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Scene 4〈かりそめの夫婦〉※


 十三回目の断罪の言葉が響く。

 悲願を果たし、安らかに死を迎えてもなお、メルティナはここに帰ってきた。


(なぜ……いつまで続くというの……)


 心が折れ、もう何も考えられなくなる。黙り込んだメルティナの背後で、謁見の間に落ちた静寂は突如破られた。

 大理石の床に、聞き慣れない足音が響く。衛兵が誰何に答える声はなく、足音は真っ直ぐ玉座へと向かった。


「止まれ!」

「陛下の御前であるぞ!」


 近衛兵が飛び出すとともに、一陣の風が巻き起こる。ふわりと巻き上げられた兵たちは、壁際に追いやられた。


「赤子の手をひねるより容易い」


 氷雨が刺すかのごとき声が、背後に迫る。メルティナの背筋を、冷たい汗が伝った。


「近衛の実力がこの程度では、王の器もたかが知れているな」

「な、何者だ! 無礼にも程があろう!」


 マルケスは逃げ腰で叫ぶ。玉座の後ろに回り込んで、身を守るのが彼にできる精一杯の抵抗だ。情けなく滑稽な姿を見ても、メルティナの胸がすくことはなかった。

 侵入者は、メルティナのすぐ後ろで足を止める。冷たい殺気に体が強張り、息すら苦しい。


「無礼はどちらかな」

「なにっ?」

「再三、訪問の意志を伝えてきたはずだが、何の音沙汰もなく、我が国を蔑ろにしてきたのはそちらではなかろうか」

「な、何のことだ。き、貴様いったい何者……」

「ほう。わたしの姿を見て恐れもせぬとは、肝が据わっているか、よほど世情に疎いようだ」


 鼻で笑われ、マルケスの頬に朱が昇る。


「ぶ、無礼にも程があるぞ! 貴様の容姿がどうしたというのだ。濡羽の黒髪とは珍しいが、金の瞳など野山の獣にありふれておるわ!」


 嘲るために口にした言葉に、マルケスは自ら青ざめる。


「黒、髪に、金……の、瞳?」

「どうした」

「タッ……タルヴァニアの皇帝……!?」

「ようやく理解したか」


 若き皇帝は、玉座に向けて書状を投げつけた。


「蓄光石の取引について、記してある。悪くない条件のはずだ」

「そ、それは……すでにグランフィルドと……いっ、いや、何でもない……!」


 口ごもり、視線を泳がせたマルケスの額には脂汗が滲む。ルーヴェントとの裏取引について、メルティナを前に語れない。


「グランフィルドかタルヴァニアか――自国のためにどちらと手を結ぶべきかは、考えるまでもなかろう?」

「くっ……」


 言葉を失うマルケスに、青年皇帝はなおも畳み掛ける。


「では、そこに記してある通り――この娘はいただいていくぞ」

「なっ……!?」


 唐突に放たれた一言に、謁見の間の空気が凍る。


「聖女と言えど、すでに追放が決まった身であれば、貴国にとってすでに価値などないに等しい。蓄光石とともに、わたしが貰い受けてやるのだ。ありがたかろう?」


 皇帝と言えど、横暴が過ぎた。だがマルケスもまた、メルティナの断罪に後ろ暗いものを抱えている。反論する言葉を、マルケスは持たなかった。

 黒衣の青年は不敵に笑み、さっきから微動だにしないメルティナの肩に触れた。細い体が、仰け反るように跳ねる。


「メルティナ、と言ったな。立ちなさい。もはやここに、あなたの居場所はない。タルヴァニアへ来れば、決して肩身の狭い思いはさせない」


 震えて、口のきけないメルティナを、彼はひょいと抱え上げた。

 間近に見る顔は、やはりアズを手にかけた青年だった。鋭い金の眼差しを正面から受け止めて、メルティナは息が止まりそうだった。


「あなたを妻にしたいと言っている。返事は?」

「なっ……」


 あの晩、自分を殺した男がなぜ――。


「それともあなたは、ここに留まる理由があるのか?」

「ここに……留まる……」


 それはこれまでに繰り返してきたことだ。ルーヴェントに引き渡され、どんなに願ってもアズには会えない。

 アズを殺した皇帝の思惑を知れば、()()()出会える道が拓けるのではないか――一縷の希望にメルティナは賭けた。


「……いいえ、ございません。あなたの……仰せのままに」


