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Another 36.28  作者: 高田 勲武
2.エリア36.28
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エルバ村-お食事

 達也は落ち着きなく、辺りを見回した。だが、別に特異な環境に身を置いているからなどではない。


 古びた壁と天井に四方囲まれた小ぢんまりとした部屋。所狭しと数多く置かれた小さな木製の丸机。押し込まれるように人々が(ひし)めく。


 達也はその一角に腰を下ろしていた。


「おっと、ごめんよ」

 どこから飛んで来たのか、その声と共に達也の体は人の圧力によろめく。


 ここに座って、もう何回目だろう。常に耳に入る人のざわめき声。時には笑い声も聞こえて来る。これを活気というのだろうか。


 達也は体が押される度、その方向へと視線を送る。


 そこには人の姿。(あさ)の布のような服と、胸部などの部分部分を甲冑で保護するといった格好。それはその一人や近くの数人だけという訳ではなく、目に映る人全て……自分の机の対面に座る人物でさえ遜色(そんしょく)ない。


 己の姿を見直すと、まとうその服はジーパンに革ジャン。そして、それに似合わぬ異形の大剣が背中へ強引に紐で縛られる。――一人だけ浮いていると自覚する。


 達也が辺りを見回しているのは、何もその景色だけを見ている訳ではない。そこにいる全ての人々に向けられているのだ。


 「見回す」という表現……それは、的確ではないのかもしれない。


 この部屋は古びた感じの、昭和の家を連想させるものであった。


 勿論、達也の歳でそれを直接見たことなどはなく、テレビなどのメディアにより得られた感覚。細かく見ると壁など……造りが石造りであることからも、それは単なる印象でしかないこともわかっている。


 「特異な環境ではない」という表現も的確ではない。


「はいよ、お待たせ」

 一際大きく押し退かれ、目の前の机一杯になる程の大皿が置かれる。


 皿の上には何やら見たことのない……達也からは一つの(かたまり)としか認識できない大きな肉片。赤い液体が注がれた陶器製のコップも二つ添えられる。


「ありがとう」

 達也の机の対面に座る者……腰の辺りまで届く程の長髪を後で束ね、透き通る程に澄んだ瞳と愛らしい鼻筋、整った唇といった美しい女性……そう、あの金髪の女性が気さくに答える。


 白いエプロンが目立つメイド服のような恰好をした……大皿とコップを運んだ女性は嬉しそうに会釈をし、その場を去る。その者を見送ると、


「さぁ、遠慮せずに食え」

 金髪の女性は達也へ優しく語り掛け、その肉へ手を伸ばすと一部分を引き千切る。あの時のような乱暴な口調ではなく……


「どうせ、一文無しだろ?」

 金髪の女性は苦笑いをしながら言葉を追加した。


(おご)ってやるよ」

 初対面の印象とにはどうしても大きなギャップを感じてならない。


 あの後……管理局の兵士ソルジャーと呼ばれる人の形を成す者達に襲われ、何とか危機を退かせた後、精根果て、項垂(うなだ)れている達也に対し、


「近くに町がある」

 と、労を(ねぎら)うかのように耳元で優しく(ささや)く金髪の女性。


「とにかく、そこへ行って一休みしよう」

 達也の片腕を自分の肩に掛け、ゆっくり立ち上がりながら提案する。


 人は思い掛けない事柄に対し、極端に弱いのかもしれない。


 黒から白、闇から光、夜から昼、そして現実から……自分の中で勝手にイメージを作り、その人の性格だと認識していたものが突然、想定外の行動をするなど……


 人は初対面時、約九割近くは人の印象と性格を決め付け、区分してしまう。しかし、それは誤っていることも多く……金髪の女性のその行動はそれに匹敵する出来事であった。


 突然迷い込んだこの世界への、ずっと絞め付けるような……心を砂のようにもろく崩していくような不安も助け、達也は甘えてその言葉にすがる。特に疑問を抱くこともなく。


 達也を取り囲む風景は見渡す限りの荒野。傍に車やバイクなど動かなくなった機械類のガラクタが山積みにされているがそれ以外、目に止まるものは何もない。


 せめて瞳の中に映し出されるその景色は、現実として受け止めなくてはならなかったのかもしれない。


 金髪の女性に連れられ、歩いても歩いても……ひたすら歩いても、見えるのは荒野だけ。後を振り向くが、既にあのスクラップも目視できない。彼女がいなければ、自分がどっちの方向へ向かっているのかすら把握できない。


