5.家畜の歌、輪廻の夢
「何もしてなんていませんよ、人聞きの悪い。万が一どこかへ行かれても面倒だったので、人造人間は人造人間らしく、相応の場所に戻しただけです」
ファートゥムがソーリスに掴みかかろうとしたその時、ガラス管の中のプリムラが目を覚ました。
「プリムラ!」
慌てて駆け寄ったファートゥムがガラス管を壊そうと手を触れた、その瞬間――
『ファートゥムだけは……どんな手段を使っても…………わたしが……必ず守る、から』
頭の中に響いた懐かしい声に、言葉に。ファートゥムは思わずその場に立ち尽くす。
「なんで……お前がそれを、言うんだよ」
プリムラの声が聞こえていないソーリスだけが眉をひそめていたが、二人にはそんな彼など今は眼中になく。
「イニティウム、魔法使い様を捕らえて」
ソーリスは無防備な背中を晒すファートゥムを見て、鉄人形に彼の捕獲を命じた。
『わたしが、守るから』
「そんなとこに入れられてどうやって俺を守るってんだよ、馬鹿! 待ってろ、今助け――」
覆いかぶさった影に気が付いた時には既に遅く、ファートゥムはあっさりと捕まってしまった。まだまだ魔素が薄いこの部屋ではろくな魔法も使えず、ファートゥムは鉄人形に捕らえられたまま、じたばたともがくことしかできなかった。
『わたしが、守る!』
目を閉じ祈るように両手を組み、プリムラはガラス管の中で歌い始めた。人には聞くことの出来ない声で。それはガラス管をカタカタと揺らし、瞬く間に部屋全体へと広っていく。
「イニティウム、魔法使い様を抑えておいて」
部屋に広がる異変に無視できないものを感じたソーリスは、慌てて制御盤へと走った。プリムラの不可解な行動を止めるべく、彼女を閉じ込めたガラス管に廃棄時用の薬剤を流し込もうと制御盤に彼が手をかけた瞬間――それは起こった。
「ゔぁァァぁぁ……あァぁ…………」
バシャバシャと流れ出る水の音と共に部屋に響いたのは、怨嗟を懲り固めたかのような不気味な声。言葉を紡がない音、言葉にならない声だった。
ドロドロに溶けたガラス管から出てきたのは蘇芳色の髪の人造人間。ソーリスによって昏く燃える赤の貴石を埋め込まれた、先ほどの人造石人の人造人間だった。
「イニティウム! 僕を守れ!!」
その異様な様子に今までの人造人間とは違う何かを感じ取り、ソーリスは慌てて鉄人形を呼び寄せた。もはや彼にファートゥムを構っている余裕などなく、目の前に現れた脅威に対応すべくそちらへと集中する。
一方、放り出されたファートゥム。こちらも当然今起きているのが想定外のことだとは理解しており、だからこそ彼はプリムラを助け出すべく彼女のもとへと駆けた。
「いに……む」
「欠陥品だ。廃棄しろ、イニティウム」
ソーリスの命令により、鉄人形が人造人間に襲いかかる。
迫りくる鉄人形を前に蘇芳色の女は逃げることもせず、あっさりと捕まった。巨大な鉄の塊の強過ぎる抱擁に、けれど彼女は微笑みさえ浮かべていて。
「いにてぃ、うむ」
魔素中毒により貴石に侵された赤い腕で、蘇芳色の女は鉄人形の頭部を抱きしめた。
真っ赤に燃える彼女の抱擁は、鉄人形の頭をその熱愛でどろどろに溶かす。流れ落ちる血潮のような鉄人形の頭部、その中心に現れたのは暗褐色の小さな貴石。
「馬鹿な!!」
自慢の特製鉄人形をたった一撃、それも抱擁で沈黙させられたソーリスは悲痛な声を上げた。当の蘇芳色の女はそんなソーリスなど眼中になく、ただうっとりと暗褐色の貴石を手に取り眺めている。
「形勢逆転、だな」
先ほどより部屋の中の魔素濃度が急激に上がってきており、ファートゥムは好転した状況に舌なめずりをした。素早くプリムラの入っているガラス管を砕くと、流れ出てきた彼女を抱きとめる。
「ありがとう……姉さん」
ファートゥムの微かな囁きがプリムラの鼓膜を揺らした。その声に、言葉に、プリムラの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「待ってて。あいつを片付けたら、今度こそ一緒に帰ろう」
ファートゥムは立ち上がると、今まさに入り口から逃げようとしていたソーリスへと手を伸ばす。
