最強の弱虫英雄譚(仮)~僕は振られて死にました~
僕の心臓は今にも爆発してしまいそうだ。ちゃんと呼吸が出来ているのかも分からない。頭の中なんて真っ白だ。
無理もない。何故なら僕は今日『告白』をするんだから!
子供の頃からずっと一緒だった幼なじみのアリス。
いつも可愛らしい素敵な笑顔を見せてくれる彼女に僕はこの熱い想いを伝えるんだ。
正直今すぐここから逃げ出したい。めちゃくちゃ逃げ出したい。
だけど逃げちゃいけない。ここで逃げたら僕はいつまで経ってもアリスと『お友達』の関係で終わってしまう。
アリスは超絶可愛い女の子だ。きっと他の男達が放っておかない。
もしもどこかの男とアリスが付き合うような事になったら、僕はショックで死んでしまうだろう。そんな自信がある。
「ライト! 大事な話があるって何なの?」
「ア、アリス!?」
思考の海に沈んでいてアリスが傍まで近付いていた事に気付かなかった!
あぁ、アリスは宝石よりも綺麗な赤い瞳で僕を見つめてくる。
どどどどうしよう!? まだ心の準備が出来てないぞ!?
えぇい! ここまで来てうじうじするな僕! ストレートに僕の気持ちを伝えるんだ!
「アリス!」
「な、何……?」
心臓が馬鹿みたいに大きく脈打つ。全身の血が沸騰して頭から湯気が噴き出しそうだ。
だけど……僕は覚悟を決めた。
「僕は……君の事が好きだ! どうか、僕と付き合ってください!」
言ったぁあああああああああああああああああああああああああ!
僕、今、告白したよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?
もうこのまま全力でここから逃げ出したい。けれどまだ、僕はアリスの返事を聞かなきゃいけない!
僕は恥ずかしさを押し殺してアリスの頭を見た。流石に目を合わせるなんて出来ない。
赤い髪を靡かせているアリスはしばらく呆けたように黙っていた。
「……ごめん。ライトとは無理」
「……え?」
あ……え……?
今、無理って言った? え? 聞き間違いだよ……ね?
アリスがようやく答えた時、口から飛び出したのは拒絶の言葉だった。
聞き間違いというレベルではない。これはもうきっと、絶対、幻聴の類に違いない!
だだだだってだって! アリスはいつも僕に優しくしてくれるし、モンスターから逃げ出しても親と違って責めないし、そ、それに……バレンタインだって僕にチョコを!
「な……なんで、そんな事言うのさ?」
頼む。嘘だと言ってくれ。
そんな思いで口に出した言葉は滑稽な程に掠れて聞こえた。口の中が渇いている。
頭の中で聞きたくないと弱虫な僕が叫んでいた。
だけど……アリスはいつもの可愛らしい笑顔を向けながら言った。
「なんでって……そんなの決まってるじゃない。ライトって弱いし、臆病だし、泣き虫だし、すぐに私に頼ってくるし、面倒くさいし……そんなのを恋人にするとかあり得ないでしょ?」
「あ……う……。で、でも、それでもアリスは僕を助けてくれるし……バレンタインにチョコだって!」
僕が何かに縋るようなか細い声でそう言うと、アリスの顔から笑顔が崩れてき、苛ついたような声を出した。
「はぁ……? そんなの周りからいい目で見られたいからに決まってるじゃない。それにチョコ? そんなの、あげなきゃライトがずっとウジウジして泣いて面倒くさいから仕方なくあげてただけだし」
「そ……そんな……」
まるで地の底に叩きつけられたようだった。アリスが別人のように見えた。僕はこの現実を受け入れる事を全力で拒否する事しか出来なかった。
頭の中で何かがガラガラと崩れていく。
心がバキバキと音を鳴らして壊れていく。
君は……ずっと僕の事をそんな風に見てきたのか? そんなの……認めたくない!
「……何? もしかしてそれで私がアンタみたいな駄目男に惚れたと思ったの? 馬鹿みたい! というかキモいから!」
……やめてくれ。
「はぁ~。わざわざ来て損した。そんなくだらない事の為に呼び出されたんじゃ堪んないわ」
やめろ……!