 町はおろか建物一つ、人一人見ることはない。


 いくら助けてくれたと言えど、この見知らぬ金髪の女性に言われるがまま、ついて行ったことに後悔するという少しは自我の冷静さを取り戻したとも言える感情。それが芽生え、歩く速度を緩め……また、疲労からその足を引きずった先……それは突然起こった。


 地面が陥没(かんぼつ)するかのように(えぐ)れ、中心へと水分の少ない土が吸い込まれていく。


「え、えぇ?あ、な、何だ……?」

 ただ戸惑いの声を上げることしかできず、砂と共に飲み込まれるその中心に達也の背丈よりも長い、少し中央へ湾曲(わんきょく)した二本一対のそれ……土と同色の角が生えて来る。


 それは子供の時に見たことがあるもの。――蟻地獄(ありじごく)。土の中に生息する蟻の天敵。流砂の如く土もろともそれを吸い込む昆虫である。


 いや、達也の目の前にいるのは、そんな小さなものを対象とするような可愛らしいものではない。まさに人をも喰らおうとする化け物。いうなれば人地獄(ひとじごく)か。


「何やっているんだ!」

 怒鳴り声と共に人地獄(ひとじごく)……大地もろとも達也を喰らおうとした二本の角の中心辺りに稲妻が走る。


 大気を強引に切り裂くことによる震わせる轟音(ごうおん)。地面の中央へと流れ込む土の流れは止まり、角は地面へと沈んでいく。


「ったく、何呆けているんだ?」

 溜め息交じりにぼやきながら、金髪の女性は達也へ駆け寄る。


「いくら弱いモンスターでも、舐めて掛かると命を落とす……」

 金髪の女性は(くぼ)んだ大地より()い上がって来る達也の姿を見て、途中で言葉を止める。


 一つ大きく咳払いをすると、目を逸らし、


「と、とにかく、私から離れるな」

 と、また優しい口調へと変わる。土紛れになった達也は、それを払いながら立ち上がると小さく頷く。


 まさに(あめ)(むち)。どちらがこの女性の本性なのだろうか。


 達也が少し(うつむ)く金髪の女性の顔を覗き込むと、無感情と思えるその表情は冷たく冷め、少々呆れ果てたようにも見える。


 明らかに自分の気持ちが気落ちしていくのがわかる。


 何も地面から出て来る「人地獄(ひとじごく)」だけに注意すれば良いというものではなかった。


 未だ町の影すら見えない長い道のり。羽音を立て、突然空から舞い降りて来る自分の体より大きな昆虫。外骨格のその殻は不気味に黒光りし……かと思えば背後より忍び寄る大きな牙を持つ素早い(けもの)。木陰を見つけ、そこで一休みしようと入るとその枝から落ちて来るゲル状の物体……スライム。


 落ち着く間など一つもない。まるで化け物達に囲まれているみたいだ。


 もしゲームにあるRPGという世界に現実として入り込むようなことがあったならば、おそらくこのような状況になるのだろう。


 しかしRPGは所詮RPG……ゲームなのだ。


 自分の分身である主人公は……まさにこの金髪の女性のように魔法を操る、強く格好良い人間。町の外のモンスターなど、自分のレベルアップの道具として()ぎ倒すだけの対象となるのだろう。


 少なくとも、そこに生命の危険など微塵(みじん)もない。


 現実は魔法なんて使える訳がない。


 剣もまともに扱えない。


 金髪の女性が倒していくモンスターからは……素早い獣からは生温かく深紅の血が噴き上がり、昆虫からはべとつく体液、炎で燃やせば鼻に付く生物を焼いた匂い。モンスターも命を掛けて死に物狂いで襲い掛かる。


