勿忘草の祝福 ~オルロフの受難2~
極夜国を出てから二ヶ月――
ようやく百禍ことマレフィキウムのもとから愛しのミオソティスのもとへと戻り、勿忘草を捧げ求婚も済ませ、あとはめくるめく愛の日々を送れると思っていたオルロフ。
けれど、現実はそんなに甘くなどなく……
「な・ん・で! 毎回毎回いいところで、小姑とカエルの邪魔が入るんだ⁉」
晴れてミオソティスと婚約できたオルロフ。公認の恋人となったのならもう遠慮はしないとばかりに、あの手この手で恋愛知識の乏しいミオソティスを言いくるめ、隙あらば事に及ぼうと下心だけで努力を続ける日々。けれどその努力は一向に実を結ぶことなく、二人の清い関係は年が明けた今日まで変わらず続いていた。
「天誅ーーー‼」
あと一歩、あともう一息というところで、必ず阻止されるのだ。
ミオソティスの双子の妹、アルビジアによって。
百花の魔法使いの引き起こした騒動のおかげでミオソティスは「忘却」の加護を失い、誰憚ることなく外へと出られるようになった。
そしてミオソティスとアルビジアはもともと仲の良い姉妹。となれば、アルビジアは今まで一緒にやりたかったこと、できなかったことを叶えようと、毎日のようにミオソティスを連れまわし始めた。
「冗談じゃない! 二ヶ月もおあずけ食らってようやく帰ってきたっていうのに、なんで俺は未だに……くそっ‼ 本来なら今頃、本で学んだ知識を実践している頃だったのに…………」
今日も今日とてアルビジアにミオソティスを取られてしまい、オルロフは王城の中にある自分の部屋で一人嘆いていた。
「聖誕祭ってやつのときも失敗したし、なんでなんだ? これじゃまるで呪われてるみたいじゃ…………呪い?」
ふとオルロフの脳裏をよぎったのは、二週間ほど前に交わされたあるやり取り。百禍こと、百花の魔法使いマレフィキウムとのやり取りだった。
「ここまで手伝ってくれて、本当にありがとう。きみがいてくれなかったら、きっと僕はここにたどり着けなかった。百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、オルロフに真実の愛の花『勿忘草』を与えることを誓う。百花繚乱の未来を来らしめよ」
そしてマレフィキウムは三度目の「ありがとう」と誓約の言葉と共に、オルロフへ勿忘草を差し出した。
「まさか……」
あの時、マレフィキウムは誓約の言葉を口にはしていなかっただろうか? そのことに思い至り、オルロフは思わず頭を抱え込んだ。
「あいつ……ポンコツの分際で、なんて余計なことを‼」
百花が百禍と呼ばれる所以、それはひとえに、かの魔法使いのポンコツ具合からきていた。
マレフィキウムはとにもかくにも、魔法の制御が大変残念な魔法使い。扱う魔法は花言葉を鍵とする精密さを要求される魔法だというのに、本人の性格はいたって大雑把。その魔法と性格の相性の悪さから、彼はあちこちで騒動を起こしていた。その一つがミオソティスやオルロフを巻き込んだ、昨年のあの騒動。
「あいつ、あの勿忘草にも魔法をかけてやがったのか! くそっ‼ ……しかし、まずはあの勿忘草にどんな魔法がかかってたのかわからないことには話にならんな」
勢いよく顔を上げるとオルロフはベッドから立ち上がり、ミオソティスの屋敷へと向かった。
※ ※ ※ ※
「あの勿忘草ですか? もちろん大切にとってありますよ。当然じゃないですか。あれは私にとって、とても大切な宝物ですから」
幸せそうに笑うミオソティスに、オルロフは思わず我を忘れて手を伸ばしそうになる。が、少しだけ開いた扉の隙間から突き刺さる気配に、反射的に手を引っ込めた。
そもそもオルロフとて、いちおうの理性は持ち合わせている。こんなすぐそばにミオソティスの家族がいる屋敷の中で、欲望のまま事に及ぼうなどとはさすがに思わない。なにより自分以外の目に、ミオソティスのあられもない姿を見せるなどオルロフの独占欲が許さない。
「それなんだが、少しばかり貸してもらえないだろうか?」
オルロフはこみ上げてくる気持ちを抑え込み、できうる限りの平静を装ってミオソティスに微笑みかけた。そんな苦悩と煩悩に苛まれるオルロフを一切疑うことなく、ミオソティスは素直に鏡台へ向かうと、押し花にした勿忘草を持ってきた。
「ちゃんと返してくださいね。絶対ですよ!」
「……善処する」
「善処じゃなくて! 信用、してますからね?」
絶対に返すと言わないオルロフに、それでもミオソティスは自らの宝物を躊躇なく差し出す。オルロフが自分にひどいことなどするわけないと思っているからこその信頼。それは一歩間違えば妄信となることもわかっていたが、ミオソティスはそれでも構わないと思っていた。