 抱えられた腕の中に力無くもたれ、恭順の意を示す……振りをした。心を殺して従順に――。繰り返される日々の中で身につけたすべが、役に立った。

 皇帝が微かに息を吐く。するとたちまち霧が辺りを包み込む。マルケスの視界が晴れる頃にはもう、二人の姿はどこにもなかった。



 ***



 凍てつき、かえって熱いとすら感じられる風が、メルティナの肌を刺した。微細な氷の礫が混ざっている。空気の薄さに深く息を吸うと、喉がちくちくと痛んだ。


「もう少しの辛抱だ。しっかり掴まれ」


 青年はメルティナを抱く腕に力を込めた。

 アズと自分を手にかけた男を、心から頼みにして縋ることなどできはしない。だが、今はそうするしかないと、メルティナの眼下に広がる景色が、否応なく覚らせてくる。

 広大なタルヴァニアを遥か上空から眺めながら、夜空を駆ける星となってメルティナたちは滑空した。


 やがて闇夜の中に、燦然と輝く城が見えてきた。

 城の外も中も、惜しみなく魔法の恩恵を受け、煌々と灯りが焚かれている。くべられているのは、蓄光石ではない。魔法との掛け合わせで造られた、魔光石だ。

 蓄光石よりも安定して長く光を放つが、製造の難しさから、どの国でも王に鑑賞品として献上されるような代物である。その貴重品が、そこかしこで夜通し灯されている。それだけで、タルヴァニアの底知れなさが推し測れるというものだ。


 メルティナには城の一角が与えられた。

 糸のように細い目をした、ラキァという女が侍り、ぺこりと頭を下げる。大帝国の侍女にしては、肩肘を張らない柔らかさが感じられた。


「今夜はお疲れでございましょうから、わたくしの他、メルティナ様のお世話を申しつかった者の紹介は、明日からにいたしますね」


 落ち着いた物腰に、柔らかな声音の侍女だ。どこか姉や母のような雰囲気で、メルティナの緊張もほぐされる。


「ありがとうございます。突然のことで、あなた方にもご迷惑をおかけいたします」

「あら、迷惑だなんて。わたくしたちは、いつでも……」

「え?」

「あら、いけない。余計なことを喋ったら、陛下に首を刎ねられてしまうわ。ほほほ、なんでもございません」


 細い目をにこりと笑みの形にして、ラキァは口を噤む。それと時を同じくして、あの若き皇帝が再びやってきた。

 ラキァは彼の分の茶を淹れると、影に溶けるようにすっと気配を消した。


「やっと落ち着いて話ができるな」


 向かいに腰を下ろした彼は、茶で唇を湿し、たっぷりと時間をかけて口を開いた。


「……初めまして、メルティナ。わたしはアルベリオス。このタルヴァニアの頂点に君臨し、今日からあなたの夫となる男だ」

「なぜ……わたくしを妻にしようなどと? 断罪された聖女など、曰くつきもよいところです」

「そう構えないでくれ。わたしがあなたを欲したのには、理由があるのだよ」


 アルベリオスはゆったりと脚を組み、椅子にもたれる。


「魔光石の新たな展開として、世界的に安定した流通を実現させたくてね。ザンドリスの蓄光石に目を付けていたのだ。兼ねてより協定の締結を申し出ていたのだが、マルケスは無視を貫いた。そして最近になって、グランフィルドと協定を結ぼうとしているという、ふざけた話が耳に入ってきた。これは目にもの見せてくれねば、わたしの腹も治まらぬ」


 グランフィルドと同等の価格での買い付けに加え、ザンドリスに変事あれば無償で幇助するという破格の条件を、先程の書状で叩きつけたという。


「しかしそれだけでは、こちらの取り分が少なすぎる。何が一番、マルケスにとって痛手となるかと考えた結果……」

「わたくしは、マルケス陛下の鼻をあかすため、あなたの派手な腹いせに巻き込まれたのですね」


 メルティナは眉を寄せて、黙り込む。

 男に利用されるばかりの己の命が惨めだ。だが、仇敵に愛だの恋だのと囁かれるよりは、ずっとましな気もした。


「……あなたは自分の立場を理解していないようだ」


 メルティナの沈黙を、臍を曲げたと受け取ったアルベリオスは、拳を握り合わせて嘆息する。


「あのまま、追放されていれば、その身に何が起きていたか――まるでわかっていない」

「聖女だからと、侮らないでいただけますか。断罪など、真っ赤な嘘だったのでしょう? わたくしは蓄光石と引き換えに、グランフィルドのルーヴェント殿下に身売りされたのです」