 もう達也には逃げ惑うことしかできなかった。


 生きた心地もしない。


 小さく古びた中でも、ようやくこの町へ着いた時には安堵し、また大きな喜びを(あらわ)にするとでも思っていたのだが……


 実際、本当にこの町へ着いた時には完全に精神果ててしまい……何の感情すら湧いて来なかった。ただ、自分は生きているのかと自問自答を繰り返すだけ。


「良く、あんなところに一人でいられたものだな」

 金髪の女性は達也が思い返しているのに気が付いたのか、彼女自身も道中を思い出しているかのような話題を振る。


「剣もまともに使えないし、それどころか魔法さえも使えないなんて……」

 手に持つ肉片を全て口の中へ含めると、その指を舐める。


 金髪の女性の眉間には筋が走り、瞳は蔑むように達也を見つめている。


「だいたい魔法なんて、子供でも使えるぞ?」

 それは下賤(げせん)の者を見るかのよう。


 この世界では魔法が使えることが常識であるようだ。まさに息をし、言葉を交わすのと同様に。


 達也は自分の(てのひら)を見た。


 この手中に炎が舞い上がり、槍の形へと形成されていく現象や、光の玉が現れてそこから稲妻が走るなど……とても当たり前だと認識できるものではない。やはり自分は違う世界に迷い込んだのだ。


 金髪の女性を見つめ直す。服はともかく外見は似たようなものだし、言葉も通じるのだが……何だか大きな壁を感じる。


兵士(ソルジャー)はともかく、モンスター一匹も満足に倒せないなんて……」

 金髪の女性は机に両肘を置いて頬杖を付きながら……


 心許ない。だから彼女の所有物であったあの大剣を与えた。達也は何だか居た(たま)れなくなり目を逸らす。


「ん?どうした?食べないのか?」

 金髪の女性は目の前の肉に、達也が一つも手を付けていないことに気が付く。


「あ、あの……」

 久々……ようやく口を開いた達也であったが、そこから言葉が続かない。


「フォルティナ」

 金髪の女性はその姿勢のまま呟いた。


「え?」

 またまた気まずそうに視線を伏せ掛けていた達也は顔を上げ、耳に入ったその言葉を聞き返す。


 金髪の女性は見せ付けるかのように大きな溜め息を吐く。そして、


「教えただろ?私の名前」

 と、力なく落胆の声を上げる。達也ははっと気が付く。


「いや、あの……そう言う訳では……」

 達也は別に金髪の女性を呼んだつもりはない。しかし、


「タツヤ!」

 と、金髪の女性は達也の名前を大声で荒げ、それを制止させる。


 金髪の女性……その女性はフォルティナと名乗った。


 容姿だけを見ると少し「品のある女性」のような印象をも受け、名前の響きはお似合いだとも思えたが態度、仕草、そして声色はその品性とは程遠い。


 その名前を実際に聞いたのはこの町へ向かう道中。ずっと一緒だったのだが、確かに達也は彼女を名前で一度も呼んでいない。


 初めて彼女の名前を聞いた時、達也も自分の名前を名乗る。「鈴木達也」ではなく「達也」と。彼女……フォルティナは少々馴れ馴れしく思える程、何度も自分を「タツヤ」と呼ぶ。


「フォルティナと呼べと言っただろ?」

 フォルティナは吐き捨てる。(はな)から聞く耳すら持っていないようだ。


 達也は肩を落とす。


「あ、あの……ほ、ふぉ……フォル……ティナ……さん、あの……」


 その名を呼ばなければ、話は進まないようだ。


 覚悟を決め、フォルティナの名を初めて口にするが、慣れない発音が含まれる名前……何より女性の名前を呼ぶことに慣れていない達也にとって、いざとなるとその語気も弱くなる。


 耳に入る声が自分でも情けなく、格好が悪い。


「フォルティナ!」

 フォルティナは再び、そして苛立ちを募らせたように、不機嫌に自分の名を告げる。付いた頬杖を外し、身を乗り出して達也を強く睨み付けながら。


「人の名前に変なものを付けるな」

 達也に何も言う間も与えず、さらに追い打ちを掛けるかのように言う。


「それと他人行儀な、その変な言葉使いも止めろ」

 その後、乗り出した身を引き、冷めた視線を送る。


 達也は大きく息を吸い込み、咳払いをする。


「ほ、フォルティナ。あ、あの……」

 フォルティナを呼び捨てで呼び、後を続けようとするが……そこからの言葉はどうしても失われてしまう。


 普通の人からすれば大したことではないのだろうが、それは達也にとって負担の掛かるものであり、想像以上に緊張するもの。それにこの町までの道のり……いや、思い返せばこの世界へ来てから一度も水分を取っていない。


