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Scene 2〈初めましての夜〉※


 蓄光石の灯籠が、メルティナを乗せた客車の中を淡く照らしていた。あまり質がよくない石なのか、ちかちかと目にうるさい。護送のために同乗している騎士から浴びせられる視線も落ち着かず、メルティナはこれまでの人生と同じように瞳を伏せた。


 目を閉じると、馬車の揺れが顕著に体へと伝わってくる。王都を離れるほどに道は悪くなり、街道の脇には鬱蒼と木々が茂り始めた。行き着く果てが、いかに寂しい場所かをうかがわせる。

 しかしこの馬車が、追放先である辺境へ辿り着くことはない。


(この先で、あの男が……待っている――)


 体の芯から凍てつくような寒気が這い上がり、メルティナは細い体を両腕できつく掻き抱いた。

 初めて追放された日のことは、癒えぬ傷痕となり、メルティナを蝕む。


 初めて断罪された一度目――、この先の分かれ道で、メルティナの乗る馬車を停めた男がいる。その男は、自らを隣国グランフィルドの王太子ルーヴェントと名乗った。

 ルーヴェントは聖女に降りかかった理不尽な事情を知るや、メルティナを憐れに思い涙した。そして、その場から救い出し、自国へと連れ帰った。

 この世の者と思えぬ美しい彼の顔貌と、柔らかなひととなりに、絶望の淵にいたメルティナは、これは神の遣わした慈悲なのだと信じて疑わなかった。


 ところが、グランフィルドの王宮に着いた途端、ルーヴェントの態度は一変する。


 慈悲深く差し伸べられたはずの手は、枷のようにメルティナの自由を奪い、潔き処女(おとめ)の身を蹂躙したのだ。

 メルティナも人の子である以上、愛し合う者たちが何を語らい、どんなふうに互いを慈しみ合うかを、全く知らなかったわけではない。だが、あの夜にあったのは、そのような尊き交わりなどでは決してなかった。

 ルーヴェントの行為には、情もいたわりもない。女体を玩具にして弄ぶ、ただの暴力でしかなかった。


 あまりに残酷な夜に、メルティナの絶望は深く、翌朝には命を絶った。

 そしてわけも分からぬまま巻き戻された二度目は、ルーヴェントから逃げ出そうとして、衛兵に斬られた。

 三度目――ようやく彼女は気づく。これは偶然などではなかったのだ、と。


 近年、ザンドリス産の蓄光石は価値が下がり、他国への売却も滞っていた。そんな折、隣国グランフィルドが、高値での独占買い付け契約を申し出てきたのだ。

 見返りとしてマルケスは、メルティナを次期国王への「贈り物」として差し出した。ルーヴェントが手を差し伸べるところまで、すべてが仕組まれていたのだ。

 ()()無垢な体に、染みついた暴行の痛みが生々しく蘇る。


(このおぞましい運命を断ち切るために、わたくしにできることは……)


 幾度も生と死を繰り返す中で、少しずつだがわかってきたことがある。

 ルーヴェントは執念深く、どこへ逃げてもメルティナを追ってくること。

 誇りと尊厳を捨て、従順を装っていれば、ルーヴェントの機嫌は損なわずに済むこと。そしてうまく立ち回れば、彼の取り巻きを懐柔できることまでは検証済みだ。


(あのまま後宮を牛耳ることができたならば、マルケスとルーヴェントの両名を告発できたかもしれない……あと一歩というところで、寵姫の一人に裏切られなければ)


 前回の生を振り返り、メルティナは奥歯を噛み締めた。頼れる者は誰もなく、己で道を切り開くしかないと、死に戻るたびに心は頑なになっていく。

 その孤独な心に寄り添うかのように、静かな雨音が客車の天井を叩いた。


(涙さえ流せないわたくしの代わりに、天が泣いてくれているかのよう……。――雨?)


