8.受け継がれる記憶と約束
「ほんと落ち着きないわねぇ、アンタは」
三度目の扉から現れたのは、この扉を出した張本人でマレフィキウムの養い親、海の魔法使いパーウォーだった。
「パーウォー! ちょっともう、なんなんだよこいつら‼」
「オルロフちゃんとファートゥムちゃん? ん~、なんか二人ともアンタに用があるって言うから」
「そんなんでホイホイこっちに送り込まないでよ! あと、ファートゥムの方はパーウォーに言われたって言ってたよ‼」
「あらぁ、そうだったかしら~。ま、いいじゃない。細かいことは気にしない、気にしない」
からからと、まったく反省の色を見せずに笑うパーウォー。このままでは埒が明かないと判断したマレフィキウムは、仕方なしに闖入者たちの話を聞くことにした。
招かれざる客である彼らなどその辺の床にでも座ればいいとばかりに、マレフィキウムは自らもどかりと床に腰を下ろす。そして布で下半分隠されたパエオーニアのフラスコの前に、パーウォーを除く男たちが輪になって座った。
「おまちどうさまですよぅ、パーウォーさま」
パーウォーはといえば、「服が汚れるから嫌」とカーバンクルに持ってこさせた椅子に一人だけちゃっかりと座っていた。
「……で、いったいどういうこと? 説明してよ、パーウォー」
うんざり顔でパーウォーを見上げたマレフィキウムは、本日の騒動の原因たる養い親に説明を要求した。
「どうもこうも。今朝、郵便受けを見たら、なぜかアンタ宛の手紙が入ってるじゃない。で、その直後オルロフちゃんが訪ねてきたのよ。なんか勿忘草が欲しいって言うから、花のことならワタシよりレフィでしょ? だから手紙と一緒にアンタに届けたのよ」
「そっちはわかった。じゃあファートゥムの方は? 転生の魔法使いって何?」
「あ、そっちは俺が説明するよ!」
元気よく手をあげると、ファートゥムはわざとらしい咳払いの後、自身の身の上を語り始めた。
「俺の固有魔法ってさ、前世の自分の記憶を情報として受け継げるって魔法なんだ。人格なんかはまったくの別物だから、他人の情報だけを覗き見るって感じ。感情はよくわかんない。あくまでそいつの見た映像や蓄えた知識が引き出せるってだけだから」
「ふぅん。それって前世の自分が優秀だったら便利だねぇ」
「そうなんだよ! でも俺の前世はバカでさぁ……最後にさ、女の子を泣かせたまま死んじゃったんだよ」
うつむき、悔しそうに拳を握りしめるファートゥム。
「あの子が――プリムラがあの後どうなったのか、知りたいんだ。無事マギーアにたどり着けたのか、それとも……」
「マギーア?」
「あ、そっか。えっと、マギーアっていうのは、魔法使いたちの国の名前だよ」
「魔法使いたちの国? そんなの初耳だわ。そもそもワタシたちは、いつ、どこに、なんの種族で生まれてくるかなんてわからないのに……」
マレフィキウムとパーウォーの疑問に、ファートゥムは「そっから説明かぁ」と独り言つ。
「今の魔法使いたちが生まれる前にはね、違う種類の魔法使いたちがいたんだ。人間と戦争したのは古い方の魔法使いたち。生殖で増える、今とは全然違う魔法使い。色んな一族がいたんだよ。でね、俺の前世はそんな魔法使いたちの中の一つ、記憶転移のメギストス一族ってやつだったんだ」
「メギストス……? メギストスって、もしかしてトリス・メギストスの?」
首をかしげたマレフィキウムに、ファートゥムが大きくうなずいた。
「そうだよ。トリスは記憶転移一族きっての天才、そして種族全体の許されざる裏切者。前世の俺はさ、そのトリスを討つって名目でマギーアを飛び出したんだ。ただ前の俺、最初はトリスのことなんか口実でどうでもよかったみたい。途中からちょっと事情が変わったみたいだけど」
