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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
外伝1 蓮華蒼玉の章 ~パパラチアサファイア~
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 3.お姫様、失恋に歌う

「ロートゥス! あなた、また朝の御祈りをすっぽかしましたね‼」

「申し訳ございません。嵐のあとの空がとても美しかったもので、つい」

「ロートゥス! お祈りもですが、無断外出は厳禁だといつもあれほど――」


 年嵩(としかさ)の修道女のお説教を聞き流しながら、ロートゥスは今朝見た同胞のことを思い出していた。


 ――石人なんて久しぶりに見た。極夜国を出て一年……お父様や弟たちは、元気にしているかしら。


 ロートゥスがなぜ極夜国を出てアルブスにやって来たのかというと、その発端は一年前の騒動へと遡る。

 当時ロートゥスは、幼馴染のオルロフに片想いをしていた。オルロフからは妹扱いしかされていないことなどとうの昔から理解していたが、それでも長年積もらせてきた想いはそうそう諦められるものではなく。

 そして彼女は百花の魔法使いの巻き起こした騒動に巻き込まれる形で、大切な人の大切な人を傷つけてしまった。


 ――たしかにきっかけは魔法使い様でしたけど……その方法を選んで、手を下してしまったのはわたくし。


 ロートゥスが害したオルロフの半身ミオソティスは、ひとつ間違えていればそのときに命を失っていた。ロートゥスがかけた、「嫉妬のための無実の犠牲」の呪いで。


 ――愚かすぎて笑いしか出てこない。ミオソティスさまを殺してしまったら、半身であるオルロフさまも死んでしまうというのに。あのときのわたくしは、そんなこともわからなくなっていたのね。


 一年前の己の暴挙を思い返し、ロートゥスはうつむき自嘲の笑みを浮かべる。

 ロートゥスがここアルブスの女子修道院へ人間として身分を偽ってやって来たのは、このときのことを反省するためであった。当のミオソティスからは「ロートゥス様は魔法使いの被害者なのですから、そんなことする必要ありません!」と強く止められたのだが、ロートゥスはそれを()としなかった。


「ロートゥス……はぁ、もういいです。ひとまず午前のお勤めに戻りなさい」

「はい。申し訳ございませんでした」


 長いお説教から解放され、ロートゥスは修道女の日課の一つである掃除を始めた。


 ――ふふ、ここへやって来たときには、掃除の仕方なんてまったくわからなかったのに。わたくしったら、やればできるじゃない。


 公爵令嬢として蝶よ花よと扱われていた一年前と比べずいぶんと荒れてしまった指先を眺めながら、今度は自嘲ではない笑みを浮かべた。


 ――できることは増えたけれど、でも……わたくしの弱い心は、一年前と同じまま。


 磨かれぴかぴかになった礼拝堂の椅子とは反対に、ロートゥスの笑みは再び曇り始めた。

 ミオソティスや家族の制止を振り切ってロートゥスがここへやって来たのは、何も反省だけが目的ではなかったから。むしろ反省というのは言い訳で、本当は逃げてきたのだ。


 ――石人になんて、生まれたくなかった。


 半身という正解があるのに、半身以外にでも恋をしてしまえる。半身に出会い、恋をして、結ばれたのならば。それはきっと、この上ない幸せになるだろう。けれど、出会えなければ……生涯満たされない想いを抱え続け、大切なものを失う(奪われる)かもしれない恐怖に付きまとわれる。


 ――ならば、わたくしはもう誰も想いたくない。半身になんて、出逢えなくていい。


 だからか石人という種族は、享楽的な性質の者が多い。半身を見つければ途端一途になるが、それまでは種族問わずたくさんの恋をする。そのおかげで他種族の間では、恋狂いなどと揶揄(やゆ)されている。


 ――わたくしは、もう恋なんてしたくない。


 百年の恋を失ってしまったロートゥスの心は今、完全に折れてしまっていた。それは彼女の気質が石人の中ではかなり生真面目で、なおかつ模範的な公爵令嬢を目指し熱心に勉強してしまったことも仇になっていた。人間の貴族令嬢の真似事をし、それにかなり感化されてしまっていたから。

