9.お姫様、気持ちを暴かれる
ウェリタスは素直で、そして物覚えのよい少女だった。ロートゥスの言うこともよく聞き、他の修道女たちとも良好な関係を築いている。けれどときおり、ロートゥスのことを悲しそうな目で見ていることがあった。それは大抵、ロートゥスに反発したあとのことで。
「ねえ、ウェリタス。あなた、歌は得意?」
「ううん、全然。大嫌い」
ロートゥスの問いに、取れるんじゃないかという勢いで首を縦に横に振ったウェリタス。そんな少女のあまりの慌てぶりに、ロートゥスは思わずふきだしてしまった。
「ごめんなさい。ウェリタスは歌が好きではなかったのね。音なら間違えないって前に言っていたから、てっきり歌も得意なのかと思って」
「得意じゃない!」
叫ぶと、ウェリタスは泣きそうな顔でロートゥスを見上げた。そして直後、くるりと背を向けると、すごい勢いで走り出した。
「待って! 待って、ウェリタス‼」
慌てて後を追うロートゥス。そんな突然走り出したふたりを、畑仕事中の他の修道女たちは、ただただ驚いた顔で見送っていた。
「待って、ごめんなさい! 違う、の……馬鹿にしたとか、そんなん、じゃ……」
息も絶え絶えでウェリタスを追いかけてきたロートゥスだったが、砂浜まで来たところでとうとうウェリタスを見失ってしまった。ロートゥスは咳込むと、崩れるようにその場に膝をついた。
「ごめ、なさ……」
誰もいない砂浜にロートゥスの謝罪がぽつりと落ちる。
「誰に謝ってるの?」
突然後かけられた声に驚きロートゥスが顔を上げると、そこにあったのはロートゥスにも見覚えのある顔だった。
「あなた、あのときの」
ロートゥスを不思議そうに見下ろしていたのは、鋼色とコマドリの卵の殻色の瞳――
「カリュプス……さま?」
「あ、名前憶えててくれてたんだ! ありがとう、美人さん」
にこにこと。オルロフに似た顔で、オルロフがしない笑顔を浮かべるカリュプス。そんな彼に、ひどいとは思いつつもロートゥスは、どうしても違和感をぬぐえないでいた。
「あの! 今しがた、ここに女の子が走って来ませんでしたか?」
「女の子? いや、女の子は来てないなぁ」
「そう……ですか」
ウェリタスを完全に見失ってしまい、ロートゥスはがっくりと肩を落としうなだれてしまった。
「ねえねえ、ところでさ、ひとつ聞いていいかな?」
落ち込むロートゥスなどお構いなしとばかりに、カリュプスはしゃがみ込むとロートゥスと視線の高さを合わせた。
「美人さんさ……その包帯の下って、守護石じゃない?」
カリュプスの唐突な指摘に、ロートゥスは反射的に右目を押さえてしまった。けれど、相手は石人。ロートゥスが感じたように、カリュプスもまた同胞の気配を感じ取っていたのだろうと観念する。だから、ロートゥスは手を下げると静かにうなずいた。
それに、石人が石人相手に守護石を隠すのは、あまり褒められた行為ではない。そして今ここには、ロートゥスとカリュプスのふたりだけ。
ロートゥスは頭巾と包帯を外すと、まっすぐカリュプスを見上げた。
「尖晶石? 電気石?」
「失礼いたしました。わたくしはロートゥスと申します。守護石は蓮華蒼玉。加護は、『一途な愛』」
「はぁ~、『一途な愛』とはまた、いかにも石人らしい加護だねぇ」
カリュプスは褒めているのだろうが、ロートゥスの心は沈むばかり。一途な愛とは言っても、それは本能に強制されるもの。それはロートゥスの欲しい愛ではなかったから。
「こんなもの、欲しくなどなかった。わたくしたちにはなぜ、半身などという残酷な本能があるのでしょう」
カリュプスの外見がオルロフに似ているからか、久々の同胞との会話だからなのか。ロートゥスは今、心の箍が少し緩んでしまっていた。
