バランカス-初めてのおつかい
朝。空を覆った雲は昨夜のものよりさらに厚くなり、薄暗い。何だか気分までも晴れないが、雨が降らないだけましなのだろう。
しかし、それも時間の問題。肌に纏わりつく湿気とも言える湿度がそう語る。
達也達は宿屋の一階、それも外と出入り口となるドアの前にいた。開けっ放しにし、その枠の一部に体を預けて宿屋の中を見渡すように見つめるシュウマ。少し離れ、間が持たず、落ち着かない仕草で立つ達也。その二人から距離を置き、フォルティナは店員らしき人物と何やら話をしている。そして、マリアはフォルティナに寄り添うように立つ。
「昨夜、何をしていたんだ?」
シュウマは不意に達也へ問い掛ける。
目線は……故意かどうかは不明だが明らかに合っていない。――が、間違いなく語り掛けている対象は達也。
シュウマの声が達也にしか届いていないという事実からも、それは明白である。
「い、いや別に……」
達也はまともに答えることができない。――泳ぐ視線の先にはマリアの姿。
普段の声の大きさでも当のマリアまで声が届かないとは思われるが、それでも監視役とまでされた達也の口から昨晩の本当のことを、どうしてもこの場で口にすることができなかった。
その後の達也の沈黙。
「こそこそと、何をしようとも俺は構わないが……」
シュウマは達也からまともな答えをもらうことを諦めて溜め息と共にそう言うと、視線が達也を避ける。
「人は自分の欠点……そのようなマイナス要素で繋がり、絆を強くする」
そして、そのままシュウマは言葉を続ける。――何かを見抜いたのか。
「だが、それは寂しく、虚しく……そして、その結びつきこそ虚ろなもの……」
人は他人の欠点――あら探しを好む。
人の不幸は蜜の味とも言う程に。だからこそ後ろめたい……負の感情により繋がった人の、それは強くなる。
「そんな儚いもので絆を強くするのは……やめておけ」
達也はここまでのシュウマの言葉を聞き、これ見よがしに顔を背け、俯く。シュウマは再度、一息をつく。
「これだけは言っておく」
シュウマはその達也を追い掛けるように、その顔を覗き込む。
フォルティナとマリアが店員との話を終え、こちらへと歩み寄って来る。
店員と密に話す内容は紛れもなく宿屋との……この宿泊の代金交渉に他ならない。その話が終わり、こちらへ歩み寄るということは――支払いも済んでいるのだろう。
「子供のことを気にかけない親はいない」
シュウマはそう吐き捨てると背を向け、宿屋から外へと出てしまう。その言葉だけを聞いたフォルティナとマリアは、ただ首を傾げるばかり。
達也とフォルティナとの距離が縮まっている。それは朝、疲れを癒すその眠りから目覚めて一階へと降りる時から誰もが気付いていること。
二人が醸し出す雰囲気。一晩で見違える程に……マリアでさえ感付く。――シュウマには思い当たる節もある。
それに気が付くのは簡単なことであった。
「シュウマの親は、シュウマ自身を庇って死んだんだ」
突然、フォルティナは告げ口をするように達也の耳元で耳打ちをする。
シュウマはフォルティナ程の貴族の出という訳ではない。
だが、それなりの生活……幼少時代、娯楽であるゲームができる程の……所謂、一般家庭であった。それがトレジャーハンターへその身を落とすこととなった詳しい経緯はわからなかったが……
フォルティナが言うには、今よりこの世界でいう十年という歳月……その十年前、モンスターの襲来により一つの町が壊滅したらしい。
「それまではシュウマ自身も、自分の親を愛情の一つもない、ただ世間体だけを気にする奴と罵っていたんだが……」
フォルティナは横目でシュウマを見つめながら、小声でさらに達也へ告げる。
モンスターの襲来時、自分の親がそんな人間であると疑いもしなかったのだが……当時のシュウマを生かすため、その贄となる。
自らの体を犠牲にすることにより、ようやくその者の想いが伝わるなど……皮肉以外、何ものでもない。――シュウマが力に拘り、トレジャーハンターになったのも、そのためなのかもしれない。
