3.交わる軌跡
ハイドランジア。
略奪者という存在を国中に知らしめた、最初の石人。王都コロナを火の海にした狂人クピディタースが、最期まで離さなかった亡骸の主。
「いたんだよね、あそこに」
昔、マレフィキウムが戯れに侵入したコロナの魔導研究所。パエオーニアを見つける少し前、彼はそこでハイドランジアも見つけていた。
部屋の奥、円筒状のガラス管の中に収められていたハイドランジア。真っ黒に炭化した皮膚、その下からのぞくぬらりとした肉、濁った蘇芳色の右目……けれど、なによりマレフィキウムの目をひいたのは、死後切り裂かれたであろう腹部だった。
「あれ、何かを取り出した痕……だよねぇ」
呟きながら、マレフィキウムは目の前に出した緑の扉をくぐり抜けた。抜けた先は桃色の暴力のような、きらきらとした少女趣味の部屋。マレフィキウムはその目に痛い部屋を勝手知ったる足取りでずんずん進む。そして紅梅色の扉の取っ手に手をかけたところで、その先から聞こえてきた会話に動きを止めた。
「そういえばあの時、ハイドランジアの声に重なって、誰か別の人の声も聞こえた気がしたんだけど……」
「ああ、小さな子供の声? なんかそんな感じの声が聞こえたな」
「そう! 甲高い、小さな子供みたいな声。あれは誰の声だったのかしら?」
「ハイドランジアって、あのハイドランジア? 最初の略奪者に殺されてしまったっていう」
聞こえてくるのは、マレフィキウムの養い親と先客たちの会話。しかもその会話は、今まさにマレフィキウムが求めているものと関係があるもので。となればマレフィキウムが入室をためらう理由など何もなく、彼はノックもせずに部屋へと入った。
ソファを挟みマレフィキウムの養い親と向かい合っていたのは、どこか幼さの残る少女と石人の少年。話に集中している彼らは、入ってきたマレフィキウムにまだ気づいていなかった。
「なるほどねぇ。でも残念ながらワタシにはちょっとわから――」
「その話、僕も混ぜてもらえない?」
マレフィキウムは養い親――パーウォー――の背後から会話に乱入した。
「レフィ! アンタ、突然どうしたのよ」
驚くパーウォーを見下ろしながら、ソファのひじ掛けに腰を下ろしたマレフィキウム。
「うちのお姫様も、ちょっと他人事じゃないみたいでさ」
「お姫様って、あの人造人間の子? パエオーニアちゃん、だっけ?」
「そ。今の話なんだけどさ、うちのニアもそのハイドランジアってのと関わりあるっぽいんだよねぇ。さっき急に倒れたんだよ。ま、今はもう目覚めてるけどね。というわけで、それを相談しようかと思ってパーウォーのとこに来たんだけど」
正確には倒れたのではなく、“夢に囚われていた”なのだが、細かい説明は面倒だと判断したマレフィキウムは適当に誤魔化した。
「あの、パーウォーさん……こちらの方は?」
戸惑い気味にマレフィキウムを窺うのは、先客の少女の方。そんな彼女と目が合った瞬間、マレフィキウムの頭の中を「もしかして」という疑念がよぎる。
「あ、ごめんなさいね! この子はマレフィキウム。私の息子よ」
けれどその小さな疑念は、パーウォーの言葉で固まってしまった少女と少年、そしてカボチャ頭の精霊の困惑する様で瞬く間に吹き飛んでしまった。しばらくは誤解する彼らと慌てるパーウォーをからかって遊んでいたマレフィキウムだったが、満足したところで脱線してしまった話を元へと戻した。
「もう! アンタ何しに来たのよ‼」
「あ、そうだった。ごめんごめん、つい面白くて。ニアのことでちょっと気になることがあったからここへ来たんだけど……というわけだから、僕も話に混ぜて」
話題は再びハイドランジアへと戻り、少女はためらいがちに言葉を紡ぐ。
「ハイドランジアの声のことも、もちろん気にはなるんですけど……それより私は、あのテオフラストゥスって人が持っていった硝子の棺とお母――中の人のことの方が知りたいんです。あの人を見てるとよくわからないんですけど、とにかく焦るというか……あとこの歯車のことや、なんであの扉が開いたのかとか」
首から下げた小さな歯車を握りしめながら、どこか不安そうに疑問を口にする少女。そんな彼女の話にマレフィキウムは、そういえばパエオーニアを拾った後しばらくして、あの研究所に妙な結界が張られて入れなくなったなぁ。ということを思い出していた。
「ワタシも魔法使いの中じゃ新参な方だから、正直古い人たちのことはあまり詳しくないんだけど……それでも、揺籃の錬金術師テオフラストゥス、彼のことなら少しだけ知ってるわ。彼の名前が歴史に出始めるのは、このファーブラ国が出来る以前、世界歴前にあった魔法使いと人間たちの戦争のあとからね。ワタシも生まれるずっと前のことだから、実際に見たわけじゃないしよく知らないんだけど……それでも、絡繰りの魔法使いトリス・メギストスと関係が深いって聞いたことあるわ」
テオフラストゥス――パエオーニアを作った錬金術師。パエオーニアをエンブリュオンと呼んでいた錬金術師。
「魔法使いトリスって、おとぎばなしに出てくる、あの?」
「ええ、あの。私も本物を見たことはないし、実在しているのか、していたとして、今も生きているのかはわからない。でも、アナタたちがさっき会ったテオフラストゥス……そっちは会ったことあるのよね。百年ほど前になるけど」
首をかしげる少女にパーウォーがうなずいた。けれど、それに少年がかみつく。
