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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
百花の章 ~廻る貴石の物語~
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 2.共鳴する悪夢

 フラスコの中から出ることが出来ないパエオーニアをフラスコごと連れだし、マレフィキウムたちはあちこち旅をした。パエオーニアが生まれたファーブラ国王都コロナ、海の底の国マルガリートゥム、夜が明けない迷いの森、海を越えた東の島国秋津洲(あきつしま)、ファーブラの西にある大河を超えた先のティエラ国……

 それだけではなく、吹き替えではあったが、パエオーニアは人魚たちと一緒に歌劇まで経験した。賑やかな家族に囲まれ、彼女の毎日はまるで万華鏡。くるくる、くるくる、同じ日など二度とやって来ない。


 テオフラストゥスに疑似魂を作られたパエオーニアは、生まれたときから膨大な知識を持っていた。ただ、一度もあの部屋を出たことがなかった彼女にとって、それはあくまで知っていたというだけのもの。

 けれどマレフィキウムたちと暮らすようになり、パエオーニアの世界は変わった。与えられた知識にはっきりとした輪郭が与えられていくような、ぼやけていた焦点が合わさっていくような。新しい生活は彼女に、知っていることを経験するという喜びを与えた。


 パエオーニアたちがそんな騒がしくも愛おしい毎日を過ごしている間も、世界は日々その姿を変えていく。

 石人と人間との間に起きた(いさか)いは常夜の森を霧に沈め、過去の執着が霧を赤く染め、愛憎は一人の魔法使いを永い眠りへと(いざな)った……


 そして、マレフィキウムがパエオーニアを拾ってきてから七十と余年。


 巨木をくりぬいて作られたマレフィキウムの住処(すみか)、その一番日当たりの良い部屋の中央。やわらかな木漏れ日と観葉植物たちに包まれ、フラスコの中で微睡(まどろ)むのはパエオーニア。

 穏やかな春の午後、彼女は()ちてゆく。深く、深く……遠い地で変彩金緑石(カストール)が呼び起こした、過去の悪夢の中へと。

 


 ※ ※ ※ ※



「な……に?」


 雑踏の中、呆然と立ち尽くすパエオーニア。


「な、んで? ここ、どこ? それにフラスコ……なんで⁉」


 パエオーニアは、フラスコから出ては生きていけない。だというのに今、彼女はその身一つで石畳の上に立っていた。


「待って……やだ、やだ! 怖い、怖い怖い怖い怖い、怖い‼ どうして⁉ 私、死んじゃう‼」


 すっかりと恐慌状態(パニック)に陥ってしまったパエオーニアは自分を守るように頭を抱えると、勢いよくその場にしゃがみ込んだ。


「レフィ……助けて、レフィ! 死にたくない。私、まだみんなと一緒に、いたい‼」


 ガタガタと体を震わせ、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、パエオーニアは何度も何度もマレフィキウムを呼んだ。けれど、いつもならばすぐやってくる彼女の魔法使いはその姿を一向に見せず――


『見つけた』


 代わりにやって来たのは一頭の黒い蝶。取り乱すパエオーニアに見向きもしない風景のような人々の中で、黒い蝶だけがパエオーニアを見つけた。


『見つけた。私の――』

「え、なに……?」

『おいで。行こう、おいで』


 蝶はパエオーニアの上をふわふわと飛びまわり、黒い(はね)から瑠璃色にきらめく鱗粉の雨を降らせる。


『行こう。おいで、こっち』


 黒い蝶はふわりと舞い上がり、おいでおいでとパエオーニアを呼ぶ。


「待って!」


 フラスコの中から出ることのできなかった彼女には、走るということさえ初めてで。ぎこちなく足を動かし、慌てて蝶の後を追いかける。けれど初めての走るという行為は彼女には難しく、程なくしてその体は均衡を保てなくなり――


「あっ!」


 転ぶ! そう思った瞬間、パエオーニアは反射的に目を閉じた。けれど、来るはずの衝撃は訪れず……。代わりに彼女に訪れたのは、なんとも不思議な浮遊感。

 恐る恐る目を開けたパエオーニア。そんな彼女の目の飛び込んできたのは、かつてマレフィキウムが彼女に見せてくれた風景だった。

 ぐるりと町を囲む巨大な城壁、かつては透き通っていたであろうガラスのような丸天井の残骸、町の中心に建つ大きな石造りの王城。そして、パエオーニアが生まれた場所――城壁のすぐそばにある、今はもうないはずの魔導研究所。