「ロートゥスは石人が嫌い?」
カリュプスの問いにロートゥスは小さくうなずいた。
「わたくしは……石人になんて、生まれたくなかった」
「ロートゥスはまた、ずいぶんと難儀な石人だねぇ。まるで人間みたいだ」
「人間だったら、どれほど楽だったものか……」
すっと、カリュプスの温度が下がった。
「ロートゥス。きみは人間の何を知って、そんなことを言うの?」
「……カリュプス、様?」
突然変わってしまったカリュプスの態度に、ロートゥスはわけがわからず戸惑う。しかしカリュプスはそんなロートゥスに構うことなく、にこにこと冷たい笑みを浮かべ言葉を続けた。
「人間にはさ、半身がいないんだ。だからこそ彼らは短い生の中で、たくさんの恋をする」
「でも、彼らは自分で選べる! あとから出てきた半身に奪われるなんて、ない‼」
「そうかな? 彼らはわからないからいつも手探りで、想いが固定されないからすぐ揺らいで……むしろ石人よりも、人間の方が奪い奪われなんて当たり前だよ」
「それ、は……」
カリュプスの言葉に、ロートゥスは言い返せなくなっていた。
「しかもさ、彼らには半身がない。だから、「半身だから仕方なかった」って自分を慰めることもできない。そして運よく得たあとも、今度は奪われる可能性に怯え続けるんだ」
「わたくしは、半身だったからなんて自分を慰めてなど――」
「石人になんて生まれたくなかった。これってさ、石人だったから仕方ないって自分を慰めてるんじゃないの?」
ロートゥスは今度こそ、何も言い返すことができなくなってしまった。
「ごめん……。ただ俺が言いたかったのは、石人には石人の、人間には人間の、半身がいてもいなくても、それぞれ辛いことがあるってこと。だから、人間だったら楽だった、なんて言わないで」
ロートゥスが顔を上げると、カリュプスの瞳は慈愛とでもいうのだろうか、とても柔らかく細められていた。
「俺はさ、ずっと色々な国を旅してきたんだ。たくさんの人間を見てきたし、たくさんの人間や他の種族の人たちと恋もしてきた。ただ残念ながら、いまだ半身は見つかってないけどね」
カリュプスは自分の空石の瞳よりも少し濃い空を見上げると、寂し気な笑みを浮かべる。
「ただまあ、石人もたしかに苦しいよね。半身を得るため振り回されて、ようやく半身を得て幸せになる人もいれば、挙句の果てに破滅する人もいる……そして俺みたいに、半身を探すだけで人生を終えるやつもいる」
「……後悔、しているのですか?」
「してないよ。半身は見つからなかったけど、知らない世界をたくさん知ることができた。たくさんの恋もした。半身を得る喜びはまだわからないけど、後悔はしてない。まだ、もう少し時間もあるしね」
今の秋空のようにからりと笑うと、カリュプスは後悔していないと言い切った。
「カリュプス様は、強いのですね。……わたくしは逃げてばかり。いいわけばかり。みなが背中を押してくれているのに、手を差し伸べてくれているのに、わたくしはまだ、一歩も動けない」
「ロートゥスはまだ若いからねぇ。俺はほら、もうジジィだし。髪だって昔は真っ黒だったんだよ~」
カリュプスはくすりと笑うと、後ろにある岩に囲まれた入江を振り返った。
「そろそろ出ておいでよ、ウェリタス。何があったか知らないけど、いい加減泣き止んだ?」
「泣いてる‼ って、あー、もう!」
岩陰から勢いよく顔を出したのはロートゥスの探し人、ウェリタスだった。
「ウェリタス! あの、ごめんなさい。さっきのは馬鹿にしたわけではなくて……」
「知らな――って、ああー!」
言いかけた直後に頭を抱えるウェリタスを見て、カリュプスが不思議そうに首をかしげた。