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1話:異世界の目覚めはエリクサーで

「お願いだから、間に合って……」


 活気に満ちた街がガヤガヤと賑わう、昼下がりの午後。消えそうな声を漏らした一人の女性が、玉のような汗をかいて走っていた。


 白いブラウスにチェック柄のプリーツスカートを履き、背中まで伸ばした黒い髪が風でなびく。ハァハァと息を切らしても駆け抜け、大切な物を抱え込むように両手を胸の前でギュッと握り締める姿は、笑顔がこぼれる街とは対照的で、表情が険しい。


「おい、エリス。何かあったのか?」


「ごめん、ブランク。急いでるから」


 馴染みのあるパン屋さんに声をかけられても、エリスは足を止めることなく走り続けた。


 そんなエリスが両手で握り締めているものが、ポーション瓶と呼ばれる蓋の付いた試験管になる。この世界でポーションは珍しくないけれど、エリスが持っているものは、普通のポーションと雰囲気が異なっていた。


 綺麗な海のように青く澄み、太陽の光を反射しているわけでもないのにキラキラと輝く液体。全ての状態異常・損傷・欠損・呪いなどから回復すると言われている、幻の秘薬・エリクサーであった。


 誰にもぶつからないように駆け抜け、転ばないように足を動かし、急ぐエリスがたどり着いた場所は、一人で暮らすには大きい二階建ての家。


 左手を膝に置き、前かがみになって呼吸を荒くするが、立ち止まってはいられないと言わんばかりに、顔はまっすぐ前を見据えている。右手にあるポーション瓶を、強く握り締めたまま。


 数秒ほどで無理やり呼吸を整えると、エリスは勢いよくドアを開けて家に入る。靴を放りだすように脱ぎ捨て、ドンドンドンッと階段を駆け上り、部屋の扉を開けた。


 目の前に映し出されたのは、エリスが大きな物音を立てていたにもかかわらず、ベッドで静かに眠り続ける小さな男の子。


「ジル、起きて。お願いだから、反応してよ」


 八歳離れたエリスの弟であるジルは、この世でたった一人の家族だった。


 三年前、街中で起こった公爵家襲撃事件に、エリスは家族と一緒に巻き込まれた。エリスは軽い怪我だけで済んだものの、その事件で両親を失い、弟は重篤な状態に陥っている。


 呪いが付与された魔剣が、弟に突き刺さってしまったのだ。


 幸いにも、エリスの弟は命を取り留めたけれど、強力な呪いに意識が朦朧とする日々が続き、三年も経過。最近は急速に呪いが体を蝕み始めて、もうダメかもしれないと思い始めたところで、エリクサーを入手した。そのため、一刻も早く弟に飲ませようと走り続けていたのである。


 落ち着く暇もなくベッドに近づいたエリスは、呼吸を乱したまま、弟の体を軽く揺する。


「まだ大丈夫だよね? ジル、大丈夫だよね?」


 ユサユサと体が揺らされ、姉の温かい吐息が何度もジルの頬に当たる。いつもと違う切羽詰まった姉の声に違和感を覚えたジルは、ゆっくりと目を開けた。


 話そうとして口を僅かに開けても、声を出すような元気はない。


「よかった……。今からいつもと違うポーションを入れるから、こぼさずにゆっくり飲んで。これで良くなるから」


 キュポンッと音を立てて蓋を開けると、エリスはジルの口元にエリクサーを近づけていく。


 いつも看病しているように、ジルにポーションを飲ませるだけ。たったそれだけのことなのに、エリスは不安に押し潰されそうで、手が震えて仕方がなかった。


 もし、自分がこぼしてしまったら、ジルがむせて吐いてしまったら……。考えたくもないことばかりが頭をよぎり、恐怖が押し寄せてくる。


 下唇を噛んで勇気を奮い立たせたエリスが、エリクサーをジルの口へ慎重に入れていくと、喉がゴクッと音を立てて動いた。ポワァッとジルの体が淡い光を放つ姿を見て、エリスの震える手が緩やかになる。


「もう大丈夫だから。もう、大丈夫だから……」


 弟を安堵させようと思ったのか、自分に言い聞かせているのか、エリスにもわからない。無意識のうちに、その言葉を口にしていた。


 やがて、全てのエリクサーがジルの体内に入ると、体が放っていた淡い光が止む。そして、時間が止まったかのように、シーンと静寂に包み込まれた。


 元気になってほしいと祈るエリスは、ジルを見つめたまま動かない。体の内側から不安を煽るような鼓動が高鳴り、噴き出るように汗が溢れ、顎から床へ滴り落ちる。まだエリクサーを飲んで数秒しか経っていないのだが……、三年も看病を続けてきたエリスには、長すぎた。


