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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛して、狂って、殺して。

 1.序章


 1980(昭和55)年。今から44年前、とある住宅街で殺人事件が起こった。殺されたのは当時17歳の女子高生。容疑者は被害者と同い年の高校生。まだ大人になれていない人間が、同じく大人になれていない人間を殺したこの事件。当然、この事件は連日報道され、お茶の間を震撼、させなかった。そう、この事件はお茶の間は愚か、警察すらも知ることのない未解決事件。否、未発覚事件である。私はこの事件が公になることを望まない。私の娘を殺したあの人が二度とこのような過ちを犯さないこと、ただそれだけを望む。私は被害者の母親。あの人は何を思って、どうしてうちの娘を殺したのか。それを知りたい。それを知ったところで娘は戻ってこないし、それが娘の願いだとも思っていない。ただ、それを知るくらいの権利が私にあっても良いでしょう。


 2.京極


 生きていたって仕方がない。そう思うのも無理もないほどに僕の人生は苦しい。生まれつきの虚弱体質で、幼い頃から様々な病気になった。治ってはまた別の病気に罹り、を何度も繰り返した。

 そんな僕はこの度、難病指定されている「全身性エリテマトーデス」という病気に見舞われた。この病気は体に自分の細胞を攻撃する抗体が生じることで、様々な臓器に悪影響をもたらすというもので、5年生存率は凡そ50%。二人に一人は生き、もう一人は死んでいる。僕がそのうちの、生きる50%に入れるかは定かではない。

 そんな現実を耳にして、5年後も生きていられると信じて生きるか、将又死ぬことを前提にして生きるのか。それは人それぞれだが、僕が選んだのは後者だった。5年後に生きている想定など端からしていない。寧ろ、5年で死ぬ人生計画を立てた。

 5年で死ぬとわかると傷心する者が多いが、僕の場合は逆だった。「5年で死ぬ」というよりも「5年で死ねる」。虚弱体質が故に、痛み・痒み・吐き気などの耐え難い苦痛を何度も味わってきた。僕にとって、生きるとは苦痛を味わうこと。それから解放されるのだから傷心などするはずもない。それはもう歓喜でしかない。

 それに、5年で死ぬとわかれば、普通に生きていてはできないことだってできる。

 どうせ5年の命なのだから。

 そう、どうせ死ぬ。

 どうせ死ぬのだからこんなことだってできる。

 どうせ死ぬのだからなんだって。

 どうせ死ぬのだから人を殺すことだって。


 3.三浦


 私こと、三浦絵美は恋をしている。相手は隣の席の、苗字は確か京極。下の名前は憶えていない。下の名前すらも覚えていないような人間に対して恋心を抱いていることに私自身も少し困惑している。一目惚れだった。一目惚れするなんてのは後にも先にもあの人だけだろう。

 私の身長が低いというのもあるが、あの人の身長は高め。何でも、厄介な病気を患っているらしく制服とは違ったズボンを履いているのだが、そのデザインも相まって実際よりも身長は高く見える。顔には余計な脂肪が付いておらずスラっとしている。そんな顔とは対照的に、鍛えているのか、体はガッシリとしていて少し筋肉質。総じて一言で言うと、かっこいいのだ。それと、どうでも良いだろうが左利きだ。

 そんな、外見だけで言えば完璧なあの人だが、周りの女子からの評判は芳しくない。少なくとも、周りの人間があの人に好意を抱いているなんて噂を私は一度だって耳にしたことがない。そのおかげで私は、安心してあの人に恋をすることができる、のだが、友人からは諦めることを促される。「あの人を選ぶなんてどうかしている」「別の人にするべきだ」と、おかしなものを見るような目で言うのだ。病気を患っているのがいけないのか、それとも性格が歪んでいるのか。友人がそこまで躍起になって止める理由がわからない。誰が誰に恋をしたって良いではないか。人に恋をすることは当たり前の権利で、それを止める権利など誰にもない。私は、あの人が病気を患っていようと、性格が歪んでいようと、あの人を嫌いには絶対にならない。それ程までに私はあの人に惚れてしまったのだ。

 京極。素敵な苗字。下の名前はなんていうのだろう。きっと素敵な名前に違いない。

 あの人の名前を知る機会があれば、なんて思う。しかし、直接聞くのは恥ずかしい。自分から名乗ってくれたりはしないだろうか。そんな私に神様からの贈り物かのように、

「おかしいな」

 そんな声が隣から聞こえてきた。


 4.邂逅


 僕は迷っていた。誰を殺そうかと。人を殺すことだってできる、とは言ったものの殺意を向ける相手がいない。いじめられた経験はないし、恋敵なんてものも存在しない。というよりも、そもそも恋をしたことすらない。容姿はそこまで悪くないという自負があるし、社交性もある方だ。それでも僕に寄って来る人間はいなかった。やはり病気なのが災いしているのだろうか。一度くらい本気で恋愛をしてみたかったものだが、5年で死ぬ人間に好きな人ができたらそれはそれで問題だ。きっと後悔することになる。そして万に一でも相手が僕を好きになったら。僕に恋愛する権利などないかのように思える。

