18
焼きたてのスコーンに香ばしい紅茶の香り、野菜や果物は今しがた採ってきたかのように瑞々しい。
「何を言ってる?」
朝の爽やかなそよ風に、美しい金髪をキラキラ靡かせながら、麗しの王子様の笑顔がひきつった。
「ですから、カミーユではなくアレンとして王立学園に入学したいんです。」
「つまり君は、男として学園で生活するつもりか?」
ルイス王子は、まだ口角を上げたまましゃべっているが、その碧い目が全然笑っていない。
(ルイス殿下、怒ってる…? けど、悪役令嬢のカミーユにはできる限り戻りたくない。国王陛下や王妃様公認の元、盛大に婚約式でも挙げられたら、それこそ国外に逃げるのが、もっと困難になってしまう。カミーユの存在はなるべく知られないようにしなければ。それに、男子寮に入れば、フリッツとも接触がはかりやすい。)
「はい。アレンでお願いします。」
「話にならない。」
「殿下!」
「君は女の身で男子寮に入るつもりか! それを私が許すとでも?!」
珍しく王子が声を荒らげた。
(こ、怖い…こんなに怒るなんて。でもここは引くわけにいかない。)
「男子寮といっても個室ですし、別段危険なことはないと思います。」
「許さない。」
「殿下、お願いします。わたくしは…」
「そんなに…カミーユは、僕の婚約者に戻りたくないのか?」
ルイス殿下の悲しそうな瞳に、胸がチクリと痛む。
(でも、ここで流されてはいけない…。3年後、婚約破棄を言い渡して、カミーユを死罪に追い込むのは、他ならぬルイス殿下なのだから。)
「…半年でいいんです。」
「ダメだ。」
王子のイラ立ちはピークのようで、ついに席を立った。
「頼みを聞いてくれたら、何でもしますっ!」
はしたないと分かっていながら、ルイス王子の袖口を掴んで、必死に引き留める。
「…。」
王子の理知的な眉が、ピクリと動く。
「殿下、お願いします! まだ、この国に戻って間もないので、婚約者としてあなたの隣に堂々と立てる自信がないのです。学園で一生懸命勉強しながら、半年の間に必ず気持ちの整理をつけますから―――」
カミーユは、王子の両腕を掴んで頭を下げた。
しばしの沈黙が流れる。
「…紅茶を…淹れてもらおうか?」
「は、はい。今すぐに――」
「いや。学園に入学したら、今のように頻繁には会えない。だから、月に一度の学園の休日には、必ず私と一緒に過ごすんだ。」
「はい、わかりました!」
(よかった…! それくらいなら何とかなりそう。)
「その時は、君のルビー色の紅茶が飲みたい。もちろん、カミーユの姿で淹れてくれるね?」
(うっ…それってつまり…)
「あの…キ、キス以外に、アレンからカミーユに戻る方法はないのですか?」
(紅茶だったら、いくらでも淹れるけど、毎回のキスは勘弁してほしい。既に、ルイス王子と一緒にいるだけで、悪役令嬢・カミーユの胸はこんなにも高鳴っているのに、会うたびにキスまでするなんて、刺激が強すぎる。)
「嫌なら、この話は全てなしにしよう。」
「えっ、全て?!」
愕然とするカミーユを余所に、王子は、冷たく言い放って構わず立ち去ろうとする。
「まっ、待って下さいっ! わかりました!」
カミーユは、再びルイス王子の手首を慌てて掴むと、王子は、冷笑を浮かべてカミーユを見下ろした。
「そうか、では半年だけアレンとしての王立学園の入学を許そう。」
「本当ですか?! ありがとうございま―――」
「申し訳ありません、殿下。」
コンコンッ、と執事のシェーンが、ドアをノックする音がする。20分の朝食の予定が、気付けば、ルイス殿下の寝室に入ってから一時間半も経過していた。
「さすがにタイムリミットだな。」
王子は残念そうにため息を付いた。
「あっ、ちょっと待って下さい! 最後にもう一つ、幼い頃、殿下からいただいたこのルビーの指輪、なぜか、ずーっと外れないんですが、学園生活ではしている訳にいかないので、外してもらえませんか?」
王子の肩が揺れて、一瞬、ピリッとして空気が走る。
「ごめんね、カミーユ。これは外してあげられないんだ。」
王子は満面の笑みで答えた。
「え? でもリングには、王家の紋章も入っているし、このままでは―――」
「無理なんだ。悪いが、もう行かなければならない。今日は素晴らしい朝をありがとう、僕の可愛い可愛いカミーユ。美味しかったよ。」
ルイス王子は、カミーユを宥めるように自身の腰を落として目線の高さを合わせて優しく頭を撫でた。
「愛してる。」
(至近距離に近づいた、王子様の燃えるような瞳に捉えられて、身体が動かない。)
「う…ぁ…んっ」
ルイス王子はそのまま、ちゅ、と軽く口づけて甘く微笑み、そのまま部屋を出ていってしまった。
(かっ、かっこいい~! 今のスチルも欲しいっ。はっ、そうじゃなかった!! 指輪が外れないなんてどうしよう…ルイス殿下、何だか急ぎ足で行ってしまったけど…。)
結局、ルビーの指輪を外す方法は見つからず、カミーユはそのまま王立学園の入学の日を迎えることになってしまった。




