コラボ番外編2 赤の町と仮初の夢 ~夢の終わり~
「私の、部屋?」
ベッドの上でゆっくり上体を起こすと、ミオソティスは首をかしげた。
「いつ、帰ってきたんだっけ? 確か、オルロフ様と町へ出て……」
つい昨日のことだというのに、ミオソティスの記憶はまるで靄がかかったようで。不自然に霞む記憶は、ぽっかりと穴が空いていた。確かに何かがあったのに、思い出せない。
もどかしさに苛まれていたその時、ふとミオソティスの頭によぎったのは――
「もしかしてマルカジット様も、他のみんなも……こんな気持ち、だったの?」
ミオソティスの加護の力――忘却。
黒玉に宿りし神秘の力。それは望むと望まざるとにかかわらず、黒玉を見た者から強制的にミオソティスを隠してしまう力。
楽しい記憶も、悲しい記憶も、黒玉はすべて霧の中にしまいこんでしまう。
「何か……すごく楽しくて、とても嬉しいことがあったはずなのに。何も、思い出せない。思い出せないのに、何かが心に残っていて……私、こんな気持ちをみんなに味わわせていたの?」
今は消えてしまった忘却の加護。その力を己で経験し、ミオソティスは皆への申し訳なさでいっぱいになっていた。
「ティス、おはよう!」
そこへやって来たのは、昨日まで石人風邪をひいて寝込んでいたアルビジア。彼女は元気いっぱいに復活していた。
「おはよう、ジア。もう、すっかりよさそうね」
挨拶を返したミオソティスに、アルビジアは怪訝な顔を返す。
「ティス? もしかして、またなんか変なこと考えて落ち込んでる?」
「そんなこと……ないよ」
「やっぱりか。まーったく! ほら、いいから吐き出しちゃいなさい。今なら世界一優しい妹さまが聞いてあげるから」
新しい気持ちをまた一つ知って、後悔して。けれど、その苦しさを一緒に受け止めてくれる人がいて。楽しかった夢の苦い余韻の中、ミオソティスは幸せをかみしめていた。
※ ※ ※ ※
「なんか昨日、すっごく楽しい夢を見たような気がする」
「わたし! わたし、も!」
朝食の席でのヘルメスのつぶやきに、リコリスもすかさず同意の声を上げる。
「でもさぁ……楽しかったってのは覚えてるんだけど、内容が全然思い出せないんだよね」
「わたしも! なんかきらきらしてて、楽しかったような……気が、する?」
「あら、いいわね。実はワタシも、昨日はとっても楽しい夢を見たのよ」
首をかしげる二人に、パーウォーは一人こっそりと驚いていた。どうやらあの異世界での出来事は、皆の中では夢として処理されているようで。しかも、きちんとした記憶として残っていない。
パーウォーにはしっかりと記憶が残っていたので、だからこそ最初、二人の反応に驚いたのだ。けれどよくよく考えてみれば、グリモリオの能力なら仕方のないことだと理解する。彼の能力は、――一定時間、異世界のものを召喚する――というもの。だからたとえ異世界から何かを持ち帰ってきても、それも一定時間で元の世界に戻されてしまう。物も、人の記憶も。
そういえば、と部屋の隅に目をやれば、昨日異世界から持ち帰ってきた物はすべて消えていた。
パーウォーが例外だったのは、グリモリオと同じ魔法使いだったからなのだろうか? いや、あの魔法少女にも記憶は残っていた。だとすると、これはいったいどういうカラクリなのだろうか? などと考えてはみたものの、結局何も浮かばなかったので、パーウォーは考えるのをやめた。そして皆の記憶がないというのなら、とりあえずは触れないでおこうと思った。
ありえない、奇跡の夢。もしあれが全部夢だったのだとしても、それはそれでかまわない。そう、パーウォーは思っていた。久々に会えた懐かしく愛しい二人の姿を思い出すと、それだけで自然と笑みがこぼれてしまう。
「パーウォーさん、昨日の夢、幸せな夢だったんだ、ね。すごく、嬉しそう」
「そうね。すごく懐かしくて、とっても嬉しかったわ」
「そっか、よかったね。懐かしい人や場所の夢を見ると、すごく嬉しくなるよね。僕もパーウォーさんにトートの夢を見せてもらった時、すごく嬉しかった。あの時は、本当にありがとう」
「ふふ、どういたしまして。そうだ! 前に人魚のお話したの、憶えてる? 今度、ルークスちゃんを紹介するわね。あの二人の息子の」
奇跡の夢の余韻の中、三人は新たな出会いに期待を膨らませていた。
※ ※ ※ ※
「マーレ。私ね、とっても楽しい夢を見たの」
『僕も。……でも、楽しかったのは覚えてるんだけど、どんな夢だったのかは思い出せないんだ。リリィは?』
「私もね、細かいところは全然思い出せないんだけど……」
真っ白なシャコガイのベッドの上で尾を絡ませ、マーレとリーリウムは楽しかった夢の余韻に浸っていた。
「でも、これは覚えてる。私ね、人間になって、マーレと一緒に陸の上を歩いてたの!」
『それ、僕も! すっごく久しぶりに石畳の上を自分の足で歩いて、なんか不思議な感じだったなぁ』
「夢だったけど、昔のマーレと同じ世界が見られて、すごく嬉しかった」
『夢でも、リリィに僕の見ていた世界を見てもらえて、僕もすごく嬉しい』
顔を見合わせ、笑いあう二人。けれどふと、二人は互いの姿に違和感を覚える。
「ねえ、マーレ。あなた、昨日までは髪、長かったわよね? たしか、背中の中ほどまではあったと思ったけど……」
『そういうリリィこそ! きみの髪がこんなに短くなってるの、初めて見たよ』
今度は顔を見合わせ、首をかしげあう二人。
「もしかして……」
『もしかすると……』
夢か現か。けれどそんなこと、二人には些細なことで。
「次は、三人でお出かけしようね」
『うん。海でも陸でも、リリィとこの子が一緒なら、きっとどこでも楽しいよ』
リーリウムのお腹の上で手が重なり、二人は宿ったばかりの小さな命へ歌いかける。
――準備が整ったら出ておいで。この世界は、面白いことだらけだよ!
