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ルイス王子は、そのまま向かいのテーブルに腰かけた。
「カミーユ、王妃になるための勉強は順調のようだね。」
王子はうつ向いたままそう言って、手元の紅茶に手を伸ばす。優しい、柔らかな声だった。
「は、はい。」
(怖い…プロポーズ直後に国外逃亡しようとしたのに、なぜ何も言わないの? いっそ怒鳴られて責められた方が気が楽なのに…)
「あの、それで、そろそろ学園に戻りたいのですが…。」
おそるおそる、カミーユが尋ねる。
(加奈倉さんは、アイリーンとルイス王子が結ばれたら、父を解放してくれると言っていた。早く、学園に戻って、婚約破棄に向けたシナリオを進めたい。)
「うん。そうするといい。」
「えっ」
(こんなに、あっさりと許可が出るなんて…)
「ふっ、カミーユから言い出しておいて、そんなに驚くなんて変だね。まぁ、今日はそれを伝えにきたんだけど。王妃教育もがんばってるみたいだし、それと、アイリーン嬢からの進言もあってね。」
「アイリーン様が…」
「うん。ただし、学園へは寮ではなく、王城から通ってもらう。送り迎えは、このロイドにさせよう。」
「ロイドに?」
ロイドは、カミーユに恭しく頭を下げた。
「そう。彼は、あの日、カミーユを僕の元に還してくれたからね…。」
確かに、修学旅行の打ち上げパーティーで、国外逃亡した時、ロイドにルイーザ島に連れ戻された。
当時を思い出してか、王子の瞳に冷たい光が宿った。
「信頼…なさっているんですね。ロイドと、アイリーン様を…。」
「…あぁ。」
二人の間に、沈黙が流れる。
「殿下、そろそろお時間です。」
王子付きの執事が、迎えに現れた。ため息をついて、ルイス王子が立ち上がる。
「今度は、君の紅茶が飲みたい。」
ルイス王子は、カミーユのルビー色の瞳に口づけて、その柔らかな髪を撫でながら、ゾッとするくらい綺麗に微笑んだ。
◇◇◇
王立学園に戻って、一番に出迎えられたのは、満面の笑みのアイリーンだった。
「おかえりなさい、先輩! 念のため、このノートを渡しておきます。発生するイベントの場所と日時、カミーユのセリフまで全部書き出してありますから! あとは、この通りに演じて下さればOKです。ふふ、至れり尽くせりでしょ。」
「え、ええ…わかったわ。」
(すごい…。カミーユや、他のキャラクターのセリフまで、全部書き出してある。加奈倉さんは、どれほど、このゲームをやり込んだのかしら。)
パラパラとノートを捲るカミーユを、数人の貴族令嬢たちが取り囲む。
「カミーユ様! ぜひ、ランチをご一緒いたしませんか?」
「一度、カミーユ様とお話させていただきたかったのです。」
「まぁ、近くで見れば見るほど、なんて艶やかな紅色のお髪…」
「その見事なルビーの指輪は、殿下からの贈り物ですね。ステキですわっ!」
「あ…」
(彼女たちは、悪役令嬢カミーユの取り巻き…)
ゲームでは、良く見知った容姿の女子生徒たちだった。取り巻きたちに、遠くに押し退けられたアイリーンは、満足そうな笑みを浮かべている。
「…ええ、もちろんですわ。わたくしも、皆さんと仲良くしたいと思っておりますの。」
カミーユは、王妃教育で学んだ言葉づかいに、優雅な微笑みを披露した。
「「「まぁ! 光栄です!!」」」
(もう、逃げられないんだから、私も覚悟を決めて舞台に上がらなきゃ…)
純度の高いルビーのような、少しつり目の宝石の瞳に、たっぷりと波打った、艶やかな紅色の髪…良くも悪くも、カミーユ・オッセンの華やかな容姿は誰もを惹き付ける。
地味なアレンの時とは、全く異なったカミーユの振るまいに、教室にいた誰もが釘付けになった。
◇◇◇
放課後、カミーユは、質問攻めで群がる生徒たちから、やっとのことで逃れて、イバロア同好会で作った、校舎裏の畑に一人で向かった。
三ヶ月近くもほったらかしにしていたにもかかわらず、畑は、以前と変わらず手入れが行き届いていた。
水をまくホースを手にした、パドン君と目があう。
「…殿下のご婚約者様が、こんなところに何の用です?」
パドン君は視線を逸らして、俯いた。
「正体を黙っていて、本当にごめんなさい。」
「アレン…いや、カミーユ嬢。何で僕と親しくしたの? からかって楽しんでたの? 冴えない留学生だと憐れんでたの?」
パドン君は、自嘲気味の笑みを浮かべた。
「違う! パドン君が、イバロアの私のお店を褒めてくれた時は、本当に嬉しかった。それに、パドン君は、この学園で、はじめてできた友達だから、最後にちゃんと話をしたかった。アレンとして…」
(明日からは、本当に、完全に悪役令嬢のカミーユに戻らなきゃいけないから…)
「最後?」
パドン君が眉をしかめる。
「とにかく、今までありがとう。許してくれるとは思ってないけど、それだけ伝えたかったんだ。」
カミーユは、泣き出しそうになるのを、無理にこらえて笑った。




