5.魔法使いというもの
「ここ……知ってる、気がする」
薄暮の森を見渡し、ミラビリスはつぶやいた。そのまま彼女が一歩踏み出すと、門扉はまるで主を迎え入れるかのようにひとりでに開いた。
「歓迎されてる……わけないよねぇ」
「まあ、十中八九疎まれているだろうな。特に、部外者である私たちは」
苦笑いするマレフィキウムたちを置いて、ミラビリスは一人先へと進んでいく。ふらふら、ゆらゆら、一歩進むごとに彼女の不安定さは増していった。慌てたカストールが駆け寄り、彼女を支える。
焦点のあっていないミラビリスの瞳を見て、マレフィキウムは改めて周囲を見渡した。そして、最初ここへ踏み込んだ時よりも若干霧と魔素が薄くなっていることに気づく。そこでミラビリスのこの状態は何かに浸食されているらしいと当たりをつけたマレフィキウムは、にこにこと満面の笑みでカストールを見下ろした。
「ありゃりゃ。な~んかのまれちゃってるねぇ」
「のまれちゃってるねぇ、じゃない! 魔力流し込んで気付けを……いや、私は医療魔術は不得意だし、もし失敗したら――」
「じゃあさ、僕と契約しない? 代償くれたら、助けてあげる」
マレフィキウムはにんまりとした笑顔を浮かべ、小指の爪ほどの赤紫の花が詰められた小瓶をカストールの目の前で揺らす。
「…………代償は?」
その苦々しげな声色から、カストールはさぞ不服そうな顔をしているのだろうな、とマレフィキウムはほくそ笑む。けれど、せっかくの魔法使いの力を使う機会。そんな機会を逃すマレフィキウムではなかった。
「その懐中時計でいいよ」
カストールの上着のポケットを指さし、マレフィキウムはそのまま手のひらを差し出した。
マレフィキウムたち魔法使いは普段、魔臓という臓器に魔素を取り込み、魔力として蓄積している。自分のためにももちろん魔法は使うが、それらに使う魔力は些細なもの。彼らが本当に魔力を使うのは、代償をもらい他人の願いを叶えるとき。
だから魔法使いたちは定期的に生贄――もとい、助けを必要としている者を探しているのだ。でなければ魔素が魔臓の最大蓄積量を超えたその時、彼らもまた魔素に身体を侵されてしまうから。
「ミラビリスには代えられないからな。物はいつか壊れるし、失われる。半身のためとあらば、ポルクスもウィルも文句は言うまい」
「いやいやいや、言うに決まってるだろ!」
カストールは少しだけためらった後、笑顔で赤虎目石の飾りがついた懐中時計を差し出した。彼のお付きの火精霊は抗議していたが、しばらくすると話がまとまったのか、おとなしくなった。
マレフィキウムは懐中時計を受け取ると、大気中に漂う魔素、自分の中の魔力、受け取った代償に込められていた想いを魔力に変換し掛け合わせ、小瓶の中の花に込めていく。
「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、カストールに目覚めの花『花蘇芳』を与えることを誓う。百花繚乱の未来を来らしめよ。……はい、できた。というわけで、あとはこの花にきみの魔力を注いで振りかければ、お姫様のお目覚めだよ。……たぶん」
マレフィキウムは魔法をかけ終わると、花蘇芳の使い方をカストールへ説明した。けれど最後に「たぶん」とつけてしまったばかりに、カストールからこれ見よがしの深いため息を返されてしまい。
「いや、大丈夫だって! ……たぶん。あ、ただね、花蘇芳の花言葉はいくつかあってさ、『目覚め』はそのうちの一つなんだ。他には『裏切りのもたらす死』とか『疑惑』とか色々あるからさ、間違っても他のを発動させないようにねぇ。ちなみに僕は、わりとよく間違えるよ」
「さすが百禍の魔法使いだな。まあいい、私が得意とするのは精密操作。お前みたいなポンコツ魔法使いとは違うからな」
言うが早いか、カストールは受け取った小瓶のふたを開け魔力を注ぎ込み始めた。
