Scene4〈誓いは果たされる〉
荒々しい息遣いと戸惑う声とが、次第に歓声へ変わる。衛士たちの間を駆け抜けて、ラキァがアルベリオスに飛びついた。
「ああ、アズ! とうとう終わったのね! もうこれで本当にベルネルに怯えなくていいのね!?」
「そうだ……、終わった……終わったんだ! 蘇りし聖獣の裁きによって!」
ナィナの神々しく、強大な姿を畏れ、人々は遠巻きに跪く。
「聖獣って……本物の?」
「話せば長くなるが、ザンドリスの神獣ナィナこそ、タルヴァニアに伝わる聖獣だったんだ。その復活を、かの国の王女らが助けてくれた。今はヴァルたちが残り、どうにかマルケスの説得を試みてくれてはいるが……我々が神獣を奪ったと追及されかねない。わたしもすぐに戻らねばならないが……メルティナはどこだ?」
誰もが口を噤んだ。いや、返すべき言葉を彼らも見失っていたのだ。
ラキァも思わず瞳を伏せて、瓦礫の山を指差す。
アルベリオスの顔が一瞬にして青ざめたのち、彼は自らを勇気づけるように首を振った。
「いや――まだ……まだメルティナは生きている」
アルベリオスはナィナを降り仰いだ。
夢の中でナィナと一体になっていた彼にはわかる。メルティナが死ねば、ナィナはこうも落ち着いているはずがないのだ。
アルベリオスが捜索の再開を指示し、自らも率先して瓦礫をどける。
ナィナもしばらくその辺を鼻で探っていたが、一ヶ所でぴたりと動きを止め、突然身を横たえた。水晶でできた蓮の花を、前足の間に抱き込むようにして、くるる……と喉を鳴らす。
人間の拳大ほどの蕾は、ナィナの吐息で吹き飛ばされてしまいそうに儚い。しかし、巨大な聖獣は花を守るように、愛おしい眼差しで見つめている。
「まさか……そこにいるというのか?」
そんな馬鹿な――どよめきの中で、アルベリオスは一縷の望みをかけ、手をかざす。
すると、ぴったり閉じた花弁の隙間から、澄んだ青い光が漏れた。
「ああ……これは、彼女と作った蛍光石の光だ。こんな所に閉じ込められて、恐ろしかっただろう。メルン……今、お助けいたします――」
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開いた目蓋の向こうに、白く濁った水晶の壁があった。
メルティナは意識が戻ってから、指先の一つも動かせないまま、小さな体で横たわっていた。
遠くにざわめきが聞こえる。
無力に涙が頬を伝った。
視界の端に転がったカエルの置き物が、息絶えたように横たわる。
「アズ様……」
どうしたら、あの雨の夜に戻れるのだろう。
自らの命の灯火を吹き消したら、最良の人生へ道が続いていやしないものか――。弱気が首をもたげ、心が萎えていく。
「そんなの、だめ……」
メルティナの脳裏に、タルヴァニアで出会った人々の顔が浮かんだ。
ベルネルを呼び覚ましてしまった罪を捨てて、自分だけ死に逃げるなど、メルティナが許せることではない。
自分はここにいる――。
石のように重たい体で、最後の力を振り絞り、置き物に手を伸ばした。
すると、蛍光石のカエルがほのかに光を宿した。青い光が、鼓動のように明滅を始める。
その温かな光は、花弁の隙間から外へとこぼれた。閉ざされた花の外で、誰かが息を呑む気配がする。
「――メ……ル……――!」
外から、声が聞こえた。
しゃがれた声で、呼びかけてくる。
やがて、隘路を潜り抜けて、声の主は現れた。青いカエルが、花弁の隙間から軽快に着地する。
「メルン! 助けに来ました! どこです!?」
メルティナは目を、耳を疑った。
ずっと《《彼に》》会いたいと願っていた。
だが、この世界の彼は、メルティナを知るはずもないのだ。
「……アズ様……?」
「メルン!? ああ、なんとおいたわしい姿に……!」
青ガエルは、小さなメルティナのそばへ、ぴょんとひとっ飛び。頼りなく投げ出された体を抱え起こし、地団駄を踏んだ。
「ベルネルの奴め、やはり許せない……! ――ああ、ですが安心してください。もう恐ろしいものはいません。さあ、わたしの背に乗って。ここを出ましょう!」
「これは……なんて……よく出来た夢なのでしょう。アズ様……」
メルティナはカエルの首に弱々しく腕を回す。
「夢でもいい。お会いしたかった……あなたとこうして、言葉を交わしたかった」
「夢ではありません。わたしは、雨の夜に沼のほとりで出会い、数日の逃避行をともにしたアズです」
「そんなはずは……ありません」
「信じてください。わたしたちは、とても似ていたのです。追われて、逃げていたことも。死を繰り返し、この生に囚われていたことも――」
死を繰り返し――彼の言葉が、メルティナの頭を強く打った。
「本当に……?」
「ええ。さぁ、もう外へ行きましょう。あなたには、解呪と治療が必要だ」
カエルは蛍光石を拾うのも忘れずに、来た道を引き返す。
幾重にも重なった花弁は硬く、こじ開けようにもびくともしない。カエルは狭い道を、メルティナを落とさないよう気をつけながら、風の流れるほうへと向かって這い上がっていった。
その道すがら、カエルはこらえきれずに、はにかみながら本音を吐露した。
「不謹慎かもしれないが、今は少し嬉しいな。あの時のわたしは、あなたの掌に収まるほどの小さな存在だった。それが今はこうして、あなたを背負い、救い出せる。少しは、情けなかった印象を払拭できたでしょうか」