「させない‼」
けれど。魔法を放とうとしたまさにその瞬間、小さな影がファートゥムの脇腹へと突っ込んできた。
「な……んで⁉」
ファートゥムを見上げる金の瞳、さらりと揺れる蘇芳色の髪――そこにいたのは、もう一人のソーリスだった。
「ファートゥム!」
ファートゥムの脇腹からじわりと染み出す赤にプリムラが叫ぶ。彼女はもう一人のソーリスを勢いよく突き飛ばすと、ファートゥムをかばうように両手を広げて立ちはだかった。
突き飛ばされたもう一人のソーリスはそのまま反転し、入り口のソーリスのもとへと駆けていった。
「イフェイオン!」
「兄さま!」
イフェイオンと呼ばれたソーリスと瓜二つの少女。彼女はソーリスに抱き着くと、視線だけファートゥムたちへと向けた。
「兄さまを傷つける人は、私が絶対に許さない」
ソーリスと同じ顔で、彼にはない蠱惑的な笑みを浮かべるイフェイオン。
「だから、死んで」
彼女はファートゥムに死の宣告を下すと、兄の手を取り走り去ってしまった。ソーリスと瓜二つの容姿から、おそらく影武者として隠されていた双子の妹だったのだろうと推測してみるも、今のファートゥムにはもうどうすることもできなかった。
部屋に残されたのはファートゥムとプリムラ、そして鉄人形の残骸と蘇芳色のホムンクルスの女。
「クソッ、まさか妹がいたなんて。それより……」
今のところ蘇芳色の女が動く気配はないが、理性が飛んでしまっている彼女はいつ暴走するかわからない。ファートゥムはひとまずここから脱出することを最優先とした。
「帰ろう、俺たちの家へ」
力の入らない腕でプリムラを抱き寄せると、ファートゥムは刺された傷を代償に転移魔法を使った。
※ ※ ※ ※
「ファートゥム! ファートゥム‼」
森の中、プリムラの悲痛な叫びがこだまする。
「はは……ヘマ、した」
ぐったりと木に背を預け、力なく四肢を投げ出すファートゥム。額には脂汗が浮き、顔からは血の気が引いて真っ青になっていた。
「ほんと、しくじった」
ファートゥムの傷、それ自体は致命傷になるようなものではなかった。けれど、刃と一緒に彼の体に入ってきたものは確実に、そして速やかに彼の命を蝕んでいた。
「しかも、なんでこいつらまで、一緒に……」
ファートゥムはプリムラだけを連れて、故郷マギーアに転移するつもりだった。そのつもりで使った転移魔法だったというのに、なぜか今、彼らは見知らぬ森の中にいた。――プリムラに引き寄せられた人造人間たちと、赤虎目石を持った蘇芳色の人造人間の女と共に。
「ここ、どこだよ」
「石人の森……だと思う。私の持ってる記録では、たぶんそう」
「なんで……俺、こんなとこ来たこと、ない……のに」
「わからない。わたしにも、わからない。それより、傷の手当てしないと」
ファートゥムはプリムラの言葉に首を横に振った。
「むだ、だ」
「なんで! まだ間に合うかもしれ――」
「もう転移する……の、無理。こんな森じゃ、解毒でき……ない」
絶句するプリムラにファートゥムは微かに笑うと、腰の鞄から金剛石と灰のつまった小瓶を取り出す。そしてそれを震える手でプリムラへと差し出した。
「これ、頼む。おま……プリムラが、届けてくれ」
「やだ! ファートゥムも一緒じゃなきゃ、やだ‼」
泣きじゃくるプリムラに金剛石と小瓶を無理やり押し付け、ファートゥムは嬉しそうに、そして少しだけ困ったように笑った。
「頼むよ、プリムラ。こっちの姉さんも……お前と一緒に、家に帰して……やって」
いやいやと首を振り、言葉にならない声で「逝かないで」と訴えるプリムラ。
「俺も一緒に……帰る、から」
そこまで言うと、ファートゥムはプリムラを風で吹き飛ばした。
「マギーアまで……俺たちを、連れてっ……て…………」
なんとか起き上がり、ファートゥムのもとへ戻ろうとしたプリムラの前で――
「頼んだよ……プリ、ムラ」
ファートゥムは最後の力をすべて使い、万が一死んだ後に自分の体を利用されないように――自分で自分を、燃やした。