「人間、変われば変わるものだ」
フォルティナはマリアが傍まで歩み寄って来たのを察し、話をここで止める。
達也はシュウマにも同じ匂いを感じた。
もしかしたらシュウマも同様に感じているのかもしれない。だから、妙に絡んで来るのかもしれない。――自分と同じ過ちを達也に歩ませないために。
達也は感慨深く外を向き、一人俯くシュウマを見つめる。
「何をぼさっとしている!」
シュウマの次に宿屋から出たフォルティナが達也へ振り向きながら声を上げる。
その声で達也は我に返る。
「さっさと行くわよ」
その声に便乗し、外へ歩み出るマリアも追い打ちをかけるように言った。
達也は慌てて追い掛ける。それを見てか、見ないでか――微妙なタイミングであったが、マリアが足を早め、行く先はシュウマの脇。
突然のことに、シュウマの顔が引きつる。
「女ったらしが台無しだな」
フォルティナが仕返しとばかりに嫌味を言った。それはまるで達也の心情を守るかのようで……
顔を上げて眉を顰めながらシュウマの顔を覗き込むマリア。
「な、何を……!」
シュウジは慌てふためき、弁解しようとするが……
「女好きという態度をしておきながら、女の扱いには疎いのだな」
と、フォルティナは悪戯に満ちた笑みを浮かべて、さらに追い打ちを掛ける。
シュウマはそこから何も言えなくなる。
それは一種の自己防衛なのかもしれない。女好き……そう演技することで嫌われ、自分を他人へ悟られないようにするため。――そのための心の殻。
「私がいれば、十分でしょ?」
マリアはそう言って、さらに体をすり寄せて執拗に同意を求める。
シュウマの顔は……耳の先まで紅潮している。達也はその姿が自分と相違ないことに親近感さえ覚え、思わず吹き出してしまった。
「お金がないんだ」
宿屋から出てフォルティナの横へ並んだ時、待っていましたとばかりに再び達也の耳元で囁かれる。
「は?」
あまりの話題の変化に、思わず声が漏れる。
それは酷だったのかもしれないが……フォルティナは表情を曇らせ、小声で言った意味がないとばかりに肘で達也の脇を突くという行動で責めてしまう。そして、
「換金に行ってくれ」
と、そのフォルティナに言われ、押し付けられた布製の袋一つ。
「一体、何だって……」
達也は少々口を尖らせ、もごもごと言いながらも受け取った袋の口を開いてみるが……
達也は無造作に袋の口を鷲掴みするように閉じると、挙動不審に辺りを見回す。――と、言ってもその実、確認したいのは一点だけ。
少し離れた所でシュウマに寄りすがり、笑みと共に何かを話し掛けているマリア。
「どうしたの?何か考え事?」
声は聞こえないが、そう言っているように見受けられる。
達也はひとまず、ほっと胸を撫で下ろしてから、睨み付けるかのように改めてフォルティナを見る。
「これって……!」
達也の声は小声となるが、その力は強い。
袋の中に存在したもの……それは昨夜、フォルティナの指示で盗み出したもの。――一部そうではなく、達也の独断で持ち出したものもあるが。
昨夜、宿屋の屋根の上で二人語った後……最後は日も上がり掛けていたので、語り明かしたという方が正解だろう。
とにかくその後、盗み出した物品は全てフォルティナへ渡していた。いつの間に袋詰めしたのかという疑問もあるが……達也はまるで、自分のところへ帰って来たとさえ感じてしまう。
「私が換金してくれと言っているんだ」
フォルティナは「私」を強調する。
「別に問題ないだろ?」
確かにその物達はフォルティナ自身の、言うなれば私物。その本人が良いと言っているのだから、何をしようと問題ないと言えば問題ないのかもしれない。
「何をこそこそとしているの?」
さすがのマリアも気が付いたようだ。フォルティナと達也が、何か良からぬことを企んでいると。
「企む」と言えば語弊がある。
しかも二人でとなれば、なおのこと。達也は素早く手に持つ袋を背中に隠し、苦笑いを返す。――これではその袋の中に後ろめたいものが入っていると言っているようなものだ。
