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ルイス王子は、宴の装いのまま、優雅にマントをはためかせて、一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
真冬の夜のような、冴え冴えとしたオーラを纏う以外、王子は何もしていないのに、カミーユとリードンが立つ魔方陣から、吹き上がる風が弱まっているようだ。
(そういえば、ルイス王子は、国で一、二を争うほど、魔力が強く、宮廷の魔法使いたちも、舌を巻くほどの魔術の使い手だった。)
「殿下…」
(なぜここに…?! 今の時間は、アイリーンと別荘の温室にいるはずじゃあ…)
「カミーユ、なぜ魔法陣の中にいる?」
王子は、カミーユを捉えていた視線を一瞬床に落として、フリッツの描いた魔方陣を、読み解いていく。
「転移魔法…しかも行き先は遠距離の…国外か…さしあたっては、北の方だね。」
ルイス王子は、口角を糸でつったかのような不自然な微笑みを浮かべ、一見優しげに細められた瞳からは、刃物のように鋭い眼光が放たれている。
(怖い…)
それは二次元のゲームではもちろん、幼い頃も含めて、今までに見たこともないようなルイス王子の表情だった。
「カミーユ、これはどういうこと?」
口調は穏やかなはずなのに、ルイス王子の言葉の一つ一つに、肌を突き刺されているような錯覚に陥る。
思わず、一歩後ずさったカミーユを庇うように、父が一歩前に出た。
ルイス王子の、形の良い眉が忌々しそうに歪められる。
「殿下…行かせて下さい…」
父の手を取り、カミーユは、涙目で精一杯の声を絞り出した。
その瞬間、ルイス王子の碧い双眸が見開かれた。
「カミーユ、なぜ…」
ルイス王子は、まるで、置いてけぼりにされた子どものような表情になった。
「…っ」
(ルイス殿下…どうして、こんなに胸が痛むのだろう…)
自然と涙が溢れたのは、カミーユなのに、ルイス王子の方が泣いているみたいだった。
その時、フリッツが杖を大きく回転させると、再び、魔方陣が光り出した。みるみる内に、目映い光に身体が包まれていく。
「…くっ」
我に返ったルイス王子が、右手で空を割くと、フリッツの肩から鮮血が飛び、大きな杖が地面に叩きつけられた。
「フリッツ!!」
「来るな! アレン!!」
フリッツは、左手の夜光貝のブレスレットを天に翳して、呪文を唱える。
「いっけぇぇぇぇっ!!」
フリッツのブレスレットがパーンッと弾けた瞬間、目を開けていられないほどの光と風に襲われる、
カミーユは薄れ行く意識の中で、何度も自分の名を呼ぶ、まるで世界が終わるかのような、悲痛なルイス王子の叫び声を聞いた気がした。
◇◇◇
強い風が止んで、身体の熱が冷めていく。
「ここは…」
目を開けると、木の温もりが温かいログハウスの中にいた。オーク材の長いカウンターや、可愛らしいアンティークのドアベルは、以前のイバロアの喫茶店でも使用していたものだった。
「美羽…どうやら新しい店に着いたみたいだ。」
アレンの肩を抱いて、リードンが室内を見回した。
「父さん…どうしよう…ルイス殿下が…フリッツも怪我をして、血がみえたわ…」
真っ青になるアレンの前に、この世界の主人公と、フリーリア邸の魔法使いのロイドが現れる。
「加奈倉さん!」
「ふふ、新しい喫茶店へようこそ!田宮先輩。 新天地でもがんばって下さい!!…と言いたいところだけど、そうはいかないみたいです。」
アイリーンは、不気味なくらい満面の笑みを浮かべた。
「どういうこと?! あなた、ルイス殿下と別荘の温室で会っていたはずじゃあなかったの?」
(修学旅行の打ち上げパーティーの夜、アイリーンは、青い蝶のブローチを使って、温室にくるようにとルイス殿下に手紙で呼び出されていたはずなのに…)
「あの手紙は、ルイス殿下がカミーユに送ったものです。」
「えっ?」
(どういうこと…? だって青いブローチは、アイリーンが持っているアイテムで…殿下も、それをご存じだったはずなのに…)
「すみません、実は、青い蝶のブローチを使って、一度だけ王宮に入ったんです。でも、ルイス殿下からは、お叱りを受けてしまったんです。殿下は、自らカミーユに渡すからと、ブローチを取り上げようとしましたが、必ずカミーユに渡すと約束して、その時はお許しを得ました。」
「そんな…じゃあ温室には…」
「思いきって行きましたよ。この私が…恥もプライドも捨てて…でも殿下は…」
アイリーンの美しい相貌が、みるみる歪んでいく。
「田宮先輩、お願いがあります。今すぐ王立学園に戻って、ゲームのシナリオ通り、悪役令嬢カミーユ・オッセンをを演じてください。」
前世からお馴染みの、上目づかいでアイリーンが、アレンを見つめた。
「な、何言ってるの?」
「やっぱり、役者が全てそろわないと、この世界はダメみたいです。特に悪役令嬢がいないと、王子様との恋が全然、進展しないわ。」
「そんな…」
驚愕するアレンとリードン執事に、
アイリーンは微笑んだ。
「もちろん、カミーユの最後は処刑にならないように手配しますから、安心して下さい。」
「そんな…無理よ…今さら…」
首を横に振るアレンに、アイリーンは、不機嫌に冷めた視線を向けた。
「お願いと言いましたけど、先輩、これは決定事項です。」
アイリーンは、隣のロイドに目配する。
「…っ! 父さん! 何するの?!加奈倉さんっ!」
アイリーンが指示すると、リードン執事の手足が、鉄の鎖で拘束される。
「リードンは預かります。晴れて、私とルイス王子が結ばれたら、解放してあげますから。新しいお店はそれまで諦めて下さい。」
「加奈倉さん!」
「美羽! 私のことは心配するな! あそこに戻ってはいけない!! せっかくフリッツ君が、決死の覚悟で、ここまで送り届けてくれたんだっ!」
叫ぶリードンの口を、ロイドが魔法で封じた。
「ふっ、そうだわ。フリッツだって、先輩が戻らないとどうなるか分かりませんよ。」
「何ですって?!」
ロイドが姿鏡に映し出した光景は、何重もの鎖で、肢体を拘束された、鉄格子の中のフリッツだった。
「フリッツ!!」
アレンが思わず身を乗り出した。
「どうしますか? フリッツを救えるのは、たぶん、今のところカミーユだけですよ、田宮先輩。」
(どうしよう…わたしのせいでフリッツがこんな目に逢うなんて…)
「…ごめんなさい、父さん。私、戻らなきゃ。」
必死に首を横に振る父を、安心させるようにアレンは頷いて微笑んだ。
(フリッツを犠牲にして、自分だけ幸せになるなんてできない。フリッツと父さんのためにも、私は、エヴァグリーン国に戻って、完璧な悪役令嬢を演じなければ…)
「ふふっ、さすが先輩! そうこなくっちゃ! やっとここから、楽しいゲームのスタートだわ。善は急げだわ。ロイド! 転移魔法は使える?」
「カミーユ様お一人だけでしたら可能です。申し訳ありません、お嬢様。」
「いいわ。私も後から向かうから。」
満足そうに鼻で笑うアイリーンに促されて、アレンは、再びルイス王子の元に向かうために、ロイドの転移魔法の中に消えた。