 喉の渇きも限界に達していた。


「ん?」

 フォルティナは先程と打って変わって上機嫌で明るく、にこやかな笑顔を浮かべると再び頬杖をし、顔を近付ける。


 達也は目の前の机の上を一瞥する。自分の目の前に置かれている赤い液体が注がれたコップに気が付く。


 達也は自分の語り掛けに反応を示したフォルティナを無視したまま近くのコップを手に取ると、まずは一要因である喉へ潤いを与えるため、慌ただしくその中の赤い液体を一気に口一杯に含んで流し込んだ。


 目を見開いて動きを一瞬硬直させる。


 次の瞬間、達也の……口の中にまだ残る赤い液体は勢い良く吐き出され、大きく咳き込んだ。


 どこへ向けて……体に受け付けないと判断を下して吐き出すのに、そのような冷静な考えは思い浮かぶ筈がない。――何よりそこまで理性があれば口の中のものを吐き出すなんてことはない。


 悲鳴染みた複数人の騒ぎ声が下を向き、必死に咳き込む達也の耳にそれが入って来る。


 その声には聞き覚えのある中性的な声は含まれてなく……女性であるフォルティナへ口の中のものを()き散らすことがなかっただけ唯一の救い。


 細めた瞳を上げ……咳はまだ治まらない。


 顔を上げたことにより、自分の体が横に向いているのがわかる。正面でその美しい顔をさらに近付けていたフォルティナに気付き、本能的にそれを避けたのだろう。


 目を点にし、無言で見つめる……実際に被害を(まぬか)れた彼女の姿が確認できる。


 達也の横……そこには席へ座り、赤い液体で体中をべとべとにさせた大男が自分の体を見つめ、発する言葉さえ失っている。


 人が密集し、密閉された空間。吐き出された赤い液体がフォルティナを(かわ)すことができても、他の人まで避けることなど不可能というもの。


 店員と思われるメイド服姿の女性が慌てて駆け寄り、布巾(ふきん)を取り出す。


「申し訳ございません」

 女性は赤い液体で汚れたその大男の体を懸命に拭きながら必死に頭を下げる。


 達也は……どう考えても自分に非があるのだが突然起こったイレギュラーに未だ対処し切れず、声すら出すことができていない。


 怒りを治めろという方が無理である。


 被害を受けた大男からしてみればその態度は悪びれもなく、踏ん反り返っているのと同じ。何か悪いことでもしたのかと惚けているようにも捉えられる。


 大男は筋肉隆々のその体を起こし、達也へ歩み寄りかけたが……


「ちょ、ちょっと……」

 片割れで大男の脇を小突く一回り小柄な男。連れと思われるこの男が慌てて大男を制止すると、


「ま、まずいっすよ、旦那」

 力を入れた小声で追い打ちを掛ける。そして、さらにこの男は大男の耳元で、達也には聞き取れぬ程の小声で何かを伝えている。一体何をこそこそをとも感じた行動だったが、


「何?」

 突然の、その驚きの声と共に大男ははっと動きを止め、ある方向へと見開いた瞳を向けた。


 達也は完全に言葉を発するタイミングを失っていた。いや、それより何よりその方向、認識が正しければ……


 フォルティナは何も言わず、じっと大男を見つめている。


 透き通るように美しく、ある意味透明感のある氷のよう。大男は急に弱々しく、挙動不審に視線を泳がせる。自分の体を拭く店員を見ると頭を下げてはいるものの察知しろと言わんばかりに、無言の圧力を掛けているのもわかる。


 大男は無造作に自分の体を拭く店員を押し退けると小さく舌打ちをし、近くの机へ当たり散らしながら……そうでありながらも何かから逃げるように足早にこの建屋から出ていく。連れである小柄の男も二人を交互に見て、おどおどと小さく一礼すると座っていた机へ何やらコインのようなものを置き、そそくさとその後を追う。


