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出会いと始まり

 神は祝福を授ける。

 それは神に祈りを捧げる子供に与えられる力だ。


 人々はそれを奇跡と呼んだが、身に余る力によって多くが自らの身を滅ぼす結果となった。


 だから祝福は、希望であると同時に、恐怖でもあった。


 人は祈る。

 だが、神に近づきすぎないよう、無意識に一線を引いている。


 ――ルカは、そう教えられて育った。


 教会の裏庭で、ルカは黙々と木を削っていた。

 掌に収まるほどの小さな十字架を時間があれば作っていた。


 孤児としてこの教会に引き取られてから、十年以上が過ぎた。


 ルカには神聖魔法の才能がある。


 神父の計らいで魔法を学びに貴族の所へ行かせてもらえていた。


 しかし、今の環境では才能を開花させることはできないだろう。


 ルカ自身も、そのことを受け入れているが、魔法を学びたいという願いは強くなってきている。

 

 首元の十字架が少し熱を帯びている。

 いつも身につけているものだ。ただの木製で、特別な装飾もない。


 それでも、身につけていると落ち着いた。


 ある日、魔法学園への入学通知が届いた。


 才能を競う場所。

 力を示し、序列を刻む場所。


 自分は、そこに立つ人間なのだろうか。


 迷いながらも、神父の言葉に背中を押され、最低限の荷物をまとめた。


 その朝、教会の前に止まった馬車を見て、ルカは思わず足を止めた。


 白を基調にした車体。雷を思わせる紋様。

 周囲の空気が、微かに張りつめている。


 扉が開き、ひとりの少女が降りてきた。


 年上だと、一目で分かった。

 姿勢は自然体で、歩き方も気まま。それでも、視線を引き寄せる何かがある。


 近くにいるだけで、空気が細かく弾ける。雷だ、と直感した。


「君がルカか」


 淡々とした声。

 確認するような視線が向けられる。


「迎えに来た。」


 そう言って、彼女は距離を詰める。

 近い。だが、馴れ馴れしいわけではない。


「……レイン」


 名乗る前に、彼女は言った。


「レイン・ヴァルクレア。雷の名家だ」


 名家。

 その言葉が持つ重みを、ルカは知っている。


 貴族。才能。家系。

 どれも、自分とは遠い世界のものだ。


 だがレインは、そうした隔たりを気にする様子もなく、ルカを見下ろした。


「固くなる必要はない。私は観察しに来ただけだ」


「……観察、ですか」


「そう。君は少し、珍しい」


 評価とも興味ともつかない声音だった。


 馬車が動き出す。

 学園へ向かう道のりで、レインは窓の外を眺めながら、ふと思い出したように言った。


「私は卒業資格は、もう持ってる」


「え……?」


「気分で在籍してるだけだ」


 一拍置いて、視線がルカに向く。


「だが、君がいるなら、もう少し残ってもいい」


 理由は語られない。

 だが、その言葉は奇妙な重みを持っていた。


 その瞬間、身につけていた十字架が塵となって消えてしまった。


 空気が、揺れた。


 羽が一枚、どこからともなく舞い落ちる。


「……今のはなんだ」


 レインが問う。


「よくわからないけど、たまにあるんです」


 レインはそれ以上追及しなかった。

 ただ、興味深そうにルカを見つめる。


 雷名家の屋敷は、想像していたよりも静かだった。

 広い敷地に、整いすぎるほど整った建物。使用人たちはレインに深く頭を下げ、ルカにも過剰なほど丁寧な態度を向けてくる。


 場違いだ、という感覚だけが、強くなる。


「今日はここに泊まっていけ」


 それだけ言って、レインは歩き出した。

 理由も説明もない。だが拒否の余地も感じられなかった。


 夕食は、静かだった。

 豪奢な料理が並ぶが、味を語る余裕はない。


「学園は、面倒な場所だ」


 食事の途中、レインがぽつりと言う。


「才能を測って、比べて、順位をつける。好きな者もいるが……私は好かない」


「……でも、在籍してるんですよね」


「暇つぶしだ」


 即答だった。


「君は他の奴らとは少し違う」


 再び向けられる視線。

 ルカは、どう答えればいいかわからず、曖昧に首を傾げた。


「君は、たぶん学園向きじゃない」


 一瞬、胸が冷えた。


「でも、だから面白い」


 その言葉に、評価とも否定ともつかない余韻が残った。


 夜。

 与えられた客室で、ルカはひとり祈りを捧げていた。

 

