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Another 36.28  作者: 高田 勲武
7.ユグドラシル
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選択

 達也は悩んでいだ。――その体温を吸収してしまうと錯覚してしまうコンクリートの上に腰を下ろして。


 目の前には視界を悪くする霧が立ち込めた海が広がる。


 ――集中管理都市ユグドラシル。


 そこは建屋が大樹状に積み重なり――その一つより外へ出て、すぐ下に位置する建物の屋根に座って外を眺める。霧が体に湿り気を与えるが、これは自然発生した酸性の濃いものではなく、ユグドラシルそのものの姿と、位置を明確にしないために自らが発生させたもの。そのため中性のものであって害はないとヴァルキリーから聞き、この場所を提供くれる。


 達也は一人、体を濡らしながら悩んでいた。


「隣、良いですか?」

 横から声がする。


 横目で確認すると、今話題の挙がったそのヴァルキリー。作り笑いを浮かべて覗き込む。――いつの間にか一人になれていなかったようだ。


 達也は黙って小さく頷き、正面を向き直す。ヴァルキリーはゆっくりと座る。


 ここはユグドラシルを大きな樹に例えるならば、大きく枝を伸ばした一番端にあたる。足場は座ったその屋根しかなく、上を見上げると邪魔するものは何もない広がる空が、下を見ると海が広がる。それは宙に浮いたと見違える程。


 少々恐怖も感じるが――絶景に思わず息が漏れる。達也を見ると……


 達也は思い悩んでいるといっても頭を抱え、沈み込んでいる訳ではなかった。ちゃんと真正面を見据え、聞こえて来る波の音と共にその白波に目を奪われているかのよう。


「私は……この世界に来て、ずっと一人ぼっち」

 ヴァルキリーは達也と同じ目線で海を見つめ、語り始めた。


「私も昔、特定要因マイノリティ・ファクターだったのです」

 達也は再び見る。


「私は元の世界――ファンタジック・ワールドにいた時は……一人の男性を愛した普通の女でした」

 ヴァルキリーは依然としてその笑みを含んだまま。


「でも、それは許される恋ではありませんでしたけど……」

 ヴァルキリーは言うと、乾いた笑いを業とらしく上げてその姿を確認する。


 目が合い、すぐに達也は顔を背ける。


「私はその男性を信じ、心中しました」

 咳払いをし、口調を説明調にして言うと正面の海へ視線を戻す。


「ちょうど、このような海の(そば)――その絶壁。そこから二人手を取って投身し……気が付いたら、私だけがこの世界に」

 達也はヴァルキリーが再度海の方を向いたのを察し、その表情を伺う。


「私はこの世界でも一人でした。周りの皆からは異なる人種として見られ、管理局からは執拗に追われる日々。私は時に我を見失い……無属性の魔力による暴走。自らの手で壊滅まで追い込んだ町は3つ」

 俯きながら言うと……またもや視線を送る。


 達也はそれから逃げるかのように目を外すが――今度はヴァルキリーが目を逸らさない。


「私は原点の欠片ピース・オブ・オリジンの存在を知り、管理局に差し出しました。そして、連れられたユグドラシル。ここで現実を知り、異次元の狭間で引っ掛かっている……恋をしていた男性と出会い……」

 ヴァルキリーは瞳を閉じる。


「助ケロ!ナ、何故……オ前ダケ……ダイタ……イ、オ前……ミタイ……ナ女……。オ、俺ハ……被害……者ダ!ナノニ……俺ダケ……苦シイ。助ケロ!」

 今でもその声と苦痛とひがみに歪む男の(みにく)い顔が浮かぶ。


 ヴァルキリーは理性を失い……


「私はその(みにく)さから剣を取り……気付けば、彼をこの手で殺していました」


 剣を床に落とし、放心するヴァルキリー。


「悲しみは何一つ、ありませんでした。そして、その時知った人間というものの(みにく)さ」

 ヴァルキリーは見開く。


 達也は自分の正面を見据えたまま。


「身を持って、人には管理が必要であることを知りました。だから私の場合は選ぶまでもなく、この世界に留まり……管理局の人間、ヴァルキリーとなって延命処置を受けました」


