7.珍客万来
マレフィキウムの答えに、テオフラストゥスはわずかに怪訝な顔を返した。けれど、マレフィキウムはそんな彼に構うことなく、一人勝手にしゃべり続ける。
「だってさぁ、家族のことを何も知らないなんて、ちょっとまずくない?」
「聞かれても私には答えようがない。しかし、なぜそこまでアレにこだわる? アレの貴石の加護、『真実の愛による再誕』か?」
「そんなの関係ないよ。じゃあ反対に聞くけどさぁ、アンタがトリスにこだわるのはなんで? 僕には、ただの死にかけの魔法使いにしか見えないけど」
マレフィキウムの反撃に、わずかにだがテオフラストゥスの顔がしかめられた。たった一瞬、ほんの一瞬だけ放たれた、テオフラストゥスからの不愉快という感情。マレフィキウムはそれを敏感に感じ取ると、反撃成功とばかりにほくそ笑む。
「そういうことだよ。アンタにとっては無価値でも、僕にとってはそうじゃない。というわけだからさ。人造人間のこと、教えてよ」
「それをお前に教えたところで、私になんの利がある?」
「う~ん、そうだなぁ……あ、じゃあこれと交換とか、どう?」
マレフィキウムが腰の鞄から取り出したのは、親指の長さの半分くらいの小さな白い花が入った小瓶だった。
「寒白菊って花。花言葉は『お慕いしています』、『高潔』、『自分に誠実』、『輪廻転生』とか。さっきちらっと聞こえてきたんだけどさ、トリスがその棺から出たらアンタ、死んじゃうんでしょ? 他の魔法使いの代償を奪うことはできないし、ましてや僕には人を生き返らせるとかそんな奇跡はさすがに起こせないけど。最期にほんの少しだけ、想いを伝えるくらいの奇跡なら、たぶん起こせるよ」
「私はトリスを死なせるつもりはないし、自分も死ぬつもりはない。……だが、いいだろう。たかが人造人間と引き換えに魔法使いの魔法が手に入るというのなら、あんなものいくらでもくれてやる」
テオフラストゥスが宙に手を差し出すと、その手の上に忽然とぶ厚い紙の束が現れた。彼はそれを無造作にマレフィキウムへと放り投げる。受け取ったマレフィキウムは、流し見でパラパラと中を確認していく。
「うっわ、古代ファーブラ語かぁ。これだからお年寄りは……まあいいや。交渉成立、だね」
しかめっ面を一転、うさんくさいいつもの笑顔に戻すと、マレフィキウムは小瓶を両手で包み込んだ。
「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、テオフラストゥスに想いを伝える花『寒白菊』を与えることを誓う。百花繚乱の未来を来らしめよ。……はい、できた。これであとはこの花に魔力を注いで、発動させたい花言葉を選べばいいよ」
テオフラストゥスは無言で寒白菊の小瓶を受け取ると、手の中のそれをじっと見つめた。
「アンタがどの言葉をどんな風に発動させるかはわかんないけど、ま、あとはお好きなように~」
それだけ言い残すと、マレフィキウムはテオフラストゥスに背を向けた。
「待て。これを持っていけ」
テオフラストゥスからマレフィキウムに渡されたのは、透き通る青の貴石。
「もしかしてこれ、トリスの石? いいの? 僕にこんなの渡しちゃって」
「いずれ必要になる。お前たちはもう一度、ここへ来るだろうからな」
それだけ言うとテオフラストゥスは、これ以上はもう何も話す気はないとばかりに棺の中のトリスへと視線を戻してしまった。
「なんかよくわかんないけど……ま、いいや」
素直に青い石を受け取ると、マレフィキウムもミラビリスたちを追って出ていった。すっかりと静かになった部屋に残ったのは、小瓶を握りしめたテオフラストゥスと眠るトリス、そして黙々と運命を紡ぐ天体観測機。
「どうやら運命は我々を見放さなかったようだぞ、トリス。これで……これで、我が願いを叶える目処はついた」
※ ※ ※ ※
