鬼哭啾啾の子守唄
海の魔法使い。
それはあの歩く災厄、百花の魔法使いと同様、いや、それ以上に名の知られた魔法使いの一人。
曰く、人に恋した人魚の恋を成就させた。曰く、絶対防御の海獣と一騎打ちして勝ち、使い魔としてこき使っている。曰く、百花の魔法使いの育ての親で、その迷惑千万な魔法使いを世に解き放った。
そんな嘘みたいな伝説の存在、それが海の魔法使い。
そして、お節介でお人好しで詰めが甘い、かわいいものが大好きな大男。レースやフリルを身にまとい、鮮やかすぎる化粧で町を闊歩する、筋骨隆々の(素顔は美しい)青年。
それが、海の魔法使い――パーウォー――。
「ねえねえ、パーウォーさん。げんこつ一発でレヴィアタンを沈めたって噂、あれも本当なの?」
「パーウォーさん、すごい! 強い‼」
期待に目をキラキラと輝かせたヘルメスとリコリスの問いに、パーウォーはその逞しい腕を腰に当てると、深い深いため息を吐き出した。
「あのねぇ、そんなのデマに決まってるでしょう! あんなデカブツ、ワタシのか弱い拳一発で仕留められるわけないじゃない」
憤慨するパーウォーに、ヘルメスとリコリスは「かよ、わい?」と怪訝な顔を並べた。
パーウォーの見た目は、顔は小さいが長い手足はがっちりとした筋肉におおわれており、一見すると魔法使いというよりは貴族の騎士のよう。胸板も厚く、同年代に比べて華奢なヘルメスが殴ったところでびくともしない。
「パーウォーさんは、かよわいって言葉の意味、一度ちゃんと調べた方がいいと思うよ。まあ、いいや。それよりさ」
ヘルメスはパーウォーの戯言を流すと、話を元に戻した。
「ほら、人魚のことは本当だったでしょ。だからさ、こっちの噂も本当なのかなって思って」
「ほんと一言多いわね」とぼやくと、パーウォーは苦笑いを浮かべた。
「そんなわけないじゃない。……まあ、使い魔にはなってるけど」
「え、使い魔にしてるの⁉」
パーウォーは指をぱちんと鳴らすと、驚くヘルメスたちの前を通り過ぎ、海を臨むバルコニーへと出た。
「ほら、いらっしゃいな。せっかくだから、二人にも紹介してあげる」
沖の方、花緑青色の穏やかな海に、いくつもの白波が立ち始める。
「おいで、ウェルテックス!」
パーウォーの呼び声に応えるように、海が大きく盛り上がる。
「うっわ……でっか」
「コロナで見た、お城みたい!」
波間から姿を現したのは、大きな、とても大きな白い海蛇。
海蛇ことウェルテックスは、沖からあっという間に露台の下へとやってきた。大きな赤い瞳が三人を見下ろす。
「ウェルテックス、わたしと、同じ!」
真っ白な海獣に、リコリスがはじけるような笑顔を向けた。ウェルテックスは人の言葉がわかるのか、はしゃぐリコリスにぱちぱちと目を瞬かせて応える。
「この子がワタシの使い魔、レヴィアタンのウェルテックスよ。こう見えて立派な淑女だから、失礼なこと言わないようにね」
彼女の鼻先をやさしく撫でながら、パーウォーはウインクして二人に笑いかけた。
「すご……かっこいい。って、こんなすごい子、パーウォーさんどうやって使い魔にしたの?」
硬い鱗を恐る恐る触っていたヘルメスが、心底不思議そうな顔で隣に立つパーウォーを見上げた。
「私ね、人魚なんだけど……ちょぉっっっとだけ、他の人魚よりも歌声が個性的でね」
「あ、音痴なんだっけ。そういや前に言ってたね」
「音痴じゃなくて個性的なの! でね……ワタシ、歌うことは好きなのよ」
「それは、なんと言うか…………お気の毒さま? 主に周囲が」
「ヘルメスちゃん。アンタ、ほんっと一言多いわね」
パーウォーは人魚族の魔法使い。そして人魚は、歌の形をした災厄と呼ばれる種族。生まれたときから誰に教えられるわけでもなく歌い始め、死ぬまで歌と共に生きる。そんな種族だ。
当然、歌を愛しているし、歌わずには生きていけない。
「でも、魔法使いであるワタシの歌はね、普通の人魚たちとは違うの。たとえ鼻歌でも、周囲にものすごい影響を及ぼしちゃうのよ。昔それで、町一つおとしちゃったことがあってね……」
乾いた笑いを浮かべ、遠くを見るパーウォー。
「そこはここやアルブスみたいな海辺の町で……町には被害が及ばないようにって、だいぶ距離を空けた沖の方で歌ってたんだけど……その、ちょぉっとだけ、気分が乗っちゃってね……」
軽いため息をつくと、パーウォーは肩をすくめた。
「つい、ノリノリで歌っちゃったのよねぇ」
舌を出して片目を瞑るというかけらも反省の見えない仕草で、パーウォーは二人から目を逸らしながら言い放った。
「町の住人は一人残らず泡吹いて倒れちゃうし、波間には色んな魚たちがお腹を出して浮き上がってくるし、しかも魚たちに混じって、この子まで浮いてきちゃったし!」
「さすが歩く災厄の育ての親」
ひきつった笑顔のヘルメスに、パーウォーは泣きまねをしながら「不可抗力だったのよぉ」と訴えた。
「住人たちは一人残らずちゃんと起こしたし、後遺症だって残してないわ! もちろん魚たちも‼ ただ……」
パーウォーは今日一番の深く大きなため息をつくと、ウェルテックスの鼻先をぽんぽんと優しくたたく。
「ただこの子だけ、なんでかワタシの歌がクセになっちゃったみたいで……何度も断ったのに、押しかけ使い魔になっちゃたのよねぇ」
「押しかけ使い魔……」
物語に出てくる勇者のような勇ましい話を期待して聞いたというのに、実際に語られた現実はただの不可抗力。ヘルメスは肩を落とすと、「パーウォーさんだもんなぁ」と失礼なため息をついた。
事実は物語よりも奇なり、歌は拳よりも強し。
今日もカエルラは、とても平和だった。




