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Scene3〈千年ぶりの再会〉オリアンド



 ◆◆◆


「メルティナ様! ご無事ですか、メルティナ様! お願い……返事をして!」


 迷宮の外では、ラキァが喉を裂かんばかりに叫んでいた。

 衛士たちも剣を構えて迷宮に立ち向かうが、堅牢な壁は心を閉ざすかのように彼らを拒む。

 ザンドリスにいるアルベリオスに、危急の報せは届いた頃合いだろう。しかし、戻ってくるのはいつになるか……メルティナの救出が急がれた。


 半刻ほど経った頃、突如として地面が震え始めた。

 水晶の迷宮が渇いた声で鳴き出すのに合わせ、いくつもの亀裂が走る。薄氷が剥がれるように、一部が欠けてからは早かった。

 激しい音と、池の水を跳ね上げて、迷宮は一気に崩落した。


 大小様々な水晶の欠片が山となり、皆の心に絶望を降り積もらせる。

 メルティナを呼ぶラキァの声が、悲痛な叫びとなって蓮池に木霊した。


 すると……

 崩落の中心から、黒い影が身を起こした。

 ラキァが安堵の息をつく間もなく、それはぬらりと立ち上がり、人々を見下ろした。


「あ、あれは……!」


 どす黒い巨大なカエルのような生き物を見上げる横顔が、凍りつく。


「ベルネルが……」

「ベルネルが蘇ってしまった!!」


 悪夢の再来に、恐怖を孕んだざわめきが駆け抜けた。

 ベルネルは不気味に首を動かして、その様子に酔いしれていた。人々の恐怖は、彼にとって甘美なもの――じわじわと力が満ちていく。

 ふと、陰気に濁った瞳が、一人の男に向けられた。


「醜い欲と、底なしの執念……。好ましい、旨そうだ」


 ルーヴェントを見据え、ぺたり……と前足を踏み出す。


「な、なんだ……? やめろ……来るな……!」


 後ずさるルーヴェントに、ベルネルの舌が絡みついた。

 舌で締め上げられた体が痙攣する。雑巾でも絞るようにぎりぎりと捻られた体から、黒いものがベルネルの喉の奥へ滴り落ちていく。

 白目を剥いて気絶したルーヴェントを放り捨てると、ベルネルはゲフッと汚い息を漏らした。


 衛士たちは武器を握る手も震え、折れかけの心をどうにかして立っているのでやっとだ。

 ベルネルは彼らを嘲笑うように、舌なめずりする。


「今度こそ、北の大地を戴く王となる。我を封じし不敬なる民どもよ――王の糧となる誇りを噛み締めながら、散るといい」


 冷酷で卑しい声が降り注ぐ。

 ラキァの頭上を深い闇が覆った。足が動かず、襲いくる絶望を、ただ見上げていることしかできない。開いたままの口からは、もう声も絞れなかった。


 終わった――。

 ラキァが死を覚悟した瞬間だった。


 空が裂けたように、光を放った。


 (いかずち)ではない。

 陽光とも違う。純然たる、光の根源とも言える眩い何かが、輝いている。

 天を割るように現れたそれは、闇を払う光で地上を照らした。


 白銀の鱗と体毛が煌めく美しい生き物は、額に水晶の角を煌めかせ、降臨する。

 その背には、一人の男がいた。

 漆黒の髪に、金色の瞳を持つ、若き皇帝アルベリオスだ。


 アルベリオスは変わり果てた蓮池と、復活してしまった災厄を前に、苦々しく唇を噛み締める。

 次の瞬間には、込み上げる憎悪を押し込め、静かに息を吐いた。


「……ベルネル。この地を二度と穢させはしない。今こそ、千年の因縁に決着をつけよう」


 その声音は、氷より鋭く、炎よりも熱いものを秘めている。

 崩壊しかけた兵たちの心を、一瞬で立ち返らせた。


 士気を高め、剣を構え直す衛士たちを、ベルネルは舐めるように見回した。少しの怯みも見せず、喉の奥を震わせる。

 ぐちゅり、と粘性を帯びた音がして、口の端から黒く濁った液体が垂れた。


「来るぞ!」


 アルベリオスの声に、重装兵が盾を掲げる。

 一拍の間も置かずして、ベルネルの口から、球状の液体が弾丸のように吐き出された。

 地面にべたりと音を立てて着弾した液体が、飛び散る。煙が上がり、地面が泡立ちながら溶けて、抉れていく。


 酸だ――! 次々に声が上がった。

 盾をも貫く無慈悲な雨に、再び統率が乱れ始める。

 アルベリオスには覚えのある光景だった。


「魔力を練り上げよ! 防壁を築くのだ!」


 魔法使いたちが一斉に詠唱を重ねる。

 幾重にも展開された防壁が、腐食する液体を受け止めては、ジュウ……、ジュウ……と音を立てて耐えた。


 防壁に守られながら、アルベリオスがベルネルの前へ踏み出した。

 右手には剣、左手には魔力を込めて――一撃、二撃、ベルネルの体表を穿つ。

 しかし、強靭な皮膚には、かすり傷もつかない。


「なまぬるい」


 脆弱な人間を嘲り、化け物は口の端を持ち上げる。


「だが……その美しき肉体は、我が器にふさわしい」


 次の瞬間、空気が歪んだ。

 来る――アルベリオスは総毛立ちながらも、構えを解かずに迎え打つ姿勢を取った。


「アズ! 踏み込みすぎてはだめ!」


 ラキァの声が空気を裂いた。

 ベルネルの影が不自然に伸びて、アルベリオスの足元で蠢くのを、彼女は指差す。

 囚われれば、肉体を奪われる。恐怖に足を竦ませるラキァの目に、アルベリオスの横顔は不思議なほど落ち着いて映った。


「……同じ手は食わない」


 アルベリオスの声が、揺るがず響く。


「わたしには、メルンへの想いとナィナの加護がある!」


 掲げた剣が陽の光を眩く弾き、ベルネルの双眸を刺した。

 次に目を開いた時、その視界は白く染められていた――ナィナの巨躯が、ベルネルを地に縫い付けるように、覆い被さっていたのだ。


 ベルネルの眼前で、ナィナの顎が開かれる。それはあまりに巨大すぎて、ベルネルも瞬時に口だとは思えなかった。まるで、空に生まれた裂け目のようだ。

 上下に並んだ煌めく牙の奥は、闇だった。

 ベルネルの好む、混沌を煮詰めた昏さはなく、光さえも飲み込み――すべてをただの「無」へと帰す、空洞が待ち構えている。


 ナィナは大口を開けて、ベルネルを舌の上に押し込む。


「――ッ!」


 その時になって初めて、ベルネルの声が震えた。……が、言葉になる前に途切れ、ナィナの口は無情に閉ざされる。


 勝敗は一瞬の出来事だった。

 ゴクッ――。

 ナィナの喉元の毛並みが蠢く。

 それだけだ。


 食道を下るにつれ、ベルネルの断末魔は、低く、遠く、くぐもっていく。

 それは消化であり、同時に浄化だった。


 やがて、ベルネルの気配が完全に断たれると、ナィナは満足そうに前足を舐め、その足で頬をこするようにして顔を洗った。




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