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姉の涙に嘘を付く

 テレビをつけたら画面の向こう側で姉が泣いていた。

 子供のように泣いている姉を見て、情けないでも、恥ずかしいでも、ざまあみろでもなく、出てきたのはなんで姉は泣いているのだろうと思った。

「ごめんなさい」「約束を守れなくてごめんなさい」と泣き崩れる姉。画面の右上には『金メダル候補まさかの敗北』と目立つ文字で表示されていてようやく事態が把握できた。


 一言にいうならば姉は天才だ。

 そして私はそんな姉が嫌いだった。

 何をやらせても人並み以上にこなしてしまう姉と何をやっても姉に勝てない私。

 両親はすぐに私を姉と比較してしまう。「お姉ちゃんなら出来たよ」という言葉は私にとって呪いの言葉だった。

 親たちには分からないのだ。姉がどれほど凄いのかを。

 一緒に同じ種目をやっていた私だからよく分かる。体も心も何もかもが姉とは違う。良い所だけを抽出されて生まれた姉とその余り物から生まれたどうしようもない私。

 自分と姉にはどう足掻いても越えられない壁があることに気づいていたのは自分だけだったのだろう。

 私は小学校を卒業すると同時に姉がやっているスポーツを辞めた。


 両親はそんな私に愛想を尽かしたようで、姉の遠征には2人揃っていく最中で私は1人で家にいることが多くなった。

 そんな自分はようやく自由を得られた感じがして嬉しかったのを覚えている。

 でも姉にとってはそうではなかったらしい。

 事ある毎に姉は私を構うようになっていった。


「すごいよね」

「私勉強できないからさ」

 と私を褒める姉をどこか冷めた感情で受け止めていた。むしろ親と一緒にけなしてくれる方が遥かに楽だったかもしれない。

 すごいのはあんただ。私なんて全然大したことない。

 勉強という部門で姉に勝てていたのは姉がその勉強の時間や素質も全てスポーツに注いでいたためであって、姉がほんの少しでも勉学に励んでいれば一瞬で自分より上になれることなんて私が一番わかっていたし、少しも嬉しくなかった。


「私服とかよくわからないからさ。一緒に買いに行こうよ」

 と姉が誘ってくれた時も辛かった。姉には磨き上げられた健康的な肉体に整えられた顔と社交的で明るく真面目な性格があったし、メイクを覚えなくても多少ファッションセンスが変わっていて流行りなんて知らなくても、勝手に男性が彼女の周りに集まる。

 一方で地味な顔に無理やり整えたメイク、根暗で陰険な性格の私には彼氏もできることはなかった。


 思えば、姉は私にとっての光だったのだろう。いや、どんな人間からしても引き寄せられるような圧倒的な光だ。そして私はそんな姉によって生み出された影だ。出涸らしの残り物。産廃物。

 私はそんな光を見続けたり、そばにいることが耐えられくなって顔を背けるようになっていった。



 

 大学に進んだ時、ようやく実家から離れることができた。

 両親はお金こそ送ってくれてはいたが、話すことはほぼなくなった。実家にいても話題は姉のことばかりだったので特に問題はなかった。

 その代わりに姉はすごく寂しそうにしていたし、SNSや電話でとにかく連絡を取ろうとしてきていたが私は無視するようになっていった。

 ようやく得られた姉と比較されない日常はたまらなく心地よいものだった。だからこそ私が自堕落な生活になっていくのも当然だったのかも知れない。

 下衆な男と一夜をともにし、酒や犯罪になるかならない程度の怪しげでギリギリのクスリを楽しむ。

 姉が頑張っているからこそ自分はその反動でクズな生活をするのがたまらなく楽しかった。

 周りの人間が姉のことを知らないのもありがたかった。自分だけを見てくれる。これがどれほど素晴らしいことか。姉のおまけではない。私が私でいられることが嬉しかった。

 

 それでも時折姉の情報は流れてくる。今度のオリンピックで金メダル確実みたいなすごいやついるらしいぜ。ずっと負けてないだってさ。なんて酒のつまみにすらならない一瞬の話題。

 その後に「あー賭けできるならそいつにかけて儲けたいなぁ」なんて話になる程度のものではあったが、姉の話題がこんな奴らにまで届く事に驚いた。

 姉は本当にすごい人間だとその都度思い知らされた。


 

 なのにさ。

 なんで泣いているの。

 なんで謝っているの。

 あんたはなにか悪いことをしたのか?

 違うだろう。ただ、オリンピックっていう世界最高の舞台で負けただけだ。

 それはそんなに悪いことなのか?

