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「返事を聞かせてもらえる?」
ルビー色の紅茶を、ゆっくりと飲み干した後に、ルイス王子が口を開いた。
「もちろん、結婚は今すぐじゃあない。君の王立学園を卒業を待ってからだが…」
少し緊張してこちらの様子を窺うような碧い瞳は、いつもの自信に満ち溢れた王子の動作からは想像しにくい。
「あの…」
(アイリーンとの仲は、どうなっているんだろう…婚約破棄どころか、このタイミングでプロポーズしてくるなんて…)
「カミーユ? 何か気がかりなことがあるなら、何でも言って?」
ルイス王子は、カミーユの手をそっと握った。
「あの、アイリーン様と、お会いになっておられるのは…」
「えっ」
カミーユがルイス王子の顔を見上げた瞬間、王子はふいに目を逸らした。
(…! 初めてかもしれない。王子が自ら視線を逸らすなんて…)
それは、ほんの一瞬の出来事だったけれど、それだけでカミーユの胸はズキズキと痛み出す。
「…あぁ、アイリーン嬢とはたまに会うことがある。彼女は強力な癒しの魔力を持っているからね。魔法大学の研究に貢献してもらっている。」
ルイス王子は、カミーユと視線を合わせないまま、少し早口で話した。
「そう…ですか。」
やっぱり、ルイス王子とアイリーンは定期的に会ってる。
(考えてみれば当たり前だわ…ゲームのシナリオだってそうだったし。何より、カミーユに贈るはずだった『青い蝶のブローチ』をそのままアイリーンが持っていても殿下は、それで良しとしているんだもの。)
「もしかして、嫉妬してくれたの?」
うつむいたままのカミーユの顔を、王子が興味深そうに覗き込む。
「えっ、いえ、その…」
至近距離に迫った、ルイス王子の端正なお顔にカミーユの心臓が跳ねる。
「ふっ、嬉しいな。6年ぶりに再会してから、君はあんまり僕に関心がないのかと思っていたけど、少しは自惚れてもいいのかな?」
優しく髪を撫でた手で、カミーユはそのまま肩を抱かれた。
「安心して。僕はカミーユ以外愛さない。いや、愛せない。」
穏やかな笑顔と、真摯な瞳にカミーユの心も、思わず、絆されそうになってしまう。
「プロポーズ、受けてくれるよね?もちろん応えは、YES以外聞かないけど。」
ルイス王子は、カミーユの視線まで身を屈めて、宥めるような口調でそう言うと、カミーユの左手に自身の手を重ねて、何やら詠唱を始めた。
「ルイス様?」
少し風が吹いたかと思うと、ルビーの指輪が赤い光を放った。
幼い頃に贈られたルビーの指輪は、いっそう輝きを増して、さらに精緻になったリングの細工には、『永遠の愛を誓って』という言葉と、溶け合うような飾り文字で、2人の名前が刻まれた。
「あっ!」
(この指輪…見覚えがある!)
それは、前世の乙女ゲーム『王宮ロマンス・アイリーン』で悪役令嬢カミーユが着けていた婚約指輪にそっくりだった。カミーユはこの指輪を、主人公のアイリーンにことあるごとに見せつけて自慢していた。それも一回や二回でなく何度も何度も…極めつけは、指輪をわざとアイリーンのバッグに忍ばせて、彼女を泥棒扱いしたりする。逆に言うと、カミーユにとっては、この指輪くらいしか王子の自分への愛情を、周りに証明できるものがなかった。彼女の唯一の武器といえるかもしれない。
(結局は…すべてシナリオ通り…)
「私と結婚して欲しい。」
ルイス王子は再び、カミーユの前で跪く。最愛の男から、天国のような場所でのプロポーズ。
これさえも…カミーユの心を完全にルイス王子に支配させるための、イベントなのかもしれない。
(早く、悪役令嬢としてゲームのメインキャラクターに加われとでも言われているかのよう…)
そう思うと、カミーユの目には辺りの美しすぎる風景も、途端に、ワントーン暗く映った。
「…もちろんですわ、ルイス様。」
カミーユは、うつむいたまま王子の手をとる。
(早く、この男から離れなければ…)
「カミーユ、愛してる。ずっと僕の傍にいて。今度こそ、もう絶対に離さない。」
王子の広い胸に、包み込まれるように閉じ込められる。
(なんて心地の良い…もう、とっくにカミーユはルイス王子の手に落ちている。)
「ルイス様…」
(このままでは、心が壊れてしまう…)
わずかに残った、前世の田宮美羽の意思がカミーユの王子への愛情を押し止めると、ふいにルビー色の瞳から涙が溢れた。
「カミーユ? 泣いてるのか?」
王子は驚いて、カミーユの頬に手を添えた。
「いえ…これは…」
王子は、カミーユの瞼に口づけてから、涙を唇で吸うように舐めとっていく。
「あの…ルイス様…」
「ん?」
カミーユの一字一句も逃すまいと、王子は、彼女の小さな唇に耳を寄せた。
「感動してしまって…嬉しいんです。」
(もう、限界だ…これ以上は…)
「カミーユ…?」
痛いくらにカミーユを見つめる、王子の瞳がかすかに揺れる。
「そうです、嬉しくって…! もう、あなたのお傍を離れません…っ」
(これ以上傍にいたら、本当に離れられなくなってしまう…)
本心を悟られまいと、カミーユはルイス王子に自らの唇を重ねた。
「…っ、カミーユ…」
拙いカミーユのキスに、主導権はすぐにルイス王子に移ってしまう。それでも、カミーユは必死に王子の胸にすがり付いた。まるで、大海原で溺れないように、ひたすらにもがいているみたいだった。
(次の国外逃亡は絶対に失敗する訳にはいかない…!)
互いの鼓動が溶け合うほどの、熱い熱に浮かされながら、カミーユは決意を新たにした。