「どうして、そのようなことを仰るのですか? アズ様はいつだって……わたくしの心の星でしたわ」
か弱くも、確かな温もりで背中を焼かれ、青ガエルは途端に、真っ赤な茹でガエルになってしまった。
***
カエルの背中から見渡した外の世界は、すっかり変わり果て、メルティナの目には地の果てまで荒廃してしまったように映った。
「わたくしは……我が身可愛さに、なんという結果を、招いてしまったのでしょう」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
そこへ、耳に親しんだ声が駆け寄ってきた。
「メルティナ様! 本当にメルティナ様なの!? なんてこと……こんなに小さくされてしまって……!」
「ラキァ……」
「でもっ、ご無事で本当によかった……! みんなもピンピンしてますからね、大丈夫ですよ!」
「本当に? ……よかった」
アズは、そっと体をよじってメルティナを下ろす。
「メルン。上を見上げてください。我々を救ってくれた聖獣も、あなたとの再会を心待ちにしていましたよ」
「え――」
見上げても、見上げきれないほど大きな何かが聳え立っていた。あまりの眩しさに目が眩んだメルティナを、アズは咄嗟に支えた。
「呪いを解くほうが先ですね。ええと、その……呪いを解くには、以前もお話したかと思うのですが、あ、あ……あ――」
「愛する方のくちづけ――でしたね」
「はっ、はい――!」
アズは緊張のあまり、全身が心臓になってしまったようだ。胸の拍動と一緒になって、落ち着きなく飛び跳ねる。
「本当に、わたしでいいのですね?」
「あなた以外におりません」
メルティナはそっと目を閉じる。
アズを想う気持ちで胸が満たされているのに、瞼の裏にはなぜか、金色の眼差しが瞬いた。
迷いを断つように固く瞼を合わせると、胸がちくりと痛んだ。
かすかな湿り気が、唇に触れた。
ゆるやかに目を開くと、カエルの体がぐんぐんと小さくなっていく。いや、メルティナが元の大きさに戻り始めたのだ。
呪いが解けるともに、アズから分け与えられた魔力で、体からは疲労が取り払われた。しかし、重たいしこりが残ったように、心はずしりと重たかった。
アズを取り戻した代わりに、何か大切なものを失くしてしまったような――。
「よかった。無事に戻れましたね」
しゃがれた声がして、掌に目をやったメルティナは眉をしかめた。
青いカエルが、置き物の真似をするように首を傾げている。
「アズ様のお姿に、変化がございませんのは……わたくしでは、呪いを解くには足りない――ということでしょうか」
メルティナの肩が、頼りなげにしゅん……と落ちるので、アズは青い顔面を蒼白にして、飛び跳ねた。
「断じて違います! わたしのこれは、呪いではなく……自らの意志で変じたものですので」
隙間を通るために、カエルの体が必要だったという。
そして、アズは少し照れくさそうにもじもじと身を縮こめた。
「……本当の姿を知ったら、がっかりするかもしれない」
「いたしません」
メルティナの真っ直ぐな瞳に、アズはとうとう心を決めた。
ケロッ――。
一声鳴いて、掌から下りる。
ゆっくりと、輪郭が溶けるように揺らいだ。瞬きをする間に姿が露わになり、メルティナは目を瞠る。
「あ……」
今日まで、アズがどんな姿をしているか、何度も思い浮かべてきた。
だが目の前に現れたのは、想像のどれとも違う。そして、知らない人物でもなかった。
漆黒の髪の間から、金色の瞳が覗く。
「陛下――なのですか?」
「……はい」
いつも毅然と構えていた皇帝が、どこかばつが悪そうに、眉を下げて見つめてくる。
その金色の眼差しを恐れていたのが嘘だったかのように、メルティナは胸が温かくなるのを感じた。
引き裂かれるように軋んでいた心が一つになって、喜びと安堵に満たされていく。瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れた。
「何ということでしょう……わたくしは、まだ夢を見ているのですか?」
「いいえ、ここにともに在ります。ずっと、長い悪夢を彷徨っているようでしたが、今ようやく……わたしたちは、夢から覚めたのです」
縋るように飛び込むメルティナを、アルベリオスの腕が抱き留める。
「アズ様」
「はい」
「アルベリオス様」
「はい。わたしです、メルン」
互いに、ひとつひとつを噛み締めるように、抱擁を交わす。
「ずっと、おそばにいてくださったのですね。こんなに近くに……。それなのに、わたくしはどうして気付けなかったのでしょう」
「わたしに勇気がなかったのです。あなたに拒まれるのを恐れ、精一杯格好をつけようとしていた。ああ、もうっ……最後の最後で、情けないったらないな」
「いいえ……」
顔を上げたメルティナの頬は柔らかに綻び、涙さえ輝く。
「あなただから、わたくしの心は、こんなにも揺さぶられるのです。――生きてきて、よかった」
「メルン……。もう一度、誓わせてください。生涯をかけて、あなたを守り、慈しみ、愛すると」
「わたくしも、誓いをともにいたします」
その時を待ち侘びていたナィナが、鼻先で二人をすくい上げる。
北の地に、ようやく訪れた平穏の時を告げるように、おっとりと喉を鳴らす音が響いた。




