荒れ果てた恋人
「悠介は何にもわかってくれない!どうしてわかってくれないの!」
「ごめん、浩介。俺が悪かった。」
「悪かったって言って、何が悪かったかもわかってないんでしょ!?もういい!」
「あ、浩介……。」
喧嘩をしている、というより一方的に言われている、坂入悠介という青年と、怒っている、坂崎浩介という青年、この二人は、付き合い始めてもう何年経ったか覚えていない、と悠介がいう程、長い間付き合っていた。
今日は、十五年目の記念日、だったのだがそれを悠介が忘れていて、浩介はそれに怒っている、というのが現在だ。
丸い瞳を涙で濡らしながら、浩介は秋の暮れの空の中、同棲しているアパートを飛び出してしまった。
「ふー……。」
悠介は、こういう時の浩介の行く場所は決まっている、少し冷静になってもらった所で迎えに行こう、とため息をついて、煙草を一服吸う。
ここ数年、浩介は変わってしまった、と思っていた、あんなにも穏やかだった浩介が、こうして怒って出て行ってしまう、それは最初、信じられない事だった。
ただ、十五年も付き合っていて、同棲を始めたタイミングでその兆候が現れ始めた、甘えというべきか、本性と呼ぶべきか、と悠介は悩んでいた。
それ位で別れる程、絆が無いわけではない、それ位の喧嘩、何度となくしてきたのだ。
ただ、そのたびにこうして浩介は家を飛び出して、何処かに行ってしまう、それが悲しかった。
「聞いてくださいよ……。悠介ったら、十五年の記念日忘れてたんですよ……?」
「そりゃ、悠ちゃんが悪いなぁ。そんで、いつもの飲むかい?」
「飲まなきゃやってられませんよ!飲みます!」
千葉の松戸から、東京は上野まで飛び出してきた浩介は、所謂ゲイバーと言われる場所で、ママに愚痴っていた。
涙の跡が残る浩介の顔を見て、ママはいつものだな、と判断して、アルコールを提供する。
浩介はいつも濃いめ、ここに来る時は大概悠介と喧嘩した後で、ここに来ては愚痴っていて、ママもそれを理解していた、二十歳になって同棲を始めた頃から、ずっとそれを繰り返していて、月に一回はこうして独りで愚痴を話に来る、だから、なんとなくわかっていた。
こういうタイプは刺激すると暴れる、という経験則から、刺激しない様に、と話を合わせて、酔いつぶれた頃に悠介が回収をしに来る、いつものパターンだ。
「……。ぷはぁ!大体悠介は鈍感すぎるんですよ!僕は記念日とか、お祝いしたいってずっと言ってたのに、仕事が忙しいからって、ずっとほったらかしにされて……。僕、愛されてないんですかね……?」
「愛してなかったら、十五年も付き合ってないんじゃないかい?十歳の頃からずっとお付き合いしてるんだろう?」
「それはそうですけど……。腐れ縁って言うか、別れないから付き合ってるって言うか……。悠介、好きだとは言ってくれるんですよ?でも、そう言うの忘れられて……。」
愛していなかったら、愛されている自信がない、とも言い換えられるだろう。
浩介は、悠介に愛されているという確証が欲しかった、その確証が、記念日を祝ったり、普段から好きだと言われたり、そう言った事だと思っていた。
ただ、悠介は、たまにしか好きだと言わない、本心を語るのが苦手だ、とはずっと言っていた、それは浩介も重々承知していた、ただ、それでも言って欲しい、それだけの付き合いなのだから、それ位言ってくれたっていいのに、というのが、浩介がいつも喧嘩をする原因だった。
昔は、そんな事も考えなかった、学生時代、愛し合っていると信じ切っていた、愛されていると確証をしていて、自信に満ちていた。
それがいつからか、浩介が大学三年生で、悠介が社会人になった頃から、悠介との生活がずれはじめ、生活パターンの違いや、そういったすれ違いが生じてしまう様になった、それが、浩介が愛されていないのではないか、腐れ縁だから付き合っているだけなのではないか、と疑問に思ってしまう原因だった。
「ホントに……。僕は悠介の事大好きなのに……。悠介は、わかってくれないんですよ……!」
「そっかそっか、辛いねぇ。」
実際にそうなのか、と聞かれると、悠介は違うと答える、好きだから付き合っていると答えてくれる、ただ、喧嘩でもしないと好きだと言ってくれない、それが、浩介の中で不満と不信感を生んでしまっている、そんな現状だろう。
「ママは恋愛とかしないんですか?こーいうとき、どうします?」
「うーん……。俺も恋愛なんて十年位してないからねぇ。どうすれば良いのか、って言われると、わからないよ。ただ、十五年の信頼って言うか、絆って言うか、そう言うのは信じても良いと思うよ?それでも浩ちゃんが嫌だって思うなら、それはそれだと思うしね。」
