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Scene 4〈町遊び〉


「メルティナ様、今日は無礼講です。城下でたっぷり遊びましょう。お妃様のお食事にはお出しできないけれど、タルヴァニアにいらしたからには、ぜひ食べていただきたい名物が山ほどあるんですよ」

「覚悟しててね、メルティナ様。ラキァはこう見えて、大食漢だから。同じように食べてたら、一日もたないよ」


 ヴァルとラキァの陽気な声掛けで、メルティナはやっと状況を把握した。


「つまり本日は……ご公務ではないと?」


 隣を見上げると、アルベリオスは真っ直ぐ前を向いたまま頷く。


「あなたも突然、見知らぬ地に連れて来られて、心が張り詰めているだろう。少しでもタルヴァニアの空気に馴染んで、羽根を伸ばしてもらえたらいいと――わたしの勝手な願いばかり、押し付けているかもしれないが」

「……いいえ。お心遣い、ありがとうございます」


 思いがけず温かい言葉に、メルティナは戸惑いを深めた。


(この方は、あの晩に出会った人とは思えない。それならどうしてあの時は、あんなに冷たい目をされていたのかしら)


 何か道を違えたら、()()恐ろしいアルベリオスになってしまうのではないか――。懸念が(いばら)のように行手を阻み、メルティナはいまだ彼の心に踏み込めずいる。


「ところで、メルティナ様。城下では念のため、別のお名前で呼ばせていただこうかと思うんですけど、ご希望の呼び方とかあります? なければ、僕が直感で付けちゃってもいい感じです?」


 成婚の披露目はまだだが、アルベリオスが妃を迎えた噂はすでに広まっているという。透けるような白肌に輝く雲髪、名前がメルなんとかだとか――中にはザンドリスの王女という説もあった。


 ぱっと浮かんだのは幼名のメルンだが、それはアズとメルティナを繋ぐ唯一のよすがでもある。そう思うと、アズのしゃがれた声が無性に恋しくなり、誰にもその名を呼んで欲しくないとさえ思えた。

 メルティナは出かかった名を、そっと胸に秘めた。


「わたくしのことは、エティルと。母の名です」

「素敵なお名前ですね。お母様も、聖女様だったんですか?」

「いいえ。聖女は生涯伴侶を持つことは叶わず、従って世襲にございません。生まれつき光気を高く備えた子供が、見習いとして王宮に迎えられるのです。もう遠い記憶で、人づてにしか思い出すこともできませんが、わたくしはザンドリスの雪深い小さな村に生まれたそうです」

「それは初耳です。まるで王侯貴族にふさわしい、生まれ持った気品を感じるのに!」


 ヴァルの茶化しに、メルティナは口元を押さえて笑った。


「買いかぶりすぎですわ。幼い頃はお転婆が過ぎて、先代の聖女様や女官たちを困らせておりましたもの」


 ナィナに迂闊に触れようとして大目玉を喰らったことや、水晶の床で氷滑りの真似をして膝を擦りむいた過去を話して聞かせる。

 すると、隣でアルベリオスが小さく吹き出した。


「失礼……。わたしが思っていたより、活発な少女だったのだな」


 アルベリオスがまぶたの裏で、あの雨の晩――躊躇なく飛び石を渡った姿に、小さなメルンを重ねていることを、メルティナは知るよしもない。

 からかうでもない、温かな声音に、打ち解けた空気を感じたメルティナは、ほんの少し踏み出してみた。


「陛下は……どんなご幼少期をお過ごしだったのですか?」

「わたしの昔は……」


 何も知らない、あどけない日々はもう遥か遠く、朧げな記憶だ。

 幾度も繰り返した死の果てに、仇敵の魔法使いを退けるため、修羅の道を歩んできた。口にしようとすれば、血の匂いを運んでくる。

 すべてはタルヴァニアの安寧と、メルティナの救出を願えばこそ――。未来を思って、堪えてこられた。


「あなたの耳を穢す話ばかりだ」


 短く打ち切られた言葉が、メルティナの目の前に厚い扉を閉ざすように響いた。

 問いを重ねる勇気は出ず、ただ沈黙が落ちかけたとき、軽やかな声が空気を和ませた。


「照れちゃってさ。メル……じゃない、エティル。彼のことで聞きたいことがあれば、僕たちが教えるよ!」

「そうそう、わたしたち、幼馴染なんです」

「……では、呼び名についてですが。幼い頃は、どのようなお名前がございましたか?」


 その問いに、アルベリオスの肩がわずかに強張る。答えるまでの一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざした。 