 それは遠い昔の話。今では管理局でもごく一部の者しか知らない。


 達也はそこまでヴァルキリーの話を聞くと、その行動に気付かせないとでもいう意思が働いているのか、こっそりと振り向き、


「どうして、そんな話を俺に……?」

 ようやく口を開く。


「管理局がファンタジック・ワールドに関連する者を自らの手で始末させるのは、それにより生まれる罪悪感で縛り付け、吹聴(ふいちょう)――及び、反逆の意志を削ぐため」

 しかし、ヴァルキリーはその答えとは思えないことを口走る。


「このような私でさえ、少なからず……意識をせずとも、そうであると認めざるを得ません」

 ヴァルキリーは早口で言うと、達也の肩に手を掛け、顔を近付ける。


「タツヤ。私は……私はそんなことに囚われずに……」

 そこまで言いかけて、ぎゅっと唇を噛み締める。


 その後、手を放すと、達也から顔を背ける。


「いや……」

 ぽつりと否定の言葉も口に含む。


「タツヤ、貴方が選択するにあたり、参考になればと……」

 ヴァルキリーはやっと達也が問い掛けた一言の答えを言った。


 ヴァルキリーは自分と同じと言った。確かにファンタジック・ワールドから、この世界に迷い込んだ――狭間に人一人取り残してしまっていることからも、共通点は多い。


 感情的にもなるのだろう。


 ヴァルキリーにも自覚があるのかもしれない。この感情に戸惑いを隠せず……歯痒(はがゆ)ささえ(にじ)み出しながら立ち上がると、達也を残してこの場を後にする。


 入口――正確に言えば、ここは外なのだから建屋の出口となる。その出口を塞ぐようにフォルティナが立ちはだかっていた。ヴァルキリーはその脇、体を少し屈めて通り過ぎ……ちょうど背後辺りで足を止める。


「これが最後のチャンスです」

 ヴァルキリーは耳元で呟く。フォルティナは目線だけを向ける。


「タツヤを呼び止めるなら、多少強引でも構いませんよ」


 フォルティナは態々(わざわざ)言われるまでもないと鼻を鳴らす。


 ここで達也を呼び止めるのは自分の役目。それは他の二人――シュウマとマリアからも後押しされているのだから。


 ヴァルキリーは一つ含み笑いをし、姿を消す。


 フォルティナは意気揚々(いきようよう)と達也のところまで歩み寄ると、無造作にその隣へと腰を下ろす。


 達也は起こる風が運ぶ香り――一瞬振り返る。


 フォルティナは正面の海を見ていた。少し風が強くなって来たのか、(なび)く髪を掻き上げながら。


 これが達也の眺める風景。


「私が前に、タツヤへ夢を語ったことがあっただろ?」

 フォルティナは一度もその対象となった達也を見ることなく、語り始めた。


「あ、ああ」

 達也も前へ向き直し、戸惑いながらも肯定する。


 ――それは魔導の村クレストでの出来事。突然、夜に呼び出されるだけ呼び出され、挙句の果てには……


「あの時は冗談だと言っていたが……」

 そう言っていた。


 あの時はいったい何が言いたいのかわからなかったが――今にして思えば、それは一種の照れ隠しだったのかもしれない。


「その……冗談と言うのは……嘘なんだ」

 だから、後に続くフォルティナのこの言葉は予想できた。


原点の欠片ピース・オブ・オリジンを手にすることによって、まずはお膳立(ぜんだて)てができた。後はその相手……」

 そこまで言うと恥ずかしくなったのか膝を立ててそこに顔を埋め、そうしながらもここに来て初めてその影より様子を伺うという形で向けられる熱い眼差し。


 いつの間にか、その姿に見惚れていた。


「ここに残ってくれないか?」

 フォルティナは消えそうな声で言った。


 達也は居た(たま)れなくなり、慌てて外を向く。――勝手に早くなる心臓。紅潮し、顔の回りが熱くなっていくのもわかる。


「代わりになる者など……いないんだ」

 その態度で、何故か言い易くなったような気がする。フォルティナは顔を上げ、達也に寄りすがるように体を寄せて言う。


 ――違う。そうではない。この形容し難い胸の内のもやもや。


 これは不安。照れなどというものが消え去り……


「タツヤでないと、駄目なんだ!」

 これは心の叫び。


 一見すると、フォルティナが抱き付いているかのような二人の姿勢。その目と鼻の先で見つめる達也の表情は――決して自分に目を合わそうとせず、口は閉じられたまま。唇も力が入っているのか、小刻みに震えている。


