ――あなたが想い人の心を手に入れられたのならばそのときは……真実は、あなたの舌に戻ってくるでしょう。――

 

「アイツ、めちゃくちゃ性格悪い魔法使いだって思ってたけど……実はいいヤツ、だったのか?」

「まあ! わたくしも一年前、魔法使い様にお世話になったのですけど……あの方も、悪気はなかったようなのですよね。もしかしたら魔法使い様たちは、誤解されやすい方々なのでしょうか?」


 雨降って地固まり――おかげでお人好したちに、魔法使いは誤解されやすいいい人たちと認識されてしまった。


「ずっと、ずっと言いたかった」


 ウェリタスはロートゥスをまっすぐ見つめると、(なぎ)のような笑みを浮かべた。


「ロートゥス。僕はロートゥスが、大好きです」


 ウェリタスの告白に、ロートゥスも雨晴れのような笑みを返す。


「ウェリタス。わたくしはまだ、あなたの気持ちに追いつけていないけれど……待っていて、くれる?」

「もちろん!」


 そして嵐は過ぎ去り……夜明けをおおっていた雨雲は、海から昇ってきた太陽によって晴らされました。

 

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