12.踏みにじったもの
――その瞬間、これは夢なのかと思った。
推薦入試の結果発表を間近に迎え、今までの実績や成績、入試当日の手ごたえを加味しても問題ないだろう……とは思っていても、名門大学の公募制推薦は簡単なものではない。もちろん、落ちたらもう今年は終わりというわけではなく、落ちても一般入試で挑むことだってできるのだから気負う必要はないとわかっていても、それでも発表日が近づけば落ち着かなるのは当然のことだった。
眠ろうとしても気持ちが昂ってしまうためなかなか熟睡できず、どうせ起きているなら俺のわがままで無理やり仮初の恋人にした好きな人のことが思い浮かぶ。
そしてどうせ眠れないのなら、桜汰のために何かしようと問題集を作り始めた。
「あいつは液晶で見てると目が滑って効果半減だからな」
本はめっきり電子派の俺と、紙派の桜汰。
電子だと場所もかさばらないし、シリーズものもで前の巻に戻りたい時もその場で手軽に戻れる。サイトによっては読み放題にプランなんかもあるし俺としては電子の方が使い勝手がいいのだが、桜汰はそうではないらしい。
たまに布教がてらスマホに入った本を読ませてみても、いつもの読了スピードの半分の時間で読み終えたとスマホを返してくるので、完全に半分の内容は入っていないだろう。
(そんなところが可愛いんだけど)
そんな桜汰のために、手製の問題を印刷したプリントを作成した。
作り始めると案外楽しく、「ここはあいつ苦手なところだからな」なんて考えたり全体のバランスを考えて問題を作ったりと凝り始めたら止まらない。
自分の復習にもなるので、一石二鳥だと夜な夜な作った結果、完全に寝不足だった。
「金曜日に発表か」
ぽつりと呟き、部屋の時計で時間を確認する。時刻は夜中の三時を過ぎたところだった。
明日も学校。卒業後進路も都道府県も離れる桜汰との時間確保のために迎えに行くことを考えると、睡眠時間は今日もそんなにとれないだろう。
まぁ、どうせ眠れないし――なんて考えた結果、まさか桜汰の前で居眠りをしてしまうとは。そのこと自体は失態だった……けれど。
ふと顔に柔らかい何かが当たり、目が覚める。一瞬自分がうたた寝していたこともわからず、微睡みの中僅かに目を開けると、目の前に桜汰の顔があったのだ。
(え?)
俺が目を覚ましたことには気付かなかったのだろう、少しずつ近づく彼の顔に、俺は思わず目を見開いた。
なんだこれ、どういう状況だ?
「桜汰?」
全然声をかけるつもりなんかなかったのに、逸る気持ちのせいか無意識に彼の名前を呼んでしまう。そして俺の声を聞いた桜汰は、何故か慌てて家を飛び出していった。
本当は追いかけたかったのだが、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。心臓が口から飛び出そうって、こういうことを言うのか、とくだらないことだけが浮かんでは消え、俺は閉まった玄関の扉だけを呆然と眺めていた。
(今のって、まさか)
桜汰が俺に、キスしようとしていた?
なんで。どうして。
俺、期待していいの?
混乱が混乱を呼び、答えの出ない希望が脳内を駆け巡る。まさか、嘘だろ。本当に?
俺たちって両想いだったのか?
もしそうなら、偽装なんて敬称は取っ払って本物の恋人同士になりたい。
「あー、絶対今夜も眠れないな……」
ふと俺の横に桜汰のスマホが落ちている。集中させるためにと言ってここに置いたものを、忘れていったようだった。
「明日、どんな顔をして挨拶すればいいんだ?」
最近日課になっていたおやすみの挨拶も、スマホがここにある以上できない。でも、もしかしたらこれからはスマホなんて機械を通さず直接言うこともできるのではないだろうか。
そんなことを考え、俺は高鳴る鼓動に身を委ねるように、桜汰のスマホを自身の通学鞄へと入れたのだった。
そして翌朝。最近の日課と同じ時間に家を出て桜汰を迎えにいく。
だが、最近の日課とは違い、両想いかもしれないという希望が俺の中で溢れていつも以上に落ち着かなかった。
あまりにもソワソワしていると桜汰が不審がってしまうし、やっぱり好きな人にはクールで格好よく見られたい……という自分をよく見せようとしたことが悪かったのだろうか。いや、そもそもの入りがまずかった。
「――もし、もし桜汰が俺のことを好きなら」
話し始めたはいいが、「もし」なんてつけてしまったせいで言った俺自身も動揺してしまう。
さらっと、あまり気負わせないようにというつもりが、これでは相手に委ねるばかりで責任感がないみたいではないか。
(そうじゃない、そうじゃなくって、俺は……!)