 店員はしばらく不服そうにじとっと達也を睨み付けたまま立ち尽くしていたが、この者達の姿が見えなくなると何も言わず、この場を去る。


 また人々の騒ぎ声と笑い声が復活する。


「タツヤ」

 不意にフォルティナが冷静な声を掛ける。そして、


「素直に謝るということも大切だぞ。子供でもあるまいし……」

 と、達也を待たずして言い聞かせるように言った。


 後ろめたさがあるためか、何か畳み掛けられているような感覚にさえなってしまう。


「い、いや……それは……!」

 達也は弁解しようとするが、上手い言葉が続かない。


 謝ろうとしていた……それが正直なところだが、この場面でそんな陳腐な言い訳は負け惜しみでしか思えないこともわかっていた。


「それに、こんなところで問題を起こすのは止めてくれないか?」

 フォルティナ自身、返答など別に望んでいない。


 達也の言い分などは完全無視で、さらに追い詰めるかのように切実に言うと冷たく睨み付ける。別に(わざ)としている訳ではない。それに……


「い、いや、だってこれって……」

 達也も全てが自分の責任であると責められていることに対し、反撃でもするかのように不満の声を上げた。


 高揚(こうよう)する特有の喉の刺激。鼻に付く香り。このコップに注がれている赤い液体の正体は……


「別に変ったものでもないだろ?」

 達也が目の前に置いたコップを持ち、中の赤い液体を自分へ見せ付けようとするその行為にフォルティナは察し、呆れたように言った。そんなことを言い訳とし、責任転嫁しようとはあまりにも幼稚(ようち)だと言わんばかりに。


 別に前もってわかっていれば、ここまでの反応はしなかっただろう。それは間違っても昼間から、しかも食べ物の付属品として添えられるものではない。


「これは葡萄(ぶどう)発酵(はっこう)させたもの。食事には付きものだろ?」

 達也は実際にそれを口にしたことはなかったが、それ自体は知っている。


「こんなもの、子供でも飲めるぞ」

 そう言うと自分の(そば)に置かれた……達也が見せ付ける同様のコップを持ち、中身の液体を一気に飲み干す。まるでその行動を待っていたかのように金属製のポットを持つ店員と思われる女性が近くへ歩み寄り、空いたコップへ赤い液体を注ぐ。――後、頼んでもいない達也の……中身を減らしたそのコップにまで注ぎ足される。


 店員は愛想笑いをし、またこの場を去る。達也は呆気に取られてそれを見守るばかり。


 食堂や喫茶店で出される水と同じようなものなのかもしれない。


「常識だ、常識」

 フォルティナは言うと、注ぎ足されたコップを持ち、また中の赤い液体を一口飲む。


 ここまでされると何も言えない。郷に入れば郷に従う。


 真似するかのように達也もコップへ足された赤い液体を一口飲む。体の中がかっと熱くなるのがわかる。やはり、すぐに慣れるものではない。


「で?」

 フォルティナは気を取り直すかのように声を掛けた。そして手に持つコップを机に置くと、中央に置かれた大皿にある肉の塊へと手を伸ばし、また一部を引き千切る。


 達也は不思議そうな表情を浮かべながら見つめ直す。


「いや、何か私に言い掛けただろ?」

 フォルティナのその言葉にはっと思い出し、達也は声を上げるとぽんと両手を叩くと、


「いや、あの……(はし)やフォークは……?」

 思い返しながら、ようやくそれを口にすることができる。


 達也は別に、お腹が空いていない訳ではない。食欲がない訳でもない。


 大皿に盛られた肉の塊……それは喉から手が出る程欲しいもの。この世界に流れ着いてから一度も食事を取っていないのだから。いつになれば(はし)やフォークなど所謂(いわゆる)、食器が出て来るのかを待っていたのだ。


「ん?は、し……?」

 フォルティナは達也の言葉が理解できない。訳のわからないことを言い出したとばかりに顔をしかめ……気を遣ってか、それを悟られまいと表情を(よそお)い、手に持つ肉へ喰らい付く姿を見せ付ける。


 ざわめき、笑い声を上げる所狭しとこの部屋に集まる民衆の仕草。スプーンとフォークを両手に持ち、それを使って器用に食物を一口大に切り、口へ運んでいるのがわかる。


 フォルティナを見た。手に持っていた肉を食べ切り、指を舐めていた彼女はその視線に気付き、ただ首を傾げる。


 どうやら、この世界ではスプーンとフォークを使って食べるのが常識のようだ。


 だが、手掴みで食べるフォルティナの姿もこの食堂内の食事風景としては違和感なく、これも一つの形……この大皿に乗る肉に対しては一般的な食べ方なのかもしれない。


 達也は思い切って手を伸ばした。


 それが正しいのかどうなのかわからない。その行動自体は些細なことなのかもしれないが、本人にとっては覚悟を決めた決死の行動。手に掛けた肉を千切り……真似をするかのように恐る恐るその肉を口へと運んでみる。


 フォルティナはほっとしたように胸を撫で下ろす。そして三度頬杖をし、透き通る瞳を優しく歪ませる。


 言動……外見に至るまで、まるで常識に当てはまらない達也。その存在だけで浮いている。それがようやく、ものを食べるという本能的なところを見せたのだ。安堵するのは当然なのかもしれない。