マレフィキウムがミラビリスたちとほんの短い旅を共にしてから、五十と二年。
「アンタ、またよそ様の娘さんに迷惑をかけて!」
「ご主人~、だからやめようって言ったじゃないですかよぅ」
「ご主人様、魔法を扱うときは細心の注意を払うようにと再三申し上げておりますが……」
「ばかレフィ! レフィなんて、もう一生結婚できなければいいんだわ‼」
パエオーニアのフラスコの前に正座させられ、マレフィキウムは皆からお説教を受けていた。
家族を作りたい一心で、マレフィキウムはこれまで見境なく手あたり次第、とにもかくにもあちこちで求婚をしては騒ぎを起こしていた。
「いやぁ、だってさ~。ロートゥスってばあまりにも不憫だったからさぁ、ちょ~っとだけ助けてあげようかと思っ――」
「結局助けどころか、色んな人に迷惑かけたでしょう!」
「……ごめんなさい」
しゅんと小さくなりうつむいてしまったマレフィキウムに、パエオーニアと使い魔たちは小さなため息をこぼした。
「今回は迷惑をかけてしまったけど……でも、レフィが昔私にしてくれたお節介は、すごく嬉しかったよ」
「ご主人、元気出してくださいよぅ! 今回も色々あったけど、最後はなんとかなったじゃないですかよぅ」
「ほんと仕方のない子だよ。いいかい、次は本当に気を付けるんだよ!」
「ご主人様、次に何か事を起こすその時は、我々にきちんと相談してくださいね」
なんだかんだでこの迷惑魔法使いに甘い同居人たちは、彼がしょげるとすぐに飴を与えてしまう。すると単純なこの魔法使いはすぐに元気を取り戻し、懲りずにまたいらぬお節介をばらまきに。こうして、なんともはた迷惑な循環ができ上がっていた。
そして極夜国で起きた騒動から五日――
「やっと見つけたぞ! 百禍の魔法使い‼」
唐突に、何の前触れもなく。紅梅色の扉から飛び出してきたのは黒髪に黒の瞳、右目に黒の貴石を宿した石人――極夜国第五王子オルロフ――だった。
「えーと……久しぶり? いや、初めまして?」
オルロフはパエオーニアの部屋で観葉植物たちに水やりをしていたマレフィキウムの前までやって来ると、ずいっと腕を差し出した。その手にあったのは、かつてマレフィキウムがミラビリスに渡した綾目の手紙。
「え? なんできみがコレ持ってるの?」
「渡されたんだよ、海の魔法使いから」
「パーウォーから? なんで?」
「そんなの俺が知るか! いいからとっとと受け取れ」
オルロフに急かされ、首をかしげながら手紙を受け取ったマレフィキウム。封を開け中身を確認すると、彼から思わずといった苦笑いがこぼれた。
「……さっすが僕」
マレフィキウムが苦笑いしたわけ、それは手紙の最後に記されていた日付にあった。
3305年 誠実の月 ミラビリス
現在の世界歴は三三五四年。ミラビリスのもとからマレフィキウムのもとへとこの手紙が届くまで、実に四十九年もの歳月が過ぎ去っていた。
マレフィキウム様
拝啓
房アカシアの花がほころび、町が黄色に彩られる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回お手紙を差し上げたのは、件の論文の解読が終わったことのお知らせとなります。
いつでもお渡しできる状態になっておりますので、ご都合の良いときに引き取りにいらしていただければ幸いです。
なんて。かしこまった文章はなんだかくすぐったいので、ここからは普段通りで!
あれからもう三年。そうそう、カストールはこの三年ですっかりと背が伸びました。見たらきっと驚きますよ。
それと、いくつか抜けてる頁があったんですけど、もしかしてマレフィキウムさんが抜いたんですか? ちょっとだけ気になったので。
まだまだ寒い日もあるので、体調にはお気を付けください。もし医療魔術師がご入用の際は、ぜひ私をよろしくお願いしますね!