「……や……いやぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
森に響き渡るプリムラの絶叫。するとそれに触発されたのか、今まで微動だにしなかった人造人間たちもまた叫び始めた。まるで、プリムラに共鳴するかのように。
中でも蘇芳色の女の反応は一際激しく、鉄人形の核だった石を握りしめ、人造人間たちの中央で意味をなさない声を上げ続けていた。
「どうやらぎりぎりで間に合ったようですね。これはこれは、なんとも面白そうな悲劇ではありませんか!」
唐突に、何の前触れもなく。プリムラの前に男が現れた。深紅の燕尾服に深紅の紳士帽子、赫赫たる赤毛は背に流され、金の双眸をきらめかせたるは妖しくも美しく燃え盛る青年。
「この劇の主役は貴女ですか? それとも燃えている方ですか? どうやら今が最高潮のようですね。いやぁ、本当に間に合ってよかった!」
突然現れわけのわからないことをまくし立てる青年に、プリムラは怒りよりも、ただただ呆気にとられていた。
「何を……言ってるの?」
「ああ、これは失礼! 私は魔法使い、永久保存一族のエテルニタス。人は私を『額装の魔法使い』と呼びます。以後、お見知りおきを」
エテルニタスは芝居がかった大仰なおじぎを披露すると、にやりと口角を上げ、「来ますよ、暗転です」と囁いた。
直後、絶叫する人造人間たちが次々と燃え始めた。ごうごうと燃える炎の音、人が焼けるひどい臭い、そして彼らの絶叫の不協和音が森を覆っていく。
「……え⁉」
急激に上がっていく周囲の魔素濃度。たちまち一帯はむせ返るような濃い魔素に満たされ、最後、蘇芳色の女が燃え尽きたとき……それは起こった。
白み始めていたはずの空は巻き戻しのように濃紺へと塗り替えられ、瞬く間に夜色を取り戻していく。消え始めていた星は再び輝きを取り戻し、昇るはずだった太陽は金色の月へと姿を変えた。
「悲しみの歌は朝を拒み、永久の夜をこの地へともたらした!」
ファートゥムの死、燃える人造人間たち、夜になってしまった森……一度に起きた異常事態に、プリムラの頭は何も考えることが出来なくなっていた。麻痺した頭と心は、プリムラを無力な観客にする。
そしてすべてが燃え尽きた後、残ったのは焼け野原とファートゥムだったもの――なんとしても守りたかった、彼の白い骨。ただ、人造人間たちはあの蘇芳色の女を含め、一人残らず灰も残さず燃え尽きてしまっていた。
「これで終劇ですか? ……いえ、まだですよね」
鼻歌を歌いながら、ファートゥムの亡骸へと近づくエテルニタス。そんな能天気極まりない彼の姿に、プリムラの中で何かが切れた。
「触らないで!」
勢いよく駆け出したプリムラはエテルニタスの前に回り込み、ファートゥムをかばうように両手を広げて彼の歩みを止めた。
「ファートゥムに触らないで‼」
小さな体で必死に威嚇するプリムラを見下ろすと、エテルニタスはくつくつと笑い始めた。
「ファートゥム……ファートゥム、ね。確か最後に生まれた子供がファートゥムという名前でしたねぇ。彼は……そう、記憶転移の一族。あの悪名高きトリス・メギストスを生み出した、記憶転移のメギストス一族」
「だったら何⁉ ファートゥムは関係ない! あの子は、トリスとなんて会ったことないもの‼」
「見たところ、貴女もメギストスの一族ですよね? その髪と瞳は、純血のメギストスの色。だが、貴女は人造人間。魂を持たず生まれてくる貴女たちは魔法は使えない……はずなんですけどねぇ」
じっと、探るように見透かすように。エテルニタスは細めた瞳でプリムラを見下ろした。
「貴女の魂、それは本当に人間が作ったものですか? 過去の叡智を受け継いでいて、なおかつ天才のトリスならいざ知らず……人間に貴女のような、色豊かな魂が作れるものでしょうか?」
「知らない。わたしには、わからない。気が付いたら、私はわたしになってた」
プリムラはフラスコの中で目覚めた。ファートゥムがレウカンセマムを解き放ったと同時に、プリムラも夢のない眠りから解き放たれた。それはまるで、別の器から中身を移し替えたように……