「この際言っておくけどあんたとはただの幼なじみ。それだけ!」
「もうやめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
もう何も聞きたくなかった。何も知りたくなかった。何も見たくなかった。誰にも会いたくなかった。
頭の中が熱い。奥歯に割れんばかりの力が入った。耳の奥がキンキンする。
目からポロポロと涙が零れ落ちた。
僕は、アリスに背を向けて……逃げ出した。
畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! …………畜生。
情けなかった。自分が。
僕は自分の事が全く見えてなかった。こんな当たり前の事実に気付きもしなかった。
僕は弱くて、臆病で、泣き虫で、一人じゃ何も出来ない駄目人間で……!
何も言い返す事なんか出来やしない。何も否定なんか出来やしない!
だけどアレは無いだろう!
アリスは僕の事を何とも思っていなかった。それどころか毛嫌いしていた。
だったらどうしてもっと早く言ってくれなかったんだ! そうしたら、僕だってきっと強くなろうと努力した。
だけどアリスは自分が周りからよく見られるように、僕に何も言わなかった。
『駄目人間を支える優しい女の子』でいる為に、僕の傍にいた!
いつか父さんが言っていた通りだ! 女は裏で何を考えているのか分からない。その通りだったよ!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい!
「……見返してやる! 絶対、見返してやる!」
僕は村の人から絶対に入ってはいけないと言われていた、村から少し離れた場所にある森の中に向かっていた。
そこはモンスターの巣窟。ギルドからダンジョン指定された危険区域だ。
僕は護身用のナイフを振りかざして森の中に突入した。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
いつもなら出会った瞬間に逃げていたゴブリンにも僕は怯まずぶつかりに行った。
殴られても関係無い。痛みを感じる暇も無い。
僕はただナイフをゴブリンの眉間めがけて突き刺した。
そんな危なげな戦闘を僕はこの後何度も続けていった。
僕は許せなかった。言われっぱなしの弱い自分が。
悔しさを覚えた。僕を嘲り笑う彼女に……!
だから見返したかった。証明したかった。弱い自分を代えたくて、惨めな思いを捨てたくて、ただただ愚直に強さを求めた。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「っ!?」
森の中を大分奥まで進んだ時、凶悪そうな咆哮をあげながらソイツは現れた。
小柄な人型のゴブリンとは比べ物にならない巨体を持つ鬼人。丸太のように太い腕は人間など平気で肉塊に変えてしまいそうだ。
そんな二本の角を生やした大型モンスターが僕の前に現れた。
「――オーガ!?」
それは僕の戦意を削ぐには十分な存在だった。
これまでモンスターに遭遇した時に行い続け、すっかり体に染み込んだ「逃げる」という選択肢が脳裏によぎる。
けれど足が動かない。恐怖で体が震え、地に縫い付けられていた。
あぁ……僕は、こんな所で死ぬのか。
歯がガチガチと鳴り響く。顔は涙でぐしょぐしょに濡れてしまっていた。
死ぬ……絶対死ぬ……殺される!
「あ……あ……助けて!」
僕は無様に悲鳴をあげることしか出来ない。
酷く痛感した。己の無力さを。
そしてようやく理解した。
この世界は自分の思い通りになんて絶対ならない。奇跡なんて夢物語だ。
頭の中に走馬灯が映った。
まるで時が止まったようにゆっくりと見える、オーガの腕を視界に捉えながら僕はこれまでの過去を振り返っていた。
両親の記憶。友達の記憶。虐められた記憶。アリスと過ごした記憶。
そして……アリスに告げられた一言。
『ライトとは無理』
冷徹に告げられた否定の言葉。
一瞬。僕の震えが止まった。そしてオーガに対する恐怖よりも己に対する怒りの方が上回った。
愚かにも恋心なんてくだらないものを抱いた自分に殺意を覚えた。
「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
心の底から吠えた僕の叫びが死への合図だったと言わんばかりに、止まった時は動き出した。
オーガの腕は誤差もなく僕の頭上めがけて降り下ろされる。
気が付くと僕は地に伏せており、視界は真っ赤に染まっていた。
痛みを感じなかったのは幸いなのか、死への恐怖は無かった。
そして僕の命の灯火はその後あっさりと消えてしまった。
暗い。寒い。ここはどこだ?
僕は真っ暗な場所に立っていた。どうしてこんな場所にいるんだろう?