ミオソティスもやはり石人。半身に対する向き合い方はどこか歪で、彼女はオルロフにならば傷つけられてもいいとさえ思っている。
「すまない、ありがとう。それと、少しばかり留守にするが――」
オルロフは扉の向こうへ一瞬だけ目をやると、目にもとまらぬ早さでミオソティスを抱き寄せ、触れるだけの口づけを落とす。扉の向こうで瞬時に膨れ上がったのは、肌を突き刺すような剣呑な気配。
けれど、口づけに成功し調子に乗ったオルロフは、そんな気配もなんのその。にやりと口角を上げると、顔を真っ赤にしたミオソティスの耳元にさらなる囁きを落とす。
「すぐに戻ってくる。戻ってきたら……次はもっと色々なことを教え――てぶっ」
そして案の定、扉の向こうから飛んできた緑の弾丸に吹き飛ばされた。口づけまでは見逃されていたが、それ以上はやはり許されないようで。
「あ~ら、ごめんあそばせ、オルロフ殿下。なぜかわからないんですけど~、カーバンクルったら突然飛び出してしまって~。本当に申し訳ありませんわぁ」
申し訳なさなど微塵も感じさせない高笑いと共に部屋へ入ってきたのはアルビジア。彼女は床に転がるオルロフの前に立ちはだかると、「お客様のお帰りよ。カーバンクル、ご案内して差し上げて」とオルロフ共々床に手足を投げ出しているカエル型使い魔に無慈悲な命令を下した。
※ ※ ※ ※
「くそ……あの小姑め! 毎回毎回なんて耳聡さだ‼」
「兄さん、だからいい加減諦めましょうよぅ。結婚までの辛抱ですよぅ。兄さんがお嬢さんに手を出すたびに、私も大変なんですよぅ!」
カーバンクルが涙ながらに訴えたが、オルロフは当然のように無視を決め込んだ。哀れカーバンクル、しばらく彼に安寧は訪れない。
「そうだ、ちょうどいい。カエル、お前アイツと連絡取れ」
「ちょっとは私の言うことも聞いてくださいよぅ、兄さん!」
オルロフは嘆くカーバンクルを急かし、マレフィキウムのもとへと繋がる窓を出させた。
「おい、百禍! 貴様、今すぐ出てこい‼」
緑の窓枠をつかみ、向こう側へと怒鳴るオルロフ。すると、しばらくして重いのと軽いの、二つの足音が窓へと近づいてきた。
「あっれ~、王子さま! ひっさしぶり~」
「こんにちは。えっと……王子様ってことは、あなたがオルロフさん、ですか?」
窓から顔を出したのは、へらへらと笑うマレフィキウムと小首をかしげたパエオーニア。
「ああ、そうか。お前、やはり記憶が……それに、その守護石は? と、そんなことはどうでもいいか。とにかくよかったな、パエオーニア」
「ありがとうございます。オルロフさんのこと、覚えてなくてごめんなさい。でも、なんだかとても懐かしい感じがします」
通じ合う二人の間に割り込んできたのは、不機嫌全開のマレフィキウム。
「ちょっとちょっと。僕にわからない二人だけの会話とかやめてもらえる?」
口を尖らせすねるマレフィキウムに、パエオーニアは呆れの笑みを、オルロフは意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふん、お前も少しは思い知るといい」
「思い知るって、何をさ?」
怪訝な顔のマレフィキウムを突き放し、オルロフは「そんなことよりもだ!」と本題を切り出す。
「お前、あの勿忘草にいったいどんな呪いをかけてくれたんだ!」
唐突に呪いなどと言われ、マレフィキウムは「呪い~?」とオウム返しした後、わけがわからないとばかりに眉間へとしわを寄せる。
「あの時の勿忘草! お前、あれに魔法かけただろう。あれ、なんの魔法だったんだ?」
「……あ~、ああ! はいはい、あの時の勿忘草かぁ。うんうん、かけたねぇ。ちょっとした祝福として、『真実の愛』ってやつを足しといたよ~」
「本当に余計なことを! で、ちなみにだが。その『真実の愛』ってのは、いったいどんな効果をもたらすんだ?」
マレフィキウムは満面の笑みを浮かべると、得意げに胸をそらす。
「結婚式で真実の愛を誓ったその瞬間にねぇ、勿忘草の雨が降ってくるっていう、僕からのちょっとした贈り物だよ」
「それは……あいつも喜ぶだろうし、俺としてもありがたいが。…………なあ、本当にそれだけか?」
オルロフはミオソティスから預かってきた勿忘草の押し花を取り出すと、マレフィキウムへと差し出す。マレフィキウムはそれを見た瞬間、「あっ……」と小さくつぶやいた。
「おい! その『あっ』っていうのは、いったい何に対しての『あっ』なんだ⁉」
「あ……ははは。え~とねぇ…………ごっめーん」
「待て待て待て! その『ごめん』ってのは何に対してだ? もはや嫌な予感しかしないんだが⁉」
半分涙目のオルロフに、マレフィキウムはへらりと笑いながら残念な宣告を下す。
「なんかねぇ、別の魔法も発動しちゃってるみた~い。ごめんね」
「いやいやいやいや! 別の魔法もってお前、他にどんな魔法かけたんだ‼」
