表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/55

9

「あ…」


ルイス殿下の、温度を感じさせないサファイヤの瞳が、こちらを捉える前に、アレンは慌てて顔を背ける。


「アレン、大丈夫かっ?」


すぐ駆けつけたフリッツが、身を起こすのを手伝ってくれる。


「アイリーン様、こちらの方のお着替えは俺が。アレンは紅茶を頼む。」


突然の王子の訪問にも関わらず、フリッツは落ち着いたものだ。


「…急いでお願いね。お風邪を召されてしまうわ。」


アイリーンは、一瞬、不服そうな顔をしたが、フリッツの申し出を却下することはしなかった。


「かしこまりました。」


カミーユは、顔を上げられないまま、キッチンへ向かうのがやっとだった。


◇◇◇


信じられない。もう二度と会わないと心に誓った王子様が、いきなり、目の前に現れた。けれど、再会したルイス殿下に、昔の面影はあまり探せなかった。一目見た時に思ったことは、「ゲーム通りの王子様」ということだった。

目映い金色の髪に、宝石のような青い瞳、スッと通った鼻筋と、着やせする彫刻のような美しい体躯。その麗しい姿に魅了されて近づいたら最後、彼は人形のように表情がなく、決して誰にも心を開くことがない。

「氷の王子」…乙女ゲームではよくありそうなキャラクターだが、実際、近くで目の当たりにすると、鳥肌が立つほど凄まじいものがあった。それだけ、彼の抱える孤独が深いのかもしれない。


「なぜ、加奈倉さんは、ここに王子を連れてきたの…」


ゲームのシナリオでは、二人は森でそのまま別れるはずだ。まさか、私がカミーユだと正体をバラす気じゃあ…。そう思うと身震いがした。ルイス殿下は今や、戦争で次々に他国を落とす、覇道まっしぐらのヤバい統治者だ。今の王子なら、逃亡した罪で、カミーユとその執事リードンを手に掛けることなど容易いだろう。


「アレン、大丈夫か? 俺も行くよ。」


背後から、フリッツが心配そうに声を掛けてきた。

咄嗟に、父さんを庭に隠してくれた、フリッツの機転の素早さには舌を巻く。


「いいえ、大丈夫よ。わたし一人で行くわ。」


しっかりしなければ…湧いてきた不安感を振り払う。ここで怯えた態度を取れば、ルイス王子に不審に思われてしまう。

それに、ここで捕えられても、運良く逃げ失せられても、彼に…かつての婚約者に、紅茶を淹れるのはきっとこれが最後だ。渾身の一杯にしたいと、カミーユは深呼吸してから、清廉な白手袋をはめて、ティーカップを手にとった。


◇◇◇


2階のテラス席で、ルイス王子とアイリーンは向かい合って座っていた。

夕暮れ前の、眩しい黄金色の日差しが、過剰なくらい二人を照らしている。やがて恋人同士になる運命の二人の、付け入る隙のない完璧な画に、カミーユの心がチクリと痛む。


「失礼いたします。」


アレンは、なるべく顔を伏せながら、アフタヌーンティーのセットを手際よく準備していく。


「この者が淹れる紅茶は絶品です。ぜひ、あなた様にも味わっていただきたくて。」


アイリーンはそう言いながら、優越感に浸ったような視線をカミーユに向けた。


(もしかして加奈倉さん、ルイス王子を…未来の恋人を私に自慢したくてここに連れてきたの?)


カミーユの手が、僅かに震え、ティーカップはカチャリと音を立てた。


「キレイな色だ。」


ルイス王子は、すぐ紅茶に口は付けず、ルビー色に光る液体を見つめていた。


「どうぞ、召し上がってください。」


カミーユが促すと、王子は長い指をティーカップに沿わせ、ゆっくりと、その形の良い唇に運んだ。何ていうことのない仕草なのに、王子の所作の一つ一つは、優雅で、他を威圧するほどの気品が溢れている。カミーユが目を離せないでいると、どうやらアイリーンも同じだったようで、うっとりとルイス王子を見つめていた。


「味も香りも良いな。なぜか懐かしい人を思い出す。」


そう言って、急にこちらに向けられた王子の視線に、カミーユの心臓が跳ねた。


「君はいつから、この屋敷へ?」


「え? えーっと、ずっとです。生まれた時からずっと。」


王子の視線が怖くて、掛けていた分厚い眼鏡を、整えながら顔を逸らす。


「そう…ではこれからも、この屋敷で働くつもりなのかな?」


「それは…」


なぜ王子はそんなことを聞くのだろう…。どう答えてよいか分からず、カミーユは言葉に詰まった。


「この者は、まもなく他国へ移住します。アレン、もう下がってよいわ。」


なおも、カミーユの方を見ている王子に、痺れを切らしたアイリーンが口を開いた。


「で、では、失礼いたしま――――ひっ!!」


そそくさと、その場を立ち去ろうとする、カミーユの腕を王子が掴んだ。


「単刀直入に言うと、私は君の紅茶が気に入った。今日から、王宮に来てもらおうか。」


「えっ?!」


「申し遅れたが、私は、ルイス・ウェヌス・エヴァグリーン。」


(ルイス王子は一体何を?! ゲームのシナリオでは、今度、アイリーンと再会した時に、正体を明かすはずなのに、既に名乗っちゃたし…!!)


呆気にとられる、カミーユとアイリーンの間に、フリッツがやってくる。


「殿下、私は幼いころから、この者と一緒に育ちましたが、とても王宮に勤められるような器では―――」


「それは私が決めることだ。下がれ。」


ルイス王子の、有無を言わさぬ低い声が、その場の空気を一変させた。それは、幼い頃にはまだなかった、命令することに慣れた王者の口調そのものだった。


「ちょうど、迎えが来たようだ。行こうか、アレン。」


門の辺りで馬車が止まる音がする。

後退るカミーユの肩を、構わず王子が抱き寄せた。


「殿下っ!」


アイリーンが、両手を広げて扉の前に立ちはだかった。


「お待ちください!! その者はこの屋敷の使用人で―――」


叫ぶアイリーンに、王子は、一歩、また一歩と歩み寄った。


「今日はありがとう、アイリーン嬢。この礼は、またいずれ。」


緊迫した空気の中、至近距離でお見舞いされた氷の王子の不意打ちの麗しい微笑みに、加奈倉さんは、一瞬で顔を真っ赤にして固まってしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