 アルベリオスの顔に、初めて隙が生まれた。驚きを露わに、目をしばたたく。


「……これは失礼。だが、そこまでご存知なら話は早い。そうだ、わたしはルーヴェントにあなたをくれてやる気はないのだよ」

「それはどういう……」

「神獣を手懐けるほどの光気を備えた存在を、グランフィルドのような小国が手中に収めて何になる? あなたのような尊いものは、我が国にあってこそ真価を発揮するのだ。魔を統べし皇帝の系譜に、聖女の血脈までもが加わったと思い込ませることができれば、タルヴァニアの威信はなお盤石となる」

「あなたも、わたくしを物のように仰いますのね」

「……不満か」

「いいえ。ややこしいことを考えずに済んで、いっそ気が楽です」


 メルティナは力無く微笑む。気が抜けたような、諦めがついたような感覚がする。

 一先ず、この生において、彼から敵意を向けられていないらしいことはわかった。それならば、アズの行方と生死を知るため、良好な関係を築くのが賢明だと、メルティナは判断した。


 これ以上話すことはないのか、アルベリオスは黙って茶を含む。メルティナも、間をもたせるためそれに倣った。

 あと一口で飲み干してしまう。飲んだ後、彼は退室するのだろうか。そんなことを考えていると、気配も静かにラキァが現れ、二杯目を注ぎ足した。去り際、アルベリオスに何かを差し出し、再び姿が見えなくなる。

 アルベリオスは渡された封書を、早速広げた。眉がわずかに寄せられた後、彼は鼻で笑った。


「ルーヴェントは相当あなたにご執心のようだな。早速、抗議文が届いた――さすがにマルケスとの前約束には言及できぬようだが」


 離れた地に、文字を直接印字する魔法が使われているという。通常、緊急時にしか使われないような特別な術だ。


「冷酷無慈悲な皇帝に拐われた、憐れな聖女を救いたい……などと記されている。滑稽だな」

「……っ。あの男の手にだけは、落ちたくありませんっ」


 すぐそこまで、ルーヴェントの魔の手が迫ってきているかのように感じられ、メルティナを猛烈な不安が襲う。

 不用意に取り乱してしまい、茶器がガチャリと音を立てた。幸い、茶がこぼれることはなかったが、アルベリオスの目は、メルティナの挙動を鋭く見守っている。


「申し訳ございません……。殿下は、女人をヒトのようには扱わぬと、聞こえておりますゆえ……」

「ならば、わたしの妻となることは、あなたも概ね利害が一致するな」


 青ざめた顔で俯いていると、アルベリオスがそばに膝をついた。そっと手を握られる。


「怯えるな、メルティナ。ルーヴェントを退け、タルヴァニアの威光を示すために……あなたとわたしは夫婦であるという、客観的な事実があればいいのだ。あなたの望まぬ関係は、わたしも欲するところではない」


 魔光石の灯りに、見上げてくる金の眼差しが揺れる。あれほど冷たくて恐ろしげだった瞳が、今は不思議と穏やかに映った。心を許すつもりはないが、彼の言葉に偽りがないことは、その目から伝わってくる。

 メルティナは、不安に揺れる内心を正直に打ち明けた。


「……畏れながら申し上げます。ルーヴェント殿下は、かりそめの夫婦を演じた程度で、狙いを定めた娘を諦めるような人物ではないと……わたくしのほうでは調べがついております」

「そうだな。わたしもそれは感じている。では、他に何か策はあるか」


 メルティナは小さく頷く。

 だが、それを言葉にするのがおぞましい。重い口を開けるようになるまで、沈黙が場を満たした。

 深く息を吸い、胸を撫でながら言葉を探した。


「……殿下は、身重の者や、一度でも子をなした女人には触れたがらないそうです」


 アルベリオスが怪訝に眉をひそめる。


「どこでそのような話を」

「風の噂に……」


 そんな噂が本当に聞こえていたならば、一回目のメルティナも騙されることはなかったのか。考えても仕方がないことを、時々考えてしまう。

 今は、実際に見聞きしたこと、自身の経験をもとに、ルーヴェントから逃れる策を講じるより他ない。


 後宮では実際、子が出来た女はルーヴェントにとって()()()とされた。それは世継ぎを残す仕事を成した、という意味ではない。女としての価値がなくなったということだ。

