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(アイリーン視点)
乙女ゲームの主人公に、転生したと気付いたのは6歳の時だった。嬉しかった。だって自分は、あの憧れだったルイス王子と恋する運命にあるのだから。
ただ、アイリーンがルイス王子と出逢うのは、16歳になってから。その期間が待ちきれなくて、魔法使いのロイドに頼んで、何度もこっそり王宮に連れていってもらった。
でも、訪れる度に、ルイス王子の側には、侯爵令嬢のカミーユがいた。しかも、ルイス殿下は、何とも愛おしそうな視線を彼女に向けていた。
子供ながらに仲睦まじい様子を、いつも見せつけられて、焦燥感に似た激しい怒りを感じたけれど、はじめは、今の内だけだからと自分に言い聞かせた。
ただ、あの日だけは我慢が利かなかった。あろうことか、ルイス殿下がカミーユの前で跪いてプロポーズしているではないか。甘やかな香りの花畑に、純粋な愛を告げる、幼いルイス殿下。戸惑いながらも、淡く頬を染めて頷く、婚約者カミーユ。その姿は、怒りも忘れて魅込ってしまうほど、美しかった。
そして、ふつふつと湧いたのは、危機感のようなものだった。そして、咄嗟にロイドに命じた。
「すぐ…今すぐに、カミーユをリードンと一緒に逃亡させなさい。」
結局、馬車からカミーユを連れ出すのには失敗したけれど、その日の夜には、カミーユとリードンをこの国から連れだすことに成功した。
「ふふふ。」
不安材料は排除した。そしてもうすぐ、待ち望んでいた日がやってくる。アイリーンとルイス王子の出逢いイベントが…。
「いいことを思い付いたわ。」
カミーユだって、多少なりとも、ルイス王子を慕っていたに違いない。田宮先輩にも少しくらい、これまで自分が味わった苦しみを味わわせてやりたい。
◇◇◇
抜けるような青空に、朝の日差し眩しい。
アイリーンの住むフローリア男爵家の一室で、カミーユは、恭しくお辞儀をする。
出で立ちは、黒髪のショートカット。さらに今回は瞳も黒くなっている。フリッツが、長年研究を重ねてくれていたようで、やっと実現した複雑な着色の魔法だった。
「色々ありがとう。加奈倉さん。それじゃあ、もう会うこともないだろうけど…」
父こと執事のリードンは、戦火の中、ロイドさんとフリッツによって救い出され、軽傷を負っていたものの、一週間もすると回復した。
カミーユが、9歳から16歳まで暮らしたイバロア国は、まもなくエヴァグリーン国の支配下になった。
以前、カフェを構えていた一帯は、まだ混乱の最中にあったため、カミーユとリードンは、王都から離れたエヴァグリーン国の安全な場所に住まいを移すことになった。
「さぁ、行きましょうか。」
フリッツはそう言うと、カミーユを守るようにその背中に手を添えた。
「ちょっと待って下さい、田宮先輩。」
「加奈倉さん?」
「一つお願いがあります。今日、午後から大切な友人が遊びにくるの。先輩の紅茶は美味しいから、ぜひその方に振る舞っていただきたいんです。いいかしら?」
アイリーンの急な提案に、その場に一瞬沈黙が走る。
「アイリーン様、紅茶ならわたしが…」
父さんが一歩前に出た。
「いいえ。失礼ですが、先輩の淹れた紅茶は格別ですもの。せひカミーユ様にお願いしたいわ。」
アイリーンの満面の笑顔に、嫌な予感が走った。けれど、身を隠す住まいまで用意してもらって、断る訳にはいかない。
「わかったわ、加奈倉さん。」
カミーユは、笑顔をつくってうなずいた。
「ありがとう、田宮先輩! じゃあ、ついでにお皿洗いとお部屋のお掃除もお願いしまぁす。」
アイリーンは、わざと上目づかいでカミーユを見つめた。
「アイリーンお嬢様、仮にもカミーユ様は侯爵令嬢なのですよ。この期に及んで、使用人のようなまねは―――」
「黙りなさい、フリッツ。お前の主は誰だったかしら?」
アイリーンは眉を潜め、不快感を露にする。
「いいのよ、フリッツ。もうこれで最後だし。それに、掃除は毎日好き好んで私がやってたの。加奈倉…いえ、アイリーン様には、十分にお世話になったのに、それくらいしかできないから。」
カミーユは、フリッツを宥めるように笑顔を向け、アイリーンはその様子を鼻で笑った。
「さっすが、真面目な田宮先輩! じゃあ、わたしはこれから出掛けますね、午後の3時には戻れると思うわ。使用人の服はそこにありますから、ご自由にどうぞ。カミーユ様。」
アイリーンはそう言うと、意気揚々と出掛けていった。