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第八話「歩きながら眠る」

 週の終わり、夕方の光は柔らかくて、校舎の窓ガラスを斜めに染めていた。図書館を出た澪は、肩に軽く掛けたトートバッグの中で文庫本が揺れる音を、うっすら感じていた。何も読まずに持ち歩くだけの日もある。読まなかったことを、読まなかったな、と感じるだけで、少し心がほぐれる。


 坂道を下っていくとき、足元には小さな影ができていた。自分の歩幅に合わせて、ゆっくりと伸び縮みする影。音もなく歩いているはずなのに、歩いているという事実がちゃんと残っている。それだけで、今日はもう充分だった。


 喫茶店の前を通ると、店主がちょうど看板を引っ込めているところだった。目が合いかけたが、澪は軽く会釈してそのまま通り過ぎた。開いている時間に来ることのほうが、ずっと少ない。でも、あの店があることは、ずっと澪の中に残っている。


 交差点の手前で、信号が赤に変わった。立ち止まる。ふと、浅海のことを思い出した。


 「何か、好きなもの、見つかった?」


 少し前、そんなふうに訊かれた気がする。でも、そのときは首を振ることしかできなかった。澪は誰かに訊かれるたび、答えが見つからないことを、申し訳なく思っていた。けれど今は少し違う。


 答えがないこと自体を、否定しなくてもいいと思えるようになっていた。


 信号が青になり、歩き出す。


 一歩、また一歩。


 このところ、眠ってばかりいた気がする。ベッドの中で、何も考えずに過ごす時間が長かった。寝ることが休息なのか、それとも現実から逃げるためなのか、分からなくなった日もある。でも、眠っていたあいだ、すべてが止まっていたわけではなかった。


 澪の中では、言葉にならない何かがゆっくりと動いていた。


 それを、最近になってようやく自分で認められるようになってきた。


 歩きながら眠ることもある。考えながら止まることもある。それでも、止まりきらない何かが、自分の中にはあるのかもしれない。


 角を曲がったところにあるベンチに腰を下ろすと、夕焼けの光が顔の横をかすめた。風が吹いて、前髪がすこしだけ揺れた。


 スマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開く。浅海の名前をタップして、文字を打ちかける。


 何を送ればいいか、少しだけ迷う。だけど、難しく考えすぎる必要はないと、自分に言い聞かせた。


 「また話そう」


 たったそれだけを送信して、澪は小さく息を吐いた。画面を閉じると、さっきよりほんの少しだけ、肩が軽くなった気がした。


 遠くのビルのガラスに、オレンジ色の空が映っていた。


 まだ、眠たいままでいい。目が覚めなくても、歩くことはできる。


 そして――ほんの少しだけでも、目線を上げていれば、きっと何かを見つけられる。


 そう思えた。


 風に揺れる木の葉が、まるで何かを祝福するようにさやさやと音を立てていた。

『砂利道の途中』を最後までお読みいただき、ありがとうございます。


この物語は、日々の中で誰もが感じる見えない疲れや葛藤、そして休息と行動のはざまで揺れ動く心の機微を、比喩的に描くことを意識して書きました。


主人公・織部澪の歩みは決して華やかではなく、時に立ち止まり、眠り込みながらのものでした。それでも、少しずつ進むことで見えてくるもの、たとえ小さな一歩でも歩みを続けることの意味を、そっと感じ取っていただければ幸いです。


澪が抱える内面の「砂利道」は、特別なものではなく、誰もが人生のどこかで経験するものかもしれません。そんな時に、無理に急がず、自分のペースで歩きながら休むことの大切さを伝えたかったのです。


また、浅海とのやりとりや、喫茶店の店主の存在は、澪にとっての小さな支えや居場所の象徴として描きました。人と人との距離感や心の寄り添い方も、読む方それぞれの心に響くものがあれば嬉しいです。


この物語が、読む方の何気ない日常のそばで、ほんの少しだけ「歩き続ける勇気」を支える存在になれたなら、とても嬉しく思います。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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