とにかく何かしていないと怖いので、僕は薄っすらと見える道の上を歩く事にした。
あれほど誰にも会いたくなかったのに、今は堪らなく一人が怖い。
「……僕は馬鹿だ」
深く吐いた溜息は白く、触れてみた自分の体は氷のように冷たかった。
きっと僕は……死んでしまったのだろう。
そう思うと僕はその場に崩れ落ちた。嗚咽をあげながら涙を流した。
「あああああああああああ……うあああ……ああああああああああああああああああああああああ!」
自分が酷く滑稽に思えた。ただただ僕は惨めな存在だった。
勝手に甘い妄想を抱いて、勝手に傷付いて、勝手に無理をして……そして無様に死んでしまった。
悔しい……。自分が許せない……。やり直したい。全部。無かった事にしてしまいたい。
もしも、もしも、もしも、もしも……!
もしも僕がもう一度人生をやり直せたなら! 僕は絶対に誰かに恋なんてしない!
どうせ誰かに傷つけられるくらいなら、傷付いてしまうくらいなら、あんな思いをもう一度するくらいなら……誰かを好きにならない方がよっぽどマシだ。
そして強くなりたい。一度自分の無力さを認めた今ならそう思える。
あんな無様な自分はもう二度と見たくない。
理想の自分を思い描き、取り返しのつかないことを認めて、ひたすらに泣いて、僕はようやく立ち上がった。
「……もう、終わったんだ」
全ては後の祭りだ。全てはもう終わってしまった。
もうどうでもいいんだ。このまま進めばきっと自分の魂も消えてなくなって、この忌まわしい記憶も無くなって新たな生命へと生まれ変わるのだろうから。
この記憶が無くなる……そう考えると少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
僕は暗闇の道を歩いていく。どこまで続いているのか分からないけど長い間歩き続けた。
そしてそろそろ足が動かなくなってきた時、人の集まっている広場に辿り着いた。
「よう! お前どうやって死んだ?」
「がはははは! ブレイブドラゴンに食われちまってよ~!」
「俺は浮気してた女に刺されてぽっくりよ!」
「ううう……向こうに残してきた妻と息子が心配だぁ~」
……意外と皆、自分が死んだ事をそんなに悲しんではいないようだった。もしかしたら僕のように死んだ事を開き直っているのかもしれない。
とにかく人がいる事に安堵を覚えて俺はふらふらと広場の中を彷徨った。
広場には何もない。ただ広い空間の中でたくさんの人達が集まって会話に華を咲かせているだけだ。
ぼんやりと周りの様子を眺めていると、後ろから親しげな声で誰かが僕を呼び止めた。
「お~い! オメーさん、新入りだべ?」
「え? あ……はひ……」
振り返ってみてびっくりした。
その先に立っていたのは自分の丈を倍に越えた巨体で、頭の両側面から太い角を上に向けて生やしている男だった。口からは鋭利な牙が見え隠れし、僕に向けて左右に振っている手はこれまた豪快な爪が伸びていた。
はっきり言おう。こいつ人間じゃない!
自分が死んでいると分かっていても殺されるのではないかとつい身構えてしまった。
「お、おい!? オメーさん、人を見かけで判断しちゃいけね~よ!?」
「……そりゃそうですけど」
「だろぉ? 良い例を挙げるとだなぁ、世の中には可愛い顔して恐ろしい女の子がいたりするっちゅうことだなぁ」
「! ……それ、よく分かります」
今の僕にとって最も納得できる例えを用いられて、僕はこの見た目が怖いおじさんに少しだけ心を許した。
するとおじさんはキラキラと目を輝かせて突然楽しそうに尋ねて来た。
「ところでだな。オメーさん、何やって死んだんだぁ?」
「……それって他の人も誰かに聞いてたみたいですけど、何なんですか?」
「あっはははははは! ここにゃあ何もねーからよぉ、新しい情報に娯楽を見出すしかねーんだべよ。けどまぁやっぱ他人の死に様は気になるもんだべ?」
「そういうものですかね?」
「オメーさんもすぐに分かるようになるべ!」
正直話したくは無いけれど、どうせ死んでるわけだし転生したら記憶も無くなるわけで、何より本当にここには何も無いから何かを話すこと以外にやる事はなさそうだ。
それに、この悔しさを誰かに分かって欲しいという思いもあって、僕は自分が死ぬ事になった経緯をおじさんに話すことにした。