 だからロートゥスの恋愛的価値観は、石人よりも人間に近くなってしまっていた。


「ロートゥス、ロートゥス! なんかあなたっぽい人を探しに来た人が今、門のところに来てるよ」


 そばかすがかわいらしい年若い修道女が、礼拝堂の椅子を磨いていたロートゥスのもとへと駆けこんできた。


「わたくしを、ですか?」

「うん。顔に包帯した美人の修道女って言ってたもん。そんなのロートゥスしかいないし。あ、それとその人、石妖精だったよ!」

「石妖精……石人……はぁ」


 ロートゥスの脳裏に浮かんだのはたった一人。空石(ターコイズ)の瞳の、今朝うっかり関わってしまったカリュプスの姿。

 

「わたくしなら、どうかいないと言ってください。石人とは、できれば関わりたくないのです」

「ま、対応してるの院長だし大丈夫じゃないかな。ここにいるのってロートゥスみたいなワケアリか、私みたいな花嫁修業か、院長たちみたいな敬虔な信者かでしょ。そう簡単に情報漏らしたりしないって。それにそもそもここ、男子禁制だし」


 そう言って笑うとそばかすの少女は、「というわけだからさ。しばらくは外には行かない方がいいよ」と言い残して立ち去ってしまった。


 ――どうしてわたくしなのかしら。恋の戯れなら、他の人を当たってくれればいいのに。


 かつて社交界で散々送られてきたその手の欲望を含んだ眼差し。あの恋の戦場ではロートゥスもそれらに敏感にならざるを得なく、気がつけば察知することがずいぶんと得意になってしまっていた。


 ――マルカジット様のように、いっそ割り切ってしまえれば楽になるのかしら。

 

 本日何度目になるかわからないため息をつき、ロートゥスは立ち上がった。



 ※ ※ ※ ※



 一日の勤めと祈りを終え、就寝のために部屋へと戻ってきたロートゥス。海に(のぞ)んだ両開きの窓を開けると、潮風が運んできた夜の空気を存分に吸い込む。


「わたくしはやっぱり、夜が一番好き。これから寝なくてはならないのが辛いところだけど」


 幸いなことに、この修道院はひとりひとりに鍵付きの部屋が与えられていた。そのおかげで、この寝る前のひと時だけ、ロートゥスは本来のロートゥスに戻れた。

 しばらく窓辺で月の光を浴びて石人本来の食事を済ませ、さて寝ようかと窓を閉めようとしたそのとき――


「……歌?」


 海の方から流れてきたのは、若々しく美しい少年の歌声。


 目を閉じればよみがえる

 懐かしき我が故郷

 月明かりに包まれた

 美しき我が故郷


 その旋律はロートゥスにもなじみ深い、石人たちの愛する歌、「月華の故郷」だった。ただ、やけに楽しそうなその歌い方は、残念ながら歌の内容と合っているとは言い難かったが。


「ふふ、すごく楽しそう。でもこれじゃ故郷への懐かしさや寂しさというより、新しい世界への期待に胸を躍らせているみたい」


 ちぐはぐな歌。けれどそれは、不思議にもロートゥスの心を軽くしていく。


 風に導かれ波に乗り

 まだ見ぬ世界へ私は進む

 求めるは我が魂の欠片

 まだ見ぬ運命の半身


 そして少年に引っ張られるように、気づけばロートゥスも歌っていた。くるくると軽やかな少年との斉唱(ユニゾン)はまるで円舞曲(ワルツ)のようで、故郷を偲ぶ歌だというのにどこまでも明るい。


 魂の欠片を求め彷徨う

 当てのないこの旅路

 夜空に浮かぶ月だけが

 故郷と私を儚く繋ぐ


 ふと、歌い方が変わった。無邪気で明るかった歌声に、どこか切ないものが加わった。


 ――あなたは、誰? 何を思っているの?


 豹変した歌い手に、その歌に、ロートゥスの胸がさざめく。

 けれど、そこで歌は途切れてしまった。


「…………あなたは、誰?」


 物悲しい余韻の中、ロートゥスは眼下の海を見下ろす。

 夜の闇の中に沈む、月下の海を。

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