 達也も自らの体が求めるその栄養分に、もう逆らうことなどできやしない。他人の視線を気にする余裕もなく、一心不乱に肉を頬張り、喉が(つか)えそうになるとコップの赤い液体を口に含む。


 達也はしばらく無言で繰り返す。


 腹もだいぶ満たされ、落ち着いて来たのだろう。フォルティナの優しく、自分を見つめる眼差しに気が付く。


「え?」

 達也は口の中のものを噛み砕きながらフォルティナを見る。


 何か、またこの世界の非常識なことでもやらかしているのだろうか。赤い液体が含有するそれが頭をぼうっとさせ、判断力を鈍らせる。


「タツヤ」

 フォルティナは達也の名前を口にする。


「心配したが……いやぁ、なかなか良い喰いっぷりだ」

 そして、上機嫌に微笑みながら言った。


 フォルティナも負けじと肉を手に取り、頬張る。その姿に達也も少し笑う。


「ふーん、可愛い顔で笑うじゃないか」

 フォルティナが呟く。


 笑顔は初めて見るもの。初めて気を許した達也の表情。素直にそう感じた。


 本来「可愛い」という言葉で……しかも女に言われて喜ぶ男はいないのだが、何だか急に照れ臭くなり、少し頬を赤く染め上げながら顔を伏せる。


「照れるな」

 フォルティナもはみかみながら言うと一つ咳払いをし、それを誤魔化すかのようにコップを手に取り、中の液体を飲む。達也もその行動に触発されるかのように赤い液体を一口飲む。


 何か頭の中に(もや)が掛かるような感覚が強まる。


「フォルティナ」

 達也はその名を呼んだ。この赤い液体のおかげだろうか。すんなりと呼ぶことができる。――呼ばれたフォルティナが振り向く。


「ここはどこ?」

 だが、次にその口から出た言葉。フォルティナは見るからに、邪見に顔を歪ませ、


「はあ?」と、聞き直す。


「ここはどこ?」

 しかし、それを受ける達也は同じ言葉を繰り返すのみ。フォルティナは呆れたように一息吐く。


「ここは食堂だが……?」

 フォルティナは当たり前のことを言い放つ。達也の表情が曇る。


 そういうことを聞いているのではない。ちゃんと意識も正常だ。


 ずっと気にしていたこと。どう聞いたら良いのか……その答えを聞いてどうするのかも含めて思い悩み、ずっと言葉にすることができなかった。それはむしろ正常だからこそ、その問い掛けができるのだ。