おじさんはそれを笑うような事も無く黙って聞いてくれた。それが有り難くて僕は自分が思っていた以上に話を続けてしまった。
時々悔し涙を見せながら全てを語り尽くすと、前よりももっと気分が良くなった気がした。
「う~ん。やっぱ女ってもんは怖い生き物だべ。オラの時も見た目に困ったもんだべよ」
「おじさんは、どうして死んじゃったんですか?」
おじさんの一言に興味を覚えた僕はついそんな質問をしてしまった。
一瞬迷惑な事を尋ねてしまったかもと不安になったけど、よく考えたら僕の死因をこの人は聞いたのだ。こちらも聞く権利はある筈だと思い直した。
おじさんも対して気に留めた様子もなく。気持ち良いくらい豪快に笑いながらあっさりと話してくれた。
「オラの時は酷かったなぁ。ただ普通に豪遊して遊んで暮らしたかっただけなのによぉ。城を建ててみたら人間達が勝手にオラを怖がってよぉ……何年も戦争吹っかけてくるし、挙句の果てには勇者を送りつけて来たんだべ」
「ええ!? ゆ、勇者をわざわざ!?」
勇者とは世界最強の人で、世界の災厄である魔王を打ち倒した奇跡の人である。
僕が住んでいるのはかなりの田舎で噂話でしか聞いた事がないから、実際にはどんな人か知らないけどそんな凄い人がわざわざおじさんの城とやらに派遣されたという話は素直に驚いた。
「んだ。そんでやって来たのはまさかの女の子だべ? しかも十歳からそこらの子供だべ。そんな子にこっちから何かするなんて出来るわけねーしよぉ。だから大人しく帰るよう言ったんだども……」
「ま、まさか……」
「んだんだ。その子はいきなりピカピカ光る剣を抜いてオラを一閃だべ? 信じられっか?」
僕は首を思いっきり横に振った。
十歳の女の子が、一切の会話もしないでいきなり人に斬りかかる姿なんて想像もつかない。
僕の中の勇者というイメージがガラガラと崩れ落ちてしまった。そして何より女は信用できないと心底思った。
「そんでここに五~六年ぐらいいるべなぁ」
「ふぉあ!? ごご五年!?」
「んだ。それがどうしたべか?」
この人は五年もこの場所に留まっていた? それってつまり転生するまでそれくらい待たなきゃいけないってこと!?
一気に絶望感が押し寄せてきた。
「転生するのにそんなに時間がかかるんですか……?」
僕が涙を目に溜めておじさんを見上げると、おじさんは優しそうに笑って頭を撫でてきた。
「大丈夫だべ。普通の人間なら一週間くらいでお迎えが来るらしいからよ。オラは無駄に力があるから、転生するまでに百年くらい時間がかかるらしいだけだべ。ぶっちゃけ、今すぐ現世に復活できるくらいの力は残ってるんだべ?」
「百年!? 復活!?」
もう僕はさっきから驚いてばかりな気がする。
おじさんの話が想像も出来ないようなものばかりのせいだ。
「でも、その話が本当ならどうして復活しないんですか?」
「そりゃ、生き返ったらまた勇者が来るに決まってるからだべ」
「ああ、なるほど」
確かに。せっかく生き返ってもまた死ぬことが分かっているならわざわざ生き返ろうなんて思わないかも。でも好きな時に生き返れるなんて羨ましい。
しかしおじさんはここに残る事を決めたって言うけど、百年もここに残るつもりなのか? 全く想像出来ない。だけど、もし僕が百年もここに残らないといけないとしたら気が狂ってしまいそうだ。
「百年も……可哀想ですね」
「あはは……哀れんでくれるだべか? オメーさん優しい奴だべ」
「優しくは……ないですよ。僕、正直おじさんの事羨ましいって思っちゃいましたもん」
おじさんが嬉しそうに微笑んだ顔を見ると、酷く罪悪感が胸を抉った。それで僕はついさっき思った事を吐露してしまった。
するとおじさんは怒るでもなく、悪戯を思いついた子供のように笑って思わぬ提案をしてきた。
「だったら、オメーさんにオラの力をくれてやるべ」
「……え?」
おじさんは自分の考えを自信ありげに、そして楽しそうに、語り始めた。
「オメーさんは生き返って人生をやり直したい。オラは早く力を無くして転生したい。利害は一致してるべ? それに、今まで考えた事もねー試みだ。楽しみでしょうがないべ!」
「え? で、でも……良いの?」
「オメーさんみたいに素直で優しい奴になら力をくれても惜しくないべ」