フォルティナは呆れて頭を抱える。
「いや、何でもない」
と、気を取り直してフォルティナは平然と言うと、袋ごと達也の手を持ち、それをマリアの眼下へ晒す。
「お金がないから、どうしようと相談を持ち掛けたのだが……」
フォルティナはそう言って上機嫌な表情を達也に見せる。
「さすがにタツヤも常識がついたらしく、自分のいらなくなった持ちものをお金に替えたいと言い出してね」
何とも嘘が上手い。
一点の曇りなきフォルティナ笑顔。――事実を知っている達也でも騙されそうだ。
「ふーん。なるほどね」
答えるマリアも普通。
「だったら、この路地の先に換金所があるから行って来れば?」
さらには自らの足元から先へと続く、ある路地を指差す。
どうやらマリアも違和感を覚えていないようだ。達也の不自然な態度を、らしくない行為に対する照れなのだと捉えているかのようで、微笑ましいといった瞳で見つめていることからも推測できる。
「あ、ああ。い、行って来るよ」
高鳴る胸を隠しながら、達也は指差された方向へと足早に去っていく。
フォルティナは不意に……誰にも気付かれず、口元だけを歪ませた。
「確かに、ゆっくりする時間はないけれど、そこまで急がなくても……」
その後姿を見送りながらマリアは呟く。
さて、居た堪れなくなって一人駆け出してしまった達也。
教わった路地へ入ったものの、この世界に来て初めての単独行動。――どう探せば良いのか。足取りは急に重くなり、徒歩となる。
達也は後を振り返った。
マリア、フォルティナ、シュウマの三人の姿はもう随分と小さい。今更そこまで舞い戻り、
「一人では不安だから、付いて来てくれ」
とでも言うのか。
そんなことは口が裂けても言える筈がなかった。それよりも一緒に行動すると……マリアに感付かれることの方が恐ろしい。
達也はこの世界の文字が読めない。建屋の入口や立て掛けの看板など……所々に書かれた規則正しい線がそうではないかと認識できるだけ。
ならばいっそ、周りの人々に聞いてみてはどうだろうか。
幸い言葉は通じている。良く考えると不思議というか、奇跡というか――自然過ぎてあまり意識していなかったが。
自分の周りを見ると……多人数という訳ではなかったが人はいる。遠巻き、ちょっと変わった者だと見られていそうだが……
声を掛けられそうなのは四、五人。
「あ、あの……」
その中の物腰も穏やかで声のかけ易そうな男を選び、話し掛けてみた。――が、慌てて口を閉じる。
もし、また曖昧に言われたら……いや、普通ならば自分が道を聞かれた時にもするように目印を教え、そこを起点としての道順を教えてくれるだろう。しかし、それを理解できるとは到底思えないし、わからぬままに別の人に聞いている姿を見られたりすれば、間違いなくその男も良い気分はしないだろう。
もしかしたら換金所がすぐ傍で、変人扱いされるかもしれない。――相手のことを気にしている場合ではない。だが、「言葉は通じる」という特殊な環境下、どうしても変な見栄が邪魔をする。
声をかけられたものの後が続かない達也に対し、結局は邪見な目をしてその男が去っていく。
達也は立ち尽くした。――万策は尽きた。随分と早いが、その言葉しか当てはまらなかった。
こういう時には何かと周りの声……雑音が良く耳に入る。――それを無心で聞いていると、さすがに商業都市と呼ばれるだけのことがあると単純に感心する程騒がしい。
あることに気が付き、達也はすくっと項垂れていた頭を起こした。
民衆の声……斑もあれば質も違う。特定の場所に集まり、互いに声を張り上げている。
例えばすぐ横の建屋。看板らしきものが何一つなく、その傍には婦人二人だけ。察するに、主婦達の世間話。――そこは民家である。
観察し、消去法で特定していけば換金所がわかるのではなかろうか。
達也は再び歩き出す。辺りを見渡し、建物の形や看板、そして人間観察をしながら。
今、この場で店と認識できるのは四つ。二つは建屋の入口で人が立ち、何かの売り込みをしているようだ。いくら何でも換金所で「売り込む」ものはないだろう。