 メルティナも、八回目に経験している。

 (はら)に子が宿るや、彼の興味はふつりと他へ移った。産み月を迎える前に子が流れた後も、二度とメルティナのもとを訪うことはなかった。

 十二回目で王妃となった時だって、二人の間に子はなかった。ルーヴェントは神経質なほどに、避妊だけは徹底していたのだ。

 (タネ)殺しのため、女の体内に丸薬を仕込むのだが、この薬に含まれる毒草は非常に刺激が強い。そのせいで、下腹からはしばしば出血を伴った。そこに愛撫など加えられると、胎を内側から灼かれるようで、息を詰めねば堪えられないほどの苦痛であった。


「ルーヴェント殿下の気を逸らせるのに、最も有効なのは……。わたくしが実際に身籠ればよいのかと――」


 今度、茶器をガチャリと鳴らしたのはアルベリオスのほうだった。

 彼は眉間の皺をますます深くして、低い声で問う。


「……相手はどうするつもりだ」

「相手……?」

「まさか聖女は、子を一人で孕めるとでも思っているのか」

「いいえ、そのようなことは」

「では、誰か当てがいるのか?」


 彼は少し、苛立っているようにも見えた。

 聖女であったメルティナに、そんな存在いるはずがない。今更なにを言っているのだろうと、アルベリオスの発言をメルティナは不思議に思う。

 そして、困った末にこう答えた。


「わたくしの夫は……あなた様なのでしょう?」


 瞬間、アルベリオスの表情が揺らいだ。

 眉間から力が抜け、金色の瞳が丸く見開かれる。そうするとまるで普通の青年だ。

 しかしすぐに、何事もなかったかのように目元を鋭くし、唇の端を不敵に吊り上げた。


「ふっ……、ははははは! 卑しき男から逃れるため、聖女が自ら皇帝を口説くか!」


 ひとしきり笑い、アルベリオスはメルティナの手に口づけを落とす。魔光石に照らされた瞳が、あまりに強く輝くので、メルティナは眩しさから視線を逸らした。


「いいだろう。その豪胆さに免じ、情けをくれてやる」

「えっ……あ、あのっ」


 熱い手のひらが背に回され、アルベリオスの吐息がこめかみをかすめるとともに、軽々と抱き上げられた。

 寝台に組み伏された途端、恐ろしい記憶が火花を上げて蘇る。メルティナは思うより早く、両手でアルベリオスの体を押し返した。


「お、お待ちください……。性急ではございませんか」

「無理強いをするつもりはないが……。ルーヴェントから逃れたいんだろう?」

「……っ」

「わたしも、我が妻にいつまでも横恋慕されるのは不愉快だ」


 ありもしない沈香の香りが、鼻先にくゆる。ぞわりと這い寄る寒気に、メルティナは震えた。

 抵抗をやめ、息を整える。


「……酷く、しないで、ください」

「努力しよう」


 メルティナは自分に言い聞かせた。これは生き延びるために必要なのだと。そして、これまでとは違うのだと。

 何も告げられず、暴力で押さえつけられるのとは違う。今回ばかりは合意の上に成る行為だ。何も恐ろしいことはない……メルティナは目を閉じる。

 静かに身を任せるつもりで、じっと唇を引き結び、その時を待った。――しかし。


「興が醒めた」


 のしかかった体温が離れていく。目を開くと、アルベリオスはすでに寝台を下りていた。


「頑なに閉じた唇を貪ったところで、美味くもない。今夜はもう休みなさい。ラキァ、我が妻に寝支度を」


 アルベリオスと入れ替わりに、ラキァが寝室に入ってきた。

 彼女は何事もなかったかのように寝具を整え、着替えも手早く済ませる。そしてメルティナをさっさと寝台に横たわらせ、己の仕事ぶりに満足して笑んだ。


「申し訳ございません。あなた方の敬愛する、皇帝陛下のご機嫌を損ねてしまったようです」

「お気に病むことはございません。陛下は魔性の御方。きっと、メルティナ様の光気に当てられただけでございますよ。さぁさ、ゆっくりお休みくださいませ」


 ラキァの柔らかな声は、凍ってヒビが入ったメルティナの心に温かく染み渡る。ゆったりと訪れた睡魔に手を引かれ、メルティナは長かった一夜に帳を下ろした。



 ***



 メルティナの居室を出たところで、アルベリオスは扉にもたれて天を仰いだ。そのまま、ずずず……と背を擦らせて崩れ落ちる。


「……子を、もうける……だって?」


 両手に顔を埋め、膝を折り曲げた姿勢で縮こまる。黒髪から覗く耳が、燃えているかのように真っ赤だ。

 そのまま動かずにいると、つかつかと足音を立て、一人の男が声をかけてきた。


「やあやあ、皇帝陛下。プロポーズはうまくいった?」

「ヴァルか……」


 タルヴァニアの剣聖とも呼ばれる、アルベリオスの剣術指導者だ。気安い態度は幼馴染のよしみゆえ、公の場でもなければ、咎める者はここにはいない。

 アルベリオスは憂いの深い、大きな息を吐く。


「うまくいっていたら、こんな所にうずくまっているか……」


 長年、恋焦がれてきた聖女を、やっと城へ迎えられた。しかし成り行きとはいえ、二度も彼女を抱き上げて、果ては押し倒してしまうなど、彼の予定になかったのだ。


(羽根のように軽かった……。それに、ひどく怯えていた……)


