28話:錬金術ギルドの試験、最終日3
ポーションを作成した現実をなかなか受け入れることができず、ジルとエリスが互いに見つめ合うなか、偶然通りかかった一人の女性がエリスの背後にやってきた。
「部屋の前でなに固まってんのよ」
アーニャである。妙にそわそわした、アーニャなのである!
今日は朝から落ち着きがなく、用もないのにギルド内をフラフラと歩いてばかりで、厳重な王城を思わせるような警備員化していた、アーニャ。何気ない顔でエリスに声をかけたものの、内心は心臓がバクバク。私が相談に乗ってあげたんだから、絶対に合格しなさいよね! と、それはもう、ジルのことが心配で心配で……、ずっとウロウロしていたのだ。
その結果、錬金術ギルドの一部では、破壊神が見回っているという大事件に戦々恐々としているのだが、本人はまったく気づいていない。
持ってきた昼ごはんを机に置いたエリスは、急いでアーニャの方を振り向く。その姿はまさに、自慢できる相手が来た! と言わんばかりの嬉々とした表情で、アーニャの肩をガッとつかみ、部屋の中に引きずり込む。そして、作った本人よりハイテンションで、ジルが持つポーション瓶を何度も指で差した。
「見てください、アーニャさん! ジルが……ポーションを作ってしまったんですよ!」
「ああ、そう。よかったわね」
すました顔を見せているものの、三人の中で誰よりもアーニャはホッとしている。
(良かったじゃないの! あんた、ちゃんと頑張ったのね。まあ、私が相談に乗ってあげたんだから、当然のことよ。ふっふーん♪)
おいしいオムライスが出てきたくらい上機嫌なのだが、アーニャは絶対にそれを表に出さない。私は全然興味がないけど、ふーん、よかったわね、程度の雰囲気を全開にして、平然を装っている。
「うん。アーニャお姉ちゃんのおかげだね」
そして、当然のようにジルは、そんなアーニャを受け入れた。
軽く祝ってくれたその一言は、アーニャなりに精一杯褒めてくれたものだと、ジルはわかっている。不器用な料理人であった前世の父親が、同じような人だったから。
ただ、そんなことを一切知らないエリスは、静かにキレていた。声がワントーンどころかツートーンも低くなり、唇は横に一直線。闇へ引きずり込むような厳しい眼差しで、アーニャを見つめている。
黒い噂が後を絶たないアーニャが、背筋をゾクッとしてしまうほどに。
「アーニャさん。もっと他に言うことがあるのではないでしょうか」
そして、エリスは敬語でキレるタイプ!!
怒らせたら絶対にダメな人部門、堂々の第一位を築き上げる、静かに敬語でキレる人。怒り任せに暴力を振るう場合であれば、アーニャは余裕で返り討ちにするため、まったく怖がらない。しかし、ツンデレでコミュ障体質のアーニャは、静かに切れるエリスの対処法がわからず、困り果ててしまう。
ぶん殴って解決できたら、めちゃくちゃ楽なのにー! と、嘆きたくなる。いや、エリス相手には殴らないが。
何より、アーニャはエリスと同じくらいの気持ちで祝ってあげたいのだ。しかし、羞恥心がその邪魔をしてしまう。恥ずかしさのあまり、素直におめでとうと声をかけることが……できない!
「お、おめでとう……とかかしら?」
精一杯の祝福の言葉が、コレッ!
「そんなの当たり前ですよね? 他にも心の奥底から言葉が沸き出てくると思いますが。子供なのにポーションを作って天才だね、とか、一週間も作業部屋にこもって結果を残すなんて天才だね、とか、料理もできて錬金術もできるなんて天才だね、とか」
ジルに錬金術は無理だと思い、奇跡でも起こらないかなー、などと思っていた姉と同一人物とは思えない! ピアノを始めたばかりの子供が簡単な曲を演奏できるようになったとき、うちの子は天才だわ、と思ってしまう母親の心境と同じ!
「確かに天才ね」
オムライス作りの、という言葉を付け足さないアーニャは、偉い!
「やっぱりアーニャさんもそう思いますか!」
同調してくれたことに感銘を受けたエリスは、アーニャの手を両手でギュッと握り締める。さっきまでキレていたエリスはどこへ行ってしまったのだろうか。これまた同一人物とは思えないほど目がキラキラと輝き、喜びに満ち溢れている。
「当然じゃない、簡単にできるものじゃないわ。やっぱりセンスがあると思うのよね」
一度オムライスのことを考え始めると、アーニャはトロトロとした半熟卵で頭がいっぱいになる。偶然にも、昨日は超トロトロオムライス、卵マシマシを食べたばかり。
「私も同じことを思ってましたけど、アーニャさんから見ても、センスを感じますか?」
「なに言ってんのよ。センスしか感じないわ。将来が楽しみなほどに、ね」
さらに昨日、新しいタイプのオムライスを作ってもらう約束をしたアーニャは、将来が楽しみで仕方ない! これからも料理を作り続け、何種類ものオムライスを開発してくれるのではないかと。
想像だけで口内が潤い、ゴクリッとアーニャの喉が鳴ったことを、エリスは……気づかない。
「そこまでアーニャさんが認めてくださるなんて。きっとアーニャさんを通じて、神様がジルにエリクサーを届けてくださったんだと思います。本当に、ありがとうございます……!」
錬金術の神様とアーニャに感謝しながら、エリスは涙をポロポロとこぼし始めた。その姿を見たアーニャは……、全てを悟ったかのように、心が晴れ渡るような表情を浮かべている。
(確かに、料理の神様が導いてくれたのかもしれないわ。ルーナと私にご褒美をくれたのよ。おいしいオムライスを食べて、もう少し頑張りなさいって)
料理の神様に感謝したアーニャは、素晴らしいオムライスを作るジルの姉であるエリスを、優しく抱き寄せた。
「泣かなくていいじゃない。あんたの弟は元気になったんだし、いつだって会えるんだから」
半熟卵のトロトロオムライスには、いつだって会える。確かにそれは、泣くほどのことではない。
「アーニャさんのおかげです。本当はもうダメなんじゃないかって、怖かったんです」
死に近づく弟の看病を続けたエリスは、ジルが元気になった今でも、急にいなくなるかもしれないと思う時がある。実際にそれを言ってしまえば、現実になりそうで怖くてずっと言えなかった、心の傷跡のようなもの。
両親がいなくなって以降、慰めるように抱き締められたことがなかったエリスは、アーニャの体温を肌で感じ、心の傷が癒えるような感覚に包まれていた。
「まったく、大袈裟ね。大丈夫よ、どこへ行ったりもしないわ」
アーニャの力強い言葉に、エリスは泣きじゃくった。
もうジルはどこにもいかない。憧れるアーニャの言葉が、軟膏のように擦り込まれ、心の傷を塞いでいく。
オムライスは逃げない、という真の意味を理解することもなく……。
そんな光景を、錬金術の試験でポーションを作りだした、主役ともいえる存在のジルは、ポケーッと見守っていた。「あれって、エリクサーだったんだ……」と、小さく呟くジルの言葉は、二人に聞こえていなかった。