この二つは消える。
残った二つの内の一つ。そこは人溜まりが一番多く、一番騒がしい。達也が近付こうとするが、人並みで弾かれてしまう。
良く見ると、そこから出たと思われる人々の中には手に袋を持っている者がいる。――自分の姿と相違ない。
求めているのはものをお金に換金……つまりは逆。見上げると泊まった宿屋ぐらいの大きさ……ここは一種の百貨店であるようだ。
最後の一つ。周りには人がいない。
対称的に殺風景とも言える程の景色であり、看板が店であることを知らしめているだけ。――達也はそこへ恐る恐る入ってみる。
カウンター越しに二、三人の人間が立ち、その中の一人は眼鏡を掛けた性別さえよくわからない高齢の老人。対面で男が一人、自らの懐に何かを納めていた。
「これで当分の生活が工面できる」
確かにその男はそう呟いた。
間違いない。
達也に自信はあったが、それでもカウンターへ向かう足は震え、見栄えのしないこの部屋を確認するかのように何度も見渡す。
「いらっしゃい」
老人はただそう言った。声から性別は男であることがわかる。
「換金……したいんだ」
達也は勇気を振り絞って言った。老人はじっと見つめ、ゆっくりと口を開く。
「物は?」
達也の一握りの不安は消し去る。嬉々として手に持つ袋の中にあるものを取り出し、カウンターへと置く。
袋の中に入っていたのは木製の箱二つ。その中の一つ……宝石箱の蓋を開ける。
「んー」
老人は眼鏡を掛け直し、声を上げながらカウンターに置かれた対象となるものを覗き込む。
「こ、これは……!」
老人は声を上げた。何やら信じられないものでも見たかのように驚愕し、後の言葉を失っているようだ。
老人の目に映るのは宝石箱の中身。夜、暗い月光で輝いた大きな宝石。
「ちょ、ちょっと待っておれ」
老人は明らかに取り乱し……そうなりながらも、しっかりとその宝石箱を持ってカウンターの奥へと駆け込んでしまう。
「あ、あのっ!」
達也は老人を呼び止めるが、既に姿は見当たらない。
持っていかれたのは宝石箱だけ。まだ、ぽつんともう一つ、同様に古びてはいるが木箱――オルゴールが残っている。
「これも鑑定して欲……」
達也はオルゴールに手を乗せ、言いかけるが……途中で消える。
自分の手を掴む者がいる。
達也はその者へ視線を向けた。四、五十歳ぐらいの中年と思われる女性……婦人が険しい顔で自分をじっと睨む。体系も崩れておらず背筋の良い。服装も高価そうで気品が感じられた。
肩程で整えられた金髪。
「これをどこで?」
表情を崩さぬまま、その婦人は達也へ話しかけて来る。
「えっと……どちら様で……?」
その問いに答えることができない達也は、恐る恐るそう切り返してみる。
「私が聞いているのです。まずは私の質問に答えなさい」
婦人の口調ははきはきとしており、どこか高圧的にも感じられる。達也は狼狽えながらも、
「え……っと……知人から、もらったんです」
と、とっさに答えた。
婦人に目を合わせることができない。
「嘘をおっしゃい」
婦人は一蹴し、同様に達也の手を払い除ける。
「これは私があの子が十歳の時に与えた誕生日プレゼント」
婦人は続けて言うと、その箱を達也に向けて開く。
中は底半分、段差が一つ設けており、段差の高い方に突き刺さる蝶ねじ。――夜、確認したものと何一つ変わっていない。
しかし達也が、この婦人が達也に見せたいのはそこではないらしい。婦人の指はその箱の蓋を指す。
「証拠に、ここに書いてありますわ」
そこには規則正しい線の羅列……文字と認識できるものが彫られている。文字が読めない達也は食い見るように覗き込みながら、単純に首を傾げることしかできない。
婦人の手が震えているのが目に入る。
「しらじらしい!」
彼女にしてみれば、達也が恍けているようにしか見えないのだろう。婦人はみるみると顔を真っ赤に紅潮していく。
「ここに書いてありますわ!『親愛なるフォルティナへ』と!」
それは達也へ掴み掛かる勢い。
達也は急に体を起こした。
