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「フリッツ…!」
(さっきのは…夢…)
思わず、大きな声が出たカミーユの口をフリッツが手で塞ぐ。そして、フリッツの背後からは、フローリア邸に捕られているはずのリードン執事がいた。
(と、父さん…!)
「美羽…!」
思わず手を取り合って二人は涙する。
「父さん…無事でよかった…!でも、一体どうしてここに?」
(フローリア邸の魔法使いで、フリッツの父である、ロイドに捕らえられていたはずなのに。)
「あっ…」
フリッツの背後には、縄で縛られたロイドの姿がある。そしてその横には、ラディもいた。
「フリッツから詳しい事情は聞いたよ。カミーユ、これで君は自由だ。」
「ラディ、どうして…」
「僕は、君の涙には弱いんだ。君の憂いを取り除くためなら、どんなことだってできる。」
ラディは、カミーユの髪を撫でて優しく微笑む。
「おいおい、実際に親父を捕らえたのは俺だぞ。」
フリッツが、カミーユとラディの間に割り込む。
「まぁ、俺は、ルイーザ島の留学中に、晴れて親父を凌ぐほどの魔法使いになったってわけだ。」
フリッツは得意そうに笑った。自信に満ちた表情が、以前より大人っぽくみえた。
「…カミーユ、殿下は前世の『乙女ゲーム』のことも既にご存じだよ。」
「えっ?!」
「前々から、アイリーンに定期的に会っていたのも、おそらく、その情報を探るためだろう。もちろん、俺もルイーザ島で捕らえられた時には、殿下の世にも恐ろしい拷問で大分吐かされたけど…あぁ…アレは、今、思い出しただけでもチビりそうだ…」
(そんな、まさか…だって殿下がゲームのことを知っていたなら…)
「殿下は、全てを知った上で、お前との未来を選ぼうとしていたんだよ。」
「う…そ…」
その時、舞台の開演10分前を知らせる鐘が鳴った。
「カミーユ、もうお前は、何に縛られることはない。演じたい役を、演じたいようにやって来いよ!」
フリッツがニッと笑った。
「フリッツ…でも…」
(今さら、もう…殿下は、すっかりアイリーンに陶酔していて、今夜にも、私と婚約破棄するというのに…)
「カミーユ、この世界の主役は、他でもない君だ。全ては君の願った通りになる。本当の望みを思い出してごらん。きっと叶う。」
「ラディ…」
「さぁ、カミーユ…! 大丈夫、僕がここで、ずっと君を見守ってる。」
「ほら、行ってこいよ! いざとなったら、俺が魔法で、今度こそイバロアにかっさらってやるから。」
フリッツとラディスに背中を押されて、カミーユはルイス王子の待つ舞台へと上がった。
◇◇◇
演じるのは、王子様に一目惚れした庶民の娘。
「なんて美しいお方…」
魔女にそそのかされて、『真の運命の乙女』に成り代わって、あの手この手で王子様を誘惑する。
「殿下…どうか、私をずっと、ずっと殿下のお側にいさせて下さい。」
ルイス王子の手を握り、その胸に身を寄せる。台本のセリフは、不思議と、どれも本当に言いたかったものばかりで、自然と胸が熱くなった。
「…あぁ。」
しかし、カミーユの気持ちとは対象的に、ルイス王子の態度は冷たいものだった。
それでも、カミーユは、セリフの一つ一つに心を込めて、ルイス王子への愛をささやいた。
「あなたを、愛しています。たとえニセ者でも、この気持ちに、寸分の偽りもありません。」
最終幕にさしかかった、二人の婚礼を祝うシーンで、自責の念にかられた娘は、自らの正体を明かそうとする。
そのセリフを口にした、カミーユのルビーの瞳から大粒の涙が流れた。
(ルイス殿下…幼い頃からずっと、あなただけを想っていました…自分が悪役令嬢と知ってからも、あなたへの恋心は、ついぞ消えることはなかった。)
「カミ…」
その瞬間、どこか虚ろだったルイス王子の碧い瞳が見開かれ、スラリとした手がカミーユの頬に伸ばされた。
「でん――――」
「騙されてはなりません! その乙女はニセ者です!」
舞台に現れたのは、豪華な花嫁の衣装を身に纏った、『真の運命の乙女』のアイリーンだった。
「どきなさい!」
あっという間に、カミーユは衛兵に取り押さえられ、ルイス王子の隣にはアイリーンが並んでいる。
「殿下! 嫌です。あなたの側を離れたくありません…! もう二度と…」
演技とは思えないカミーユの悲痛な叫びに、ルイス王子の表情が歪んだ。
「っ…」
頭痛がするのか、ルイス王子はこめかみを押さえた。
「殿下?! っ…何をしているの! 早くそのニセ者を連れて行きなさいっ!」
なにかを察知して焦ったアイリーンが、必死の形相で叫ぶ。
「嫌です! ルイス様!!」
思わず、ルイス殿下の名前を口にしたカミーユに、会場はざわざわとなった。
「カミーユ様っ!!」
アイリーンの表情が、ヒロインとは思えないほどの険しいものになった。
「ごめんなさい、加奈倉さん。私やっぱり、殿下が…ルイス様だけは諦められない…!」
「なっ…」
「ルイス様…私は、あなたを愛しています。たとえ『運命の乙女』でなくても、この気持ちは誰にも負けません。幼い頃からずっと、あなただけを想っていました。」
カミーユは真っ直ぐにルイス王子をみつめた。その時、ルイス王子の頭上で、何かが、バンッと弾けるような音がした。
「カミーユ…」
ルイス王子は、まるで夢から冷めたようにハッとした表情で、カミーユだけをみつめていた。