こんな事になるなんて予想もしていなかった。
だけど、こんな嬉しい申し出が他にあるだろうか? そんなものある筈がない。
僕は気が付けば涙を流しておじさんの手を握っていた。
「あ、ありがとうございます! 本当にありが……」
「どうしたべ?」
怖かったので今までおじさんの顔を見ないようにしていたけど、この時は感謝を表すためにおじさんの顔を見てお礼をした。
けど、おじさんの頭に生えた角を見て思い出した。
――オーガ。
あいつがいる限り、生き返ってもまた殺されるに決まっている。おじさんにそれを打ち明けると、思いっきり笑われた。
「わはははは! オラはこう見えて人間達から魔王と恐れられた男だぁ。オーガくらい素手で一発だべぇ!」
「――え!?」
「じゃあ気が変わらねーうちにさっそく力を移すべ……ほれぇ!」
――最後の最後でおじさんの爆弾発言に驚かされ、僕はこの世へと舞い戻る事になった。
意識を取り戻した僕は森の中で自分が横たわっている事に気付いた。
そして僕は我に返ったようにその場所から離れようと起き上がった。
早くここから逃げないとオーガにまた殺される!
『グアアアアアア?』
「……」
僕が死んでからかなり時間が経っている筈なのに、オーガは何故か僕の真後ろにいて、「あれ? 今さっき殺したよね?」と尋ねんばかりに血に濡れた自分の腕と僕を交互に見ていた。
恐怖の再臨である。
僕は全身に鳥肌が立ち、呼吸が荒くなるのを実感した。
怖い! 怖い! 怖い! どうしようどうしよう!?
殺される! どうしよう殺されちゃう!
僕は全身から嫌な汗を掻きながら二歩三歩と後ろに下がった。
だけどオーガはたった一歩で空いた距離を埋めてくる。
僕を殺せなかったのが不満なのかオーガは僕をまじまじと観察した後、空に向けて吠えた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
僕はくるりと右回りをして、全速力で逃走した。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
僕はがむしゃらに足を動かして前へ前へと進んだ。後ろを気にしている余裕なんて無い。追いつかれたら死ぬ。その焦燥感が僕の原動力となっていた。
だけど突然目の前に二体のゴブリンが現れた。緑色の小柄な体が僕の逃げ道を見事に塞いでいる。
不意に現れた事から僕は驚いて足を止めてしまった。
『ギャー!』『ギャース!』
「くっそ……こんな時に……!」
『グァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
そして後ろから怒りの咆哮が轟いた。振り返ったときにはもう遅い。
目を紅く光らせたオーガは勢い良く僕に向かって拳を振り上げていた。
不味い。僕、また死んだ!
体がぎゅっと強張る。視界が涙で滲んだ。またも走馬灯が脳裏に映った。
また同じだ。アリスの事を思い出して、自分の事が堪らなく嫌いになった。だけどあの時とは違った。
オーガの拳が遅く感じる。それでいて全く脅威を感じなかった。
――もしかして本当にオーガの攻撃が遅いのか?
それだけじゃない。後ろで一緒に怯えているゴブリンの気配すら鮮明に感じ取る事ができた。
どのようにオーガの攻撃がくるのか、どうすればそれを回避できるのか、止まった思考でも簡単に理解する事が出来た。
確実に避けられる。そう本能が理解して僕の体から僅かに緊張が薄れた。
どうして突然こんな事が可能になったのか……心当たりは一つしかない。
おじさんの――魔王さんの一言が僕に勇気を与えてくれた。
「――オーガくらい……素手で……一発!」
僕は振り下ろしたオーガの拳を横に飛ぶことで避け、一気にオーガに向かって突進した。
どうして僕は生き返りたかったのか。考えなくとも分かる事だ。
僕は強くなりたい。駄目人間なんて言われたくない。アリスを見返してやりたい!
そして変えたかった。弱くて情けなくてドン臭くて泣き虫な……悪口を言われても何も言い返せない自分を! 一人では何も出来ない駄目な自分を!
僕は……変わりたい!
ただ生き返ったと喜ぶだけじゃなく、生まれ変わった気持ちで……僕という人間をやり直したい!