気が付いたのだ。金髪に……怒りに歪んでいるが、整った顔立ち。
「これは『オルゴール』と言う骨董品で希少価値の高いものだから、あの子にと……」
婦人は一生懸命にこのものの説明をし始めるが、きょとんとした達也に言葉を止める。
「もしかして……フォルティナの……?」
話を全く聞いていないことはない。
達也の世界では……確かにこの造りは古いものだが、「オルゴール」というもの自体が骨董品ということではない。
この世界では自分の世界と一部かけ離れて進歩しているのかもしれない。――だが、そんなことよりも、その質問の方が重要だっただけ。
「母です」
婦人は落ち着きを取り戻すために一息大きく吐いて、そう告げる。
婦人……フォルティナの母親も気が付いた。
先程までの表情を一変させ、達也へにじり寄って来る。今度は急にどうしたというのだろう。ころころと顔色まで変え――カメレオンか何かの一種だろうか。
「貴方……今、フォルティナと?」
達也は後退りしながら頷く。
「フォルティナを……あの子を知っているの?」
フォルティナの母親は一度だけその名前を出した。
そう、たった一度だけ……それだけで、しかも呼び捨てで何の違和感もなく口にできるものだろうかと。
この様子だと、もう確信しているだろう。達也がフォルティナを知っているということぐらいは。――不用意に名前を出してしまったと後悔すら覚える。
「あの子はどこ?今、どこで何をしているの?」
何故ならこの質問に対しての答えを持っていないのだから。
「タツヤ!一体、何をしているんだ!」
達也が顔を曇らせて苦悩している時、この大声が飛んで来る。
「いったい換金一つで、どれだけ時間がかかっているんだ!」
声を荒げながら人ごみを分けて、この建屋へ入って来る者。慌てて達也も止めようと口を開き掛けるが……
「ゆっくりとする時間はないんだ!早く……」
この場に姿を現したのは話題のフォルティナ当人。
この状況……達也とその隣で責める人物を見て、言葉と体を凍り付かせる。
一瞬の静寂。本当に物音一つが消えた瞬間。実のところ、そんな瞬間はなかなかお目に掛かることはない。……本当にあるものなのだと素直に感心した程。
だが瞬間はあくまで瞬間。そんな時間は……
「やばっ」
脆いものだ。フォルティナが口走って逃げ出すということにより、簡単に壊されてしまう。
「フォルティナ!待ちなさい!」
母親は叫び声を上げ、急いで換金所の出入り口まで追い掛ける。
既にフォルティナの姿は遠く彼方。仕方がないと肩を落とし、渋々と中へと戻る。
「待たせたな」
達也は背後から突然肩を叩かれ、カウンター越しからあの老人に声をかけられる。
宝石箱の鑑定が済んだようだ。
振り返ると、目の前には小さな袋が置かれている。持ってみても軽く、また金属の擦れ合う音はしない。――紙幣かその類か。
「三百万ギードだ」
それはこの世界の通貨単位なのだろうが威張って言われても、達也にその価値は知りようもないこと。
口ぶりからは相場よりも高く買い取ったようだが。
「ん?それも売るのか?」
老人は商魂とも言うべきか、カウンターに置かれたもう一つの木箱―――オルゴールに気が付き、その老いた瞳を輝かせる。
「いや、止めておくよ」
達也は少し笑い、そう言うとその蓋を閉じて自分の持つ袋へ……所謂、元鞘とでもいうべきか。別に文句が付いたからという訳ではないが……とてもそれを売り払う気分にはなれなかったのだ。
達也はオルゴールの入った袋とカウンターに置かれた小袋を持つと、出口へ向けて歩き出す。
「タツヤ……さん……でしたね」
今日は赤の他人に良く声を掛けられるものだと、達也は足を止める。
呼び止めたのはフォルティナの母親。急に元気をなくし、落ち込む様が手に取るようにわかる。勢いがないためか達也も身の危険は感じず……ゆっくりと頷く。
「あの子から私のことをどう聞いているか、わからないけど……」
母親は伏せ目気味で言うと、気を取り直したかのように何かを振い立たせ、達也を見つめ直す。
「御家柄として、あの子には厳しい躾をして来ましたが……」