「アジュス……だ」


 落ち着いた声音で告げたが、彼は内心、期待を抑え込んでいた。

 アジュスが訛って、ラキァたちはアズと呼んでいる。ほのかな期待に、アルベリオスの胸は高鳴る。


「アジュス様……アジュ、ス……様」


 どことなく舌に残る柔らかい響きを、メルティナは噛み締めるように確かめた。繰り返されるたびに、アルベリオスの耳がほのかに色づく。


「……やはり、お名前を呼ぶのは不躾な気もいたします」

「……なに?」

「本日は旦那様――と呼ばせていただきます。よろしいでしょうか、旦那様?」


 メルティナは、恐る恐るアルベリオスを見上げる。図らずも上目遣いとなったその問いは、不意に放たれた矢のように、アルベリオスの胸を正確に射抜いた。

 心臓が跳ね、息が詰まる――光気に当てられるとは、そういうものだ。


「……好きに呼ぶといい」


 やっとのことで絞り出した声は、思いのほか低く、熱を帯びて響いた。

 やり場をなくした視線が、ふとメルティナの細い腕に止まる。人混みのざわめきが次第に近づいてくるのを感じて、今度は自然とアルベリオスの口が動いた。


「エティル。はぐれないよう、腕を組もう。そのほうが、夫婦らしくも見える」

「……はい、旦那様」


 差し出された腕に、メルティナはおとなしく身を寄せた。

 しかし、歩調はなかなか揃わず、どこかぎこちない。メルティナはなお警戒を解けずにいて、アルベリオスもまた、寄せられた体温にどう振る舞えばよいか測りかねている。

 それでも並んで歩く姿だけは、誰が見ても仲睦まじい夫婦そのものだった。


「おやおや、お熱いなぁ。じゃあ、僕たちも仲良くしようか」


 ラキァの眼前に、ヴァルがにゅっと腕を差し出す。からかうように笑う彼に、ラキァはにこりと応じ、その腕を取った。


「いいわよ。はい、ぎゅーっとね」

「本当にいいの? 本当に僕たちも夫婦になっちゃう?」

「お兄ちゃんったら! 冗談ばっかり言ってないで、あれ買って!」

「えぇっ、兄妹ごっこ!? 今のは完全に夫婦ごっこの流れだったよねぇ?」


 城下の門をくぐる前から、四人の道行きは早くも賑やかな笑い声に包まれていた。



 ***



 公務ではない……とは言ったものの、城下に下りてからのアルベリオスの視線は、市民にくまなく注がれているようにメルティナは感じた。

 何気ない素振りで店を覗いては、与太話に首を突っ込んでみたり、遠方から来た商人の噂話に耳を傾けたりと――。自身の目で、時勢を読もうとする姿勢が見られた。

 昼食に入った食堂でも、さりげなく周囲のテーブルに耳をそばだてている。メルティナでさえ、彼の気が休まる暇がないのではないかと、気がかりになった時だ。注文した品を取りに行っていた二人が、戻ってきた。


「はい、おまちどお! 魔女の溜息スープに、タルヴァンタルト!」

「渓谷野菜と若魚(わかうお)のお造りに、地鶏の揚げ焼きも忘れちゃだめよ」


 ヴァルたちの両手が自由になるとともに、テーブルには次々と大皿が並べられていく。脂を滴らせた鶏の丸焼きからは香ばしい香りが漂い、熱々の蒸気でヴァルの額にはうっすら汗が光っていた。

 メルティナは、初めての料理に目を奪われるばかりだ。

 魚を生で食べることにも驚かされたが、タルトを切り分けた時には思わず声も漏れた。どこに詰まっていたのか目を疑うほど、木の実がごろごろと溢れ出したのだ。タルト生地と木の実の間からは、糖蜜のようなものがとろりと溶け出す。


「いい反応だよ、エティル! タルヴァニアの田舎料理なんだけどね。目でも味わえるでしょう?」

「ええ、素晴らしいです」

「一緒に出てきたソースを絡めると、もっと美味しいですよ!」


 ラキァに倣って、溶け出した蜜に木の実をくぐらせてみる。香ばしく煎られた塩気のある実に、乳の香りが豊かな甘いソースが絡んで、一味違う味わいが広がった。

 食べ進めるほどに塩気と甘みが味わい深く、飽きの来ない一品だ。夢中で頬張っていたメルティナは、三人の視線が釘付けになっているのに気付き、はっと我に返る。


「あ……あまりの美味しさに、会話も忘れるなんて……。申し訳ございません、無作法をいたしました。頬が、リスのようになっていたのではないでしょうか?」


 メルティナは真っ赤な頬を両手で押さえ、縮こまるように俯いた。頬袋はともかくとして、小動物さながらの愛らしさに、三人は胸を鷲掴みにされたように身悶えた。

 アルベリオスは向かいから、自分の分のタルトをそっと差し出す。


「あなたは細すぎるくらいだ。もっと食べるといい」

「そうそう、肉も魚もあるからね!」

「このスープも、冷めないうちにぜひ試してみてください」


 血のように真っ赤なスープからは、白い湯気が立ちのぼる。


「そっと息を吹いてください。ほら、湯気の形が変わって……何か見えてきませんか?」

「朧げに、文字のようなものが見えます」


 湯気は細い糸となって絡み、ほどけ、揺れながら言葉を紡いでいく。まるで誰かが目に見えぬ手で、空中に書きつけているかのようだ。


「それは魔女の占いです。未来だったり、悩み事の答えだったり……。心得ておけば、憂いの溜息は消える――と言われる縁起物のスープです」

「わたくしの憂いを晴らす、魔女のお言葉……」


 メルティナは浮かんだ文字を逃すまいと、瞳に刻む。


――大切なものは、近くにある。


 小さく首を傾げた瞬間、文字はゆらりと揺れてかき消えた。湯気の向こうでは、金色の眼差しが穏やかに見守っていた。



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