幾度となく繰り返してきた言葉、浩介は酔っぱらうと忘れてしまうが、ママはずっとその言葉を紡いでいた。
当時で十年の付き合いだと言っていた、それから五年間、飛び出してくる事が度々あったがなんやかんやでまた元通り、を繰り返している浩介達、だから、そこに絆はあるはずだよ、と。
「お邪魔します、浩介来てますか?」
「おや、悠ちゃん。丁度寝ちゃった所だよ。」
「そうですか、いつもお世話になってます。」
浩介が行きつけのゲイバー、そこに行くだろうな、と思って時間を空けてお邪魔すると、カウンターでスースーと寝息を立てて寝てる浩介がいて、ママはいつも通りだよ、って言ってため息をついてる。
「悠ちゃん、浩ちゃんがこうして飛び出してくるの、まあもう五年もやってれば慣れるけどね、そろそろ、ちゃんと向き合った方が良いんじゃないかな?」
「あはは……。そうですね、ずっと迷惑掛けるって訳にもいかないですし、どうしたもんかなぁ……。」
「好きなんだろう?なら、好きだって伝えれば、浩ちゃんは満足してくれるんじゃないかな?今日に関しては、記念日を忘れてたって話だけど。」
「……。時間が過ぎるのって、あっという間ですよね。浩介と出会って二十年、付き合い始めて十五年も経った、それが信じられないですよ。忙しいからって、それを言い訳にしてるのもわかってます。ただ、言い出しづらいんですよね、そう言うの、恥かしくて。」
浩介と出会ったのが五歳の頃、幼稚園の年長さんの頃に出会った、当時からくりくりした見た目って言うか、可愛らしい顔立ちをしてて、俺は太ってて仏顔って言うか、細目でそう言う感じで、仲が良くて、ずっと一緒に遊んでて、九歳の頃、小学四年生の頃に、浩介から告白されて、それで付き合い始めて。
それから十五年が経ったって事が信じられない、って言う気持ちと、歳を取った事を認めたくない気持ちとか、いつの間にか、好きって言うのが恥かしくなって、言えなくなって、って言う現状を、何とかしようと思わない訳じゃない。
浩介の事は大好きだ、ただ、言い出せない、言い出したら止まらないんだろうけど、それはそれで鬱陶しい感じになりそうだし、伝わってほしい想いっていうのは、何時だって伝わってくれない。
俺の態度が悪いんだろう、俺がそういう態度を取れてないのが問題なんだろう、ってわかっちゃいるけど、浩介がそう言う風になるとは思ってなかったから、戸惑いの中で五年間が過ぎていった。
きっかけはきっと、家族の死だろう。
浩介の家族、両親と弟の悠治は、俺達が同棲を始める直前に、高校の卒業式の帰りに、事故で亡くなった。
当時もう社会人をしてて、独り暮らしをしていた俺は、浩介を独りきりにしておきたくなくて、一緒に住もうって決めて、まだ浩介が大学生だった頃から、一緒に暮らし始めた。
「浩ちゃんがこういう理由、わかってるんだろう?」
「なんとなくですけどね。わかってるつもりですよ、浩介とずっと一緒に居たんですから、これ位の事はわかってやらないと、恋人失格ですよ。」
大学二年生だった頃、三年に上がって、そろそろ就活を始める時期が来る、って言う時期に、浩介は家族を失った。
それが原因で荒れた、って言うか、普段ならこんな事で怒らなかったのに、って言う事で怒る様になった。
きっと、まだ立ち直れてないんだろう、家族を失った悲しみの中にいて、藻掻いていて、それで、俺と一緒に居る事にも不安を感じてるんだろう。
「なら、言ってあげる事も大切じゃないかい?」
「……。分かっちゃいるんです、分かっちゃいるんですけど、今の浩介に伝えても、届かない気がするんですよ。浩介は、ずっと悲しみの中にいる、傍にいて、連れ添ってるつもりでいても、それが出来てないんでしょうね。浩介、寝言でいうんですよ、家族の名前。……。俺は、家族の代わりになれてない、恋人であっても、家族にはなれてない、だから、今言ったとしても、しらけるだけだと思っちゃうんです。記念日に関しては、本当に忘れちゃってただけなんですけど……。」
「悠ちゃんはずっとそんな調子だからねぇ。言って変わる事もあるかもしれないよ?」
「……。そうかもしれませんね。お会計、いくらですか?」
「ん、ボトルキープだから、三千円だよ。」
「はい、ありがとうございます。浩介、帰ろう。」
ママに会計を払って、浩介を起こす。
浩介はうーんっていって、唸りながら目を覚ます。
「悠介ぇ……?」
「帰ろう、浩介。ママさんも、浩介が帰らないと店じまいが出来ないよ。」
「はーい……。」
寝ぼけてる浩介を連れて、店を出る。
終電は過ぎちゃった、だからタクシーで帰るんだけど、意外と時間はかかる、ただ、それもまた一興って言うか、浩介にとっても、俺にとっても、考える良い時間になる、と思ってる。
「馬橋駅までお願いします。」