ファートゥムの語る旧魔法使いと新魔法使いの話に、マレフィキウムとパーウォー、そしてフラスコの中のパエオーニアは感心しきりな様子でうなずいていた。ただ一人、オルロフは……
「その話、長くなりそうか? 悪いんだが俺はさっさと用件を済ませて、極夜国に帰りたいんだが」
「あ、ごめんね、お兄さん。じゃあ、お先にどうぞ」
「すまない、ありがとう。というわけで、百禍。代償はなんだ」
「あ~、代償、代償ねぇ……」
少しの間うなっていたマレフィキウムだったが、突然にやりと笑うとオルロフを見た。
「勿忘草の代償はねぇ……僕の手伝い!」
「はぁ⁉ 手伝いって、いったい何を……」
「それはこれからファートゥムが説明してくれるでしょ。はい、ファートゥム。続き話して」
「え⁉ あ、うん」
「おい待て……お前、俺に何を手伝わせるつもりなんだ⁉」
予想外の代償に動揺するオルロフを無視し、マレフィキウムはファートゥムに話の続きを促した。
「僕の目的は一つ。前世の僕の姉さんを素体とした人造人間、プリムラのその後が知りたい」
「人造人間……わかった、手伝ってあげる。でもさぁ、そういう失せもの系だったら、僕よりパーウォーの方が得意なんじゃない? ほら、いつもの青色月長石の占いでちゃちゃっとさぁ」
「占うのは別にかまわないけど、占いはあくまで占いよ。導くことはできるけど、解決は自分でね。あと、夜にならないと無理よ。あれ、月の光が必要だから」
「じゃあ夜になったら占ってよ。ファートゥムの事情はさ、僕もちょ~っとだけ興味わいちゃったから」
どんどんと事を進めていく魔法使いたち。それに物申したのは、人造人間などかけらも興味ないオルロフだった。
「おい、冗談じゃないぞ! その人造人間探しとやらは、いったいどの程度の期間を要するんだ? 俺は早く帰ってミオソティスに――」
「勿忘草……今の季節生花で保存してるのなんて、僕くらいなもんだろうなぁ」
「くっ! 卑怯だぞ、貴様‼」
「どれくらいかかるかわかんないけど。ま、しばらくの間よろしくね、王子様」
他に当てもなく、不承不承で代償を受け入れたオルロフ。彼は大きなため息をつくと、腕組みをして口をつぐんだ。
はるか昔、三千年以上前。そんな世界歴が始まる以前に消えた人造人間の行方を追うという難題。マレフィキウムたちには現状できることも手掛かりもなく、今はパーウォーの占いができる夜まで待つしかなかった。
そして夜――
パーウォーの占いが導き出したのは、「古き魔法使い、額装を辿れ」というものだった。
「額装って……テオフラストゥスのとこで見た、額装の魔法使いナントカカントカって赤い人かな?」
「ナントカカントカってお前、まったく覚えてないじゃないか」
「いやぁ。あの時はちょっと別件で動いてたんで」
「俺たちの時もそうだったが、お前はいつも別件で動いてるのか?」
窓辺で月の光を浴びるオルロフからの冷たい視線を受け、フラスコのそばに座り込んだまま照れ笑いするマレフィキウム。
「古き魔法使い……額装…………もしかして、永久保存の一族の人かな? あの一族は固有魔法を受け継いだ人が代々額装の魔法使いって名乗るんだって。で、記憶転移の一族とはまた違って、固有魔法を受け継げるのは額装を襲名したたった一人。って、前の僕の記憶にそんなのがあったけど」
「古き魔法使いっていうのも色々あるのね~。だけどそもそもあの変態、まだ生きてるのかしら? ワタシは自分より年上の魔法使いって、今はサンディくらいしか知らないんだけど。それとも生死は問わない的な?」
「パーウォーさん、額装さんとお知り合いなんですか?」
ファートムの問いにパーウォーは心底嫌そうな顔で「ちょっと昔、ね……」と言葉を濁した。