 祈りを終え、ルカが立ち上がろうとした時だった。


 控えめなノック音が、部屋に響く。


「……入るぞ」


 返事を待たず、扉が開いた。

 立っていたのはレインだった。昼間と変わらない様子で、しかし視線だけが、静かにルカを捉えている。


「邪魔だったか」


「いえ……」


 短いやり取りのあと、レインは部屋の中を一瞥し、窓際まで歩く。


「明日から学園だ」


 それだけを告げるように言ってから、振り返った。


「入学初日は、騒がしい。人も多いし、無駄に絡んでくる者もいる」


 淡々とした口調だが、言葉の選び方だけが、妙に具体的だった。


「だから――明日は、私から離れないように」


「……え?」


「これは、先輩命令だ」


 一拍置いて、少しだけ視線が鋭くなる。


「君は、きっと狙われるだろうから」


 その言葉には、奇妙な安心感があった。


「わかりました」


 そう答えると、レインは満足したのか、それ以上何も言わず扉へ向かう。


 出ていく直前、足を止めて振り返った。


「制服は、白だな」


「はい。神聖魔法科なので」


「似合うだろう」


 それだけ言って、今度こそ部屋を出ていった。


 残されたルカは、胸元に手を当てる。

 修道服の内側にある、木の十字架に触れた。


 離したくない。

 だが、ずっとは持っていられない。


 それでも――今は、ここにある。


 夜は、思ったよりも静かに過ぎた。

 屋敷は広いが、音がない。足音すら吸い込まれるようで、風の気配さえ整えられているようだった。


 慣れない天蓋付きの寝台で、ルカは浅い眠りを繰り返す。

 夢は見なかった。ただ、胸の奥に、小さなざわめきだけが残っている。


 それが何なのか、考えようとすると、指先が無意識に首元へ伸びた。

 木の十字架は、まだそこにあった。


 ――朝。


 扉を叩く音で目が覚めた。


「起きているか」


 昨日と同じ声。

 レインだった。


「今行きます」


 身支度を整え、扉を開けると、すでに廊下に立っていた。

 学園の制服姿だ。黒を基調に、雷名家の紋章が控えめにあしらわれている。


 立っているだけで、周囲の空気がわずかに張りつめる。

 雷属性の魔力が、彼女の周囲で静かに脈打っていた。


「それが学園の制服ですか」


「そうだ。君のも用意してある」


 言って、使用人に目配せする。

 差し出された制服は、白の修道服だった。神聖魔法科のものだ。


 着替えを終えたルカを見て、レインは一度だけ視線を走らせる。


「問題ないな」


 それが評価のすべてだった。


 朝食は短かった。

 会話もほとんどない。ただ、出発の時間だけが淡々と告げられる。


 屋敷を出ると、昨日と同じ馬車が待っていた。

 乗り込むと同時に、空気が変わる。


 外には、同じ方向へ向かう馬車がいくつも連なっていた。

 貴族の家紋。魔力の気配。互いを測るような、張りつめた視線。


「……やっぱり、目立ちますね」


 思わず漏れた言葉に、レインは窓の外を見たまま答える。


「気にするな」


「でも――」


「気にする必要があるのは、私が離れた時だけだ」


 さらりと言い切られ、ルカは言葉を失った。


 反論する余地も、意味もないと理解させる声音だった。


 やがて、学園が見えてくる。

 高い塔。広い校門。結界の膜が、淡く光っている。


 才能を測り、序列を刻む場所。


 馬車が止まり、扉が開く。


「来い」


 レインは迷いなく歩き出した。

 ルカは一瞬だけ足を止め――胸元の十字架に触れてから、その背中を追う。


 校門をくぐった瞬間、無数の視線が突き刺さった。

 囁き声。探るような魔力。


「……やっぱり、目立ちます」


 小さく言うと、レインは肩越しに振り返った。


「だから言っただろう」


 ほんの少しだけ、口角が上がる。


「今日は、私の隣だ」


 その言葉とともに、入学初日は始まった。


 入学式は、学園中央の大講堂で行われた。


 天井は高く、円形のホールを取り囲むように座席が並んでいる。壁面には歴代の優秀な魔導士の名が刻まれ、淡い魔法陣が常に脈打っていた。


 新入生たちは学科ごとに整列させられ、壇上に立つ学園長の姿を見上げる。


「――魔法学園へようこそ」


 低く、よく通る声。


「ここは、才能を伸ばす場所であると同時に、才能の差を突きつけられる場所でもある」


