赤い月
満月の夜、甲高い女の絶叫が響き渡る。
同じ頃、少年は薄暗い地下を彷徨う。
冷たい風の吹く方へと足を進める。
履物などこれまで一度も履いたことが無い少年の足は赤黒く、傷口は膿んでしまっている。
立っているのもやっとなはずが少年の足は止まることなく、むしろ早足で進んでいく。
少し先に光が見える。
そして地面は赤く染っていた。
少年の足元には胴から切り離された歪んだ男の顔が転がっていた。
まだ暖かい血が傷口に沁みる。
乾いた地面を探すと、赤い27cm程の足跡が手摺のない階段を1段ずつ登っている。
この足跡を辿れば新鮮な空気を吸うことが出来るだろうが、少年は階段を登らなかった。
それは、誰かの嗚咽混じりの泣き声を聞いたからだ。
少年は安堵した。
やっと生きた人間に会えると思ったからだ。
泣き声に近づくと、大きな部屋を見つける。
部屋を覗くと、小さな子供が余裕で入れるくらいの大きな透明なガラスの箱がいくつも並べられていた。
そのどれも割れて、破片が飛び散り、やはり地面にも大量の血と肉塊が流れていた。
まるで地獄のような場所に、1人可愛らしい少女が蹲っている。
少年はひと目見ただけで、少女は自分とは違うと分かった。
少女は赤色だった。
白く綺麗な肌には傷一つなく、袖のない短いワンピースは新品のようで全く汚れが無い。
肩まである髪は綺麗に切り揃えられ、汚れを知らない純白の色だった。
大きな深紅の瞳は涙で潤み、今にも零れ落ちそうで、思わず涙を零さないように頬に手を添えた。
少女は一瞬驚いたが、ゆっくりと少年の手を握った。
パリンッ
ガラスの割れる音。
誰かが地面に散らばっているガラスの破片を踏んだのだ。
その音は少年の後ろ、音は近づいてくる。
少年は振り向き、少女を背に隠すように目の前の男を見た。
男は錯乱しているようだった。
ブツブツと何かを呟き、白目を向きうつ伏せで地面に倒れた。
正面からは見えなかったが、男の背中には深く斬られた傷があった。
少女の体はガタガタと震えていた。
「大丈夫だよ、行こう」
怯える少女を落ち着けるように少年は優しい言葉をかけ、手を引き歩き出す。
赤い足跡を道標に進むと、大きな円柱が並べられた廊下に出た。
その中央に芝生と、光が照らされていた。
心臓がうるさく動く。
少女と芝生の真ん中に移動し、見上げると、綺麗な赤色の月を見た。
その時、人生で初めて見た月を少年は一生忘れなかった。
少女は思い出す。
もう10年も前の事。
辺り一面血の海で何が起きたか分からず、逃げることもできずにただ泣いていた時、1人の少年に助けられた。
吸い込まれそうなほど真っ黒な瞳と長いまつ毛が印象的な少年だった。
不健康なほど真っ白な肌には痛々しい傷が至る所にあり、肌着のように薄い服はボロ雑巾のようだった。
それでも中性的な顔立ちと翠髪は少年の美しさを際立たせていた。
少年は少女を庇い、目の前で倒れた男の血を頭から被ってしまった。
それでも優しい声で外に連れ出してくれたことを昨日の事のように鮮明に覚えている。
少年と初めて夜空を見て、初めて月の色を知った。
少年が月と星の名前を教えてくれた。
「あのキラキラしてるのが星で、大きい丸が月だよ」
「そうなんだぁ!すごい綺麗だね!」
「……てゆうか、君誰?」
当然だ。
初対面なのだから名前なんて当然知らない。
「困ってそうだったから、ここまで連れてきたけど、君も奴隷なの?」
奴隷。
少年は確かにそう言った。
少年は地下で奴隷として母親と暮らしていたらしい。
「俺の名前はネロ!ネロ・ソヴラーノだよ!君の名前は?」
少年の名前はネロというらしい。
少女は自分が何なのか全く知らない。
名前すら分からない。
「何もわかんない……ごめんなさい」
何となく、少年の顔が見れず俯いてしまった。
「ルーナ!」
「え?」
「今日から君の名前はルーナだよ!可愛い名前でしょ?」
少年は無邪気に笑った。
少女は頬を赤く染め、大きく頷いた。