「ふーん。まあ、テオフラストゥスが生きてたってことを考えると、その額装さんも生きてる可能性高いですよね。もし死んでしまっていたとしても、そこに何か手掛かりがあるんですよ、きっと!」
「できれば次代額装希望だわ。ワタシ、アイツとは二度と関わりたくないの」
使い魔たちに用意させたテーブルでお茶を飲み、くつろぎながら言葉を交わすのはファートゥムとパーウォー。そしてすぐそば、フラスコの中から会話に参加していたのはパエオーニア。彼らは会話の中で額装の魔法使いをさりげなく亡き者にしながらしゃべり続ける。
「でもさぁ、その額装の魔法使いってどこにいるんだろ? 僕はテオフラストゥスのところに行くまで聞いたこともなかったし、あれからもそんな魔法使いの噂なんてまったく耳に入ってこなかったし」
「そうねぇ、ワタシもここ最近は聞いたことないわねぇ。……あ、ミラビリスちゃんたちは?」
「うーん、知ってるとは思えないけど。ま、どのみち取りに行かなきゃいけないものもあるし、明日にでも行ってみようかなぁ」
古き魔法使い、額装を辿れ――
細い細い、手がかりへと繋がっているのかも定かではない細い糸。ひとまず今夜はこれ以上進展は望めないということで、場は解散となった。
パーウォーはさっさと扉をくぐり帰ってしまい、残されたオルロフとファートゥムはマレフィキウムが面倒を見ることに。仕方がないのでマレフィキウムは二人を使い魔たちに託すと、それぞれ用意した部屋へと案内させた。そして静かになった部屋に残ったのは、マレフィキウムとパエオーニアの二人だけ。
「今日はいつにも増して、すごく賑やかだったね」
「ね~。でもたぶん、明日からもしばらくは毎日賑やかだよ……はぁ」
面倒そうにため息を吐き出したマレフィキウムを、パエオーニアはくすくすと笑いながら見上げた。
「ため息なんてついたって誤魔化せないよ、レフィ。だって、すごく楽しそうだったもん」
「えぇ⁉ あんなうるさい男共なんか押し付けられて、喜んでるわけないじゃん」
束の間、落ちる沈黙。月明かりと照明の淡い光、そして金木犀の香りをのせた夜の少しだけ冷たい風が二人を包み込む。
「ねえ、レフィ。なんでファートゥムの頼み事、受けたの?」
「……僕も知らなきゃいけないって、思ったから」
再び落ちる沈黙。マレフィキウムは立ち上がると、テーブルの照明を消した。ふわりと広がるのは、柔らかで優しい闇。
「昔さ。ミラビリスたちと一緒にテオフラストゥスのとこへ行ったとき、人造人間の論文をもらったんだ。で、そこからニアに関わるだろうって思った頁だけ抜き出して僕も解読してみたんだけど……ニアをそこから出す方法は、やっぱりわからなかった」
暗闇の中、テーブルに腕をつき、パエオーニアの方を見ないままマレフィキウムは語る。
「あれからずっと何もなかったから……だからもう大丈夫、悪いことなんて起こらないって、今日までずっと誤魔化してきた。けどもし、今またニアに何かあっても、僕じゃきみに触れることもできない。あの時と同じ、見てることしかできない。もう嫌なんだ、あんな怖い思いをするのは。だから……」
「レフィ……」
――それでも! 私は知りたい、知らなきゃいけないの‼
ふとマレフィキウムの脳裏をよぎったのは、いつかのミラビリスの叫び。あの時は不安と焦燥と歯車に追い立てられる彼女の気持ちなどまったくわからなかったが、今ならマレフィキウムにも少しだけわかる気がした。
「僕も、知りたい……人造人間のことを。怖いけど、ニアのこと、今度こそちゃんと知らなきゃいけないんだ」
いつもと違うマレフィキウムの言葉に、背中に……パエオーニアの胸の奥から、今まで彼女が感じたことのなかった感情が湧き出していた。