「ちょっと待ってくれ! 私たちが出会ったあの男は、とてもじゃないが百を超えているようには見えなかった。だって、テオフラストゥスは人間なんだろう? 門外不出の技を次代へ伝えて、名前だけを代々名乗っているとばかり……。そもそも短命種の人間が百年前と変わらない姿でいるなんて、それこそ伝説の賢者の石でもないと無理な話だと思うんだが」
「人間なら、ね。伝説では人間だってことになってるけど、それは嘘。だって、ワタシが百年前に見かけたときのテオフラストゥスとカストールちゃんたちがさっき会ったっていうテオフラストゥス、あれはおそらく同一人物だもの。残ってた気配がね、同じだった。アイツの気配は特殊。人間とは違う、かといって魔法使いでもこの世界に存在している人造人間でもない……あんな存在、ワタシはアイツ以外知らない。でも……」
パーウォーは一度言葉を止めると、少女に向き直った。まだ状況を把握しきれていないマレフィキウムは、ひとまず静観に徹する。
「でも、アナタには……彼と、とてもよく似た気配を感じる」
「わた、し?」
パーウォーの言葉に戸惑い、揺らぐ少女。彼女は不安げに目を泳がせると、すがるようにパーウォーを見上げた。
「私……私は、魔法使いの亜人。でも、父は……わからない。知らない。だって、記憶にない。見たことない。私が覚えているのは、お母さんのことだけ。でもよく考えたら、お母さんのことだって、本当に魔法使いだったなんて確証、ない。私がお母さんだって思ってるのも、もしかしたらただの思い込みなのかもしれなくて……」
真っ青な顔で自分の存在に不安を感じる少女の姿に、マレフィキウムの中で微かな苛立ちが生まれた。その苛立ちが何に端を発するものなのかはマレフィキウム自身にもわからなかったが、今はひとまずそれを無視し、彼は鍵となるであろうと推察した少女の言葉を待った。
「ミラビリス、もういい! もう、やめよう。きみが何者だったとしても、私の気持ちは変わらない。だからもう、これ以上テオフラストゥスに関わるのは――」
「それじゃあ何も解決しないよ」
石人の少年――カストール――の邪魔が入り、マレフィキウムは思わず口を出してしまった。
一斉に集まる視線。こうなってはもう黙っていても仕方ないと、マレフィキウムは沈黙を撤回し自分の言い分を並べ始めた。
「この子はこの先ずっと、自分の正体に悩まされながら生きなきゃならなくなる。今、きみの気持ちは関係ない。それに、僕も困るんだよ。今回のことはさ、どうも彼女を中心に動いているみたいだから」
「それこそあなたの都合だろう! これはあくまで予感というか、私の勘なんだが……ミラビリスがあいつに関わるのはよくない、そんな気がしてならないんだ」
マレフィキウムの主張に、カストールは苛立ちを露わに反論した。場に漂う険悪な雰囲気。睨みあう男二人の間に、慌てて少女――ミラビリス――が割って入る。彼女はカストールに二言三言囁くと彼を説き伏せて、一呼吸置くとパーウォーへと向き合った。
「だから、お願いします。あのテオフラストゥスという人のこと、教えてください」
「私の余計な一言が原因だから、あまり言えたことじゃないんだけど……」
パーウォーは小さなため息をこぼした後、朝の湖のような静謐な瞳でミラビリスを見すえた。
「ミラビリスちゃん。魔法使いに頼みごとをするっていうのはね、そんな簡単にしていいことじゃないのよ。ワタシたちへの依頼には、必ず代償が必要になる。そしてそれは、願いの大きさ、困難さに比例するの」
「ちなみにだが、テオフラストゥスに関する依頼にはそんなに大きな代償が必要になるのか?」
カストールの問いに、難しい顔でうなずいたパーウォー。それを受け、うつむき黙り込んだミラビリス。ようやく諦めたのかとカストールが安堵した、その瞬間――
「代償を、教えてください」
「ミラビリス!」
慌てるカストールを制し、ミラビリスはひたとパーウォーを見上げる。しばし流れる静寂の時間……それは、パーウォーの大きなため息によって終わりを告げた。
「まず言っておくけど、アイツの正体はワタシにはわからない。たとえ突き止められるとしても、それをワタシがやるとなると、おそらく命に関わる代償が必要になる。でも、それは私の方針に反するの。だから譲歩して、アナタが答えにたどり着くための手助けまでならしてあげる」
がくりと肩を落とすと頭を抱え、やがて苦虫を噛み潰したような顔を上げたパーウォーは一言、「成熟」とつぶやいた。
「この願いに必要となる代償は、『成熟』。ゆっくりだろうけど、このままならミラビリスちゃんもいずれ、大人の女性になれるはず。だけどこの依頼をしてしまえば、アナタはもう、一生今の姿のまま固定される。少女の姿のまま、その生を終えることになるのよ?」
提示された代償の大きさに、場が静まりかえる。そんな中、真っ先に口を開いたのはカストールだった。
「ミラビリス、やっぱりやめよう! こんなことにきみの未来を使うなんて、いくらなんでも――」
「それでも! 私は知りたい、知らなきゃいけないの‼ 自分でも説明できないんだけど、誰かが私を呼んでるの。…………それに、自分がどうやって、何から生まれてきたのか、知りたい。だって私、亜人ですらない、わけのわからない何かなのかも――」
ミラビリスの発した「亜人ですらない、わけのわからない何か」、その言葉がマレフィキウムの心を無性にささくれ立たせた。
「それが、何?」
不安と焦燥をまくし立てるミラビリスを遮ったのは、マレフィキウムの温度のない声音だった。