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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
黒玉の章 ~ジェット~
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15.月下美人の涙

 アルビジアの励ましのおかげで、ミオソティスはロートゥスと会ってきちんと話す決心を固められた。

 オルロフへの気持ちを自覚した今、ロートゥスとはいつか話さなければならない。ならば先に引き延ばすよりは、心が奮い立っている今の方がいい。

 決着をつけるべく、ミオソティスは招待状の返事を書き上げると、すぐさま使いを出した。



 ※ ※ ※ ※



 コランダム公爵家に向かう馬車の中、ミオソティスはすでに逃げ出したい気持ちでいっぱいいっぱいだった。ほんの三日前に自分で決着をつけると決めたのに、いざその時になるとすっかり怖気づいて委縮してしまっている。そんな自分の意気地のなさを心底情けなく思い、ミオソティスは深いため息をついた。


「本当に情けないったらないわ。やるって言ったのは自分なのに、またこうやってうじうじ、うじうじと。…………本当に、オルロフ様に会ってからの私は、情緒不安定もいいところね」


 そんな独り言をこぼした直後、御者が公爵邸に到着した旨を告げてきた。怖気づいた自分に気合を入れるため、ミオソティスは自分の頬を軽く二、三度叩く。そして顔を上げると背筋をぴんと伸ばし、覚悟を決めて馬車を降りた。


 馬車から降りてきたミオソティスを見た公爵家の使用人は、ほんの一瞬、わずかにだが眉をひそめた。それは本当に一瞬のことで、普通なら気づかなかっただろう。しかし、何度も同じようなことを経験してきたミオソティスにはわかってしまった。

 やはり、守護石を眼帯で隠しているのが気に障ったらしい。いつものこととはいえ、負の感情を向けられるのはやはり悲しいし、怖い。

 ロートゥスには事前に事情を説明しておいたので、使用人たちもわかっているはずだ。けれど、彼らも頭では理解していても、心が受け入れ難いのだろう。わかっているから責められない。だからミオソティスは心がこれ以上沈んでいかないように、せめて表面上だけでも笑顔を作り、自分を鼓舞した。



「初めまして。そしてようこそ、ミオソティス様。来ていただけて、とても嬉しいわ。さ、おかけになって」


 案内されたのは甘い香りに満たされた温室で、咲き誇る白い花の中にテーブルと椅子が設置されていた。


「すごい……! こんなにたくさんの作り物じゃない植物、初めて見た。…………あっ、も、申し訳ありません、ご挨拶もせず。本日はお招きいただきまして――」

「ふふ、今日はそういう堅苦しいのはなしにしましょう。さ、おかけになって」


 白く輝く(かぐわ)しい花に囲まれたロートゥスはまるで花の女神のようで、その神々しさにミオソティスは思わず圧倒されてしまった。

 ただ一点だけ、夜会の時にも見た彼女の髪に挿された黄水仙だけは浮いていたが。 


「そんなに緊張なさらないで。別にあなたを、どうこうしようというわけではないのだから。ただ、少しお話ししてみたかったの」

「私と、ですか?」

「ええ、あなたと」


 笑顔のはずなのに、どこか仄暗(ほのぐら)い雰囲気を湛えるロートゥスの瞳。その不均衡な表情に、ミオソティスは微かな不安を覚える。

 しばし、無言で見つめ合う二人。そのなんともいたたまれない雰囲気は、給仕の者がやって来るまで続いた。


「どうぞ。月の光をたっぷりと浴びた、カリナン山の雪解け水よ」


 ティーカップに注がれたのは、無色透明の水。人間ならばお茶なのだろうが、あいにくと石人(いしびと)は水以外飲まない。だから人間の真似事が好きな石人たちは、お茶の代わりに茶碗に水を注いで気分を味わうのだ。


 緊張して喉がからからだったミオソティスは、ありがたくそれに口をつける。一口飲んだ瞬間、そのあまりの美味しさに思わず感嘆の声をあげていた。


「美味しい! こんな美味しいお水、初めて飲みました」

「そうでしょう? わたくしも初めて口にした時、今のミオソティス様のように感動したものよ。でもね、わたくしは美味しさのあまりつい飲み過ぎてしまって、後でお腹を壊してしまったの。ふふ、あの時はさすがに周りに呆れられたわ。あ、これは秘密よ」


 口もとに指を添えて小さな秘密を口止めするロートゥスはとても可愛らしく、初対面で感じた不安をすっかり拭い去ってしまった。


「なんだかとても意外です。ロートゥス様といえば才色兼備の淑女の鑑。まさかそのような一面もお持ちだなんて、思いもしませんでした」

「幻滅させてしまったかしら? ふふ、今でこそこんな風に淑女の皮を被っているけれど、わたくしも小さな頃は結構なお転婆娘だったのよ」

「今のお姿からはとても想像できませんけれど……なんだか親近感を覚えてしまいます。なんて言ったら、失礼かしら」

「そういう風に言ってもらえると、とても嬉しいわ。実はね、わたくしもあなたには親近感を感じていたの。なんだか昔の自分を見ているようで……」


 ロートゥスはミオソティスを懐かしむように見つめると、ほんの少しだけ悲しそうに微笑んだ。その微笑みの意味がわからず、ミオソティスは不思議に思いながらロートゥスを見つめ返した。するとロートゥスはすっと目を逸らし、席を立つと、白魚のような指で白い花を愛でた。


