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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
百花の章 ~廻る貴石の物語~
124/200

16.追想の魔法使い

 ※ ※ ※ ※



 魔が差し、己の力量を越えた魔法を使ってしまったマレフィキウム。彼は今、暴走した魔法の副作用から、自力では浮上することのできない眠りの籠に囚われていた。



「パーウォー。お父さんとお母さんの話、して」

「またぁ? アンタ、ほんっとにその話、好きよねぇ」


 幼いマレフィキウムの隣で添い寝するのは、今よりまだもう少し華奢な体型であった若かりし頃のパーウォー。彼は呆れながらも笑うと、寝物語にマレフィキウムの両親の馴れ初めを語る。


「海の底、人魚の国マルガリートゥムには、たくさんの美しい人魚たちが住んでいました」


 マレフィキウムはパーウォーの語る両親の話がとても好きだった。低く柔らかいパーウォーの声で語られるのは、おてんばな人魚姫の冒険と恋のお話。


「そんな人魚の国のお姫様の一人、末の人魚姫エスコルチアは、その見た目からは想像もできないおてんば娘でした」


 追憶の中の人魚姫を辿り、パーウォーは語る。

 沈没船の中を探検して宝物を見つけたり、魔法使いが住むと言われている不気味な海藻の森を探検したり、尾びれを飾るためのきれいな貝殻を探しに行ったり――毎日小さな冒険に出ては宝物を持ち帰り、外に出られない弟の心に語ってくれた人魚姫のことを。


「そして十五歳になったお姫様は、とうとう海の上へ行けるようになりました。前々から海の上、人間たちに興味のあったお姫様は大喜び。でも初めて海の上へ出たその日、はしゃぎすぎたお姫様は、気が付いたときにはひとり潮だまりに取り残されてしまっていたのです」

「そこでお父さんと会うんだよね!」

「そうね……そしてお姫様は、恋におちたの」


 少しだけ寂しそうに笑ったパーウォーに、マレフィキウムは子供らしく素直に思ったことをそのままぶつけた。


「パーウォーはお母さんのこと、好きだったんだよね? じゃあ、お父さんのこと、嫌いだった?」


 パーウォーの寂しげだった笑顔は、たちまちのうちに苦笑いへと。けれど、マレフィキウムにはそんな表情の変化などわかるはずもなく。

 パーウォーは小さく息を吐くと懐かしむように目を細め、マレフィキウムの頭をなでた。


「最初はね、大嫌いだったわよ」

「最初は?」

「だって、恋敵ですもの。最初は嫌いだったわよ。でもね……嫌いには、なりきれなかった」


 マレフィキウムの緑の瞳に愚かだった恋敵を見ながら、パーウォーは過去に思いをはせる。


「コルを選んで、最後まで愛し抜いたのは本当にすごいと思ってる。……でも、でもね。死んでしまったコルを選んで、生きているレフィを置いていってしまったのは、やっぱり納得できないの」


 パーウォーは少しだけ眉を寄せると、かつての恋敵に届かない不満をこぼす。


「コルの人魚石(アクアマリン)を代償に差し出せば、彼は人間に戻れたのに。レフィと一緒に、未来を生きられたのに。……なのに彼は、コルとの過去を選んでしまった」


 相手の表情がわからないマレフィキウム。けれど今、目の前のパーウォーが悲しんでいるということは表情など見えなくともわかった。マレフィキウムは小さな手をパーウォーの目元にそっと添えると、「でも僕ね、置いてかれてよかったって思ってるよ」と笑った。


「だって、お父さんが置いてってくれたから、僕は今、パーウォーと一緒にいられるんだもん。お父さんが二人みたいでさ、他の子より得だよねぇ」


 幼子の無邪気な殺し文句に絶句するパーウォー。彼は赤くなった頬を見られまいと、マレフィキウムを抱き寄せ腕の中に閉じ込めた。


「ちょっ、いきなり何⁉ 力、強い! 苦しいよ、パーウォー‼」

「もう、もうもうもう! ほんっとこの子は‼」


 優しい思い出が泡のように浮かんでは消えていく。干したての毛布にくるまれているような温かな夢の中で、かつて全面的に守られていた頃の心地よさを抱きしめながらマレフィキウムは溺れていく。幸せの記憶へと、深く、深く……


「契約が、終わった⁉ クエルクス、アンタ――」


 座っていた椅子を倒し勢いよく立ち上がったパーウォーを、向かいに座っていたマレフィキウムがぽかんと見上げた。


「びっくりした~。どうしたの、急に。それに……クエルクスって、お父さんの名前だよね? なんかあった?」


 背が伸び、より少年らしくなったマレフィキウム。そんな彼を困ったような顔で見下ろすのは、少しだけ逞しさと化粧の濃さが増したパーウォー。派手に彩られた顔とは対照的に、浮かべる表情は曇天模様。


「見つかったは見つかったんだけど……」


 歯切れの悪いパーウォーの答えに、マレフィキウムにも何か悪いことが起きたのだとということだけはわかった。


「ワタシにもっと力があったら……ううん、今はそれより行かなくちゃ。レフィ、アナタは――」

「僕も行くよ。お父さん、見つかったんでしょ?」

「でも……ううん、そうね。目を背けて後悔するのは、より辛いものね。ただ、無理だって思ったらすぐに言うのよ」


 エスコルチアを失ったあと、マレフィキウムをパーウォーへと託したクエルクス。彼はその直後、妻の形見の人魚石を持ったまま行方をくらませてしまっていた。なぜかパーウォーの占いでも彼の居場所だけはつかむことができず、今日の今日までまさにお手上げ状態。これまで彼とパーウォーを繋いでいたのは唯一、あの日交わした契約だけ。その契約が、たった今終了した。


 ――俺はこんな姿になっちまって、とてもじゃないがこの子を育てられない。だから、頼む。この子を、マレフィキウムを……


 過去と心中することを決めたクエルクスがパーウォーに未来を託した、あの約束の日。


 ――この先ずっと、死ぬまでその姿のまま生きる。これがその願いの代償よ。それでもアンタは……願うの?


