第七話 砂利道の記憶
春の匂いがする。まだ風は冷たいのに、どこか地面の奥から湯気が立つような、やわらかな気配がある。澪は大学の帰り道、遠回りして小さな公園を抜けた。ブランコの鎖がきぃと鳴り、ベンチに座る人の影もない。砂利の道を歩きながら、ふと、古い記憶がよみがえってくる。
――校庭の端に、しゃがんでいたことがあった。
小学生のころ。昼休み、みんなが鬼ごっこをしていた。澪も誘われたことはあったが、走っているうちに急に足が重くなるような、なんとも言えない気分になることがあって、自然と遠のいた。
その日も、自分だけ違う世界にいるような感覚だった。澪は、運動場の白線のさらに外側、誰の視界にも入らないような場所で、しゃがみ込んで地面の砂を指でなぞっていた。誰かが声をかけることもなかったし、自分もそれでいいと思っていた。
でも今、思い返してみると、それは「仲間外れ」でも「拒絶」でもなかった。ただ、そうしていただけだ。そこに意味はなくて、ただ、そういう気分だっただけ。
公園の奥のベンチに腰をおろし、澪は持っていた小さなスケッチブックを開いた。最近、ノートの代わりにこれを使っている。言葉よりも、形や線で何かを記すほうが、少しだけ気持ちが軽くなるような気がして。
ページの端に、砂利の粒を描く。丸くもなく、四角くもなく、不揃いな小石たち。色もつけず、ただ鉛筆で濃淡をつけるだけで、それらが地面に転がっているように見える。
ふと、「そういえば」と思い出す。
子どもの頃にしゃがんでいたあの場所、周りから見ればきっと「ひとりでいる子」だったのだろう。でも、自分の中ではあのとき、何かを考えていた。砂の感触、指の動き、風の音、遠くで鳴っていた笑い声。全部がぐるぐると身体の中を回って、整理されずに滞っていた。
それを、「さみしい」とか「楽しい」とかいう名前で括ることができなかった。ただ、静かにそこにあった。それをずっと持ち続けてきたのかもしれない。
――私は、変わっていないのかもしれない。
でも、その「変わらなさ」を、今は少しだけ、愛おしく思えた。
前よりも少し、自分を否定せずにいられる。
すると不意に、スマホが震えた。画面を見ると、「浅海さん」からメッセージが届いていた。
「この前言ってたコーヒー屋、今度一緒に行かない?」
先日、喫茶店で何気なく話した話題。浅海がちゃんと覚えてくれていたことに、澪は少し驚いた。でも、嫌じゃない。むしろ、ほんの少しだけ、心の奥にあたたかい火が灯るような感じがした。
「うん、行こう」
それだけ打って送信したあと、スマホをポケットに戻す。
ゆっくりと立ち上がり、また砂利道を歩き出す。踏みしめる音が、やけに静かに響いた。ひとつひとつの石のかたちが、記憶の底に沈んだままの言葉たちを、少しずつ引き上げてくれるような気がする。
――どこまで歩けそう?
そう、自分に問いかけてみる。誰かに言われるのではなく、自分で自分に。
遠くまで歩く必要なんてない。ただ、「今日ここまで来れた」という実感があればいい。
たとえそれが、わずか数歩でも。