10.人魚姫(♂)、気持ちを伝える
毎回毎回大事なところで反転する言葉に、ウェリタスは今も文字通り頭を抱えていた。
「あの、先ほどは本当に申し訳ありませんでした」
改めて丁寧に謝るロートゥスに、ウェリタスは「謝る必要なんてない」と勢いよく首を横に振る。けれどそれを許さないと勘違いしてしまったロートゥスは、悲しそうに困った顔でうつむいてしまった。
どうにか誤解を解きたくて、ウェリタスはあまり使ってこなかった頭を全力で動かして考える。
「あのさ、なんでロートゥスは僕に歌が得意かなんて聞いてきたの?」
「はい」や「いいえ」などの言葉は反転しやすい。ならば、どんな言葉なら反転しなかったのか。考えた結果、ウェリタスからする質問などはほぼ反転が起きていなかったことに気づいた。
案の定言葉は反転せず、ウェリタスは心の中で拳を突き上げた。
「もしかしたら……ウェリタスなのではないかと、思ったのです」
「もしかしたら? って、何が?」
ロートゥスは困り顔に笑みを浮かべると、「失礼かもしれないのですが」と前置きして話し始めた。
「夜、海から聞こえてきていた歌です。ウェリタスが修道院にくる少し前まで、毎晩聞こえてきていたんです。歌い手はてっきり男の子だとばかり思っていたのですけど……ウェリタスの声を初めて聞いたとき、なんだかすごく聞き覚えがあるなと思いまして……」
伝わっていた。憶えていてくれた。それだけでウェリタスの鼓動は喜びで跳ね上がる。
「それ、僕じゃな――」
また言葉で答えそうになって、ウェリタスは慌てて自分の口を手でふさいだ。
――言葉はだめだ。あのクソ性格悪い魔法使いのせいで誤解しか生まない。
時間がかかっても、大ばあちゃんから教えてもらった海の魔法使いの方を頼るべきだった――など、ウェリタスは今さらすぎる後悔に苛まれていたが、後悔先に立たず。だからウェリタスは今できることを考え、まっすぐロートゥスを見つめた。そして口をふさいでいた手をゆっくり下ろすと、大きく息を吸って――
目を閉じればよみがえる
懐かしき我が故郷
月明かりに包まれた
美しき我が故郷
真っ青に晴れ渡った秋空を、花緑青色の遠浅の海の上を、ウェリタスの変声前の少年の歌声が駆け抜ける。
魂の欠片を求め彷徨う
当てのないこの旅路
夜空に浮かぶ月だけが
故郷と私を儚く繋ぐ
けれどその声は、最初のときのような陽気に踊り跳ねる声ではなく。
艶めかしく、切なく狂おしく、まるで恋の熱に焼かれているような……
風に導かれ波に乗り
まだ見ぬ世界へ私は進む
求めるは我が魂の欠片
まだ見ぬ運命の半身
郷愁をロートゥスへの想いに変え、ウェリタスは歌った。
「違う……違う! 半身なんて、いらない‼」
けれど、返ってきたのは思いもよらない反応だった。上気した頬、潤んだ色違いの瞳。まるで恋する乙女のようなその顔には、なぜか苦悩の色が濃く浮かんでいて。
「……半身、だったのか」
カリュプスのつぶやきに、ロートゥスがはっと振り返った。
「ちがっ、違います! それに、ウェリタスは女性ですよ‼」
「うん!」
慌てて否定しようとして、ウェリタスはとっさに言葉で答えてしまった。結果、ロートゥスの誤解をより強固なものにしてしまい、ウェリタスは絶望からその場に崩れ落ちる。
カリュプスはそんな言動がおかしいウェリタスを怪訝な顔で見ると、不思議そうに首をかしげた。
「変なウェリタス。ま、いっか。それよりさ、ロートゥスは石人のこと、どれくらい知ってる?」
カリュプスの問いに、ロートゥスは一般的な石人の性質を答えた。
半身という本能的に選び取る死をも共にする番が存在すること、守護石を失うと死んでしまうこと、水と月光以外は受け付けないこと、日光は寿命を縮めてしまうこと――