泡沫の夢の余韻の中、二人はもうすぐやって来る未来に思いを馳せていた。
※ ※ ※ ※
「おはよう、ミラ。体調はどう?」
「おはよう、トール。気分も体調も良好よ」
ベッドの上、寝ぼけ眼で笑ったミラビリスを抱き寄せると、カストールは彼女へと軽い口づけを落とした。
「朝ご飯、作ってくるよ。しばらくは診療所も休みだし、ミラはとにかく体を休めてて」
「もう、トールってば過保護すぎ! ちゃんと運動だってしなきゃだし、気遣ってくれるのは嬉しいけど」
一月前、別れの時にプリムラから忠告を受けたミラビリス。彼女はその忠告に従って、アルブスに帰ってきてすぐに専門の医療魔術師にかかった。
「いいから、まだ横になってて。私は味見できないけど、本通りに作ればそれなりのものは作れるんだから。それと運動なら、ご飯の後に散歩へ行こう。もちろん、私と一緒にね」
「はいはい、わかりました。おとなしく待ってるし、一人じゃ出歩きません。……もう、本当に過保護なんだから」
ミラビリスは、生殖能力のない人造人間――のはずだった。だったのだが。石人の前にはそんなもの、関係なかった。まだお腹のふくらみこそ目立っていないものの、彼女の中には新たな命が宿っていて。
「ねえ、トール。昨日ね、すっごく楽しい夢、みたの。いつか……今度は、三人で……」
布団の温もりには勝てなかったのか、ミラビリスは再び夢の中へ。カストールは微睡む妻にもう一度口づけを落とすと、少しだけ寂しそうに微笑む。
「そうだね。三人になったら、色々なところに行こう。……でも、あと少し。あと少しだけ、私だけのミラでいて」
二人きりの夢の余韻の中、新たな未来への期待と、揺れる独占欲をにじませて。
※ ※ ※ ※
「ニア、昨日は楽しかったね」
「昨日……って、カエルラでの買い物?」
朝一番、かみ合わない会話をかわすのはマレフィキウムとパエオーニア。
首をかしげるパエオーニアに、マレフィキウムも首をかしげる。
「じゃなくて、クリスマスマーケットってやつ。憶えてない?」
「くりすます……まーけっと? 昨日って……昨日はカエルラへ一緒に行ったのは覚えてるけど」
「いや、そのあと! ほら、なんかいきなり召喚されてさぁ」
「召喚?」
何も覚えていないパエオーニアの様子に、ようやくマレフィキウムも何かがおかしいと気づく。
「……私、もしかして、また何か忘れちゃってる?」
不安そうにマレフィキウムを見上げるパエオーニアに、マレフィキウムは自分が失言したことを悟る。
「あ……いや。あー、ごめんごめん! 僕、寝ぼけてたのかも。昨日の夢があまりにもはっきりしててさぁ、なんか現実と混ざっちゃってたみたい」
記憶のないことに関して、人一倍敏感になってしまうパエオーニア。だからマレフィキウムは、寝ぼけたふりをして慌てて夢だったと訂正した。
「そう、なの? ねえ、それってどんな夢?」
「えーとねぇ、クリスマスマーケットっていう市場にねぇ、ニアと一緒に行った夢。赤と緑とキラキラと、おいしそうな料理やお菓子がいっぱいだったよ~」
マレフィキウムの語る夢の話に、パエオーニアの表情が明るくなっていく。
「その夢、私も見たよ! パーウォーさんやオルロフさん、他にもたくさんの人たちがいてね……すっごく楽しかった!」
「そっかぁ。夢でもニアと一緒の思い出ができたなんて、僕たちすごいね!」
仮初の夢の余韻の中、また一つ重ねた思い出に笑いあう。
※ ※ ※ ※
アルビジアに元気を出してもらおうと、カーバンクルが一生懸命に集めた異世界のみやげの数々。けれど残念ながら、それらは夢の終わりと共にすべて消えてしまった。
「うう……こうなったらやっぱり、あの人から薬をもらうしかないですかよぅ」
はらはらと涙をこぼしながらも、大切なご主人様のためには背に腹は代えられなく。