 ざわめきが広がる。


「本学園では、入学直後に魔力ランク判定を行う。

 それは優劣を決めるためではない。適切な環境を与えるためだ」


 その言葉に、安心する者と、逆に緊張を深める者が混じる。


 ルカは、胸元の十字架にそっと触れた。


 ――祝福は、力を与える代わりに、何かを奪う。


 自分の魔力が、どのように測られるのか。

 不安が、喉の奥に溜まる。


  生徒たちは学園中央棟へと誘導された。


 広間の中央に、巨大な水晶の壁が設置されている。

 透明でありながら、内部には淡い光が満ち、近づくだけで肌が粟立った。


「順番に、手を当てろ」


 教官の指示に従い、生徒たちが前へ出る。

 水晶に触れるたび、表面に属性紋様が浮かび上がり、強さに応じて光が変化していく。


 炎、風、水、雷――。

 鮮烈な色彩が次々と刻まれていった。


「次。ルカ」


 名前だけで呼ばれる。

 姓のないことが、ここではまだ珍しかった。


 ルカは一歩前に出て、水晶の壁に手を当てた。


 ――瞬間。


 光が、柔らかく広がった。

 白を基調に、金色を帯びた紋様が水晶一面に描かれていく。


 複雑で、整っていて、どこか祈りに似た形。


 ざわり、と周囲が静まった。


「……神聖」


 誰かが小さく呟く。


 派手さはない。

 だが、目を離せないほど澄んだ美しさだった。


 手を離すと、紋様はゆっくりと消えていく。


 ルカは、理由もなく胸元に手を伸ばした。

 木の十字架は、まだそこにあった。


 測定を終えた生徒たちは、そのまま午後の見学へと移動する。


 午後は、選択科目の授業見学だった。


 この学園では、基礎科目以外は、生徒が自分で授業を選ぶ。

 攻撃魔法、補助魔法、魔法理論、儀式学、魔力制御――。


 見学だけで、圧倒される。


 攻撃魔法の教室では、爆音と閃光が飛び交っていた。

 魔力制御の教室は、逆に異様なほど静かだ。


 神聖魔法の応用授業では、床一面に祝福陣が描かれ、祈りの声が重なっている。


 ルカは、どこを見ても落ち着かなかった。


「迷っているな」


 隣を歩くレインが、気づいたように言う。


「全部、必要に見えます」


「欲張ると、壊れる」


 即答だった。


「君は、祝福を扱うんだろう」


 ルカは、無言で頷く。


 レインは進路を変え、訓練場の方へ向かう。


 金属音が、近づくにつれてはっきりしていく。


 騎士科の訓練場だった。


 剣と剣がぶつかり合い、魔力が弾ける。

 防御魔法、身体強化、連携――すべてが実戦を想定している。


 美しさより、正確さ。

 祈りより、判断。


 ルカは、息を呑んだ。


 祝福とは、もっと後ろで使うものだと思っていた。

 だがここでは、最前線で使われている。


 訓練場を離れ、静かな通路に出たとき、レインが足を止めた。


「神聖科は、もう決まっているな」


「はい。教会の推薦なので」


「だろうな」


 一拍、間が空く。


「騎士科は、選択だ」


「……」


「私と一緒になるが」


 レインは振り返り、まっすぐにルカを見る。


「私と一緒は、嫌か」


 逃げ場のない問いだった。


 ルカは一度だけ視線を落とし、胸元の十字架に触れる。


「……嫌じゃありません」


 小さいが、はっきりした声だった。


「一人で行くほうが、怖いです」


 レインは、ほんの一瞬だけ目を細める。


「正直だな」


 それから淡々と告げた。


「決まりだ。神聖科が主。騎士科が副」


 前線補助――。

 その言葉が、静かに胸に落ちる。


「私がいる間は、離れるな」


 命令のようで、約束にも聞こえた。


「……はい」


 そう答えて、ルカはレインの隣に並ぶ。


 神聖科と騎士科。

 二つの選択が、同時に決まった瞬間だった。


 その日のうちに、仮所属が通達された。


 正式なランク分けとクラス編成は、共通試験の後。

 それまでの一週間は、選択した学科を仮の拠点として訓練を行う。


 ルカの場合、主は神聖科。

 だが、副として騎士科に名を連ねることになった。


 例は、少ない。


 神聖魔法は後方支援が基本で、前線に立つ騎士科とは思想も訓練内容も異なる。

 だが、レインは当然のように言った。


「問題ない。私が見る」


 それだけだった。