 そんなことを考えていると始業の鐘が鳴った。現代文教師が教室の戸をガラガラと開けて入ってきた。始業の挨拶を終え、教科書の所定のページを開いたところで気が付いた。

「おかしいな」

 不意にそんな言葉が零れた。その理由は、筆箱のどこを探しても入っているのが鉛筆のみで、消しゴムが入っていなかったからだ。間違いなく昨日の授業終わりにはあった。それから今日に至るまで筆箱に触れた記憶はないので、失くなる道理がない。念のためもう一度、筆箱の中を弄るが、やはりない。しばらくの間、筆箱の中だけでなく、鞄の中をも確かめたり、教室の床を確かめたりしていると隣から声がかかる。

「よかったらこれ使ってください」

 そういって渡されたのは消しゴムだった。隣の、名前は確か三浦絵美。あまり話したことはないが、優しい人間であると認識している。それと同時にお人好しであるとも。人の困りごとにいちいち首を突っ込んで、手を差し伸べようとする。そんな人間が三浦絵美だ。

「あ、返さなくて良いですよ。私、たくさん消しゴム持ってるので」

 そういって彼女はかぶりを振った。

 全くもって、返さなくて良い理由にはなっていない気もするが、一旦そこには言及しない。

「それはどうも……」

 一先ず適当に返事をしてその場をやり過ごした。

 なぜか彼女の顔は笑みでいっぱいだった。


 ***


「下の名前、なんていうんですか」

 三浦絵美にそう尋ねられたのは、授業も全て終わった放課後のことだった。そそくさと教室を出て、帰宅しようと下駄箱に向かうところを待ち伏せされていた。角を曲がろうとした瞬間、彼女は死角から僕を脅かすように出てきたのだ。

「下の名前……?」

 突然の登場且つ、何の脈絡もなくそんなことを聞かれたものだから、過去に例を見ないほどの間抜けな声が出た。

「えぇ。本当はあなたが自ら名乗ってくれたらよかったんですけど、なかなかそんな状況になりませんから。あ、あなたを責めている訳ではないですよ。私に名乗る必要なんてないですし。そう、あなたの名前が知りたいんです。消しゴムを貸した貸しを取り立てる、という訳でもないんですけど。どうですか。教えていただけませんか」

 そう捲し立てるかのように早口で話す彼女に圧倒されてか、普段よりもかなり小さめの声で言葉が零れた。

「裕之。京極裕之です。余裕の裕に、之です。あ、ひらがなの『え』みたいな」

 その名前を聞いてかは僕の知るところではないが、彼女は今にでも泣きそうな顔で歓喜していた。かろうじて口からこぼれ出た言葉で、「なんて素晴らしい名前」と言っているのが聞こえた。その後、僕が話す余裕もないほど、間髪入れずに彼女は、

「実はあなたのことが好きなんです。それはもう言葉では表せないほどに」

 と、僕に思いの丈を告げた。その告白を聞いて、嬉しい・悲しいという感情よりも、呆れを覚えた。この女は馬鹿なのだろうか。誰が誰に恋をしたって良いと思ってはいるが、なぜよりによって僕を選ぶのだ。僕の感情どうこうよりも彼女が心配だ。信頼がある彼女が僕を選んだなどという噂が広がれば、彼女は間違いなく疎まれる。僕が周りから嫌われるのとは訳が違う。彼女には悪いが、ここは諦めてもらおう。そうして、彼女にその旨を伝えるつもりだった。

「三浦さん、」

 その続きには、「僕のことは諦めてほしい」そう続くはずだったのに。閃いてしまったんだ。実に面白い計画を。たった今、僕はやっと5年で死ぬ計画のスタートラインに立つことができたんだ。

「どうしたんですか?」

「いえ、なんでも。時に、三浦さん」

「なんですか」

「僕の家に来ませんか」

 そんな話をしたときの三浦さんの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。きっと僕も同じような顔しているだろう。互いに抱く思惑は全く違うだろうが。