「いらっしゃい。来ると思ってたよ。異世界みやげ、全部消えちゃったもんね……」
どんよりと肩を落としたサンディークスに出迎えられ、カーバンクルは赤い扉をくぐった。
「ケチ臭いと思わない? 一定時間で全部没収だなんてさ、あーあ」
異世界から持ち帰ったものがすべて消えてしまい、サンディークスは大変ご機嫌斜めだった。そんなご機嫌斜めなアカハライモリにこれから頼みごとをしなくてはならないカーバンクルは、まな板の上の鯉ならぬ、解剖台の上の蛙だった。
「なんかさぁ、すっかりやる気なくなっちゃったよ。で、きみの願いはなんだったっけ? 風邪薬だっけ?」
「は、はい! 石人用の風邪薬をいただきたく、参上つかまつった次第でございます、ですよぅ」
「はいはい。じゃ、ちょっとちくっとするよ。今日はもうなんにもしたくないから、さっさと終わらせるよ」
サンディークスのやる気が極限まで下がっていたおかげで、カーバンクルは少量の体液と引き換えに、風邪薬を最短で難なく手に入れられた。
「姐さ~ん、薬、手に入れてきましたよぅ」
勝手知ったるフォシル邸。そこへ夜更けも夜更け、明け方の一歩手前。カーバンクルは通い慣れたアルビジアの部屋へとやって来た。マレフィキウムから与えられている移動用の窓があるため、最早やりたい放題である。
「姐さん、すぐに楽になるですよぅ」
熱でぐったりしているアルビジアの上半身を起こすと、カーバンクルは水と薬を差し出した。夢現でそれを飲むアルビジア。
「あとは、ゆっくり寝てくださいよぅ。朝になる頃には、きっとよくなってるですよぅ」
カーバンクルはアルビジアをそっとベッドに横たえると掛布団を掛け、額の布を冷たいものと取り換える。そして立ち去ろうと、窓を出したその時――
「行か……ない、で」
カーバンクルの足を、アルビジアの熱い手が握っていた。
「ここに、いて。朝まで……一緒に…………」
熱に浮かされ潤んだ青の瞳が、カーバンクルを捕らえる。
「ねねね、姐、さん? どどど、どうしたん、ですよぅ?」
「いつも、ごめん……。あと、ありが……と」
それが限界だったのか、アルビジアはまた寝息を立て始めてしまった。ただし、カーバンクルの足をしっかりとつかんだまま。
「え……えぇ⁉ 私、どうしたらいいんですよぅ!」
普段とは違うアルビジアの言動に、カーバンクルの心臓は変な鼓動を刻み始める。
熱に浮かされた夢の余韻の中、柘榴石は青色琥珀に囚われる。
※ ※ ※ ※
「くそっ! なんであんないいところで目が覚めたんだよ‼」
自室のベッドの上で上半身を起こし、寝起きの頭をかきむしっているのはオルロフ。彼は悔しさのまま、両の拳をベッドへと振り下ろした。
「あと少し……あと少しだったのに! 珍しくあのじゃじゃ馬の邪魔が入らない、貴重な夢だったのに‼」
昨日の奇跡は、オルロフの中でもやはり夢で処理されていた。
ちなみにオルロフはあの時、一人ちゃっかりとアトラスに宿をとっていた。とはいえ、観光客で込み合う町はすでに満員の宿ばかり。そこでオルロフは、国家公務員だというジェルドを頼った。彼に頼み込み、その職権で、他の者には内緒でこっそりと宿をとっていたのだ。
ミオソティスと思う存分クリスマスマーケットを楽しんだあと、オルロフは彼女を件の宿へと案内した。立派な宿の最上階、その大きな窓からは光に彩られた町が一望できた。
「わあ、すごい……! 広場にあったあの大きな木が、ここからだとあんなにちっちゃく見える!!」
目下、ミオソティスは眼下の風景に夢中で。背後からそっと近づく、悪い狼には気づかない。
「ティス、今夜こそは……」
背後からミオソティスを抱きしめた狼は、その耳元に熱い吐息を注ぎ込み――
「だから! なんでそこで目が覚めるんだよ‼」
めくるめく夢の余韻の中、またもおあずけをくらった狼は月に吠える。