 紳士らしからぬ失態に打ちひしがれる一方で、腕の中に残る、か弱き者の温もりが胸を熱くさせる。


「……あああああ、なんと愚かな」

「もしもーし。おーい、陛下ぁ? 大丈夫?」

「この日のために何通りもの言葉を用意してきたのに、いざ彼女を前にすると頭が真っ白になってしまう」

「あらまぁ、北方の覇者たる陛下が、たった一人の女性にこんなに弱くなっちゃうなんてね。まあまあ、立ちなって。いつまでも下を向いてたら、よくないよ」


 ヴァルの筋張った手が、一息にアルベリオスを引っ張り起こす。

 立ち上がると同時に、背後の扉が開いた。出てきた侍女は、細い目をほんの少し見開かせる。


「んまっ、陛下? こんなところで何を……」

「……メルティナの様子はどうだ?」

「よほどお疲れだったのでしょうね。すぐにお休みになられました」

「そうか……しかし君がそばにいれば、彼女も安心するだろう。よろしく頼む」


 ラキァはやれやれと肩をすくめ、ため息をついた。


「お言葉ですけど、陛下。あなたがメルティナ様を不安にさせて、どうするんです?」

「……ぐうの音も出ない」

「だいたい、あの似合わない高慢ちきな態度は何です? すっっごくやな感じ! メルティナ様も引いてらっしゃったでしょう?」


 乳姉弟のラキァもまた、ヴァルと同じく皇帝相手に容赦がない。侍女として友人として、二つの目をもってアルベリオスに忠言できる、かけがえのない存在だ。


「いや、あれは……マルケスをたっぷり脅かさなくてはと思って、念入りに役作りしていったんだ。そしたら、抜けなくなってしまって……。それに、少しくらい、彼女に男らしいところも見せたいと……」

「呆れた! あのねぇ。いい格好をする前に、きちんと自分の想いを伝えなくちゃだめでしょう?」

「あ、それは僕もラキァに同意。ちゃんと言ったのかい? 慈悲深く、お美しいあなたをずっとずっと愛してました――って」


 アルベリオスは顔を真っ赤に染めて、またもうずくまってしまう。


「だから、それが言えたら苦労はしないんだ……。みんながみんな君たちのように、わたしの言葉をそのまま鵜呑みにしてくれると思わないでくれ」


 死を経験するたびに、生まれた瞬間から()()()人生を繰り返している――そんな馬鹿げた話を、()()信じてくれるのは幼馴染の彼らくらいだ。


「あれ? 僕ら、褒められてるの? けなされてるの?」

「ああ、もうっ……。感謝してるんだ!」


 いたたまれず、両手で顔を覆う。ヴァルが来る前の状態に逆戻りだ。


「情けないけど、そのほうがよっぽどあなたらしいわよ。彼女にも、それくらい素直になったらいいのに」

「素直とか、そういう問題じゃないだろう……。死に戻り人生の、ある一角で――悪しき者に肉体を奪われた挙げ句、カエルにされた男ですが、呪いを解こうと心を砕いてくれたあなたに、ずっと焦がれてきました。生涯をかけて守り、慈しみ、愛する。あの晩、無惨に散った誓いを、今生こそは果たさせてください――と。そう伝えるのか? 彼女はメルティナであって、わたしの会ったメルティナじゃない。積年の想いを口にしたところで、何も知らない彼女には、気味が悪いだけだ……」

「アズ」


 幼馴染たちは親しみを込めてそう呼び、勇気づけるように彼の肩を叩く。


(ああ……これからどんな顔で、彼女の信頼を得ていけばいいんだ)


 メルン――。

 そう呼べば、アズ様――と返ってきた声が、今はとても遠くに感じられた。


挿絵(By みてみん)

〈第二章に続く〉

真タイトル「死に戻り合った両片想いの二人が本当の夫婦になるまで遠回りする話」開幕です

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