「はいよ、馬橋駅ね。終電でも逃したのかい?そっちのお連れさんは、だいぶん酔っぱらってるみたいだがね?」
「そうですね、だいぶ飲んだみたいです。」
タクシーに乗って、浩介の所のシートベルトをしめて、俺もシートベルトをして、夢うつつな浩介を眺めながら、タクシーが動き出す。
この時間、上野駅はあんまりタクシーが捕まらない事が多い、それだけ終電を見逃して乗る人が多いって事なんだろうけど、今日は案外早く乗れた。
秋も深まってきた、そろそろ冬物のクリーニングを済ませて、着れる様にしておかないと、寒くなってきそうだ。
今年は例年より冷える、って言う話だし、冬物の一括洗濯は早めに終わらせておかないと、着る服がなくなっちゃいそうだ。
「悠治……、父ちゃん……、母ちゃん……。」
「浩介……。俺はここにいる、浩介の隣にいる、ずっと、ずっと。家族の代わりにはなれないのかもしれない、ずっと、浩介は悲しみの中に生きなければならないのかもしれない。……。ただ、俺はここにいるよ。」
「ん……。」
タクシーの中で寝ちゃった浩介の手を握って、話しかける。
こういう時には言える、こういう時しか言えない、こういう言葉を、何時も普段から言えれば良いんだけど、それがどうしても出来ない。
浩介の事は好きだ、腐れ縁なんかじゃない、愛も情もある、ただ、言葉にするのが苦手だ、それが俺の弱点って言うか、欠点だと思ってる。
分かってはいる、分かってはいるんだ。
ただ、今の浩介にそれを伝えたとしても、しらけるだけ、憐憫だと思われるだけだ、とも思っちゃうから、言えない。
もしかしたら、浩介は言葉通りに受け取ってくれるかもしれない、浩介は、愛に飢えている、愛と言う言葉に飢えているのかもしれない、ただ、それがもし憐憫だ都思われたら、そこで俺達の関係性は変わっちゃうだろう、だから、なかなか言い出せない。
「悠介……。」
「浩介、俺はここだ。」
「いなく……、ならないで……。」
「ここにいる、俺はここにいるよ、浩介。」
魘されてる浩介を見ながら、この言葉が届いてくれれば良いのに、なんて思う。
素直に届いてくれたら、どれだけ感謝する事か、どれだけ嬉しいか。
そんな事を思いながら、タクシーに揺られて帰路に就く。
「浩介、着いたよ。」
「ん……?悠介、迎えに来てくれてたの?」
「もちろん、浩介がどこにいるか、は大体わかるからな。」
「……。それって、僕が単純だって事?」
「違うよ。……、浩介の行きそうな所を、手さぐりに歩いてただけだ。」
「ふーん……。」
最寄り駅について、浩介は目を覚ます。
喧嘩した手前、悠介に起こされるのは恥ずかしかったが、迎えに来てくれた、それは嬉しかった。
ただ、単純でわかりやすいと言われてしまった様な気がして、少し不機嫌になってしまう。
「あ、お金……。」
「払ってあるよ、大丈夫だ。」
「……。ありがとう。」
拗ねた声、見透かされている様で、嫌だと感じてしまう浩介。
それは嬉しいはずだった、昔だったら、嬉しいと感じていただろう、悠介が、こうして浩介の行く所や料金の支払いなどを済ませてくれていた、という事に、喜んでいただろう。
ただ、今の浩介はそれを素直に受け取れなかった、家族が亡くなって以降、見透かされているというか、そう言った感情に変わってしまった、家族を失った気持ちなどわからないだろう、悠介はそもそも家族との絆が薄いタイプだった、だから、この悲しみは理解してもらえない、と、いつもその考えが、浩介の持ち前だった素直さをかき消してしまっている。
悠介が記念日に疎いのは今に始まった事ではない、昔は笑ってそれを許せていた、昔なら、また次の日にでもお祝いをすれば良い、と笑って過ごせたのだが、それが出来なくなって、もう五年経つ。
五年間、長い様で短い、そして短い様で、長すぎた、そんな時間の中、浩介は喪失感に包まれていた。
それを見ていた悠介が、それに気づかない訳がない、と浩介はわかっていた、ただ、分ちあえない痛みなのだ、と一つ線を引いてしまった、それ以降、悠介の些細な行動の粗、そう言ったものが許せなくなってしまった。
自分はこんなにも辛いのに、飄々としている悠介を恨んでいる、と言い換えても良いだろう、付き合っているし、好きではある、ただ、この痛みを分ちあえない事、それを恨んでいた、それが浩介の正しい感情だろう。
「帰ろう、浩介。寒くなってきた、そろそろ冬物も出さないとだな。」
「……。うん。」
つっけんどんな態度を取っても、意味はないのだろう。
ただ、そうしてしまう、浩介の中の防衛本能というものが、そう言った態度を取らせてしまう。
それに対して、悠介が何かを言った事はない、それがまた、見透かされている様な気がして、浩介は嫌だと感じてしまっていた。




