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今日も、カミーユのお店は常連客でいっぱいだった。
「ついに隣のエヴァグリーン国は、東のルファレスタ国を併合したそうだ。」
「あの国が、ここ数年で、攻め滅ぼした国はいくつめだ?」
「こんなに急に、領土を拡大するなんて、いったい隣の国王は一体何を考えて…」
「国王の号令の元、実際、戦の指揮を執っているのは、ルイス王太子らしいぞ。」
「ルイス王太子が?! 確か、まだ18歳だろう?」
「ともかく、国王だろうが王太子だろうが、国が豊かになるのはいいことじゃないか。貧しい我が国にとおっては、羨ましい限りだ。」
「まっ、こんな田舎町の俺たちには関係ないがなぁ~。」
「それもそうだな、ハハッ!」
「お待たせいたしました。紅茶4つです。ロベールさんにはミルク入り、バンダさんはハチミツ多めですよ。」
「あぁ、ありがとうアレン。」
隣国の戦況の話題に沸く、目の前の男たちの奇妙な興奮を、紅茶の良い香りが、ふわりと静めていく。
「俺たちは、毎日こうして上手い紅茶を飲みながら、語らっていられれば幸せさ。」
「あぁ、当たり前の日常が一番だ。」
「この店は俺たちのオアシスだよ、アレン。」
「ありがとうございます。今朝焼いたクッキーをサービスしますね。」
常連客に笑顔を向けながら、カウンターへ戻ったカミーユは、白手袋の上から、そっと左手のリングに手を添えた。
「ルイス殿下…」
(幼い頃に母を亡くし、国王である父に厳しく躾られたルイス王子は、感情が乏しく、成長するにつれて、冷酷な覇王としての顔があらわれはじめる。)
これはシナリオ通りの展開だった。分かっていたことなのに…今さら胸が痛むのはなぜだろう。
「あと少しで…」
そう、あと少しで、乙女ゲームの主人公のアイリーンが16歳になって、ルイス殿下も在籍する王立学園に入学する。そしてルイス殿下と恋に堕ち、殿下の氷の心を溶かすのだ。
『カミーユ、ずっと側にいてくれ。』
ずっと頭から離れなかった、幼いルイス王子のすがるような瞳…。もう会うこともないけれど、せめて王子の孤独な心が早く癒されるように、心から祈った。
◇◇◇
「フリッツ~、サンドイッチを持ってきたよ。」
隣のオーベル邸で、カミーユは慣れた手つきで紅茶をいれる。
「アレン、店はいいのか?」
「うん、一旦落ち着いたから。今日も、ロイドおじさんはいないの?」
フリッツは、仕事する手を一旦止めて、肩に載っている小鳥に木の実を与えている。
「うん。森で薬草を摘んでから、夕方には帰るって。」
「ふ~ん。最近、忙しいそうね。はい、冷めないうちにどうぞ。」
カミーユは、サンドイッチと紅茶をテーブルに置いた。ふと、フリッツの手元にあった、彼が修理していた拳銃に目が止まる。
「わっ、びっくりした! フリッツ、銃の修理をしているの?」
「あぁ、最近注文が多くてね。」
彼のすぐ横には、磨かれた槍や刀が並んでいる。
「何だか物騒ね。国境沿いとはいえ、こんな田舎町が、戦に巻き込まれることなんてある訳ないのに。」
しかも、ここは資源にも乏しい小国だ。この国を得たところで、エヴァグリーン国にとって何の利益にもならない。だが、カミーユの考えを察したかのように、フリッツが口を開いた。
「…アレン。ここ数年のエヴァグリーンの戦は、必ずしも国益に則っているとは言い難い。もちろん、領土拡大と中央集権の傾向が強まって、世界でも有数の強大国になったことは事実だが…」
フリッツは、下を向いて、ルビー色に光る紅茶を見つめた。
「フリッツ?」
いつもと違うフリッツの様子に、カミーユが顔を覗き込む。
「まるでルイス殿下は、何かを捜し求めて、さまよっているようだ…」
「え?」
真剣な瞳でこちらを見据える、フリッツと目が合った瞬間、コンッとドアを叩くような音がした。
「あっ、おじさんが帰ってきたのかな?」
カミーユは、ドアに駆け寄って扉を少し開くと、
―――――――――っ!!
「アレンッ、危ない!!」
フリッツの手によって、すぐ家に引き戻されてしまったが、庭のポストに鉄の矢が刺さり、真っ赤に燃えているのが、確かにカミーユの視界に映った。
「フ、フリッツ…庭に火が…父さんは…」
再び、外に出ようとするカミーユを、フリッツが押し止める。
「ダメだ! 今は危ない!!」
いつになくフリッツが大きな声を出した。
「離してフリッツ! 父さんが…」
カミーユが、再びドアノブに手をかけた時、
「赤い髪と瞳の女を探せ! 殿下の命だ!」
(…え? 今何て…)
「アレン! こっちだ、早く!」
フリッツは、近くにあった布をカミーユに被せて、抱え込むように地下室に連れて行った。
真っ暗な地下室にいても、外の怒号や銃声が間近に聞こえる。
「フリッツ…これは一体…父さんやお客さんは…」
訳も分からず震えるカミーユを、フリッツがしっかりと抱き締めた。
「静かに…! ここにいれば大丈夫だ。」
フリッツはカミーユの耳を塞いだ。
(さっき…赤い髪と瞳の女を探していると聞こえたような…まさか…)
ガンッ―――――!!
頭上の鉄の扉が開く音がして、こちらに向けられた銃口がキラリと光った。
「くっ」
フリッツが腰の銃に手をかける。
「フリッツ、アレン、こっちだ!」
「親父っ!」
「おじさん?!」
土埃にまみれたロイドに案内され、地下室のさらに奥の洞窟のような部屋に辿り着くと、床にあらわれた魔方陣が光だす。
「親父、まさか…」
「これはっ…ロイドおじさん?!」
「エヴァグリーン国侯爵令嬢、カミーユ・オッセン。一緒に来てもらおう。」
そう言いいながら、ロイドが羽織った黒いマントは、カミーユの忘れていた幼い日の恐怖の記憶を呼び覚ました。