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
僕は渾身の力を込めて、オーガの横腹に自分の小さな拳を叩きつけた。
僕の勢いよく踏み込んだ足が深く地面に突き刺さり、全力を込めた拳は深々とオーガの硬い体に突き刺さっていく。
直後、オーガの体が爆ぜた。
『ギァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』
オーガの巨体は砕け散りながら勢い良く森の中まで吹っ飛び、たくさんの木々をなぎ倒し、その動きが止まった時にはただの肉塊へと変貌していた。
『ギャース!』
『ピギィィ!?』
一部始終を見ていたゴブリン達はそれぞれ悲鳴をあげて僕から一目散に逃げていく。
僕もここから全力で逃げ出したい気分だった。
胸の動悸が激しい。体が熱い。呼吸が荒い。体が震えた。
目の前の惨状を自分が起こしたという事実を中々受け入れられなかった。
だけどやっぱり……少しだけ嬉しい。
「……理想の自分に……なりたい」
この力を使えば、理想の自分に近づけるだろうか?
強くて、優しくて、頼りがいがある格好良い自分。そんな理想の姿に近づければ……誰かの言葉に傷付く事も無くなるのだろうか?
僕はこの力が自分に不釣合いな事を素直に受け止めていた。だからこの力に見合うように、本当の意味で強くならなければと思った。
その為にはきっと、今のままじゃ駄目だ。今の村で閉じこもってるだけじゃ何も変えられない。
僕は一度村に戻るとすぐに旅の支度を始めた。
どうせ両親はすでに他界していて、ずっと一人ぼっちで暮らしていた家だ。誰かに引き止められる心配もない。
そういえば父さん達には向こうで会えなかったな。魔王さんが言うには普通の人は一週間でお迎えが来るそうだからあの広場にいたとは思えないけど。
父さん、僕を見守っていてください。母さん、僕に勇気をください。
村中の皆が寝静まった夜中に、僕は両親の形見であるショートソードを腰に差し、荷物を詰め込んだリュックを担いで村の外へ出て行った。
今この村にいるのは辛すぎる。アリスがいるこの村で暮らすなんて到底無理だ。合わせる顔も無い。
だから誰にも悟られないようにひっそりと、僕はこの村から離れた。
夜の道は暗い筈なのに、僕の目には先がはっきりと見えていた。昼間と言うほどでは無いけれどここまで鮮明に見えていれば夜道なんか怖くない。
おまけに今の自分はモンスターの気配が読めるようになっている。突然の不意打ちに怯える事も無かった。
僕はリュックの中から一枚の地図を取り出してみる。
それは村で一生を過ごすと信じていた為に自分には必要無いと思っていた、この辺りの街やダンジョンが詳細に載ってある地図だ。
地図によると自分のいた村から一番近い場所にハンデルという街があるらしい。
時々村に色々な物資を売りに来る行商人がいたけど、あの人はこの街から来ていたのかもしれないな。
この街は一体どんなところなんだろう?
残念ながら手元にある地図には詳細な場所が描かれているだけで、街の情報などは一切載っていない。
村の外はモンスターが当たり前のように活動しているので、僕は大人達と一緒でない時は決して外には出なかった。そのせいで僕は村の外についてはダンジョンである森以外全くと言って良いほど何も知らないのだ。
因みに村の外に滅多に出ない僕は同世代の人達から臆病者として虐められていた。
ううう……。思い出したら泣きたくなってきた。今まではアリスがいたから平気だったけれど、もう彼女には頼れないのだ。いや、今は頼りたいなんて思わないけれど。
ちょっと嫌な思い出が多すぎる。僕は地図をしまうと、何も考えないですむようにハンデルの街を目指して走り出した。
「!?」
速い……!
森でオーガから逃げる時はすぐに足を止めちゃったから気が付かなかったけど、僕は今とんでもなく速いスピードで走れてる!
どれだけ走っても体が疲れる気がしない。むしろ足に意識を集中すればもっと速く走れそうだ。
景色が物凄い速さで流れていく初めての爽快感が僕から嫌な気分を洗いさってくれた。
走ることがとても気持ちよかった。
「いっくぞぉおおおおお!」
走る事に夢中になって僕は夜の道を突き進んだ。
そのおかげか、夜が明ける頃にはハンデルの街が目と鼻の先に見えていた。
感想待ってます。