 我慢できずに、もう一度ジルの体を揺らす。


 もう起きてもいいよ。こんなときまで寝坊はしなくてもいいの。お願いだから、私を一人にしないで。そんなエリスの胸の内を表すように、ジルを揺らす力が強くなり始めた、その時だった。


 エリスの手に、ジルの手が重なったのは。


 姉の姿を確認するため、ジルが首を動すと、二人の視線も重なり合う。急に軽くなった体に戸惑いつつも、寝込んでいたことが嘘だったかのように滑らかな動きで、ジルは上体を起こした。


 信じられない光景を目の当たりにしたエリスの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。ずっと看病で迷惑をかけた姉を泣かせてしまい、ジルはバツが悪そうに微笑んだ。


「エリス……お姉、ちゃん」


 久しぶりに聞いたジルの声は、思っていたよりも高くて、女の子のように可愛らしい。こんなに弱々しかったかな、と姉のエリスが思うほどには、長い月日が流れていたのだ。


 それでも、ホッと安堵するような気持ちが生まれるのは、エリスの目に映る光景が涙で歪みながらも、確かに弟の唇は動き、声を発したとわかったから。紛れもなくジルの発した声が自分の耳に届いたのだと、エリスは感じていた。


「よかった。私だけを取り残して、ジルまでお母さんたちの元へ行っちゃうって。三年も寝込んでたんだもん……」


 泣き崩れるようにジルに抱きついたエリスは、どちらが年上かわからないほど、泣きじゃくった。


 八歳も年上の姉が泣き叫ぶ姿を初めて見た十歳のジルは、困惑してしまう。腕ごと強く抱き締められて身動きも取れないため、キョロキョロと周りを見渡した。


 朧げな記憶ではあるものの、ジルの中にも寝たきりだった三年間の記憶は存在する。夏は部屋の気温が高くならないようにエリスが確認に来てくれたし、冬は寒くならないように何度も湯たんぽを取り換え、高熱を出した時はウトウトしながらも看病してくれた。


 そのエリスの看病が過剰だとジルが思ってしまうのは、寝込んでいる合間に見た、夢のような思い出が影響しているからだろう。


 ――長い夢を見ていた気がする。変わった世界で、料理好きの父さんと二人暮らしをしていた、夢。


 三年にわたって生死をさまよったジルは、封印されていた記憶が蘇るように、前世の記憶を思い出していた。しかし、寝込んでいる夢現(ゆめうつつ)な状況が続いていたことで、前世からの異世界転生だ、などと考えはしない。ほっこりする温かい夢を見たと思っている。


 家族の絆を深める父親との料理の思い出を、絶対に忘れないようにしようと思うほどに。


 前世のジルは、不器用で無口な料理人の父に育てられた。子供の接し方もわからない父親は、何とかコミュニケーションを取ろうと必死に考え、四歳からママゴトで中華鍋を持たせるという、前代未聞の子育てを実践。親が親なら子も子というべきか、ジルもそれを受け入れていた。


 普段ムスッとしている父親が、料理のことになると嬉しそうに話す姿がジルは好きだった。その影響もあって、ジルも自然と料理を作るようになり、十歳の誕生日にマイ包丁を買ってもらうほど、料理に熱中。残念なことに、その日の夜に持病の喘息が悪化して……、そこから記憶は途絶えているが。


 もしも夢が本当だったなら、いま自分が生きている現実がおかしい、そうジルは考える。抱き締めてくれる姉の温もりや、今世の記憶をたどれば……やっぱり今が現実で、随分とリアルな夢をみていただけなんだ、と。


 ――でも、エリスお姉ちゃんにちょっとドキドキしちゃうのはなんでだろう。家族でホッとするような気持ちの方が大きいけど……。なんか、変なの。


 少しばかり前世の記憶に混乱しながらも、泣きじゃくっていたエリスが落ち着き始めたことで、ジルは考えることをやめた。優しい姉の表情に安堵し、微笑みかける。


「僕ね、長い夢を見てた気がするんだ。魔法も魔物もいない世界で、毎晩おいしい料理が並ぶ、少し変わった夢なの。エリスお姉ちゃん、聞いてくれる? 僕の長い夢の話」


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