それはあの夜、フォルティナの口からも直接聞いていた。それが人生のレールを見せ、そのレールに嫌気が差したとも……
「でも、それはあの子の幸せを思ってのことです」
母親は再び達也へにじり寄る。
「今でも……あの子が家出した今でも、私は後悔していない。間違っていたとは思っていない」
それは親のエゴではないだろうか。――安っぽいテレビドラマにでも出てきそうな話である。
達也がそう感じているのを察してか、母親は再びその目を伏せる。
「それでも……いずれ知って欲しい。気が付いて欲しい」
それこそエゴ……だけど――母親は少し微笑を浮かべる。
「親が子に対して、そう願うのは……やはり重荷かしら」
そう言って、上げた瞳は涙で滲んでいる。そして、そこまで言うと徐に達也の腕を掴む。
「あの子をお願い」
達也は何も言えなくなった。自分の親も、もしかしたら同じことを考えているのだろうか。
思えばこの世界に来て、しばらく経つ。この母親の手からは、人の体温を感じることができる。
元の世界に帰る目途さえ見えて来ない。おそらく帰れないのだろう。――もうそれを確認することはできない。フォルティナは……その気になれば、いつでも帰る場所がある。
何だかもどかしくもあり、羨ましくもあった。
不意にフォルティナの母親の手が離れた。達也は依然として何も語らず、再び歩き始める。いや、言葉が見つからない。
換金所を出ると、何やら辺りが騒がしい。
頭を振り、己の気持ちを振い立たせると、ゆっくりと顔を上げる。――そこにはもう普段の達也。
「何をしている!タツヤ、逃げるぞ!」
大声を上げ、フォルティナが駆け寄って来る。
再び迎えに来てくれたのかと淡い期待も持ったのだが、その後に続くマリアとシュウマの姿。――そういう訳ではないようだ。
「くそっ!もう気付かれちまった!」
シュウマが後を確認しながら苦渋の声を上げる。その二人の後には……
「兵士だ!」
数十体にもなる兵士。それが戦隊を成して押し迫って来ていたのだ。そしてその中央にいるのは最近、良く出会っているあのヴァーモス。
「呆けるな!」
あまりに壮大な軍勢。
身が竦むのも当然のことだが、フォルティナにその言い訳は通用する訳もなく……腕を取り、ここまで来た勢いのままに走る。
達也も慌てて歩調を揃える。
「それは売らなかったのか?」
邪魔になったのか、フォルティナは達也の手の内にある大きな袋へ視線を落として不意に呟く。
「そんなことより、これって……?」
だが達也にとっては、それどころではない。何度も後へ振り返りながらも、その袋をフォルティナへ押し付ける。
準備もないまま駆け出したことにより、足元も覚束ない。
「お前が、こんな所で時間をかけているからだろ!」
フォルティナは乱暴に自分へ向けられたその袋を受け取ると不機嫌に切り返す。
そう言われると、それこそ身も蓋もない。
おそらく換金にもたついたせいで、この町の滞在期間が延び……結果、兵士達に見つかった。それに薄々は感付いていたのだから。
達也は未だ定まらない自分の足取りを見つめるように視線を下げる。
「あーっもうっ!いい加減にして!」
機嫌が悪いのは何もフォルティナだけではない。
シュウマの腕に自分の腕を絡ませたばかりに走る羽目になったマリア。言葉通り、うんざりしたとばかりに腕を振り払い……その行動だけを見ると、不満を当たり散らしているとも捉えられるが……
「私はルーン神殿の司教マリアです!」
マリアは立ち止まり、自分達を追い掛けるその軍勢に向けて叫んだ。
兵士はヴァーモスの合図で一斉に足並みそろえて止まる。フォルティナと達也……急に手を払われ、態勢を崩しているシュウマも軒並み足を止める。
今にも飲み込まれそうだ。
達也には一つだけ気掛かりがあった。先程までいた換金所……蟻がケーキに群がるかのように飲み込まれている。――大丈夫だろうか。
比喩した蟻により、その中を確認することができない。
「その司教に逆らうと言うのですか!」