「じゃあさ、こういうのは知ってる? 半身は種族どころか、性別も問わないってこと」
「それ、は……」
「それどころかさ、中には生き物以外が半身の石人もいるんだよ。繁殖することもできないってのに、俺たち石人の本能ってのはどうなってるんだろうね?」
半身を嫌い、否定していたロートゥス。だから彼女は知らなかった。石人の半身というものが、そこまで常軌を逸したものだということを。初めて知る自らの種族が持つ業に、ロートゥスは言葉も出せなくなっていた。
「だからさ、性別なんかじゃ否定できないよ。もう逃げられない。諦めるんだね」
「ですが……ウェリタスの気持ちは……」
石人ではないウェリタスには、石人同士であるふたりの前提を省いた会話はいまいち理解しがたく。半身だとかウェリタスの性別だとかが問題になっているのはわかったが、それらの何が問題なのかがいまいちよくわからなかった。しかしロートゥスの半身の話というのならば、それはウェリタスにとっては他人事だと聞き流せるものではない。
「ふたりだけ、ずるい! 僕にも、説明‼」
とはいえ本当のところは、カリュプスとロートゥスだけで会話をしてほしくなかっただけで。単なるやきもちだった。
「ああ、ごめんごめん。要はロートゥスの半身は――」
「カリュプス様! なぜ、言い切れるのですか? あなたは半身を見つけたことはないとおっしゃっていました。ならば、半身を見つけたときの気持ちなどわからないのではないですか?」
必死に言い募るロートゥスに、カリュプスは寂しそうに微笑む。
「たしかに俺は、自分の身に起こる変化はわからないよ。でもね、半身同士なら嫌ってほど見てきた。……俺の両親は、半身同士だったから。そしてふたりは、どちらも女性だった」
ウェリタスには、カリュプスの言ってることがさっぱりわからなかった。言葉のまま受け取るならば、カリュプスは女性同士から生まれてきたことになる。
「待って……ごめん、全然わかんない。カリュプスのお父さんもお母さんも、どっちも女の人だったってこと? じゃあ、どっちかのお母さんとは血が繋がってない?」
混乱するウェリタスに、カリュプスは苦笑いをこぼす。
「まあ、雌雄で番うのが当たり前な人魚のきみにはわからないよね。正真正銘、俺はどっちとも血が繋がってる。母さんたちは女同士で子供を、俺を作ったんだ」
唖然とするウェリタスとロートゥスに、カリュプスはもう一つの石人の性質を説明した。
「俺たち石人の半身は種族、性別、有機物無機物をも問わない。そして相手が子を成すことができる生き物なら、どんな種とでも半身ならば子を成せる。さらに言えば、たとえば半身が自分と同じ性別だった場合でも、相手が望むなら性転換もできる。だから、同性同士でも子は作れる」
普通に雌雄で子供を作る人魚のウェリタスはもちろん、カリュプスと同じ石人であるはずのロートゥスまでもが目を見開き驚いていた。
「わたくしたちは……石人とは、そこまで……」
「そうだよ。俺たちは半身に関しては狂気の沙汰な種族なんだ。とはいえ、石人全員がこの性質を承知してるわけじゃないよ。俺はたまたま母さんたちがそうだったから知っただけ。あと割合で言ったら圧倒的に生物、それも石人同士、そして男女の組み合わせが多いよ」
「では、わたくしは……でも……」
戸惑いに揺れる夜明けと海の瞳がウェリタスを捕らえた。
上気して薔薇色に染まった頬、潮風に揺れる桃色を帯びた金の髪のおくれ毛、今にも雨が降り出しそうな夜明けと海の瞳……
「認めなよ、ロートゥス。幸か不幸か、きみは見つけてしまったんだ」
カリュプスの羨望の眼差しまで加わり、ウェリタスはもうどうしていいかわからず、ただオロオロとふたりを交互に見返すことしかできなくなっていた。