「俺は人を……シュウジを殺すなんてことは……できない」

 しばらく続いた沈黙の後、達也はぽつりと言った。


 フォルティナは歯軋(はぎし)りをする。


「そんな他の世界の人間など、どうでも……」

 フォルティナは達也に噛み付きかねない勢いで言いかけたが……途中、口を一文字に閉じ、その言葉を止める。そして、気まずそうに顔を逸らした。


 それは、言ってはならないこと。達也も同じなのだから。前に関係ないと言っておきながら……フォルティナはその続きを口が裂けても言えない。――閉じらた唇も歪んでいく。


 フォルティナはいきなり達也を押し倒した。


 ここは上空へと建屋が積み重なるユグドラシル。その外で、しかも端で足を投げ出しているのだから――一瞬、突き落されるのかと胸がすくむのも当然だろう。


 達也はこんな時であったが、自己防衛のために動悸(どうき)を別の理由で早くさせる自分へ言い訳する。――いくら乱暴だと言っても、そんなことをする訳もなく……


 倒れたのは屋根の上。コンクリートに接することにより背中へ伝わる冷たさ。フォルティナは仰向けに倒れるその上へとまたがった。


「私から離れることができないようにしてやる」

 フォルティナは言うと、自分の服――胸元辺りを掴み、力を入れてそこを引っ張る。


 生地が音を立てて引き裂かれ、その胸元が(はだ)ける。その後、達也へ(おお)い被さり……


「これで私を一人、置いていくなどという馬鹿な考えも……」

 耳元で(ささや)く。


 すり寄せて来る体。達也も上半身裸のため、柔らかい人肌の感触は直に伝わり……フォルティナはその首筋へ舌を添わせる。背筋から走り抜ける震え……


 頭が沸騰しそうだ。


 達也は不意にその肩へと両手を掛ける。


 抵抗し、引き離そうとでもいうのか。フォルティナはしがみ付き、離れまいと全身に力を込める。


「離れない!離れてたまるか!」

 フォルティナは叫び声を上げる。そう言った後顔を上げ、再び達也に近付ける。


「お前は私と一緒にいれば良いんだ!私と一緒に……いつまでも!」

 フォルティナは達也を強く見つめ――眼力は外すことすら許さない。美しく整った顔は歪み、瞳には涙が浮かんでいるのもわかる。


 達也の手が動く。


 フォルティナは達也の肩口へと顔を埋め、再び体を硬直させるが――その手は思わぬ方向へと向かった。


 手が向かった先は自分の背中。それも少々震えているが、ぐっと抱き寄せてくれているのも感じられた。フォルティナは穏やかな表情となり、目をそっと閉じる。


 触れ合う頬。達也の顔に掛かる金髪。


「そうだな」

 達也は呟いた。


 心が折れそうだ。


 本当にこのまま、フォルティナと一緒にいられたなら――心底そう思った。それができれば、どんなにか幸せ……


「本当に、ずっとこのままでいることができれば……」

 達也の口からも、つい漏れてしまう言葉。


「だったら何故、すぐにそう言わない?」

 フォルティナは瞳を開く。


「何故ここに残ると、はっきりと言ってくれないんだ?」


 達也の心は(きし)み、表情を暗くする。


「シュウジを犠牲にできないよ」

 達也は言い難そうに言った。


「人を犠牲にして成り立つ幸せなんて――ない。ずっと一緒にいても、俺は後悔し……本当には笑えない」


 フォルティナの肩が震える。――頬を伝うもの。


 人の体から出るものなのだから、体温に近い温度だと思っていたが……達也の頬には、それがとても冷たく感じた。


「私は……私は……」

 声は既に涙声。そして、そこから先は声にすらならない。


 達也が言う通り人の犠牲の上では幸せになれないのであれば、シュウジを選択した場合、フォルティナはどうなるというのか。――それこそ彼女の心を犠牲することとなる。


 それでも幸せになることはできない。涙で頬を濡らす人を一人作ってしまう。


