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行方不明だった宰相の実子、ラディス・マロウが戻ったというニュースは、またたく間に学園中に広まった。
「なんで、ラディ様がここに?!」
アイリーンは興奮して、頬がピンク色に上気している。
「加奈倉さん…このノートの計画はどうなるの?」
アイリーンは首を傾けて、少し考えているようだった。
「もちろん、先輩は、このノートのシナリオ通り、悪役令嬢カミーユを演じて下さい。ラディ様は、続編の魔法大学で、アイリーンと同じ研究室に入ってから、恋に落ちるはずなんで…まぁ、今後どうするか考えます。」
アイリーンは、楽しそうに笑う。
「どうするかだなんて…まさか、ゲームみたいに逆ハーレムを目指すなんてことないわよね? ルイス殿下はどうなるの?」
いくら、前世の乙女ゲームの世界だからといって、今ここは、三次元の現実世界だ。王族や、高い爵位の男性たちを、手玉に取るなんて、考えられない。何より、ルイス殿下やラディス様に対してあまりに無礼ではないか。カミーユは、湧き上がるイラ立ちを隠さなかった。
「もちろん、本命はルイス殿下です。あぁ、でも、こうしてみると、ラディ様もステキ…! まぁ、わたしがどちらを選ぼうと、別に先輩には関係ないですよね。イバロアの最北の地で、ささやかなカフェを開くことを、お望みなんですから。さぁ、演じて下さい、悪役令嬢カミーユを。ご自身の夢のために。」
黒い笑みを浮かべたアイリーンは、カミーユの頬に手を滑らせて、片耳のイヤリングをかすめ取った。
「…っ」
「きゃぁぁっ!」
アイリーンは、悲鳴を上げて、自ら廊下の壁に激突する。
「!」
(え? これは…)
「申し訳ありません! カミーユ様!」
(これはまさか…頭の中を、ゲームのカミーユのセリフが駆け巡った…)
アイリーンの大きな声に、辺りの生徒が、ざわざわと二人に注目しだす。その中には、ラディス・マロウもいた。
「…あ、あなたのような下賎なものが、気安く私に話しかけないでちょうだい!」
カミーユはドレスのスカートの裾をつかみながら、シナリオのセリフを口にした。
(いよいよ本番がはじまってしまった…)
「カミーユ様…あの、こちらが落ちていたもので…」
アイリーンが、イヤリングを渡そうと差し出した手を、カミーユは、勢いよく振り払う。
「あなたの手で汚れてしまったから、もう結構よ。そうだわ、よかったら、もう片方のイヤリングも差し上げますわ。ありがたく受け取って?」
そう言って、カミーユは、床にもう片方のイヤリングを落とした。
「まぁ、カミーユ様は、なんてお優しいのかしら。」
「アイリーン様は、金銭的にお困りのようですから。」
「毎日同じドレスだからか、何だか臭いますわね。わたくしが、新しいものをお送りしましょうか?」
カミーユの取り巻きたちが、次々と加勢して、アイリーンを囲む。
「あなたのような、貧乏男爵の娘が王立学園にいること自体が間違っているのよ。」
「立場をわきまえなさい。この、カミーユ様のご婚約者のルイス殿下と、度々図書館にいるようですけど、まさか―――」
「イリアーナ様! 殿下は、アイリーン様の魔力の高さに、ご興味をお持ちなだけですわ。誤解を招くような発言は許しませんわよ。」
「申し訳ありません、カミーユ様。」
「けれど、アイリーン様、殿下はお忙しい身ゆえ、あまり時間を拘束しないでいただきたいわ。」
「はい、申し訳ありません。カミーユ様。」
アイリーンは、大きな瞳に涙を滲ませてうなだれた。生徒からは、あちこちで同情の声がささやかれる。
(アイリーンは、やっぱりシナリオ通り、ルイス王子と頻繁に会っているんだ。)
シナリオのセリフを口にしながら、カミーユの胸は痛んだ。
「何をしている?」
「ルイス殿下!」
騒ぎに集まった生徒たちが退いて、自然とできた道から、美しい立ち姿のルイス王子が現れた。
ルイス殿下は、ゆっくりと近づいて来て、カミーユとアイリーンを交互にみた。
「何があった?」
ルイス王子は、アイリーン、ではなくカミーユを見下ろした。
(あれ…次のセリフ…なんだっけ…どうしよう、全然出てこない…え、えーっと…ダメだ…思い出せない…)
助けを求めて、思わずアイリーンをみると、アイリーンは少し口をパクパクさせて何か言っているようだったが、さっぱり分からない。
すると、アイリーンは、舌打ちして、自身の頬を指さした。
(あ、頬をひっぱたけってことかしら…人を叩いたことなんてないけど…よし、ここは、思いきって…)
カミーユは、目をつぶって、手を振り上げた。
ペチッ!
平手打ちにしては、かわいすぎる音が、廊下に響いた。
(い、痛くなかったかしら…加奈倉さん…ていうか、ルイス王子は、こんな近くにいるのに、何でカミーユの手を、止めてくれなかったの…シナリオはどうだったかしら…ダメだ…よく思い出せない…)
ルイス王子は無言のまま、興味深そうにこちらを見つめたままだった。
アイリーンは、一瞬、不満気な表情になったが、すぐに頬に手を当てて大粒の涙を溢した。
「…っ! カミーユ様、申し訳ありませんでしたっ。殿下、カミーユ様は何も悪くありません。全て私が悪いのですっ。」
アイリーンは、震える声でそう言って、泣きながら走り去った。
「…。」
「…殿下。」
「何だ? カミーユ。」
「お、追いかけないのですか?」
「何故?」
「なぜって…」
(やっと、台本を思い出した。『アイリーンは屋上に走り去って、ルイス王子に「もう、二人で会うために図書館には行きません」と告げる。それは許さないと、王子はアイリーンを壁ドンして、「取り消さないと、このままキスしてしまうよ」と、彼女に迫る。ここで、選択肢が登場して、確か、「取り消す」「取り消さない」「無言のまま」だったと思う。結局、どれを選択しても、概ね最後はキスされるという展開だったと思う…。そして、甘いキスで絆されたアイリーンは、殿下への恋心を告白する。とにかく、ここは、最初に、二人がお互いの気持ちを確認する重要な場面だ。)
「殿下! 追いかけて下さい!」
カミーユは、殿下の耳元で必死に訴えた。
「いや、僕は君に話が―――」
「屋上です! 早く!」
カミーユは、強引にルイス王子の背中を押す。
王子は驚いたように目を見開いて、
少し考えるしぐさをしてから、屋上への階段を歩き出した。
 