 初日の午前は、神聖魔法基礎。


 祝福ではなく、理論と制御。

 魔力の流し方、陣の組み方、詠唱を省いた場合の負荷。


 ルカは、黙々と板書を写し、指示された通りに魔法陣を描いた。


「飲み込みが早いな」


 教官が一度だけ、そう漏らす。


 派手さはない。

 だが、無駄がなかった。


 魔力の総量は多くないが、流れが安定している。

 祝福の影響か、それとも元々の資質か――判別はつかない。


 午後。

 騎士科の訓練場。


 石畳の広い円形場に、武器と防具の音が響いていた。

 剣がぶつかり、魔力が炸裂し、空気が震える。


 場違いだ、とルカは思った。


 自分は小柄で、体格にも恵まれていない。

 まして攻撃魔法は、まともに発動できない。


「立ち止まるな」


 背後から声がかかる。


 レインだった。

 すでに訓練用の軽装に着替えている。


「戦い方を決める」


「……僕が、ですか」


「他に誰がいる」


 即答だった。


 レインは武器棚を一瞥し、短剣を一本取り上げる。


「剣は合わない。重心が合ってない」


 次に槍を見て、首を振る。


「間合い管理は向いているが、今は時間が足りない」


 そして短剣を、ルカに差し出した。


「これだ」


「短剣……」


「小回りが利く。身体能力を魔法で補えば、前に出られる」


 淡々とした分析だった。


「雷の身体強化を教える」


「雷……ですか?」


「意外と相性がいい。魔力の通り方が似ている」


 実際、試してみると分かった。


 レインが教えた簡易的な雷属性の身体強化。

 それは攻撃ではなく、神経伝達を一時的に加速させる術だった。


 速くなる。

 軽くなる。


「……できてるな」


 レインが、わずかに目を細める。


「雷、怖くないんですね」


「祝福のせいだろう」


 推測だった。

 だが、確信めいた声音でもあった。


 ただし――攻撃魔法は、やはり発動しない。


 詠唱を組んでも、陣が崩れる。

 力を込めようとすると、何かが引っかかる。


「無理に踏み込むな」


 レインは、それ以上深くは聞かなかった。


 ルカの祝福について、レインは多くを知らない。

 知ろうともしなかった。


 代わりに、別の道を示した。


「直接、攻撃しなければいい」


 そう言って、幻影魔法の基礎を教え始める。


 攻撃魔法に“見せかけた”幻。

 威力はないが、相手の判断を狂わせる。


「ハッタリだ」


 見学していた上級生の女子が、鼻で笑った。


 その視線が、レインに向いていることを、ルカは気づいていない。


 一週間は、あっという間だった。


 神聖魔法の基礎。

 雷による身体強化。

 短剣の扱い。

 幻影による牽制。


 足りないものだらけだ。

 それでも、積み上げた。


 そして――共通試験の告知が、学園中に張り出される。


 ランク分け試験。

 対戦形式。


 試験監督の名簿の中に、ひときわ強い視線を向けてくる名前があった。


 レインを慕う、騎士科の上級生。


 共通試験当日。


 学園中央の模擬闘技場は、朝からざわついていた。

 円形の結界が張られ、観覧席には生徒と教官が並ぶ。


 これは学科別の試験ではない。

 学園全体のランク分けを決める試験だ。


 勝敗。

 戦闘内容。

 判断力と危機対応。


 すべてが、見られている。


「次、第四組。前へ」


 呼ばれて、ルカは前に出た。


 対戦相手の名前が読み上げられる。

 騎士科・上級生。


 ――レインの試験監督補佐でもある、女子生徒だった。


 整った動きで結界内に入る。

 視線は、最初からルカではなく、外に立つレインに向けられていた。


 それに、ルカは気づかない。


「……随分と、面白い配置ね」


 上級生が、笑う。


「神聖科の一年生が、騎士科副属?」


 視線が、ようやくルカに落ちる。


「怪我しないようにね。――まあ、君には無理か」


 結界が閉じる。


 試験監督の合図。


「――始め」


 開始と同時に、地面を蹴る音。


 速い。

 騎士科上級生の踏み込みは、完成されていた。


 魔力強化された剣が、一直線に迫る。


 ルカは後退しながら、短剣を抜く。

 同時に、雷の身体強化を展開。


 視界が、わずかに鮮明になる。


(速い……でも、見える)