ルーン神殿のみならず、数多く存在する神殿。その全ては管理局の管轄下でない。手が出せないことぐらいルーン神殿の時に、既にわかっていた筈――それを含んだマリアの苛立ち。
「司教は、あくまで神殿内にいる者に与えられた称号」
冷静な口調で口を開き始めたヴァーモス。
「代理まで立て、外界に出ている者に……」
そして、そう言いながらマリアへ数歩、歩み寄って、その瞳をぎらつかせる。
「司教を名乗る資格はない!」
ヴァーモスは力強い怒鳴り声を上げる。
比較的近くにいるシュウマにはわかる。マリアの額に青筋が走っていくのが。
「では、私に手を出すとでも?」
格段に小さくなったが、本当に女性のものかと思う程の低い声。
シュウマは生唾を飲み込んだ。
「貴様も同じ、反逆者だ!」
ヴァーモスは声を荒げると、手を振り上げた。
もう……マリアも含めてこの四人には原点の欠片しか自由と平穏な生活を手にすることが叶わないようだ。
兵士達が一斉に前進を再開させた。その足音は怒涛の如く踏み鳴らされる。
「もう少し離れた方が良いな」
フォルティナは身を引いて達也へ小声でそう告げると、再びその手を取る。
あの兵士の軍団が押し迫って来るというのに、何を言い出すのかと顔を覗き込むが……
「後悔するなよ」
そう凄む時には異変が……
足元に青白い光が輝く。幾何学的な線と、それにより描かれるのは七芒星。周りにはミミズが這うような文字が浮かび上がり――光はマリア自身を照らす程に強くなる。
「やばっ!」
シュウマも何かに気が付いたのか、形振り構わずフォルティナと達也の方へ走り出す。――今更、逃げ出しても間に合わないだろう。少なからずとも巻き込まれてしまう。
御愁傷様とその綺麗な瞳を閉じる。
「まずい!止まれ!」
ヴァーモスも気が付いて慌てて制止の命令を下すが、それこそ間に合わない。
マリアの背後に青白く輝く女性が現れる。
水着のような布の部分が極端に少ない服をその身にまとい、スタイルの良さに……こんな時でさえ、どうしても目を奪われてしまう。肌と思われるところも鮮やかな青で、所々白い文字と思われる曲線が艶やかに飾る。髪は白く、腰の辺りまで長い。顔は……
達也はようやく違和感を覚え始めた。
マリアの背後に現れた女性の体がどんどんと大きくなり、整い、美しかった顔が険しく……目が吊り上り、口が裂け、そこから見えるのは鮫を思わせるような牙。
凶暴性が増していくその女性はビル一つぐらいの大きさになると両手を広げる。
「精霊召喚『アクエリアス』」
ただそれだけを言ったマリアの言葉が合図となった。
その女性は前へ倒れ込みながら前進……触れるもの全てを抉り、降り掛かる様はまるで氷の津波が襲い掛かるかのよう。
出来事としては一瞬であった。
巨大化した女性は遠く彼方まで突き進み、後は姿を消している。隊列を組んだ兵士団諸共。ヴァーモスの姿も見えない。
「いててて」
シュウマは声を上げながら、ゆっくりと体を起こす。
途中で地面に伏せ、被害を最小限に抑えたのだろう。背中が真っ白となり、何やら湯気のようなものさえ出ている。
「いきなり精霊を召喚するなんて……」
シュウマは地面に尻を落とし、ぼやくように呟く。
「ご、ごめんなさい。つい……」
マリアは慌ててシュウマの手を取り、立ち上がらせる。――性格も含め、光り輝いた青白い光も消えて元通りである。
達也はこの時になってあの女性が、彼女により造り出されたものであることを知る。
「お前達まで、こんな所で時間を掛けるなよ」
フォルティナはその二人に対して言い放つ。
「これでヴァーモスを倒したとは思えん。先を急ぐぞ」
冷静なのはフォルティナだけなのかもしれない。達也は手を取られたまま歩み出すことを強要され、後を追い掛けるシュウマ。さらに背後で謝りながらすがるマリア。
達也は振り向く。
この世界で初めて一人で行動をした場所――マリアの攻撃の爪痕残る換金所。そこにふらふらと外に出て来る一人の人影が見える。――フォルティナの母親である。
彼女は声の一つも出すことなく、こちらを見送っていた。