かしこ
3305年 誠実の月 ミラビリス
「あ~、終わってたんだぁ。そっかぁ、五十年くらい経ってるもんなぁ……そりゃそっか」
一人うんうんとうなずくマレフィキウム。そこへやって来たのはカーバンクル。
「ご主人~、なんか賑やかですけど誰か……って、ああ! スケベな兄さんじゃないですかよぅ」
「お前、本当に失礼なカエルだな! それと俺はスケベじゃない、健全だ‼」
「でも兄さん、なんでここへ?」
「そうだ! おい、百禍‼ お前、勿忘草を持ってないか?」
突然話を振られ、マレフィキウムは目をしばたかせながらオルロフに顔を向けた。
「勿忘草? だってあれ、春の花だよ。今いつだと思ってるの? 歓喜の月だよ。咲いてるわけないじゃん」
「だからお前のところに来たんだろうが! お前は花を媒介に魔法を使うんだろう? だったら勿忘草の一つや二つ、持ってるんじゃないか?」
オルロフの主張にマレフィキウムがにんまりと笑う。
「まあ、あるにはあるけど……欲しいものを手に入れたいのならさ、対価が必要だと思わない?」
「無論承知だ。何を差し出せばいい?」
「そうだなぁ……」
マレフィキウムがなんとはなしに宙を見ながらつぶやいたその時――
「百花の魔法使いさんの家ってのはここですかー?」
またもや紅梅色の扉が現れ、今度は中から少年が勢いよく出てきた。薫衣草翡翠のような白菫色のくせ毛に、翡翠色の瞳をした少年。
「もう、なんなんだよ今日は! 次から次へと、パーウォーも知らない人ポイポイ送り込んでこないでよ‼ で、きみは誰⁉」
「俺はファートゥム。転生の魔法使いファートゥムって言います。よろしく!」
にかっと人好きのする笑顔で少年――ファートゥム――は、マレフィキウムとオルロフに軽く敬礼のような姿勢を取った。
「パーウォーさんにさ、俺の探し物なら百花さんを頼れって言われたんだ。というわけだから、手伝ってください」
「やだよ! それ、僕になんの得があるのさ‼」
「おい、それよりさっさと勿忘草を――」
それぞれが各々の主張だけを声高に叫ぶので、場はまったく収拾がつかなくなっていた。なんとか場を収めようとカーバンクルも奮闘したが、残念ながら力及ばず。
「うるさーーーーーい‼」
そこへ響き渡ったのは少女の怒声。一気に静まり返る部屋の中、フラスコの中で立ち上がったパエオーニアに皆の視線が集まる。
「人造人間⁉ で、でもちょっ待って、裸……」
「俺はミオソティス以外には興味ないから安心しろ」
「いや、興味とかじゃなくて見ないでもらえる!? カーバンクル、布! なんか隠すもの持ってきて‼」
慌てて目を逸らす純情少年ファートゥム、なぜか誇らしげに胸を張るオルロフ、ぷりぷりとフラスコの前に立ちふさがるマレフィキウム。せっかく静まり返った場は再び賑やかに。
けれどすぐに一人だけ、オルロフだけがパエオーニアを見て顔を曇らせた。
「なあ、百禍。その人造人間とやら、それは石人……なのか?」
虹彩と瞳孔部分のみ貴石になっているパエオーニアの瞳を見て、オルロフは眉間にしわを寄せた。
「あのね、僕は百禍でも百花でもなくって、マレフィキウムって名前があるの。あとこの子も……」
マレフィキウムはパエオーニアのフラスコに手を添えると、「仕方ないから自己紹介してあげて」と彼女に囁いた。
「初めまして。私は人造人間のパエオーニア。元になったのは半石人の胎児……だそうです。だからか色々と未熟みたいで、この左目が途中までしか石になってないのも、そのせいかもしれないです」
そう、どこか申し訳なさそうに笑ったパエオーニアに、オルロフは少しだけ気まずそうにうつむいた。
「すまない。どうにも俺は配慮が足りないらしく、度々人を不快にさせてしまうらしい。本当にすまなかった」
「そんな、気にしないでください! ちょっと制限はあるけど、私、レフィたちのおかげで幸せですから‼」
パエオーニアの言葉に、今度はマレフィキウムが照れくさそうに顔をそむけた。
「アンタらさっきからいったい何してんだい! レフィ、アンタも友達と遊ぶんならもう少し静かにしな‼」
「友達じゃないし! ただの不法侵入者たちだし‼」
「ご主人様、ただいま戻りました。おや、お客様でございますか?」
そこへおたまを持った黒猫のケット・シー、半獣半人のロビンも加わり、またもや収拾がつかなくなりかけたそのとき――本日三度目の紅梅色の扉が現れた。