「ここはコロナ……なの?」


 この光景で、ようやくパエオーニアは気づいた。

 なぜ、人々が恐慌状態のパエオーニアに見向きもしなかったのか。なぜ、蝶が喋ったのか。なぜ、パエオーニアがフラスコの外に出ているのか。

 現実では絶対にありえないことの数々。それはこれが、夢だからだったんだということに。


「そっか……そうだよね! だって私、さっきまでお昼寝してたはずだもん。夢だから、だから私、今ちょうちょになって飛んでるんだ‼」


 先ほどパエオーニアを包んだ浮遊感は、彼女が蝶に変化したときに生まれたものだった。パエオーニアは今、瑠璃色の蝶となって空を飛んでいた。少し先には、相変わらずおいでおいでと呼ぶ黒い蝶が飛んでいる。

 どうやらこれは夢で、しかも明晰夢(めいせきむ)らしいと理解した途端、パエオーニアの気分は一気に高まった。


「すごい、すごいすごい! まるで現実みたい!」

『こっち、こっち』


 はしゃぐパエオーニアは、黒い蝶に誘われるがままついていく。彼女がパエオーニアをどこへ連れていこうとしているのかなど考えることもなく、ただただ高揚感に身を任せて。

 そして二頭がたどり着いたのは、町の中でも一際にぎやかな噴水広場だった。吟遊詩人、大道芸人、食べ物や工芸品の屋台にそれらを楽しむ人々。幸せそうな人々の様子に、パエオーニアもつられて嬉しくなる。


 目を閉じればよみがえる

 懐かしき我が故郷

 月明かりに包まれた

 美しき我が故郷

 

 魂の欠片(かけら)を求め彷徨(さまよ)

 当てのないこの旅路

 夜空に浮かぶ月だけが

 故郷と私を儚く繋ぐ


 雑多な音がひしめく雑踏の中、その歌声は舞台で照明を当てられている役者のように存在感を放っていた。

 噴水の(へり)に腰かけ、竪琴を奏でながら歌うは銀の髪の(うるわ)しき少女。彼女は物悲しい旋律に美しい声を乗せ、瞳を閉じ気持ちよさそうに歌っていた。


月華(げっか)の故郷……石人たちの歌」


 パエオーニアがつぶやいたその時、一人の男が吟遊詩人の少女の前へ現れた。


「石人の吟遊詩人か。珍しいな」

「人間の無礼者ね。特に珍しくもないけど」


 少女の開かれた目に刹那、パエオーニアは息をのんだ。瑠璃色に輝く彼女の右目、その貴石の瞳が、パエオーニアの中途半端な左の貴石の瞳と同じ色をしていたから。

 パエオーニアが少女の瞳に気を取られているうちに場面は移り変わり、一転、噴水広場は夜の路地裏になっていた。


『見つけた!』


 夜闇(やあん)に紛れ、黒い蝶が石人の少女へ近づく。


 ――見つけた! 見つけた(見つけた)見つけた‼


 黒い蝶が石人の少女の背にとまった瞬間、それは聞こえてきた。歓喜に震える、石人の少女の心の声。そしてそれに重なるように聞こえてくる、黒い蝶の声。

 石人の少女は駆けだす、背に黒い蝶を乗せたまま。月明かりも届かない、暗い路地裏へ。喜びに頬を薔薇色に染め、顔を腫れあがらせた少年のもとへと駆けていく。


「え、待って!」


 慌てたパエオーニアも後を追おうとしたその時、黒い蝶は石人の少女の中へと溶けるように消えてしまった。直後、パエオーニアを襲ったのは抗いがたい引力。抵抗など一切許さないそれは、彼女をあっという間に真っ暗な闇の中へと引きずり込んだ。


「何も見えないけど……なんか、すごく温かくて……」


 パエオーニアが引きずり込まれた闇の中は、とても居心地のよい場所だった。夢の中だというのに、闇はパエオーニアをなお安寧(あんねい)の微睡みへと誘う。


『……きれい……い! まるで三色菫(パンジー)みたいで…………。………………守護石は紫黄水晶(アメトリン)…………』


 幾重(いくえ)もの膜に隔てられたような遠い声が、闇を揺蕩うパエオーニアの鼓膜を揺らす。


『………………俺の名前………………プルウィア………………』

『……ということは、私はハイドランジア…………のね!』


 途切れ途切れにパエオーニアに伝わってくるのは、ハイドランジアという少女とプルウィアという少年のたわいないやりとり。微笑ましい二人のやりとりは、なぜかパエオーニアをとても幸せな気持ちにさせた。