 幻影魔法――展開。


 正面に、もう一人の“ルカ”が現れる。

 攻撃魔法の詠唱を始めたように見える幻だ。


「……幻影?」


 上級生が、鼻で笑った。


「ハッタリね」


 剣が、幻を切り裂く。

 当然のように、霧散。


 その隙に、ルカは側面へ。


 短剣で、牽制。

 浅い。


 だが、確実に“当てた”。


「……っ」


 初めて、上級生の表情が歪む。


「生意気」


 次の瞬間、試験用とは思えない魔力が、剣に宿る。


 観覧席がざわめいた。


 試験以上の一撃。


 レインの指先が、わずかに動く。


 ――まだだ。


 踏み込める。

 だが、踏み込めない。


 剣が振るわれる。


 幻影を重ねる。

 二重、三重。


 だが、読まれ始めていた。


「同じ手は通らない」


 剣が、幻影ごと薙ぐ。


 衝撃。


 ルカの身体が、弾かれる。


 石畳を転がり、止まった。


 息が、うまく吸えない。


 首元が、熱い。


 無意識に触れた指先が、赤く染まった。


「……まだ立つの?」


 上級生が近づく。


 剣が、振り上げられる。


 致命傷にならない――はずの角度。

 だが、次は分からない。


 ルカは、最後の幻影を展開する。


 今度は、攻撃魔法が発動したように“見せる”だけの幻。


「無駄だって言ってるでしょ!」


 剣が振り下ろされ――


 その瞬間。


 雷が、落ちた。


 一閃。


 結界内の空気が、裂ける。


 次の瞬間、ルカは抱き寄せられていた。


 強く。

 両腕で。


「……すまない。遅れた」


 耳元で、低い声。


 同時に、片手から放たれた雷が、上級生を壁へと吹き飛ばす。


 結界が、悲鳴のように軋んだ。


 場が、静まり返る。


 試験監督の制止が、遅れて響く。


「――そこまで!」


 レインは、ルカを離さない。


 胸元に押し込むように、抱えたまま。


 腕が、微かに震えている。


 ――間に合った。

 だが、一歩遅かった。


 それを、誰よりもレイン自身が理解していた。


 白い天井が、ゆっくりと視界に戻ってくる。


 最初に感じたのは、消毒薬の匂いだった。

 次に、身体の重さ。胸の奥に残る鈍い痛みと、包帯が巻かれている感覚。


 ――生きている。


 そう認識した瞬間、少し遅れて音が戻ってきた。

 布が擦れる音。低く抑えられた声。誰かが、すぐそばにいる。


「……起きたか」


 聞き慣れた声だった。

 視線を向けると、簡易椅子に腰掛けたレインが、こちらを見ていた。


 制服のまま。

 外套も脱がず、雷名家の紋章が入った手袋を片方だけ外している。


「……レイン、先輩」


 喉が乾いていて、声は思ったよりも掠れていた。


「無理に話すな」


 短く言ってから、視線がルカの首元へ落ちる。

 包帯の巻き具合を確認するように、ほんの一瞬だけ眉が動いた。


 医務室は静かだった。

 試験場の喧騒が嘘のように、カーテン越しの光さえ柔らかい。


「……試験は?」


「中断だ。正式な判定は後日になる」


 淡々とした答え。

 だが、いつもより言葉が短い。


 ルカは少しだけ視線を動かし、自分の手を見る。

 包帯の端から、わずかに滲んだ赤が透けていた。


「……結構、やられましたね」