 5.狂うということ


「さあ、どうぞ。狭くて汚いところですけど」

 そう言って三浦さんを自室に案内した。

 ひょんなことから、僕は隣の席の三浦さんを家に上げることになった。黒光した綺麗な髪の毛を肩まで伸ばし、背丈は僕よりかなり低く150㎝あるかないか。顔は整っており、僕みたいな人間が近くにいなければいくらばかしか男が寄ってくるだろう。そんな容姿端麗なクラスのマドンナ的な人間を家に上げる内心喜んでいないこともないが、目的はそこにない。僕は漸く、死ぬ準備をすることができる。5年で死ぬ計画、その第一歩がここにはある。普通に生きていてはできないこと。それがここにはある。僕はこれから、人を殺す。三浦さんには何の罪もないが、仕方のないことだ。僕には家に誘えるだけの関係値を築いた人間がいない。三浦さんとも大した関係値はないが、いくらばかしか僕に好意を持っているように見えたので家に誘うのが容易だと判断した。

 人を殺したとき、僕は何を思うのだろうか。喜び?後悔?それとも違う何かだろうか。それは実行するまでわからない。傍から見れば狂気の沙汰だろう。何の罪もない人間を殺そうとしているのは。ここで三浦さんを殺し、ニュースで報道されれば、誰も彼もが僕を「狂人」だと囃し立てるだろう。まあ、それだって良い。僕だって人を殺すつもりなんてなかった。普通に生まれ、普通に育ち、普通に生きられれば。しかし、それは12歳のあの日から、叶うことのない泡沫の夢へとなった。あるいは生まれたころから。

 虚弱体質だった僕を、母親は嫌っていたと思う。世話のかかる子供さ。頻繁に病気になるものだから、母親はいついかなるときも僕に気を張っていた。深夜に高熱を出した僕を緊急外来に連れていくようなことも一度や二度の話ではなかった。吐き気に苦しむ僕を連日連夜看病したことだって。僕が12歳のあの日、全身性エリテマトーデスと診断されてからは、更に負担が大きくなったことだろう。5年後の生存率が50%。ちょっとした発熱が死に繋がるかもしれない。寝て起きた次の瞬間には自分の子供が死んでいるかもしれない。いくら嫌いといえど、自分の子供が死んだら世間体が悪くなる。できることなら死なせたくはないだろう。

 健康な体で生まれられれば。きっと、母親も僕を愛してくれたはず。

 あの日、僕が余命宣告紛いなものを告げられてからもうすぐ5年。やっと、やっと死ねる。「狂人」として死ねば、母親も僕と後腐れなく別れることができる。責任感の強い母親のことだから、このまま何事もなく病気で死ねば、自責の念に駆られることになる。ああ、本当に、本当に君には感謝しかないよ、三浦さん。僕を狂人にしてくれてありがとう。

 そうして、三浦さんを自室に招き入れ、扉の鍵を閉めた。

 ここまで来たらあとは実行するだけなんだ。そりゃ、笑顔にもなってしまう。

 そんな笑顔で三浦さんの方を振り返ったとき、三浦さんもまた、同じような笑顔で、

「大好きです。京極裕之さん」

 そう、僕に言うのであった。


 6.終章


 二階から大きな物音がした。呻き声もした。女の子のものだ。ただ壁にぶつかったとか、そんな次元ではない。何かが、それこそ人が勢いよく床に倒れるような。始めこそ、大きかった呻き声も、だんだんと力なく弱まっていく。何か、とんでもないことが上の部屋、裕之の部屋で起こっている気がする。まさか、発作が起こったんじゃないか。そう思うといてもたってもいられなくなり、階段を駆け上がった。部屋の前にたどり着き、「裕之、どうかしたの」と問いかける。しかし、返事はない。ガチャリ、と鍵の開く音がしたので、ドアノブを捻り部屋に入る。すると、見たこともないほど明るい赤色で光っている液体を腹部から噴出し、倒れている人間がいた。隣にいる人間は、ナイフのような刃物を右手に、上半身の服を脱ぎ棄て、倒れている人間に刃物を持っていない方の手で触れている。

「やっと、やっと願いが叶った」

 そう話す人間の顔には、涙と、少なくとも私の人生では初めて見るような狂気的な笑みが浮かんでいた。

 その人間はただただ笑っていた。その人間は恐らく死んでいるであろう人間の体を、頭をコロコロと転がして遊んでいた。

 虚弱体質に産んでしまい、凄まじい苦痛を背負いながら。挙句の果てに、長くは生きられない難病にまでなってしまった、自分の子供にこんな顔をさせるなんて親として失格だ。そんな子供に、こんな『苦しそうな』顔をさせるなんて。

「あ、申し遅れましたお義母様。私、三浦絵美と言います。こちらの京極裕之さんとお付き合いさせていただいている、いや、もう死んでしまったので、『いただいていた』が正しいですかね」

 そんなことを言い放った殺人鬼、三浦絵美に私は激昂する気持ちをできるだけ抑えて、問い質した。

「どうして、うちの『娘』、裕之を……どうして、『ゆの』を!!」


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