 確かに話しやすくした要因は、この赤い液体に含まれるものによるものであると思われる節もあるが。


「い、いや、そうではなくて……」

 達也は考える。


「あ、そうそう。この土地の名前とか……」

 フォルティナは何かを理解したかのように声を上げた。そして少し笑う。


 いくら達也が変わり者であっても、そこまで常識が通じないこともないだろう。信じることができなかった自分に対し、どうしても笑いが込み上げて来る。


「ここはエルバ村。小さな農村さ」

 次にフォルティナはこの村の名前を答えた。だが、それを達也が聞いたところで理解できるものでもない。


「いや、そうではなくて!」

 達也は少し不機嫌に声を大きくする。


 フォルティナはその動作を見せ付けるかのように大きく首を傾げる。


「ほら、もっとこう……」

 上手く言葉にすることができない。


 もっとしっかりと考えて、言葉を選んで質問すれば良かったのかもしれない。後悔すら覚えるが今さら撤回(てっかい)することもできず、達也は言葉を失う。


「うーん、聞いているのは……この地域(エリア)のことか?」

 フォルティナは腕を組み、無機質で重々しい石製の天井を見上げながら思考を巡らせて(うな)る。


「確かに、この地域は特別に『エリア36.28』と呼ばれているが……」

 だが何故、そう呼ばれているのかフォルティナは知らない。


 昔からこの土地で人々の言い伝えとして伝承されて来た名称。他の土地で、このような呼ばれ方をしているところもない。


 そういった意味では、この土地は特別なのかもしれないが……


 達也はフォルティナのその答えに、さらに悩んでしまった。


 この言い方だとこの土地には地域特有の呼び名があることがわかる。しかし求めている答えは、そんなことでもない。


 自分が住んでいた……バイクを乗り回していたあの世界。現実世界とでも言うべきか。その世界とは違うと、明確に認識できる名前が欲しかったのだ。


「どうした?やっぱりタツヤ。お前、何か変だぞ?」

 フォルティナは悩み込む達也に対し、追い打ちを掛けるかのように言った。


「い、いや、俺、実は……」

 達也は重い口を開く。


「実は俺……」

 どんなに言い換えようとも、その後の言葉が思い浮かばない。


 フォルティナもさすがに、いつまでもはっきりと言わない達也に呆れたのか、退屈そうに片肘を机に付き、深く……静かに溜め息を吐く。


 突如、達也は何かを思い当ったのか勢い良く顔を上げた。


 これならば、ちゃんと伝わる筈。自分がこの世界の人間でないことが。それは一般的にその世界をそう呼ぶ。そこの世界の人々は、一度は使ったことがある。


「実は俺、『地球』と言うところから来たんだ」

 達也は確信の元、瞳を輝かせながらフォルティナへ言った。


 現実世界。もしそう表現するならば、対となるのは空想世界だろう。しかし空想世界と(くく)った世界に住む人々は、間違っても自分を「空想」とは呼ばない。


 そこの世界の人にとって、その世界も「現実世界」なのだから。


 では「人間界」ではどうだろうか。魔法を扱う人種……達也が理解できていなくても、それは「人」であるのだ。「人」が住む世界。それを「人間界」と呼ばずして何と呼ぶというのか。


 やはり「現実世界」同様、そこに住む人々は「人間界」と呼ぶのではないだろうか。それに「現実世界」も「人間界」も反対語を意識した呼び方であり、そういった意味では一般的ではないのかもしれない。


 先入観なく、さらに一般的に使われる言葉。悩み、導き出した答えが「地球」。


「だから、ここの……」

 自信満々に語っていた達也であったが途中、その声は消えていく。


 冷ややかな視線を送り、眉間に(しわ)を寄せたままのフォルティナ。険悪な表情が緩むことなく……いや、険しくなっていくそれに、止めることしかできなかったのだ。


「タツヤ。お前、大丈夫か」

 フォルティナは冷めた表情のまま横目で見つめ、心配そうに言った。達也は訳もわからず、疑問符の声を上げるばかり。


「酔いが回っているのか?」

 目の前に置いているコップを指差し、フォルティナは見せ付けるかのようにそれを飲み干す。まるでその赤い液体により、達也が酔っぱらったとでも言うかのように。


「いや、俺は正常だ!酔ってもいない!」

 達也は立ち上がり、フォルティナの言葉を強く否定する。


「俺は『地球』という星から……」

 フォルティナも勢い良く立ち上がり、目の前へ手を差し出す。達也は言葉を詰まらせる。


「だからどうした?()えて言うことでもないだろ?」

 遮るかのようにフォルティナは言った。


 達也の声は完全に閉ざされる。


「ここだって『地球』だ」

 冷めたフォルティナの瞳の奥。そこに同情も感じられる。


 達也は項垂(うなだ)れた。


 「地球」とは母なる大地で形成された星という意味。人間が大地によって構成された世界に住む以上、その人間が住む星は全て「地球」なのだ。間違っても自分達の住む星を客観的な視点や宗教的な視点から名付けられた「火星」や「水星」などと呼称したりはしないだろう。


 それは「現実世界」や「人間界」という呼び方と同じこと。


「病院へ行こう」

 フォルティナは(なだ)めるように言った。


「何、ちょっと体調を崩しているだけだ」

 机の上にコインを一つ置くと、達也の真横まで歩み寄り、その肩へ優しく手を回す。まるで人を病人……異常者だとでもいうかのよう。


 しかし、その論法はおかしい。


 体調を壊したからと言って頭がおかしくなる訳ではない。記憶がなくなる訳ではない。それ自体にも(あわ)れみの気遣いを感じられる。


 異常の人が異常だと認められるということは、客観的に物事を見て判断できている……つまりは正常だということだ。


 本当に異常な人は自分を正常だと言い張るのではないだろうか。フォルティナはまさにそれを突き付けているのではないかとも感じられる。


 達也は何も言えず下を向き、寄り添うように店の外へと出る。


 達也は信じたかった。この場の現象は体調を崩しているだけの幻覚で、目が覚めれば自分の良く知る自室のベッドの上に戻っていると。

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