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(ルイス王子付き執事・ショーン視点)
「殿下、まだお休みにならないので
すか?」
ルイス王子は、城の最上部に近い自室の大きな窓の外を見つめていた。
「…何だか胸騒ぎがしてね。」
「カミーユお嬢様のことですか?」
心配そうに執事が歩み寄る。
「うん。ケガがなければ今日にでも城に連れ帰って来たかった。」
王子は視線をオッセン侯爵邸の方向に向けたまま言った。
「…殿下の指示通り、少しでも疑いのある者はみな捕らえておりますし、お嬢様も無事に戻られ―――」
「無事?」
振り返った王子の凍るような表情に、執事が青ざめる。
「しっ、失礼いたしました。」
(本当にこの王子は12歳なんだろうか。)
「僕の大事なカミーユの身体を少しでも傷つけたんだよ。絶対に許せない。」
(普段は温厚そうな笑みを湛えた、ほとんど感情の揺らぎのない王子は、婚約者のカミーユ嬢のことになると別人のようになる時がある。)
「今からでも侯爵邸に行って、もう一度彼女の顔を―――」
「殿下…! もう深夜でございます。せめて明日の朝になさって下さい。」
いくら婚約者の屋敷でも、理由もなく突然、深夜に訪問するなんて無礼は許されない。
「…。」
ルイス王子は、既に一時半をまわっている時計の針を見つめて、険しい表情になった。
「突然訪問して、もしお目覚めになってしまったら、お嬢様のお身体にも触ります。どうか一旦お静まり下さい。」
まだ迷った様子だったが、一旦無言で部屋の中央のソファに座った王子に、ひとまず安堵のため息が漏れた。
◇◇◇
(ルイス王子の回想)
カミーユに出逢ったのは、ちょうど3年前――― 私が9歳、カミーユがまだ6歳の時だった。
当時は、いきなり婚約者と言われてもピンと来なかった。
それでも、カミーユは物心ついた頃から、いつもわたしの後を追い掛けてきた。
当時はそれが鬱陶しく感じて、彼女を広い王宮の庭に一人置いてきてしまったことがあった。幼い女の子のお守りをするより、家庭教師の学者と話したり魔法書を読んでいる方が楽しかったからだ。
数時間後…図書館の窓の隙間からあらわれた彼女は、木の枝や花のトゲで、手足や小さな頬まで細かい傷でいっぱいだった。
「カミーユ…どうやってここに…」
まさか何時間も僕を探して…
「るいすでんかっ」
埃だらけにもかかわらず、僕をみつけた彼女の笑顔は眩しくて…
「やっとみつけましたっ」
そう言って、瞳を潤ませて健気に抱きついてきた彼女が可愛くて、勝手に胸が高鳴った。
「…僕が悪かった。ごめんねカミーユ。これからはずっと僕の側においで。」
彼女を一人にしてしまった罪悪感で、こんなことを口走ってしまったのかと思った。でも、僕はこの時すでに恋に落ちていたのかもしれない。
けれど、このことがあってから、しばらくカミーユはむやみに僕の後を追わなくなった。何時間も一人にして、怖い思いをさせてしまっただろうから嫌われても仕方ないと思った。今まで当たり前にあったルビーのような美しい瞳と、さわり心地の良い真紅の波打つ髪。
勝手だけれど、彼女が傍らにいないことが無性に寂しく感じた。
そう、ちょうど母上が亡くなったあの日も…
「殿下、最後のお別れを…」
涙は出なかった。母といっても、ほとんど乳母に育てられた身だから、母親から愛情らしい愛情を受けた記憶があまりなかった。代わりに無意識にカミーユを目で追っていた。
「そば…に…」
葬儀の途中にわたしは高熱で倒れた。
「いけませんっ、お嬢様っ。殿下はいまご病気で…」
使用人たちの制止を振り切って、カミーユはベットに寝ていたわたしに飛びついてきた。
「るいすでんか」
咳き込みながら、彼女を受け止めると、涙が自然と溢れた。
「…カミーユ」
来てくれた。
「でんかが、よんでいるような気がして…」
(あぁ…この感じ…空っぽの心が満たされていくようだ…)
「…ミーユ。…僕の側にいてくれ。」
ずっと言いたかった言葉が溢れた。
「…よろしいのですか?」
カミーユはためらいがちに、少し身を離した。
「もちろんだよ。どうしてそんなことを言うの?」
「おとうさまが…あんまり、カミーユがでんかのおそばにいると、でんかがお困りになって…それでカミーユのことも…きらいなってしまうって…」
「カミーユ…」
それであの図書館の日以来、カミーユは僕から距離を置いていたのか…。今までにこんなに過去の自分の行動を悔いたことはなかった。
泣き出さんばかりのカミーユの頬に優しく手を添える。
「…僕はどんなことがあっても、カミーユを嫌いになったりしない。だから、これからは僕の側を決して離れないで。」
彼女の手を祈るように握った。
「…はい。カミーユはずっとでんかのお側をはなれません。」
この時、真っ直ぐに僕を見据えた曇り一つないルビーの瞳に、完全に心奪われた。迂闊にも、そのまま口づけてしまったせいで、彼女もそれから3日間熱を出でしまったのだけれど。
それからというもの、僕はどこへ行くにも、何をするにも、可能な限りカミーユを伴った。
王妃教育も兼ねてという殺し文句を使えば、案外周囲の人間も納得してむしろ協力的に動いてくれた。
カミーユも好奇心が旺盛な方だったから、いつも楽しそうに僕の傍らで学んでくれた。
周囲の人間は、肉親でさえも、王太子としての自分しか見ていなかった。失敗の許されない容赦のない視線はもちろん、過剰な期待、嫉妬、羨望…。そういう煩わしいものに晒される日々に辟易しながらも、私にとって、誰もが理想とする王太子を演じるのはそう難しくなかった。
けれど、母親を失った時にはっきりと分かった。自分にはカミーユが必要だと。何のフィルターもなくただただ純粋に僕を慕って、微笑みかけてくれるカミーユ。小さな彼女の前でだけ僕は本当の自分を取り戻せる。婚約者カミーユ・オッセンは、いずれ王となる身の私に、神が与え給うた唯一無二の宝物だ。
馬車が襲われたと聞いた時は、動揺と怒りで気が狂うかと思った。何があっても彼女だけは手放せない。
これからは王宮で側において、一生守り抜くと改めて神に誓った。