 メルティナは、はっとして目を開いた。

 硝子窓は、真珠のような雨粒で濡れている。


(この夜に……雨が降ったことなど、一度だってなかった……。これは、何かが変わる兆しでしょうか。それとも――)


 そう思った矢先、馬車が大きく揺れた。進行方向に傾いて、メルティナの体は対面する騎士のほうへ転がり出しそうになる。

 どうにか持ちこたえて座り直したものの、馬車は急停止したまま動き出さない。客車の小窓越しに馭者が言うことには、車輪がぬかるみにはまって抜け出せないようだ。


(こんなことは今までになかった……。もし、ここで逃げ出せたなら、わたくしの運命は違うほうへ向かうかしら……)


 わずかな希望が、心に灯る。メルティナは、そっと窓の外をうかがった。

 ところが視界を遮るように、メルティナと窓の間に騎士の手が差し込まれる。


「じっとしていてください」


 逃げようなどと考えるな――、そんな気迫を感じる目だ。

 しかし一方で、彼には焦りが見えた。メルティナを監視しながら、落ち着きなく足を小刻みに上下させている。ルーヴェントと落ち合う時間を気にしているのだ。


「このような鬱蒼とした林道で立ち往生していては、危険ではございませんか。馭者様をお手伝いされてはいかがでしょう」


 メルティナが心配そうに声をかけるも、騎士は頑として首を縦には振らない。そう簡単には、引っかかってくれなかった。

 いかに監視の気を逸らそうか考えていると、車内に下げた灯籠が、激しく明滅した。道中、チカチカとうるさかった蓄光石が、ふっ……と最後の息を吐き切るように爆ぜる。そしてとうとう光を失った。

 途端に、客車は闇に飲まれ――メルティナの待ち望んだ好機が訪れた。


 蓄光石を入れ替えるのに苦慮している騎士の隙をつき、メルティナは扉に体当たりして、表へ転がり出た。

 馭者がかざした灯りから逃れるように、闇の中をがむしゃらに走る。すぐに、騎士が追いかけてくる足音が迫ってきたので、茂みの奥に身を潜めた。

 水たまりを跳ね上げて足音が遠ざかるのを確かめてから、メルティナはさらに奥へと進んだ。


 ***


 やがて、うっすらと明かりが射す、拓けた場所に出た。

 泉か池か――水場に、雨粒が波紋を描いている。虫たちの憩いの場所らしく、辺りの草むらからはたくさんの虫たちの声がした。


――りんりんりん

――ジィーッジゥィーッ

――ケロケロロ


 緊迫し潰れそうな胸を、虫たちの合唱が慰めてくれる。一度、息を整えて、メルティナは辺りを見渡した。

 泉にはいくつもの石が頭を出していて、飛び石にすれば、先まで渡れそうだった。


(この場に留まっていても、いずれ見つかってしまうなら……)


 どこに行き着くかはわからないが、いつもと違う運命の予感に引き寄せられるように、メルティナは一歩を踏み出す。


――ケロロケロ


 虫たちの合唱の中、カエルの声が妙に大きく響いた。なぜか気になる声だったが、メルティナは構わず、もう一歩踏み出す。

 するとまた――。


――ケケロケロケロ!


 カエルの声が大きくなる。

 なんだか誰かに見られているようだ。メルティナはきょろきょろと、辺りを見回す。騎士の気配はないし、特におかしな様子も感じない。

 なのでもう一つ先の石へと、足を伸ばしたその時――。


「ああ、もう見ていられない! 戻ってください、そこは底なし沼ですよ!」

「え!?」


 茂みの中から、しわがれた声が飛び出した。もう追手がやってきたのだと、メルティナはぎくりとする。


「そのまま、来た石に戻って、ゆっくり引き返して」

「ですが……」


 しわがれた声の持ち主の姿が見えず、メルティナはその言葉をどう受け取ったらいいかわからない。底なし沼というのは嘘で、メルティナを捕まえるためだったら、引き返すのは愚策……。だが、本当に底なし沼だとしたら……。