「この花はね、月下美人というの。綺麗でしょう? 寒さに弱いし太陽はないしで、極夜国(ここ)で育てるのは大変だったわ。でもね、どんなに苦労して育てようとも、この花はたった一晩で萎れてしまうのですって」


 振り返ったロートゥスの笑顔は深い(うれ)いを帯びていて、その美しくも儚い姿は、一夜限りのあえかな花を咲かせる月下美人のようだった。

 

「花言葉は『儚い恋』。ふふ、まるで今のわたくしのよう。……わたくしの恋もね、昨日まではこんな風に咲き誇っていたのよ」


 白い指先で月下美人を愛でながら、ロートゥスは淡々と語る。ミオソティスはそんな彼女にかけるべき言葉が見つからず、ただ静かにロートゥスの(かそ)けき声に耳を傾けた。


「ずっとね、ずっとお慕いしていたの。それこそ小さな頃は、会う度に『お嫁さんにして』なんて言って困らせていたわ。何度断られても、それでも振り向いてほしくて、必死に努力したの」

「ロートゥス様のお慕いしている方というのは……オルロフ様、ですよね?」


 ミオソティスの問いに、ロートゥスの肩がぴくりと震えた。


「でもね、わたくしは間違えてしまった。あの方に半身と認められるために努力していたはずなのに、周りにやれ優秀だ天才だと誉めそやされるうちに、調子に乗ってしまったの。いつしか褒められることに夢中になっていて、肝心のあの方のことを後回しにするようになっていたわ。馬鹿よね、本当に」


 自虐的なロートゥスの言葉にやりきれなさを感じ、ミオソティスはうつむいたまま何回も首を振った。結果間違ってしまっていたのだとしても、努力してきたことは否定してほしくなかった。その気持ちをどう伝えればいいのかさえわからない己の不甲斐なさが悔しくて、ミオソティスは歯噛みする。

 そんなミオソティスを一瞥(いちべつ)した後、ロートゥスは淡く微笑みながら質問を装った断定の言葉を口にした。


「あなたもオルロフ様のこと、お慕いしているのよね?」


 唐突な直球の質問に固まるミオソティスをまっすぐ見つめるロートゥス。彼女の強い眼差しに、誤魔化すことは許されないとミオソティスは覚悟を決めた。


「お慕い……しております。私も、オルロフ様が好き、です」


 一度言葉にしてしまうと、その想いは(せき)を切ったかのように次々とあふれ出してきた。


「口は悪いし、何かと私のことを子ども扱いするし、すぐからかってくるし…………でも、口では嫌だと言ってもいつも最後まで付き合ってくれるし、絶対に無視はしないし、たまにすごく優しいし。……それに、助けてほしいって思った時には、ちゃんと来てくれた!」


 恋敵(ライバル)相手に何を言っているんだろうとも思ったが、ミオソティスはもう止められなかった。


「オルロフ様のことを考えるとすごくドキドキして、くすぐったいような幸せな気持ちになる。でも、ロートゥス様と踊っているのを見た時はすごくもやもやして、悲しくて苦しかった」


 途中から口調が素に戻ってしまっていたが、ミオソティスはそれにも気づかず、ただ、今の自分の正直な気持ちを吐き出していた。

 ロートゥスに、いや、他の誰にも渡したくない。ミオソティスは――負けたくない――という意志を込めて、朝焼け色と海色の瞳をまっすぐに見つめ返した。


 すると、突然ロートゥスが笑いだした。

 困惑するミオソティスをよそにひとしきり笑うと、目元の涙を指先で拭いながら謝罪する。


「ごめんなさい。あなたの必死な姿につい、昔の自分を思い出してしまったの。自分にも、こんな愚直で純粋な時があったなぁって。ああ、誤解しないでね。決して馬鹿にしているわけではないのよ」


 気づかないうちにミオソティスは不満げな顔になっていたらしく、それを見たロートゥスは慌てて謝ってきた。


「そんなに警戒しないで。言ったでしょう? わたくしの恋は昨日までは咲き誇っていた、と。わたくしは自分の想いを全て伝えたの……けれど…………」


 咲き誇る月下美人の甘い芳香の中、海色の瞳から真珠のような涙が一粒零れ落ちた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ロートゥスさん、ずっと殿下のことを想い続けていたのですね… でも最後の言い方からするとその想いは、実らなかったんですかね ミオソティスさんもようやく自分の気持ちに素直になれて全てをつらつら…
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