〈本当の愛を知った聖女は、もう死に戻らない〉後※
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唇を幾度重ねたか、数えるのが追いつかない。息が足りず、それでも尚こぼれ落ちる吐息は、熱を帯びて互いの耳をくすぐった。
「……お待ちください」
衣の最後の一枚が解かれる時になって、メルティナは急に我に返った。指先になけなしの力を込めて、アルベリオスの胸を押し返す。
金の眼差しは穏やかで、呼吸を合わせるように彼女の言葉を待った。
「その……恥ずかしい、です……」
寝具を引き寄せ、メルティナは布越しに声を震わせた。
アルベリオスは照れ臭そうに頬をかく。
「……隠しても、あなたの肌の美しさは目に焼きついていますよ」
だって――、と。
メルティナの口からは、幼い言葉がこぼれる。
「これまでは、戦いに臨むような意気込みでおりましたから……」
「わたしを仇だと思っていたのですから、無理はない。あなたの潔さには、本当に驚かされた」
「……ですから、今はじめて、愛するひとの前に素肌を晒しているようなものなのです」
アルベリオスはもじもじと蠢く寝具の小山を掻き分け、現れた真っ赤な頬に唇を寄せた。
「ゆっくりでいいので、これまで受け流されてきたわたしの想いを、もう一度その身に受け止めてください」
アルベリオスはいつだって、先を急がず、メルティナの気持ちを確かめるように触れる。ただ撫でるような指先の動きさえ、確かな熱を残していく。
その温かさは、肌を合わせることは恐ろしく、おぞましい行為だと刻みつけてきたメルティナの心を、そっと包み込んだ。
それでもふいに、忘れられない傷が疼き、逃げたくなる時がある。それなのに、指先は彼の衣を掴んで離せない。もっと近くにいてほしいとさえ思ってしまう心の変化に、メルティナはまだ追いつけずにいる。
「待って……!」
声が上擦り、吐息が乱れる。
「……怖い」
「大丈夫ですよ、メルン。今日はここまでにしましょう」
手を止めるとともに掛けられた、気遣わしげな声に、メルティナは即座に首を振った。
「無理をしないで。あなたの嫌がることはしたくない」
「違うんです。嫌ではないから……怖いんです。このようなこと、穢らわしいと思っていたの。快楽に身を委ねるのは、あの男と同じ――。なのに……どうして?」
言葉を連ねるごとに涙が溢れて、止まらない。メルティナは無様な顔は見せまいと、手の甲を濡らしたが、かえって子供っぽくて情けなくなる。
「あなたに触れられると、どうしてこんなに、ままならなくなってしまうの? 怖いの……自分が自分ではなくなるようで」
「メルン……わたしを見て。わたしの瞳に映る、あなたを見てください」
蛍光石のカエルが放つ、静謐な光に金色の瞳が煌めく。その瞳の真ん中に、メルティナはいた。
「わたしの腕の中にいるあなたが、どんなに愛しく映っているか、教えてあげたい。触れると花色に染まる肌を見ていると、わたしも身体が熱くなるんです」
涙を拭う大きな掌の熱さに、メルティナは肩を震わせる。
「あなたの吐息が耳をかすめるたび、鼓動が止まりそうなほど身体が痺れ、愛しさがとめどなく溢れる……。だから、もっと触れたくなるんです。そのせいで、あなたが心を乱したとしても、それを穢れとは呼びたくない。あなたが、わたしを受け入れてくれた証だ。わたしは、それが嬉しい」
あの男とは違うのだと教え聞かせるように、額に……瞼に……、ゆっくりと口づけが落とされる。
それだけで、胸の奥がきゅっと震える感覚に、メルティナは目を伏せた。
逃げ場のない距離で名を呼ばれるたび、涙が出るほど嬉しくなる。恐怖が消えたわけではないが、心に別の感情が芽生えるのを、メルティナは確かに感じていた。
大切にされている――。その実感が、変わりゆくことへの戸惑いに、赦しを与えてくれた。
どれほどの時が経ったか……。
気付けば、寝具もしっとりと湿り、肌に触れる空気さえ、どこか温かい。
メルティナは控えめに、アルベリオスの手を引いた。口を開くも声が掠れ、小さく咳払いして喉を調える。
「アズ様、もう十分です」
「疲れましたか?」
「……わたくしだけ、触れていただくばかりで、申し訳なくなります」
相手に喜んでほしい。そんなふうに感じたのは初めてだ。
しかしアルベリオスには、いつもの調子で穏やかに拒まれてしまう。
「わたしが、したくてしているだけですから。何も気を遣わなくていいんですよ」
「そうではなくて……」
メルティナはこれ以上ないほど顔を赤くして、アルベリオスを引き寄せるように、首筋に腕を絡めた。消えてしまいそうな声を、耳のそばで震わせる。
「ここから先は、あなたと一緒がいい……です」
アルベリオスは息を詰まらせ、メルティナを覗き込む。熱を孕んだ瞳は、どこまで行っても互いの姿だけを映していた。
そんなふうに求められることがあろうとは、アルベリオスは夢にも思わなかった。胸の奥が締め付けられ、理性が悲鳴を上げている。
嬉しくて泣いてしまいたいのを何とかこらえ、アルベリオスは困ったように笑った。
「その顔は反則だ――」
唇が触れ、離れ、また触れる。
これまでより深く、長く――息が混じり合って、どこからが自分の吐息なのか分からなくなるほど、何度も重ねた。
どんなに近い距離にいても、触れ合った肌は別々の体温を宿す。互いが違う生き物だと確かめながら、温もりはやがて、ひとつの熱に混ざり合う。そうして、身体を隔てる境界も、少しずつ溶けていった。
身体の内側を押し広げる彼の熱には、まだどこか躊躇いがあった。少しずつ距離を詰めては、確かめるように気遣わしげな視線を落とす。
気を遣わなくていいと告げておいて、一番心配性なのは彼だ。
メルティナはその背を抱き寄せ、強張っていた身体を柔らかく開くと、自らの意志で彼を奥深くへと迎え入れた。
「……っ」
アルベリオスの喉の奥から、押し殺したような声が漏れる。
「ああ……もう……ずるいな」
声は低く掠れ、それ以上言葉が続かない。代わりに、メルティナの額に自らの額をこつんと合わせ、彼は深く息を吐いた。
「可愛すぎるでしょう……」
余裕のない顔と、整いきれない荒い息を間近にして、メルティナは胸が切ないような、嬉しいような気持ちになった。アルベリオスが言っていたのはこれなのだと実感し、愛しさを募らせた――。
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隣室の暖炉の火も、すっかり熾火となり、辺りを静けさが包む。
カエルの置物の明滅と一緒に、鼓動はゆるやかに脈打っていた。それに合わせるように髪を梳くアルベリオスの指が、メルティナを穏やかな眠りへ誘う。
身動ぐと、熱の名残りを身体の奥に感じ、気怠ささえ心地よい。この安らぎは、彼の腕の中でしか得られないと気付くと、ますます胸に満ちるものがあった。
「アズ様」
「どうしました、メルン」
「子を宿すことに躍起になり、誤った道を歩んで参りましたが……。今は心から望んで、家族が欲しいと思えます。あなたとの未来を紡ぐために」
「ええ。あなたに似れば、きっと世界いち可愛い。その日が待ち遠しいです。……でも」
「――でも?」
「もうしばらくは、二人だけでこうしていたいな」
「まぁ……ふふふ」
二人の穏やかな笑い声も、夜の深まりとともに、寝息へと変わる。
朝日が差し込むまで、互いの腕が解かれることはなく、温かな目覚めをともに迎えた。