小瓶の中の花は魔力に反応し、すぐに淡い光を放ち始める。カストールはそれを手のひらに取り出すと、ミラビリスの頭の上からぱらぱらと雨のように降らせた。しばらくすると、ミラビリスの瞳をおおっていた霧が晴れ始め……
「おはよう、ミラビリス。目覚めはいかが?」
ミラビリスの正面に立ち、からかうように彼女へと笑いかけたカストール。直後、ミラビリスは勢いよく彼に飛びつくと、「カストール!」と叫んで彼を強く抱きしめた。
「絶対……絶対、いなくならないでよ。私を殺すのは、カストールなんだからね。こんなに私を弱くしたんだから、ちゃんと責任取ってよ」
「いいよ、もっと弱くなって。もっとぐずぐずに弱くなって、私がいないと生きていけないくらい弱くなってしまえばいいよ」
くつくつと笑うカストールに、ミラビリスからも小さな笑いがこぼれる。そんな二人の姿に、マレフィキウムは心の底からの羨望を覚えていた。
「石人もだけど、そのお相手もすごいねぇ。いつか、僕にも見つかるかなぁ」
「え⁉ 魔法使いの兄さんは、あんな感じの番が欲しいのか? オレ様はちょっと遠慮するなぁ……」
火精霊はこれでもかと呆れを含んだ視線をマレフィキウムに投げると、懐中時計の代わりの仮住まい、カストールが左耳につけていた金緑猫目石の耳飾りの中へと帰っていった。ようやく落ち着き、三人が再び屋敷を見上げた、その時――今度は屋敷の正面の扉がひとりでに開いた。
大きく開かれた扉をくぐり、三人はテオフラストゥスの屋敷へと足を踏み入れる。うめき声のような機械音、ぎちぎちとした歯車の悲鳴……テオフラストゥスの屋敷は、マレフィキウムにコロナの魔導研究所を思い出させた。
「こっち。ついてきて」
勝手知ったる我が家の如く、ミラビリスは屋敷の中を迷いなく進んでいく。先ほどの意識混濁の最中、ミラビリスは夢を見ていたのだとマレフィキウムたちに語った。自分はここに住んでいたのだとも。
「ここが、この家の中心。いつもお母さんが……絡繰りの魔法使い、トリス・メギストスがいた場所」
「お母さんって、それは――」
カストールの声を遮るように、ミラビリスは扉へと手をかけた。ぎいと嫌な音をたてながら開いた扉の先、そこは丸天井になっている不思議な部屋だった。
中央に浮かぶのは巨大な物体。いくつもの円環をまとい、無数の小さな歯車の群れから成る――
「天体観測機」
そして、その下に安置されていたのは硝子の棺。
「やはり来たか……我らが娘よ」
天体観測機の陰から現れたのは、玉蜀黍色のくせ毛を後ろで一つに結い、平坦な声でミラビリスを「我らが娘」と呼んだ青年――揺籃の錬金術師テオフラストゥス――だった。
超然とした雰囲気を纏ったテオフラストゥス。そんな彼にマレフィキウムが抱いた第一印象は、「ああ、こいつも人造人間だな」だった。
唐突に親子だなどと言われ、混乱し激高するミラビリス。対するテオフラストゥは、どこまでも平坦で冷淡で。テオフラストゥはミラビリスの目の前まで来ると、彼女が首から下げていた歯車を指さし、次いで天体観測機を指さした。
「その歯車を天体観測機に戻せ。私が説明するより早い」
「なんで? 研究所で会った時は取り付く島もなかったのに、なんで今はそんなに簡単に教えてくれようとするの?」
疑い、一歩引いたミラビリス。そんな彼女を温度のない目で見下ろすと、テオフラストゥスは至極面倒そうに小さなため息をもらした。
「トリスが、それを望んだから。もしお前がここへ戻って来たならば、その時はすべてを教えろと言われた」
「テオフラストゥス……あなたは、いったい何者なんだ? なぜそこまで、トリス・メギストスに従う?」
カストールの問いにいち早く反応したのは、テオフラストゥスではなくマレフィキウムだった。
「きみさぁ、僕の知ってるのとはちょっと違うみたいだけど……人造人間、でしょ?」
マレフィキウムの問いはその無邪気な笑顔とは裏腹に、質問のていをとった断言。けれど、テオフラストゥスは動揺することもなく、うなずくとそれをあっさり肯定した。