 私のようなクズでどうしようもないやつと違うだろう。

 

 そんなことを考えながら見ていると泣き続ける姉はコーチに連れられ会場の外へと消えていった。

 ふと、SNSを見てみれば姉の名前がトレンドに入っている。


『だっさwwww』

『ガチ泣きやん』

『やっぱ調子乗ってるやつはだめですね。謙虚さがこういう時大事なんだよね』

 姉を罵倒する言葉が無数に飛び交う。

 中には姉のインタビューを引用しているものもいた。「目指すのは金なんで」と胸を張って答える姉。

 そんな姉をからかうようなひどい言葉がどんどん流れていく。


「黙れよ」

 思わず口から言葉が漏れた。

 姉がどれほど努力してきたのか、お前らは知っているのか?

 子供の頃からずっと努力し続けてきたことを私は知っている。

 目についたアカウントに反論しようとして書き込んだ文章をタップしそうになったところで我に返り、その気持ちを必死に押さえつける。

 そんなことをしてもなんの意味もない。こいつらは姉のことを何も知らないのだから。

 お前らは知らない。姉は元からよく泣いてたんだよ。



 そこまで思い出すと昔の思い出が爆発するようにあふれてきた。

 昔の姉はそんな自信に満ち溢れるような人ではなかった。

 子供の頃の姉は大事なところで不安になって失敗する。そして負けると私を抱くようにして泣いて、泣き終わった後に落ち込む。

 元々はそんな人だった。


「お姉ちゃん。ほんとだめ」

 それが口癖だった。そんな姉に抱きしめられるのは悪い気持ちではなかった。

「どうしたらいいかな」

「約束しよ」

 子供だった私は姉の言葉にそう返した。

「約束?」

「次は勝つって」

 私はとびっきりの笑顔を浮かべる。

「だって、お姉ちゃんは約束絶対まもるもん」



 姉は最初から私の光ではなかった。

 姉を光にしてしまったのは私だ。

 姉はそんな私の言葉を真に受けて頑張り続けた。

 大会の前には私に「絶対優勝してくるから」と言って出ていく。

 姉は私と約束し続けていたのだ。私はそんなことすら忘れていた。


 私はメッセージアプリを開く。長い間開いていなかった姉のアカウントには100件を超える通知がついていた。

 最後に送られてきていた文章を見て、私はスマホを落とした。


『お姉ちゃん。絶対金メダル取るから見てて。』

 姉は私と約束をしていた。私にそんなつもりがなくても。真面目で嘘である可能性を疑わない姉はずっと続けてきたのだ。

 姉が泣いていたのは私との約束を果たせなかったからだ。


 スマホを拾って、操作しようとするが指が震える。

 なんとか書けた文章は非常に短いものだった。

『試合見てた。お姉ちゃんはすごいよ。頑張ったね』

 ここでも私は嘘を付く。

 試合なんて見ていなかったのに。

 今日姉の試合だったことも知らず、応援もしていなかった。偶然テレビを付けたら姉が泣いているところだっただけだ。

 

 返事なんて返ってくるわけがない。それなのに私はずっとスマホを握りしめていた。

 どれほど待っていたのかわからないが、突然通知音がなって思わずタップする。


『ありがとう』

 そこに表示されたのは私以上に短い言葉と変な動物のスタンプ。

 思わず笑ってしまう。なぜだかとても姉らしいと思ってしまった。

 そう思いながら画面をずっと眺めているとスマホが再び震えた。




 画面の向こう側で姉が泣いていた。

 でも今度は悲しみや悔しさによる涙ではなく、違うということを見ている人ならばわかるはずだった。

 個人戦では敗れた姉だったが、数日後に行われる団体戦に出場することがきまっていたのだ。

 そこで姉は圧巻の強さを見せつけた。どの試合でも相手をまったく寄せ付けず圧勝という言葉がふさわしいほどの見事な勝利だった。

 最後の試合でも姉は負けることなく金メダルを今度こそ掴み取ったのだ。


 だからこそわかる。これは喜びの涙なんだと。


 姉がインタビューを受け始める。

 ありきたりな感謝の言葉を返していく。私はその光景をずっと眺めていた。

「最後に一言いいですか」

 姉が泣きながら満面の笑みを浮かべる。まばゆいほどのカメラの光がきらめく。

 そんななかで姉が私の名前を呼ぶ。

「お姉ちゃん勝ったよ! 約束守ったよ!」


 スマホが震える。

 その画面を一瞬見て私は拒否する。

 こんな時にかけてくんな。余韻に浸らせろ。クソ親ども。

 ってか、バカ正直に話すな。

 全国に流されたことで、その恥ずかしさに顔がすごい熱を持って思わず手で抑える。汗でベトベトになった手はなんの効果もないどころか余計に気持ち悪かった。


 最悪だ。ただでさえ顔が腫れ上がっているからどうしようと悩んでいるのに。

 名前を呼ばれたことで友人たちに姉の事を感づかれでもすれば面倒なことになるかもしれない。そう考えると憂鬱になる。

 親からの電話が再び鳴り響く。


 私はぽつりとつぶやく。

「だからお姉ちゃんは嫌いなんだ」


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