 冗談めかして言ったつもりだった。


 だが、レインは笑わなかった。


 そのまま立ち上がり、ベッドの横に来る。

 距離が、近い。


「三箇所だ」


「え?」


「首、肩、脇腹。どれも、紙一重だった」


 事実を並べるだけの声だった。

 だが、その語尾が、わずかに硬い。


「止めるのが、遅れた」


 ぽつりと、落とすように言う。


 ルカは一瞬、言葉に詰まる。


「……先輩の雷、すぐ来ましたよ」


「それでも遅い」


 即答だった。


「私は、最速だ。あの距離なら、本来――」


 言葉が、そこで切れる。


 レインは視線を伏せた。

 握ったままの手袋が、きしりと音を立てる。


「……見ていた」


 低い声。


「君の動き。判断。幻影の使い方」


 雷属性特有の魔力が、無意識に揺れる。

 医務室の空気が、微かに張りつめた。


「綺麗だった」


 それは、評価だった。

 だが同時に――悔恨でもあった。


「だから、止める判断が遅れた」


 ルカは、ゆっくりと瞬きをする。


「……見惚れてた、ってことですか」


 軽く言ったつもりだった。

 少しでも、空気を和らげたかった。


 だが。


 レインは否定しなかった。


 沈黙が落ちる。


「……防御の神聖魔法、覚えるべきでしたね」


 今度こそ、冗談のつもりだった。


「そしたら、首の皮一枚で済まなかったかも」


 レインの視線が、鋭く跳ね上がる。


「二度と、そんなことを言うな」


 低く、強い声。


「……え」


「君が生きているのは、偶然じゃない」


 一歩、近づく。

 気づけば、ベッドの縁に手をついていた。


「だが、次は保証できない」


 その言葉には、怒りよりも――恐怖が混じっていた。


 ルカは、そこでようやく気づく。


 レインの距離が、おかしい。


 近い。

 明らかに、必要以上に。


「……先輩?」


「どうした」


 即答。

 だが、視線は逸らされない。


「……近いです」


 ほんの少し、間が空いた。


「そうか」


 言いながらも、離れない。


 代わりに、ルカの頭に手が伸びた。

 無意識の動きだった。


 指先が、そっと髪に触れる。

 雪のように白い髪が、指の間をすり抜けた。


 はっとしたように、レインの手が止まる。


「……」


 一瞬の沈黙。


 だが、その手は離れなかった。


「……髪」


 理由を探すような声音。


「白いな」


「……よく、言われます」


「折れそうだ」


 独り言のように。


 それから、ようやく手を引いた。


「しばらくは、安静だ」


 いつもの口調に戻そうとしているのが、分かる。


「無茶はするな」


「……はい」


 返事をすると、レインは踵を返す。


 だが、出口まで行って――止まった。


「……次からは」


 背を向けたまま、言う。


「私の視界から、外れるな」


 命令だった。

 だが、どこか切実だった。


 扉が閉まる。


 残された医務室で、ルカは静かに天井を見上げる。


 胸の奥が、少しだけ騒がしい。


 試験の痛みとは、違う種類のざわめきだった。

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