 パーウォーの最後の問いに、クエルクスは笑った。心の底から満たされた、まさに満面の笑みで。最後に見た彼の笑顔がよぎり、パーウォーの胸を締め付けた。契約が終わったということは、彼はもう――

 意を決しマレフィキウムを抱き上げると、パーウォーは紅梅色(チェリーピンク)の扉を出した。扉の向こうは、ひとけのない岩礁(がんしょう)海岸。契約が終了した、クエルクスとの繋がりが切れた最期の場所。


「この辺りのはずなんだけど」


 パーウォーは片腕でマレフィキウムを抱えたまま、ハイヒールで器用に岩の上を渡り歩く。


「パーウォー、あそこ! 誰か倒れてる」


 マレフィキウムが指さした方向、そこはちょうど大きな岩の陰になっている波打ち際だった。

 白い泡と共に波間にゆらゆらと揺れていたのは、かつての若木のような生き生きとした赤茶色ではなく、色素が抜けてばさばさの金茶色になってしまった髪。


「ちょっとアンタ! しっかりなさい、クエルクス‼」


 パーウォーは倒れているクエルクスのもとへと駆け寄ると、マレフィキウムを下ろして彼を抱き起こした。


「この人が、お父さん?」


 パーウォーの腕の中、虚ろな目で空を見上げていたのは、全身を青緑色の鱗におおわれた異形の青年だった。パーウォーやマレフィキウムの持っている艶やかで美しい鱗とは全く違う、歪な鱗に全身を侵食された、醜い異形。


「この人がクエルクス。レフィ、あなたのお父さんよ」

「おとう……さん」


 パーウォーから話としてはずっと聞いていたものの、いざ本物の父を前にした今。マレフィキウムを支配したのは憧れや愛情ではなく、恐怖だった。

 初めて会った目の前の父は、青緑の鱗に浸食された人間とも人魚とも言い難い、まるで物語に出てくる魔物のような姿で。しかも彼はもう何も喋らない、動かない。形は確かに生きている者の姿なのに、存在を、魂を感じられない。けれど人形とは明らかに違う、異質な存在感。

 死体――それは幼いマレフィキウムにはまだ理解が及ばず、だからこそ恐怖を一層大きくしてしまっていた。


 けれど恐怖からなのか好奇心からなのか、マレフィキウムはクエルクスから目が離せなくなっていた。怖い、気になる、やはり怖い。恐怖を感じるのは濁った虚ろな緑の瞳のせいなのか、気になるのは似ていると聞かされていたその面差しのせいなのか。とはいえ、マレフィキウムにはその似ているという面差しは認識できていなかったのだが。


「これ……」


 固く握られていたクエルクスの右手を開いたパーウォーから、思わずといった声が漏れた。開かれたクエルクスの手のひらに乗っていたのは、涙を集めて固めたかのような薄青の人魚石(アクアマリン)。エスコルチアの欠片。

 パーウォーはクエルクスの手から人魚石を取ると、いまだ父の姿から目を離せないマレフィキウムを見た。パーウォーの服を掴んだまま固まってしまっているマレフィキウムの手をそっと解くと、その小さな手に母の形見の人魚石をそっと握らせる。


「初めて会ったのがこんなんじゃ、レフィもどうしていいかわからなかったわよね。ごめんなさい、ワタシにもう少し力があったら、もっと早くに――」

「ううん、違うの。僕ね、悲しくないの。だから、よくわかんなくて。……僕、もしパーウォーが死んじゃったら悲しくて悲しくて、きっといっぱい泣くと思う。泣く。うん、絶対泣く。でもね、今はよくわかんない。なんかね、頭の中がぐるぐるするし、ここがもやもやしてるんだ」


 マレフィキウムは胸を押さえながら、困惑をあらわにパーウォーを見上げた。

 パーウォーの話の中では生き生きと動いていた父、クエルクス。けれどいざ会ってみれば、現実の彼はもう動かないし、喋りもしなかった。顔も見えなければ心も見えない。だからマレフィキウムは、目の前の彼をうまく父と認識できていなかった。

 パーウォーは戸惑うマレフィキウムを一度抱きしめてから向かい合い、人魚石を持った小さな手を大きな両手で包み込む。


「レフィがワタシのために泣いてくれるなんて、とっても光栄よ。でもね、もう少しだけお父さんたちのことも見てみて。ワタシのお話の中のクエルクスとエスコルチアじゃなくて、本物の彼らを」


 マレフィキウムの右手に、温かなパーウォーの魔力が注がれる。穏やかな波間を揺蕩うような心地よい感覚に包まれ、マレフィキウムは落ちてゆく。さらに深く、深く…………

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