 実はもう一つの選択肢も存在する。


 それは反旗をひるがえすこと。元々管理局が出した二択なのだ。従わず、反抗すれば良い。


 ――しかし、その選択の場合、よしんば管理局を潰すようなことができても……想像でき得る結果はこの世に残る達也と、あの亜空間で取り残されるシュウジ。――シュウジを助けることができるのは管理局だけなのだ。


 逆らい、自由を手に入れたとしても、実はこの世界に残ると選択することと同じ。


 ――だから、達也は悩んでいたのだ。


 達也は背中に回していた手を放し、上半身を起こす。抵抗する力を失い、それを(あらが)うこともできず――その行動を許してしまう。


 胸に顔を埋め、体を引きつらせるフォルティナ。引き離すと目を真っ赤にし、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が(あらわ)になる。


「帰って来る」

 達也は支えるその手に力を入れ、覗き込むようにして言った。


 想像していなかった言葉に、フォルティナは涙声ながらも聞き返す。


「シュウジを助けたら、またここに……」

 達也は優しい笑顔を浮かべ、補足する。


 それが達也の決断。


 フォルティナは泣きじゃくった後遺症か、肩を上下に震わせながら、

「無責任なことを言うな」

 と、無造作に涙と鼻水を一拭きして吐き捨てる。


「タツヤがここに来ることができたバグは修正すると……」

 そう管理局の長が言っていた。しかし、それは……


「俺がここに来られたバグだけだろ?」


 何もバグは一つだけと限らない。現に少数派とは言え、過去に似た体験をしているヴァルキリーだっている。


 達也はフォルティナに最後まで語らせることなく、即座に言葉を被せる。


「他にもあるかもしれない。いや、ある可能性の方が高い」

 達也はそれを声にして、フォルティナに言い聞かせる。


「そんな……ただでさえ、この世界に来られる可能性が少数派(マイノリティ)だと言われているのに……」


 運良くそのバグに引っ掛かったとしても、今のシュウジのように――今回とは逆の立場になることだって、あり得るのだ。


 フォルティナの反論は止まらない。


「大丈夫。一度、その低い確率を抜けて来ているんだ。次だって……自信はある」

 だが、達也はそれも素早く(かわ)す。


 その自信がどこから来るのか疑問は絶えないが、ここまで自信満々に言われると、言い返す言葉が見つからない。


「記憶だって、消されてしまうのだぞ?」

 フォルティナは俯いてしまう。


 この世界の存在さえ、認識することはできないだろう。そんな状態で戻れるとでも本気で言っているのだろうか。――駄目だ。また涙が出そうになって来た。


 達也は自分の顔を近付けると……


 達也は閉ざし、震えるフォルティナの唇に自分の唇を重ねた。そして、下を向く顔をそのままの状態で起こすと、もう一度、ぐっと抱き締める。


「俺だって……同じなんだ。俺だってフォルティナのこと……」


 右も左もわからぬ異世界の地。初めて出会い、親身に接し続けてくれた女性。ここを離れると言えば、その整った顔を乱し、(なり)振り構わず止めようとしてくれる女性――一緒に暮らそうとまで言ってくれる女性。


 いつからなのかなんて自覚もない。――しかし、これだけは言える。


 フォルティナは自分にとって、かけがえのない女性であるということを。


「記憶を消されたって、この気持ちまで消えることはない。消せやしない」

 達也はフォルティナから少し距離を置いて言った。


 この言葉に嘘偽りはない。――本気でそう思った。


 フォルティナは達也にすがり、声を上げて泣き出した。

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