「わたしの中にあったものは、知らない記録と、ファートゥムを守らなきゃって気持ちだけ。作られたのかどうかなんてわからない。でも、この気持ちが作られたものだったとしても、わたしはファートゥムを守らないといけなかったの。わたしは……私は、ファートゥムとの約束を、守らないと……」
「人造人間の貴女が記憶転移の固有魔法を受け継いだのですか! なんという皮肉‼ 最後の一人、希望の子には受け継がれなかったそれを、人造人間の貴方が受け継いだとは。……なるほど、どうやら貴女の魂は作られたものではないようですね。どういった運命の悪戯か、誰かの魂が入ったのでしょうか?」
少しだけ考えるようなそぶりを見せていたエテルニタスだったが、「一枚かませていただきますか」とつぶやくとひざまずき、プリムラとまっすぐ視線を合わせた。
「いいでしょう。貴方の望み、この額装の魔法使いエテルニタスがお受けいたしましょう」
唐突に「望みを受ける」と宣言され、プリムラは唖然とエテルニタスを見つめ返した。
「わたしの……望み」
「ええ、貴女の望みです。もちろん、それ相応の代償はいただきますが。そもそも今の貴女に、彼との約束を守れる力があるのですか? いえ、どんな約束かは存じ上げませんが、非力な人造人間の貴女だけで、それは叶えられるものなのですか?」
何もかも見透かしたようなエテルニタスの言葉に、プリムラは何も言い返せなかった。魔法使いの体を持って生まれたとはいえ、プリムラは魔法を使えない。なぜか固有魔法は受け継いだものの、その他の魔法は使い方を知ってはいても、彼女にはそれを扱える力がなかったから。もしもプリムラに魔法が使えたのなら、目の前でむざむざファートゥムを死なせるはずなどない。
それにファートゥムたち魔法使いの故郷マギーアは、結界に守られた隠された国。ファートゥムの最期の願いを叶えたくとも、そこはプリムラ一人の力でたどり着くのは到底不可能な場所だった。
ファートゥムから託された金剛石と小瓶を握りしめ、プリムラはエテルニタスを強く見つめ返す。
「わたしの望みは、私とファートゥムが一緒に家に帰ること。この金剛石と、小瓶を持って」
解き放たれたばかりのひな鳥は、赤い悪魔の甘言に捕らわれる。
「この願いの代償は、なに?」
「代償は貴女の亡骸。ああ、魂は必要ありませんのでご安心を。死後、貴女の体を私の蒐集品へと加えさせていただきます。いかがですか?」
「…………わかった。でも、ちょっと待って」
プリムラはエテルニタスに背を向けるとしゃがみ込み、白く変わり果てたファートゥムと向き合った。
「ごめんね、ファートゥム。わたしじゃ、あなたを守ってあげられなかった。でもあなたの願いは、どんな手段を使っても私が必ず叶えるから」
ちらりと、プリムラの視界に光る赤が目に入った。
「おやおや。どうやら彼の魔臓、さきほどのアレの影響で賢者の石になってしまったようですね」
「これも、さっきの条件に加えていい?」
「ま、いいでしょう。ところで、お名前を伺っても?」
「プリムラ」
「プリムラ……運命を開く花。なるほどなるほど。ではプリムラ、貴女の願いですが……先に結論を申しますと、この時代では叶いません」
「話が違う!」
「ですから申し上げましたでしょう? 『この時代では』と」
エテルニタスは得意げな笑みを浮かべると髑髏の杖を振り、何もない空間から硝子の棺を出した。
「貴女にはこの棺で、しばらくの間眠っていただきます。時が来ればすべての運命は動き出し、歯車は回りだすでしょう」
プリムラの体がふわりと浮き上がり、硝子の棺へと納められる。
「汝プリムラの亡骸を代償に。額装の魔法使いエテルニタスの名にかけ、汝と魔法使いファートゥム、そして金剛石と小瓶と賢者の石をマギーアへ。運命の時にあわせ、汝の時を止めることを今ここに誓おう……時よ止まれ、汝は美しい!」
エテルニタスの誓いの言葉が終わると同時に、硝子の棺のふたが閉ざされた。
「さてさて、この劇の迎える結末は幸福か、それとも……」
夜の森、赤い悪魔はほくそ笑む。いずれ訪れるであろう、第二幕の始まりに……