「んっとねぇ……『真実の愛を誓うまで、私を忘れないで』。いやぁ、花言葉二つもなんて、大判振る舞いしちゃったねぇ」
「お前の大判振る舞いなんぞいらんわ‼ で、肝心のその魔法の効果はなんなんだ?」
問い詰めるオルロフから目を逸らし、乾いた笑いを垂れ流すマレフィキウム。
「結婚式で真実の愛を誓うまで、あのお嬢さんには口づけ以上は手を出せない……って効果だねぇ。私を忘れないでって感じで、毎回誰かに邪魔されたりとかしてない?」
えへへと笑うマレフィキウムを呆然と見つめ、抜け殻のように立ち尽くすオルロフ。今、彼の脳裏をよぎっているのは、毎度毎度立ちふさがる小姑と飛んでくる緑の弾丸。
「まあ、さ。結婚までは清い関係でってことで! というわけで……ごめんね~」
オルロフが立ち直る前に、マレフィキウムはパエオーニアを連れて脱兎のごとく逃走した。残されたのは、希望が灰燼と化したオルロフと、これからも続くであろう弾丸生活に涙を浮かべるカーバンクル。
「……めん! 俺は絶対に、諦めんぞ‼」
「諦めてくださいよぅ、兄さん‼」
白々と降り注ぐ月の光の下、一人と一匹の叫びが硝子の森へと響き渡った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……また、やっちゃった」
オルロフを追い出した後、玄関広間ではっと我に返った様子で頭を抱えたのはアルビジア。隣ではミオソティスが心配そうに妹へと寄り添っている。
「大丈夫だよ、ジア。オルロフさまは丈夫だから、あれくらいなんともないよ!」
「……うん。ありがと、ティス。でもその認識、ちょっと王子がかわいそうな気がするんだけど」
百花の魔法使いが引き起こした件の騒動以来、アルビジアはある強い衝動に悩まされていた。
「それにしても、なんでいっつも私……本当にごめんね、ティス」
しょぼくれるアルビジアに、ミオソティスは笑いながら首を横に振った。
「気にしないで。私だってまだ心の準備とか何もできてないし、かえって助かってるよ」
「でも……」
「気にしない、気にしない」と笑うミオソティスに、アルビジアはただひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいになる。優しい姉に「ありがとう」と微笑むと、アルビジアはミオソティスの部屋を後にした。
アルビジアは自分の部屋のベッドの上で、膝を抱えて考えていた。
ミオソティスとオルロフは、半身で婚約者同士。そんな二人が結婚前にどのような関係を結ぼうとも、それはアルビジアが口をはさむ問題ではない。アルビジア自身も、そう思っているはずなのに……
だというのに、オルロフがミオソティスにちょっかいをかけるたび、なぜかアルビジアは嫌味とカーバンクルを投げつけてしまうのだ。どこにいても、何をしていても、なぜか駆けつけて邪魔をしてしまう。
隠そうという意思が微塵も感じられない、明け透けすぎるオルロフの下心に文句を言うことは多々ある。けれど、それを受け入れるかどうかはミオソティスが決めること。アルビジアはそう思っていた。いや、今もそう思っている。
だというのに、なぜだか気が付くと毎回邪魔をしてしまっているのだ。アルビジアはこの自分の意志と行動の乖離に、ひどく悩まされていた。
「もうやだ! これじゃ私、二人に嫉妬して邪魔する悪役じゃない」
「姐さん、姐さん。そんなに落ち込まないでくださいですよぅ」
一人だと思って口に出した言葉になぐさめの言葉がかけられ、慌てて顔を上げたアルビジア。そこへ飛び込んできたのは真っ赤な柘榴石。
「……なんだ、カーバンクルか。って、アンタねぇ! 毎回毎回、未婚の淑女の部屋に断りなくほいほい入って来るんじゃないわよ‼」
「うへぇ、それは申し訳ないですよぅ。で、今、姐さんが言ってたことなんですけどよぅ」
まったく申し訳なくなさそうな、いつも通りのカーバンクル。そんな彼の様子に、アルビジアから思わずといった笑みがこぼれた。
「で、なに? 今言ってたことって、私が悪役だってこと? それなら自覚して――」
「姐さんは悪くないですよぅ!」
いつになく強い語気でアルビジアの言葉を遮ったカーバンクルに、アルビジアの瞳が驚きで見開かれる。
「え、あ……うん。えーと、慰めてくれてありがとう。でも――」
「違うんですよぅ! 悪いのは、ご主人なんですよぅ。姐さんは全然悪くなんてないんですよぅ‼」
そして語られた真実に、迷惑すぎる魔法使いの魔法に、アルビジアは再び頭を抱えた。
「あんのエロ王子! だったら潔く諦めて、結婚するまで清いお付き合いしなさいよーーー‼」
「諦めてくださいよぅ、姐さん‼」
白々と降り注ぐ月の光の下、一人と一匹の叫びが硝子の森へと響き渡った。