焦りから喉の奥がひくつく。だが、一度転がり始めた石がなかなか止まらないように、フォローしようとすればするほど、俺は失態を重ねた。
「本当に付き合ってみるか? ありよりのありだと思うんだけど」
(ありよりの、あり!)
自分で言った誤魔化しがあまりにも最低すぎてその場で頭を抱えたくなる。
こんなはずじゃなかった。寝不足のせいで判断能力が落ちているのだとしても、これはあまりにも酷く最低だ。
桜汰を軽んじているような自身の発言に、真剣な想いが全く伝わっていない現状に、じわりと額に汗が滲む。
だが、『ふざけるな』と怒鳴られてもおかしくない、そう思った俺に返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「ほ、んき、か?」
その言葉を聞き、重ねた失態が帳消しになったような気がした俺は、ほっと小さく息を吐いて頷く。
どこか不安そうな表情の桜汰。強張ったような顔に胸が締め付けられる。
俺が中途半端な言い方をしたせいで、好きな人を不安にさせてしまったのだ。
「もし不安なら、俺の進路を変えてもいいし」
だから、少しでも安心して欲しかった。俺の進路ひとつで桜汰が安心して、そしていつもの緩んだ笑顔を向けてくれるなら。
決して、自分の将来を蔑ろにした、その場だけの発言のつもりではなかった。
確かに父のいる大学なら、専門的に学ぶ学科もあるし何より設備がある。父がそこで教授をしているかどうかなんて関係なく、そもそもの候補のひとつ。
でも、そこしか候補がない訳じゃなかった。
県こそ離れるが、京都にも同等の設備がある大学はあるし、今からなら一般入試の申し込みも十分間に合う。
確かに東京の大学を第一志望にしたのは父がいたからだが、父とは長期休暇やお正月、それに普通の週末だって帰ってくる時は帰ってくるし、両親と一緒に暮らしたいと思うような年齢はとっくに過ぎている。
それに、俺のその家族に対する欲は、桜汰が桜汰の家へ引っ張ってくれたお陰でもう満たされているのだ。
だから、今から公募制推薦を蹴り、志望校を変えて一般入試に切り替えたって問題はない。
――でも、この内容だってその場でざっと脳内で計算しただけで、しっかりと家族や担任と相談し、検討した上で出した結論でないことも事実だった。
そのことが、桜汰にどう映るのかも……。
「部屋に散りばめられた星たちも……自分の目標も……全部、全部なかったことにするってことか?」
「桜汰?」
「――ない」
「よく聞こえな……」
「お前とは、付き合わない……ッ!」
桜汰に怒鳴られて、改めて自分の愚かさに気付く。
「俺は、夢を追うお前が好きだったんだ、今のお前じゃねぇよ!」
その言葉に息を呑んだ。
ちゃんと考えて出した結論だと反論できず、言葉を失う。そうやって俺がまごついている間に桜汰は走り去ってしまった。
引き留めたくても、引き留める言葉を俺は持っていない。
「――好きって、言われた、のにな……」
だけど今の俺は好きじゃない。当たり前だ。
俺は自分を、そしてあれだけ大事にしたいと思っていた桜汰さえも踏みにじったのだから。
「……桜汰……」
決して勢いだけだとは言わないけれど。
それでも、自分がどれだけ愚かなことを口にしたのかを、ひとり残された俺はただただ後悔したのだった。