「雨が強くなってきました。足を滑らせないよう、気をつケロ」

「……ケロ?」

「あっ、いや、これはその……」


 追手ではなさそうだ。

 なんなら、人間でもないかもしれない。

 メルティナは少しだけ肩の力を抜きつつも、警戒は怠らずに飛び石を引き返した。

 葉陰に目を凝らすと、夜光虫の淡い光に、くりくりとした丸い目が二つ瞬いた。


「どなたか、いらっしゃるのですか?」


 そっと手を伸ばすと、それはためらいがちに姿を現した。手のひらに、ひんやり湿った何かが触れる。

 ナィナの前足にメルティナが乗る時のように、ちょこんとお座りして見上げてくる。それは青い宝石にも似た、一匹のカエルだった。

 

「まぁ……なんと神秘的な……」


 メルティナが吐いた感嘆の息を浴び、カエルはくすぐったそうに頭をひねる。


「人前で話すつもりはなかったのに、参ったな」


 しゃがれた声が、夜気を揺らす。

 あのまま、メルティナが沼に沈むのを黙って見てはいられなかったとカエルは鳴いた。


「お優しいのですね。助けていただき、ありがとうございました。重ねて図々しいお願いではございますが、こちらにお住まいのカエル様のお知恵を、お借りできますか? ここから林道に出ず、遠くへ抜けられる道をご存知でしょうか?」


 メルティナは落ち着いた声音で問いかけるが、隠しきれない焦りが、喉の奥に滲む。

 不安が現実となるように――カエルが答える間もなく、茂みが揺れた。鎧がガチャガチャ鳴る音が迫ってくる。

 メルティナの体が強張った。

 カエルも何かに怯えて、手のひらの中でびくりと身を震えさせる。そして、しゃがれた声をひそめて早口に囁いた。


「身を低くして。右斜め前に五歩行くと、茂みの根本が婉曲した部分がありますから。そこに隠れましょう」

「……やってみますっ」


 言われた通りに、メルティナは動いた。それとほぼ同時に、水辺に飛び出してきたのは――やはり、馬車に同乗してきた騎士だ。

 メルティナは祈るように、両手の指を絡める。カエルを潰さないように、そっと――だ。


「あなたを探しているのですか」


 辺りを注意深くうかがう騎士を盗み見て、カエルが囁く。メルティナは声を出さずに、小さく頷いた。


「見つかったら……命の危険が?」


 それよりもっと酷いことが待っている――だが語るすべはなく、メルティナはもう一度頷く。

 するとカエルは、もぞもぞとメルティナの手のひらから滑り出て、足元に着地した。


「失礼。靴を貸していただけますか?」


 気をつけて脱いだ靴の片方を、カエルは渾身の力で汀まで運ぶ。ひょいと跳び上がって中に収まると、靴を小舟、両手を櫂にして水面を漕ぎ出した。

 沼の真ん中まで行って、とぷん――と水に飛び込む。


 水音に、騎士は敏感に反応した。暗がりの中に顔を覗かせた白い靴を見つける。彼は目を剥いて飛び出した。

 初めはジャブジャブと、水を蹴る音がしていた。だんだんと、粘りつく泥を含んだ音に変わり――騎士も戸惑いの声を上げる。

 危ういところで手近な石にしがみつき、命は繋ぎ止めたが、胸まで沼に飲まれ、彼は身動きを取れなくなった。


 恐ろしげな出来事に、メルティナが息を呑んでいると、足元でびちゃりと音がした。泥の塊が打ち上がったのかと思いきや、あのカエルだ。

 カエルは汚れた体を雨で洗い流し、ぺこりとお辞儀をした。


「すみません。貸してくださいと言いましたが、靴は返せそうにありません」


 律儀で勇敢なカエルに、メルティナはくすりと嘆息する。


「とても履き心地の悪い靴で……本当はずっと脱ぎ捨ててしまいたかったの」


 言うが早いか、メルティナはもう片方の靴も沼に放り捨てた。

 マルケスが用意し、ルーヴェントのもとへ行くための靴など必要ない。


「カエル様、お願いです。わたくしはある男から逃げ延び、人として尊厳を保って生を全うしたいのです。道を教えていただけますか?」

「……あなたも、追われる身とは。わかりました、これも何かの縁。安全な場所へ出られるまで、ともに参りましょう」


 ぴょこぴょこと飛び跳ねる青ガエルのあとを、メルティナは素足で追いかけた。



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