「私はトリスと賢者の石によって生み出された、最初で最後の完全な人造人間。トリスは我が創造主にして、最愛の妻。そして彼女と私は、お前の原材料の一つ」
テオフラストゥの答えでマレフィキウムは確信した。最初にミラビリスに感じたあの感覚、やはり彼女も人造人間だったのだと。
ずっとパエオーニアと暮らしていたマレフィキウムは、なんとなくだが人造人間を見分けられるようになっていた。パエオーニアもテオフラストゥもミラビリスも、それぞれ種類は違うが、マレフィキウムにはなんとなく魂の形というか色というか、そういうものが似ているように視えたのだ。
人の顔は判別できないというのに、なぜか人造人間だけは魂で視分けられてしまうという自分の特技に、マレフィキウムは一人自嘲の笑みをこぼす。
「天体観測機に歯車を捧げよ。錆びて止まった歯車は息を吹き返し、再び回り始めるだろう」
テオフラストゥスはそれだけ言うと、硝子の棺に寄り添ったまま黙り込んでしまった。ここまで来て他に方法もなく、ミラビリスは歯車を首から外すとカストールと共に天体観測機の前、硝子の棺の前へと進み出た。
ひとしきり硝子の棺を眺めた後、ミラビリスはチェーンから歯車を外すと両手に乗せて、天体観測機へと捧げるように掲げた。すると小さな歯車はふわりと浮き上がり、まるで待ちわびていたかのように天体観測機の中へと吸い込まれていく。
かちりと小さな音が鳴った次の瞬間、天体観測機の周囲の円環がぎこちなく回り始めた。その動きは次第に滑らかになっていき、それにつれ中央の球体が光を発し始めた。
『なあ、テオ……幸せな未来を捨ててまで欲しいと思えるほど執着できる存在って、いったいどういうものなんだろう?』
突如、ミラビリスたちの背後に現れたのは――硝子の棺の中で眠っていたはずの彼女、絡繰りの魔法使いトリス・メギストスだった。
「映写機? 立体画像、いや立体映像……とでもいえばいいのか? こんな技術、クレピタークルムでも見たことない」
驚く二人を置き去りに、立体映像のトリスとテオフラストゥスは問答する。
『あんなに強烈な執着は初めて見たよ。石人にとっちゃ半身っていうのは、何よりも大切な存在なんだろう? そんな大切なものと出会える未来を捻じ曲げてまで、今執着してる相手が欲しいなんて……ボクには理解できない。だって、どう考えたって損じゃないか』
『損得など考えられないほど狂っているんだろう。壊れた者の考えることなど、考えるだけ無駄だと思うがな』
映像の二人のやりとりを聞いたマレフィキウムは、とても強い衝撃を受けた。半身を捨ててまで執着する存在、そんなものがあるのかと。
そこから語られたのは、今から約五十年前に起きた事件。迷いの森の霧が暴走した時のこと。
『あなたの幸福な運命――詳しくは話せないけれど。半身として結ばれるハズの運命を引き裂くのよ? 例えその――ルーフスと一緒にいられるようになったとしても。あなたに幸福は訪れない。あなたと将来出会うハズだったかもしれない、運命の半身とも巡り合う事はない。それでも――あなたは望むの? 彼を手に入れる事を』
魔女トリスの提示した解決策と代償、それはとてつもなく凄まじいもので……。
決められた運命を捻じ曲げるなど、いったいどれほどの魔力と魔素と代償を必要とするのか。そんなもの、マレフィキウムには用意できる自信などまったくなかった。彼も魔臓に蓄積できる魔素の量はかなり多い方だったが、この願いはとてもではないが叶えられない。はっきり言ってマレフィキウム一人の力では、これは実現不可能な願いだった。
『合意は遵守すべし。いいわ、契約は成立。絡繰りの魔法使いトリス・メギストスの名に於いて。汝カエルラと、ルーフスの運命を繋ぎ合わせましょう――』
だというのに、魔女はいとも簡単にその願いを受け入れた。伝説の魔法使いと自分たちにここまでの力の差があるのだということを見せつけられ、マレフィキウムはトリスが自分やパーウォーと同じ魔法使いであるとは思えなくなっていた。