 見る見るうちに深まっていく二人の気持ち。彼らの気持ちが近づくたびに、パエオーニアへと届く外の音も、膜が一枚ずつ剥がれていくようにはっきりと聞こえるようになっていた。


 ――(ゆる)さない。


 そこへ唐突に、そして理不尽に。

 飛び込んできたのは、()()のような男の声。じわじわと、けれど全てを灰へと変えてしまう、そんな危険な炎をはらんだ声。


『この善き(憎き)日に、祝福(呪い)の花を』


 直後、埋け火は大火へと姿を変じた。そこからは悲鳴、悲鳴、そして哄笑(こうしょう)。プルウィアの決死の訴え、ハイドランジアの悲鳴、それらすべてを燃やし尽くすは炎火の狂笑。


『プルウィア‼ だめ……やだ、やだやだやだやだ‼』


 流れ込んでくるハイドランジアの絶望に、パエオーニアはたまらず胸を押さえた。悲しい、痛い、苦しい、死にたい、殺したい、死にたい、死にたい――


「いや……私は死にたく、ない」


 濁流のように押し寄せてくる嘆きに耳をふさぎ、パエオーニアは意志を声に出して抗った。けれど、そんなことではハイドランジアの怒りや悲しみを()き止めることはできず……パエオーニアは成す術なく彼女の激情に身を焼かれた。


『私たち石人のこと、何も知らないくせに。じゃあね、馬鹿な人間』


 次の瞬間、パエオーニアを襲ったのは激情の炎などではなく。夢の中だというのに熱くて痛い、全てを燃やし尽くす本物の猛火。


「や、いやぁぁぁぁぁ‼ 助けて、助けてレフィ! マレフィキウムーーーーー‼」


 ごうごうと燃え盛る炎の中、少女たちは(こいねが)う。


 ――逝きたい、逝きたい、逝きたい、逝きたい。


 生きる喜びを失ってしまったハイドランジアは、逝きたいと。


 ――生きたい、生きたい、生きたい、生きたい!


 生きる喜びを知ってしまったパエオーニアは、生きたいと。


 ――……ニア…………エオーニア


 死にたくない、その一心でパエオーニアはもがく。何も見えない闇の中、焼かれる苦痛に抗って。


「生きたい……私はまだ、死にたくない!」


 手を伸ばす。闇の向こう、希望へと向けて。聞こえてきた、愛しい声へと。


 ――パエオーニア!


 なじみ深い呼び声に、大切な人の声に。闇の中、一筋の細い光が射す。


「ニア……ごめん、ニア」


 そして重い重い夢が終わり、パエオーニアはようやく現実へと戻ってきた。


「きみが苦しんでるってのに、僕は何もできなくて……」


 惣闇(つつやみ)に染まったガラスの向こう側にいたのはマレフィキウム。彼は今にも泣き出しそうな顔でパエオーニアを見つめていた。


「レ……フィ? レフィレフィレフィレフィ! 怖かった、私、あのまま死んじゃうんだと思った‼ 熱くて苦しくて、痛くて……」


 顔をぐしゃぐしゃにして、体裁など一切取り繕うことなく泣きじゃくるパエオーニア。ガラス越しのマレフィキウムの手に小さな手のひらを押し付け、彼女は大粒の涙をぼろぼろとこぼして泣いていた。


「怖い夢、見た?」

「うん……うん。すごく、怖かった。ハイドランジアと一緒に、燃やされちゃうかと思った」

「……ハイドランジア?」


 パエオーニアの「ハイドランジア」という言葉で、マレフィキウムの眉間にしわができた。


「ニア。どんな夢見たのか、僕にも教えて。きみの苦しかったの、僕にも分けて」

「うん、あのね――」


 そしてパエオーニアの口からたどたどしく語られたのは、かつて王都を焼いた初代略奪者の伝説。

 そこでマレフィキウムは思い出した。パエオーニアをどこから拾ってきたのかを。彼女のいたあの場所に、何があったのかを。


「ニア、ちょっとだけみんなと留守番してて。僕、パーウォーのとこ行ってくる」

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